残りの数日、僕はアパートの部屋に引きこもり、スマホを枕元に置いて、出版社から連絡が入るのを待った。「もうダメだ」とわかっていながら、期待せずにはいられなかった。

 最終選考に残っていたら電話が入る。受賞しなくとも、担当編集が付く。そうしたら、作品を発表できるかもしれない。「大成」とはいかなくとも、夢を叶えられるかもしれない。「小説家になりたい」という夢が。

 電話がかかってきた。母さんからだった。電話がかかってきた。母さんからだった。電話がかかってきた。茜さんからだった。結局、出版社から電話がかかってくることは無かった。

 ダメか…、そりゃそうだよな。未来を売ってしまったんだから…。

 そう肩を落として、深いため息をついていると、部屋の扉がノックされた。

 鍵をかけ忘れていたようで、扉がガチャッ…と開き、書店の制服を着たままの茜さんが顔を出した。

「よお、どうだった?」

「ダメでしたよ」

 自分のことじゃないのに、茜さんは少し残念そうな顔をした。

 半開きの扉から身を乗り出し、帰り際のコンビニで買ったであろうナイロン袋を、部屋の奥にいる僕に向かって突き出した。

「どうよ? 呑まないか?」

「吞みますか。もうやけくそですよ」

 茜さんが隣の部屋で着替えている間、僕は窓を開けて換気し、布団を畳み、埃っぽくなtったフローリングを雑巾で拭いた。テーブルの上に山積みになっていたウイダーゼリーのゴミを袋に入れ、雑巾で拭く。

 冷凍庫から冷凍の餃子を取り出すと、レンジに放り込み、適当な時間チンをした。

 新しい芳香剤に取り替えているタイミングで、部屋着に着替えた茜さんが扉を開けた。

「なんだ、掃除してくれてたの? 別に気にしないのに」

「いや…、流石に女性を部屋に上げるんですから」

「なに? 期待してるの?」

「なわけないじゃないですか」

「だよね、キミみたいな童貞は、小説の中で十分だもんね」

「なんかムカつきますね」

 よいしょ、と言って、彼女は重そうな段ボールを抱えて部屋に入ってくる。

「それ、酒ですか?」

「うん、知り合いに、『賞味期限が近いから』って言われてもらった。まったく、私が飲んだくれに見えるのかしらね?」

「飲んだくれでしょうが」

 箱を開けると、中にはビールやらサワーやらの缶が大量に入っていた。どれも見慣れないパッケージで、売れず在庫処分になったものと伺えた。

 元から冷蔵庫で冷やしていたビールを取り出し、開いたスペースに段ボールから取り出した温い酒を入れる。おつまみは、お互いに持ち寄ったものをテーブルの上に並べた。餃子、ニンニク、柿ピーナッツ、ポテトサラダと、宴会には定番の品だった。

 「まだまだ暑いね」「そろそろ涼しくなるでしょう」「乾燥肌だからね」「あんたの顔なんて誰も見ないでしょうが」「あ?」という不毛な会話を交わしながら、僕たちはテーブルに向かい合って座った。缶ビールのプルトップを引くと、プシュッ! と炭酸が弾ける音が心地よく響く。

 今は、忘れよう。それに限る。

 やっていることが、屑の母親と同じことだと知りながら、僕は右手に持った缶を茜さんの方に突き出した。

「乾杯…」

「はい、カンパーイ」

 茜さんが勢いよく、僕の缶に自分の缶をぶつける。

「いやあ、惜しかったね」

 手羽を鷲掴みにし、むぐむぐと齧りながら茜さんは言った。

「あの小説、最終選考には残ると思ったんだけどなあ」

「そうですね…、僕も、悪い出来では無いと思っていました」

「ってことは、今年の受賞作は期待できそうだね。面白い作品を書いたキミを超えた人の作品なんだ。絶対に面白いに決まっている」

「…そんなものですかね」

 僕は餃子を口の中に放り込み、苦い液体で流し込んだ。

「もう無理だな。あの作品、最高傑作なんですよ。魂を削って書いたんです。いやあ、あれを落とされるって…、うーん…、もうダメだろうなあ…」

「まあ、確かに、今までに読ませてもらった作品の中で、一番良かったと思うよ」

 茜さんは苦笑しながら頷いた。

 彼女は書店に勤めているということもあって、沢山の小説を読む(一番好きなジャンルはミステリらしい)。そのためか、彼女の作品に対する感想は的を射て参考になった。

「あの作品…、特に悪いところが無かったんだよね。まあ、無いことはなかったけど…、うん、ほぼ誤差の範囲っていうか、書籍化の校閲の時点で軽く直される程度っていうか…」

 二本目の手羽に手を伸ばしながら、茜さんが唸る。

「いやあ、難しいね。小説家になるってことは!」

「そうですね」

「応募総数って、いくつだったの?」

「確か…、四五〇〇はあったと思います」

「四次に残っていたのが?」

「五六です」

「うーん、そんなものかあ…。まあ、誇りに思ったらいいんじゃない? だって全体の一パーセントに入っているんだからさ。君は十分実力があるよ」

「賞をとらんと意味が無いでしょう」

「まあ、そうなんだけどさ」

 茜さんはビールをくいっと呑む。そして、空になった缶の底をテーブルの上に叩きつけた。

「でもねえ、世の中って不思議だよね」

「……なにが不思議なんですか?」

「わからない? なんかさ、『なんでこいつが?』っていう人間が成功してるよね?」

 そう言って肩を竦めた彼女は、テレビの画面に映っている女性タレントの方を見た。

 その女性タレントは、デビューしてわずか三か月でブレイクし、今はCMやドラマ、バラエティーと引っ張りだこの人気だった。二週間前にはオリジナルソングも出していて、その週のオリコン一位に輝いていた。

「どう思う? このタレント」

「可愛いと思います」

「だけどさ、演技はへたくそだよね。あと、バラエティーのトークもダメ。司会者に振られても面白いこと返せないし…、まあ、おどおどしている姿が『可愛い』っていう奴もいるんだけど…。この前に出した歌だって、せっかく作詞作曲が良いのに、歌唱力が追いついていない。その作詞作曲をしたのも、他の有名アーティストのものなのにね」

 茜さんは酒臭い息を吐きながらそうテレビの向こうのタレントに悪態をついた。

「メディアはさ、このタレントを『天才』だとか、『努力家』だとか言うけど…、私からしたら、『運がよかっただけ』だと思うよ? 運よく両親に綺麗な顔で産んでもらえて…、町を歩いていたら運よくスカウトされて…、運よく雑誌の写真集を飾って…、運よくそれが売れて…、運よくドラマが決まって…、運よくそれがヒットして…、運よくプロデューサーに恵まれて…。こういう奴はその内、出版社と癒着して、大して面白くない本を出すんだよ。これも運だ」

 まあ、運も実力のうちなんだけどね。そう言った彼女は、二本目の缶ビールを開けた。

「小説だってそうだよ。どうしてこんな作品が? ってやつが賞を取るし、売れるんだよ。私さ、本屋で働いているから、毎日新刊が入荷されるわけよ。私が好きな小説よりも、作者の願望が色濃く出たようなくだらない小説の方が入荷数多いのを見ると、ちょっとむっとなるよね」

 まあ、今はそういうのが売れるんだろうね。と、彼女は自虐気味に笑った。

「売れる奴らからしたら、私とかキミなんて、古臭い作風に捉われた老害だと思われているんだろうよ。『売れた方が正義』…、それ以外は『負け犬の遠吠え』さ」

「……そうですね」

 いや、違うな。僕の場合は、「『未来』を売ってしまったから」だ。

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