第9話 初めての馬車

「っくー! 終わったー!」


 背伸びをしながら外に出ると、美しい星空と2つの月に開いた口が塞がらなかった。


「あはは。異世界名物だ」

「サニー様、お疲れとは存じますが、お願いがございます」


 ゴードンが改まって膝を付いている。余程のお願いなのだろう。


「うん? どしたの?」

「王都へ……ご同行願いたいのです」

「いいよ。特に急ぎの用もないし」

「ありがとうございます。ではこちらへ」


 ゴードンは野営地の片隅にある馬車置き場に私を案内した。今日はここに寝るものだと思っていた。寝床に使えそうだと思って確保していた負傷兵用のタンカも必要なくなりそうだ。

 馬車は豪華な装飾が施された、いかにも貴族用のデザインで、車輪も大きく乗り心地が良さそうだった。

 初めて馬車を見たので思わず興奮してしまう。


「馬車だ! 初めて見た!」

「乗ったことはないのですか?」

「ないよ! 乗っていい?」


 ゴードンは馬車のキャビンの扉を開けてエスコートする。作法がわからないので、とりあえず差し出された手に左手を載せて馬車に乗り込んだ。

 内装も綺麗に装飾してあり、席もクッションでふかふかだった。意外と幅が広い。

 ゴードンも遅れて乗り込む。御者に何か指示したようだが聞こえなかった。


「あはは! すごいね、すごいね!」

「お気に召されたようで何よりです」

「王都までどれくらいなの?」

「約20日かかります」

「うわーお。長旅だ。でもどっか寄るんでしょ?」

「まずここから1番近い大きな街のフィルムスに立ち寄り馬車を変えます」

「大きな街……観光したい」

「そのような時間はございません」

「えーーいじわるーーー」

「意地悪ではごさいません。サニー様、少し横になられてはいかがですか?」

「えーーなるーーつかりたーー」


 私はバフンとベンチ席に横になると、ゴードンが心配になった。まさか寝ないで私のこと護衛するつもりじゃないだろうな。


「ゴードンも寝るなら私も寝る」

「サニー様がお休みになられましたら私も寝ます。ご安心ください。御者のカルタスは剣の腕も体術も一流の護衛騎士です」

「むー、わかったよ寝るよ」


 その前に喉が渇いた。甘いものが飲みたい。


「異世界召喚。真夜中の紅茶ミルクティー」


 寝ながらミルクティーを飲むと、ゴードンが「サニー様、はしたなく存じます」と諌めてきたので、ゴードンもミルクティー依存症にしてやろうと勧めた。


「ゴードンも飲む? うへへへへ」

「私は結構です。しかし、その容器には興味があります」

「ああ、ペットボトルね。いいよ? 持って」

「これは……ビンではない……軽い」

「プラスチックっていう原料でできてるの」


 そんな異世界転生の醍醐味である地球の技術自慢をしていると、久しぶりの仕事の疲れ、そして馬車の小刻みな揺れの心地良さで、私は一気に睡魔に襲われた。



***



 カーテンの隙間から眩い光が差し込み、それがゴードンの鎧に反射して私の瞼に届いたのだろう。

 私の体には薄手の毛布が掛けられており、肌触りのいい感触にスゥっと匂いを嗅ぐと、太陽の香りがして昨日の出来事が夢ではなかったのだと確信した。


「おはようございます」

「おはよー」


 カーテンを開いて窓の外を覗き見る。そこには美しい緑の草原と小高い丘、見たこともない樹々の林に見たこともない動物、綺麗な水の小川という大自然の光景が広がっていた。


「間も無くフィルムスに到着いたします」


 街に到着すると聞いて体が反応したのだろうか。急に催してきた。異世界に来て初めてのトイレである。できれば綺麗なところで落ち着いてしたい。


「ねーねー、公衆トイレってある?」

「公衆のものはありませんが、ギリー食堂のトイレは水洗で綺麗です。そこで朝食の予定ですが如何なされますか? 今すぐ馬車を止めますか?」


 色々察してくれて助かる。でも野外は虫がいそうで嫌なのでギリー食堂まで我慢しよう。

 しかし朝食と聞くと身構えてしまう。また『あれ』が出てきたらどうしよう。いや、『あれ』は戦闘食に違いない。ミリメシというやつだ。普段からあんなものを食べているわけがない。


