第24話 実験

 私は読書が苦手だ。勉強も好きではなかった。ただ、自分が興味を持ったものに対しては人並み以上の集中力でその特徴や本質を見抜く才能――と呼べるかどうかわからないが、そういう眼力を持っているということは自覚している。

 そして今、私は目の前の机に置かれたノートに興味津々である。若干、埃を被っており、長い間誰にも触れられていないことは明白だった。また、書棚に並べられた本のラインナップから推察するに、回復魔法が失われた経緯や邪神エルヌスとの関係などが記載されていることを期待させられた。

 ノートに息を吹きかけ、軽く埃を払い手に持つと、ゴードンやテッドたちが横から覗き込む。


「天使様、俺たち字読めないんで内容教えてください。ここは何なんですか?」

「まだわかんない。確実に言えるのは隠れてなんかやってたってことだね」

「回復魔法について個人的に研究することは禁じられております。研究が許されているのは神殿の大司教以上の人間です」


 その大司教たちがちゃんと研究してればこんな書斎は作られなかっただろう。個人的に研究したくなる何かがあるのだ。この書斎の主はエルヌスについても何か調べている。神殿がエルヌスを敬遠しているのはゴードンの反応からも明らかだ。神殿の研究チームにはできないことを、ここの主はやっていたのかもしれない。


 私はノートの表紙をめくった。



***



――仮説、回復魔法はエルヌスの呪いにより封印された。


 これを立証する為にこの研究室を作った。出入り口は毎回土魔法で隠蔽しているので発見は困難だろう。また、ここは冒険者たちの狩場としては効率の悪い不人気な部屋だ。近づく者など多くはない。


 まず、現存しながらも使えなくなった回復魔法を知るところから始める。被験体は貧民街で若い女性を闇魔法で眠らせ、ここに連れてきた。


【実験1】ヒール

 被験体の小指の腹にナイフで4分の1タルドの切り傷を作った。出血は微小。被験体は深い眠りに就いている。ヒールの呪文は『癒しの精霊よ、ここに集いてこの傷を癒したまえ。ヒール』だ。呪文を唱えるも被験体の傷は癒えなかった。


【実験2】エクストラヒール

 被験体の腹部を切開。ヘソの下1タルドを横に10タルド程度切り裂いた。深さは1タルド程度。出血が多い。被験体はまだ眠っている。エクストラヒールは全身に裂傷があっても完治させる効能がある。呪文は『大いなる癒しの精霊よ、ここに集いてこの者の全身を癒やしたまえ。エクストラヒール』だ。呪文を唱えるも腹部の傷は塞がらなかった。針と糸で縫合する。



***



 私はノートを一旦閉じて部屋の扉に注目した。私たちが入ってきた通路とは反対側の壁に、他の部屋へ通じると思しき扉があるのだ。

 今いるこの部屋では実験などできる広さではない。おそらく実験室があるはずだ。


「ゴードン、そっちの部屋行ってみよう」

「天使様、なんて書かれてたんです?」

「回復魔法の実験について書かれてる。人体実験やってたみたい」


 テッドたちは神妙な顔つきでノートを見る。


 扉を開けようと手を伸ばすと、ゴードンが剣を抜いて私の手をそっと制止し、扉の横の壁に背をもたれかけた。テッドたちがゴードンの意図を汲んで武器を構え、ガイルが扉の正面に立ち、ドアノブを捻った。

 ガイルが一気に扉を開けて槍を構える。それと同時に腐敗臭が鼻腔を刺激する。


「えほっ! ごほっ!」


 思わず私はむせてしまった。貧民街で体験した臭いを50倍濃くしたような酷い臭いだ。

 ガイルがゆっくりと扉の中へ入っていく。それに続いてテッドが長い槍を部屋の中へと入れていく。


「天使様、誰もいません。『生きてる人は』ですが……」


 ガイルの声を聞き、私も部屋の中へ侵入した。酷い臭いに袖で鼻を覆う。

 部屋の中央には手術台のような長い足のベッド、そこに横たわる人影、そしてそれに群がる大量の虫が目に映った。


「ひっ!」


 隣にいたゴードンにしがみつく。もちろん腐りかけた人影が怖かったのではなく、虫が怖かったのだ。そう、虫は人を食うのだ。

 ゴードンを盾にして部屋の中を観察する。すると、ベッドの枕側の壁に生々しい死体が鎮座していた。背は壁にもたれかかり、頭は力なく垂れ下がり、両足をだらんと伸ばして地面に座っている。両手は胸に突き刺さったナイフの柄を握りしめており、自分で刺したのだということを強調していた。死体の表面には蛆やムカデと思しき節足動物が大量にうごめき、特大のGがカサカサと這う。


「ひえええ……ああはなりたくないよー……ゴードン、虫なんとかしてー」

「それなら私が」


 カティアが杖を構えて詠唱を始める。


「闇の精霊よ、這い寄る虫たちをこの場から退けたまえ。アンチボルトスエリア」


 カティアを中心に紺色の魔法陣が展開されると、その魔法陣を避けるように大量の虫たちがぞわぞわと部屋の一角にある壁の穴へ逃げ込んで行った。その数は2万にも3万にも感じられ、死体からニョロニョロと這い出てはベッドの足を伝って何本もの足を高速で動かして目にも止まらぬスピードで駆け抜ける様は、私の目を白目にするのに十分な悍ましい光景だった。


「カ……カティア……あり……がとう……でも、今度からは……私が目を瞑ってから……やって」


「レニング公爵殿……」

「ゴードン知ってんの?」

「はい。2年ほど前から行方不明になっていたレニング卿です。魔法騎士団の団長を務められていました」


 部屋の一角には化学の実験でもしていたかのようなガラス製の細いパイプや丸底フラスコ、三角フラスコ、試験管などが置かれたテーブルがあり、中身が入っているであろうガラス瓶なども放置され埃を被っている。


 ベッドの上の女性はノートにあった被験体だろう。全裸で手足は腐っており、左腕の肘から先がなく、包帯が巻かれている。全身の至る所に切り傷やそれを縫合したと思われる縫い跡がある。死に顔は不思議と安らぎの表情に見えた。


 状況が飲み込めないのでノートの最後の部分を見ることにした。



***



 ――私は彼女を愛してしまった。


 彼女を救う。


 そして私も。



***



 おそらく様々な実験を試みたのだろう。その末に彼女に愛着を持ってしまったのだ。彼女は目を覚ますことがあったのだろうか。この部屋の主と何か会話や触れ合いが――


 このノートをもっと読み込まなければならない。結果はこの惨状が全てを物語っている。問題は過程だ。まだエルヌスに関する物的な遺品が出てきていない。全てはこのノートの中に。


 私たちは死体を部屋の片隅に並べて安置し、私の提案で2人の手を握らせた。

 そして寝袋とエアマットを召喚し、皆装備を外して地球最新のエアマットの寝心地を体感したのだった。

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