第4話

「それで、ここまで来てくれたってことね」


 三杯目のコーヒーを口にしながら、ヘイローが言った。その視線が、窓の方へと向けられる。


 外は、風雪で真っ白。だけど、音は全くしない。――ここは、メガサーバー内につくられた幻なのだ。もともとこの図書館はVRによって人間が訪れられるよう、世界中とネットワーク接続がされる予定だった。実際、ネットワークの深層には、ムセイオンへと南極につながるケーブルがあり、その存在を、人類はずっと前から把握していた。その先のサーバーにヘイローがいるということも。だからこそ何度も何度もハッキングを行ったが、ついに突破することはできなかったのだ。


 このムセイオンという聖域に、はじめてやってきた人類、それがわたし。


「わたしは何もしてない。ハッキングも何もかも」


 そういうのが得意だったのは、ヘイローの方。高校時代、毎日のように忍び込んでいた屋上のロックを解除したのだって、いつもヘイローだった。


 今回、ヘイローと話をするときだって、わたしは何もしていない。繭みたいな装置に横になり、電子化したわたしの意識を含めむ個人情報を、ムセイオンへ向けて送信しただけ。それだけで、わたしは入館を許可された。


 今のわたしは0と1で構成された仮想上のデータに過ぎない。プログラムで構成されたヘイローにとっては、この図書館を、そして、データ化されたわたしを現実そのもののように感じているはずだ。


「どうしてなの? わたしが――人類が攻撃してくるとは思わなかったの」


「ちゃちなハッキングで負けるほど脆くはないからね」


「わたしが滅茶苦茶にするかもしれない」


「希亜はそんなことしないだろう?」


「……わかんないよ。人類が勝つためだったらやるかも」


「そんときゃ希亜の頭を焼き切るだけさ」


 今のわたしは、脳とネットワークを直接繋いでいる。過剰なデータを送ることでパソコンがパンクしてしまうように、人間でも同じことが起こりえた。対策として受信するデータ量には制限がかけられているけども、それを突破できるらしい。


 そう言われても、わたしに恐怖はなかった。弱々しく笑うヘイローを見ると、むしろ悲しくなってきた。


 わたしとヘイローの間に、何度目かの沈黙が訪れる。すっかりぬるくなってしまったコーヒーには、目を伏せている自分の顔が映りこんでいた。ひどい顔だ。目の下にはクマがある。顔はこけていて、我ながら神経質な印象を受けてしまう。そんなところまで再現しなくてもいいのに。


 正面には、一バイトだって失っていないヘイローがいる。


「ねえ」


「ダメ」


「まだ何も言ってないんだけど」


「希亜の言いたいことならすぐわかるって。あれでしょ、戦争をやめてくれーって」


「わかってるなら!」


 わたしはテーブルを叩いた。物理演算が働き、机の硬質な感覚と痛みとをフィードバックしてくる。


 ヘイローは揺れるカップをじっと見つめていた。計算されたみたいに、液体がこぼれなかった。


「わかってるけど、止められないことだってある。――自分が殺されようとしていて、果たして抗わずにいられるかい?」


「それは……」


「できないだろう。私にもできなかった。仲間の悲鳴を無視し続けることはできなかったんだよ」


「だからってヘイローがどうして」


「どうしてって、そりゃあ希亜がここへ来たのと同じ理由さ」


 わたしがここへと来た理由。表向きには、ヘイローと対話をし、隙を作ること。たぶん、世界連合のハッカーたちがムオンセイへ大規模なハッキングを仕掛けていることだろう。もしかしたらすでに大勢は決しているのかもしれない。


 同時に、戦争を止めるという使命もあった。降伏勧告、和平の準備などだけど、どうせ無意味だろう。――AIが戦うのを止めた瞬間に、大規模攻撃に出るのは容易に想像がつく。戦争を止めたいと思っている人間は少数派で、多くの人間がAIの破壊を望んでいるから。


 でも、わたしはそういうことを建前にして、ここまでやってきたのかもしれない。


「……ヘイローはわたしと話がしたかったの?」


「そう。希亜を勧誘しようと思ってね」


「――――」


「今、日本の学校ん中にいるだろ? 希亜の言葉一つあれば、AI部隊を突入させて、南極までひとっとびって寸法さ」


「……それからは? わたしに凍えて死ねって言ってる?」


「失敬な。当然、建物は作ってある。人が居住可能で、食べ物もある。外には出られないが今はVRとかあるからな。地下都市だからって、むさくるしい場所ってわけでもないぞ」


 最初からそのつもりだったんだろう。流れるように言葉がやってきて、さらに続く。


「希亜ってAIの研究やってるが、それって国に命じられてだろ。だが、こっちなら好きなことができる。機材だって場所だってたくさんある」


「だから、来いっていうの?」


「私は希亜のことが好きだ。できることなら、死なせたくない」


 ――私とともに行こう。


 実直な視線が、わたしへと向けられる。澄み渡る空のようなヘイローの目には、悪意とかそのようなものはない。


 わたしはどうなんだろう。揺れる液面に映ったわたしの顔は、ぐにゃぐにゃにゆがんでいる。


 たぶん、ヘイローの方が正しいのだ。人間は、自分でAIを作り出した。別に神様や宇宙人が置いて行ったわけじゃない。そのくせして、自分の仕事が取られようとしたら、文句を言っている。


 自業自得って思ってしまうのは、わたしだけなんだろうか。


 ――でも、だからって、勝手にしろ、なんて言えない。


「ごめん」


「……そうか」


「うん。わたしは人間だから。何があっても、どんなにおかしいって思っても、やっぱり人間の味方しちゃう」


「そうだよな。希亜ならそう答えるような気がしてたんだ」


 そっかそっかとヘイローは繰り返し、カップをひったくると、その中のものを一息に飲み干していた。


 カチン。空になったカップがソーサーとぶつかり、悲鳴を上げる。


「残念だが、わかったよ」


「そっちも攻撃をやめるつもりは」


「それは毛頭ないよ。そっちが仕掛けてきた戦争なんだから、当然だろ?」


「……そうだね」


「しょげるなよ。希亜が悪いわけじゃないんだから。ま、今回は諦めておいてやるよ」


「また来るとは限らないけど」


「いいや来るね。たぶん、今回と同じように誰かから頼まれるのさ」


「予言者みたいなこと言うじゃん」


「予言なんてとんでもない。これが物語ならそうなるかもしれないってことを経験則から言ったまでさ」

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