第6話 失われた秘法

――惑星ニルディーナ。ユーナデリア大陸。ダコロス平原。タリドニア王国軍第1野営地。


「何? この娘が?」


 何がそうさせているのかわからないが、いやらしい目付きをしたデブは、そう言って私が戦場でしたことに対して懐疑的な態度を見せた。

 このテントに入ってきた時から、このデブは果物を頬張り、酒らしきものをグビグビ飲んでいる。

 もう少し第一印象というものを考えるべきだろう。


「はっ。女神サニーによる奇跡です」


 ゴードンはこのデブを大教皇と呼んで敬意を払っているようだ。ゴードン自身は神官と名乗っていたので、上司のような存在なのだろう。


「馬鹿者っ! 主サラエド以外に神などおらぬっ!」


 飲みかけのジョッキがゴードンめがけて飛んでいったが、ゴードンは首を捻ってそれをかわした。

 眉ひとつ動かさないその表情から、おそらく慣れているのだろうと言う事を察した。


「ゴードン、もういいよ。行こう?」


 戦場での出来事は一部始終を報告済みだった。ここに留まる理由などないのだ。

 しかし、デブはそれを許さなかった。


「待て異端者。神を名乗るなど言語道断。貴様は異端審問にかけて――」

「キューブ。コンプレッション」


 右手を構えてそう唱えると、デブは四角くなり、圧縮されて一回り小さくなった。護衛の兵士たちが剣を構える。


「動くな。動いたらこのデブを潰す」

「な、なんだこれは!」

「私を敵に回すの? 敵国側についてもいいんだよ? 私はどっちにしてもこの戦争を終わらせるだけだから」

「大教皇、サニー様を敵に回すのは得策ではございません」

「は、早くここから出してくれ! くっ! くるしっ!」

「もう異端審問とか言わないなら出してあげる」

「わ、わかった! わかったからっ!」


 私が右手をおろすと、デブは元のサイズに戻った。


「くっ! 魔女めっ! 早くここから出ていけっ!」


 どの世界にも嫌な奴はいるものだ。私は時政時代から嫌な奴とは徹底的に距離を置いてきた。一緒にいると疲れるからだ。これから待っているのは長い神生だ。楽に生きよう。


 テントを出ると、外は相変わらず皆忙しなく動いていて、人の数は少ないが、少し東京を思い出した。


 ここにも流れがあるのだ。

 私も流れの一部になれるだろうか。


 重傷の負傷兵がタンカで運ばれてくる。全身大火傷で呼吸をしてるかどうかも怪しい。

 お姫様抱っこされている私は、ゴードンにお願いしてタンカを止めてもらった。

 私にもこの流れの中でできることがあるはずなのだ。それをしなければ。


「そこの負傷兵。止まれ」

「はっ!」


 私はゴードンに降ろしてもらい、大火傷の負傷兵の容体を観察した。

 息はしている。だが瀕死だ。両手を負傷兵の上にかざして、こう唱えた。


「エクストラヒール」


 負傷兵の体は緑色の光に包まれ、火傷はみるみる内に回復していった。

 負傷兵の顔が安らぎの表情に満ちていく。


「おおーーー!」


 周囲の兵士たちが大騒ぎする中、ゴードンだけは神妙な顔つきでこっちを見ていた。


「ゴードン?」

「……失われたはずの……秘法」

「エクストラヒール?」

「はい。そのほか回復系の魔法もすべてです」

「え、じゃあ戦争してても回復できないの?」

「できません。死にゆく仲間を見送るのが我々軍人の戦後処理……なのです……」


 なんてこった。彼らは魔法という概念が存在する中で、回復魔法が使えないのだ。

 失われた秘法――過去には回復魔法が使えていた時期もあったということだろうか。

 これは後で回復魔法が失われた経緯を知る必要がありそうだ。だが今は負傷兵の回復に専念すべきだろう。


「わかった。そうはさせねーぞ。ゴードン、負傷兵が集められてるテントに案内して」

「はっ。承知しました」



***



 そこは一際大きなテントだった。そこから1人の負傷兵がタンカに乗せられて出てくる。胸と口の周りが血だらけだった。胸に致命傷を受けたのだろう。

 周りには泣きじゃくる3人のパーティみたいな連中が付いていた。褐色の肌の大男に、スラッと脚の長い女剣士だろうか――革の防具を装備して帯剣している。それから大きなとんがり帽子の魔法使いと思しき女性、の3名だ。


「おおおおー!テッドーーー!」

「テッドー! うわあああああん」

「えええええええん」


 タンカに乗せられた負傷兵の頸動脈を確認すると、脈停止、呼吸停止であることがわかった。

 しかし、まだ暖かかった。これなら間に合いそうだと確信しながらも、急いで両手をかざした。


「リザレクション」


 テッドの上に、ハートの形をしたオブジェクトに十字架のマーク、そこから生える天使の翼が現れ、テッドの体は赤い光に包まれた。

 テッドの胸の傷は完治し、呼吸を再開した。


「ごほっ、ごほっごほっ! すーーーはーーー、ごほっ」

「テッド! テッドーーー!」

「テッドー! うわああああん」

「よかったテッドーー!」


 ゴードンが、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしてこっちを見ている。してはいけない事をしてしまったのかとバツの悪い顔をしていると、ゴードンがハッと我に帰ったようにこう告げる。


「サニー様、それは理論上は成し得るとされておりました。ですが過去から現在まで、死者を蘇生できた者はおりませんでした。あなた様は今まさに偉業を成し遂げられたのです」

「ほっ。ならよかった。やっちゃいけない事したのかと思ったよ」


――大型のテントの中にはズラリと負傷兵たちの行列が出来ていた。それはテントの外まで続き、負傷兵が入っては完治した者が笑顔で出ていくというサイクルが出来上がっていた。

 テントの周囲では「救いの女神」やら「サラエド様が遣わした天使」などと噂する声が後を絶たなかった。


 そんな中、そのテントを物陰からひっそりと見つめる1人の兵士がいた。

 その兵士は左腕の袖をまくると、腰に装備しているナイフを抜き、肘から下の前腕部を斜めに切り裂いた。

 その所業は無言無表情で行われ、ボタボタと流れる血を包帯でグルグル巻きに締め上げると、何食わぬ顔でテントの列に並んだ。


 春の風が少しだけ強くなり、テントの天幕をなびかせていた。

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