「食堂にする。ありがと。ちなみに……コ、コエニは出てくるの?」

「コエニは主食ですので朝昼晩3食食べます」


 主食――なんてこった。こうに違いないという私の思い込みに近い予想は見事に的を外し、1番見たくない現実を突き付けられたのだった。


 馬車は街道を進み、高い外壁に囲まれた街に到着する。街の入り口には門番が立っていて、御者が門番と話をしているようだった。

 しばらくすると馬車は街の中へと入っていき、窓からは広く綺麗に整備されたレンガ道と行き交う人々、建ち並ぶ商店、5階か6階はありそうな背の高い建物が見えた。

 こんなにワクワクする気持ちは何年振りだろうか。遠い記憶を手繰り寄せて思い出したのは初めての遠足だ。どこに行ったのかは覚えていないが、たしかこんな気持ちだった。


 馬車が止まり、御者のカルタスが扉を開く。ゴードンが先に降りて私をエスコートした。きっと育ちがいいのだろう。立ち居振る舞いに気品を感じる。

 正面の建物は青を基調としたいかにも贅沢そうな装飾がなされた高級店と思しき店で、扉には何かの紋章が記されていた。

 こんな店に慣れた様子で入っていくゴードンは、相当身分が高いのではないだろうか。


「ゴードンって貴族なの?」

「私は子爵家の長男です」

「やっぱり。なんか慣れてるもんね。私はこういうとこ来るの初めてだから粗相したらごめんね?」


 ウェイターにローブを預けると、ゴードンがウェイターに耳打ちし、私はトイレに案内された。

 トイレはとても綺麗で、便器と貯水タンクが金で出来ていた。これじゃ日本にいたときよりも高級なトイレである。

 私は気持ちよくトイレを済ませて食堂へ戻った。


 ゴードンが椅子を引いて私を座らせる。これはテレビで見たことがあるからわかる大丈夫。

 問題はテーブルマナーである。やはり音を立ててはいけないのだろうか。

 テーブルにナプキンが用意されているのだが、これを膝に敷けばいいのか首から下げればいいのかわからない。

 こんな時スマホがあれば検索しまくって情報収集するのに。改めてスマホがないことの不便さを感じる。


「メニューをお持ち致しました」


 ウェイターが持ってきたメニューを見ると、現地語で書かれているが不思議と読めた。問題は読めてもわからない料理名である。使っている肉や野菜の種類が記載されているのだろうが、聞いたことのない名前だ。


「ゴードン、肉が食べたいんだけど、なんかおすすめある? あ、コエニは抜きで」

「それでしたらフォルコアのステーキがよろしいかと。それとコエニの代わりにミルグストも頼めます」

「ミルグスト……とは?」

「豆を蜂蜜で茹でたものです」

「あ、おいしそう。それにする」

「では私も」


 ゴードンは手を上げてウェイターを呼ぶと、私の分まで注文してくれた。


 料理が届くと、ゴードンが膝にナプキンをかけているのがわかった。ここぞとばかりに膝にナプキンをかける。

 料理は意外と量が多く、香辛料のいい香りがした。

 ゴードンが小声でお祈りを始める。周囲に気を遣っているようだ。それとも私に気を遣っているのだろうか。


「うまい! フォルコアってどんな動物?」

「草食獣で体が大きく、主に食用として飼育されています」

「じゃあ私が元いた世界でいうところの牛みたいもんかな」


 第一印象は重要である。コエニですっかりこの世界の食事の第一印象を悪くした私だったが、ミルグストやフォルコアのステーキといった美味しい食事もあるのだということを知り、ここでの今後の食生活に期待が持てそうだと感じた。


 腹ごしらえも済んで、今度は旅支度である。

 次の街までの道のりは長いらしく、野営の準備もしておく必要があるとのことだ。

 クルマがないというのは不便なものだ。いっそクルマを召喚してしまうことも考えたが、折角御者と馬車を用意してくれているのだからやめておこう。

 のんびり旅をするのも悪くない。

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