じゃあ、またね。お酒用意しているから、突破祝いに呑もう。

 そう言って、茜さんは通話を切った。

 僕もスマホをポケットに入れ、また歩き始めた。

 そわそわ、そわそわ、そわそわ…。

 足元から髪の毛の先が、そんな感覚に襲われる。

「………」

 最終選考に残った作品の発表は、九月。だったら、八月下旬には本人に電話連絡が来ていないとおかしい…。今は、八月二十四日。もう電話が掛かってきても良い頃か…。

 そう思った瞬間、僕は自分の額をパシンッ! と叩いていた。

 塀の上で昼寝をしていた猫がびっくりして逃げ出す。電線の鴉が飛び立つ。

「くそが…、変な期待してんじゃねえよ」

 僕は自分にそう悪態を突いた。

 多分、これで落選だ。

別に、最初から期待せず、もし落ちた時心に加わるダメージを和らげようとしているのではない。本当に「落選した」のだ。証拠はない。だけど、これは「運命」だった。

 前述した通り、僕は小学生の時、病気に罹った母さんを助けるために僕の「未来」を売った。そして、莫大な金を手に入れた。

 あの時、マントの女に渡されたジュラルミンケースの中は、札束だけではなく、一枚の黒い封筒が入っていた。セロテープだけでなく、赤い薔薇のシールで厳重に封がされていたそれには、契約書と、僕が金と引き換えに売り払った、「僕が歩むはずだった未来」の内容が書かれた紙が同封されていた。

 最初は読まなかった。「僕は、この大金と引き換えに、どれだけ素晴らしい未来を売ってしまったのだろう?」と思うと、震えて読むことができなかった。

 だけど、高校生になった日、我慢ならず遂に読んでしまった。

 僕が売ってしまった未来…、それは、「小説家として大成する未来」だった。

 二十歳になった僕は、ある小説賞で大賞を受賞し、小説家としてデビューする。出版された小説は百万部を超えるヒット。その年の内に、映画化が決定する。新人ながら、有名小説家に仲間入りし、それからも、出す小説は毎回五十万部を超えて売れるようになるのだ。

 超豪華な家を建て、そこで悠々自適は印税生活。担当編集だった女性と結婚し、子供は二人。犬と猫とを一匹ずつ飼い、決して奢らず、謙虚に、安定した日々を送る。

 そんな「未来」を知った時、僕はたまらない後悔に襲われた。「なんで売ってしまったんだろう…」って、目の前に山積みにされた札束を見て泣いた。

 こんな大金なんかより…、子供に金をせびる母親を助けるよりも、小説家として大成して名誉を得る方がよっぽど素晴らしいことじゃないか。しかも、確定していたんだ。その未来だった。

 三日三晩泣いた。そして、涙も枯れた頃、母さんの治療費のお釣りを使って、それ相応に「幸せ」な日々を過ごそうとした。僕が幸せになるためにどんな未来を歩めばいいのか、この黒い封筒に同封された紙に書いてあった「小説家として大成する」。その通りに動けば良い話だった。

 だけど、「運命」とはうまくいかないものらしい。

 高校の時から、数多の小説賞に応募し続けた。だけど、良いところまで行って、結局は落選する。そして、本来ならば僕が小説家になるきっかけとなった今回の小説賞でも、きっと落選した。未来は潰えた。さて、これからどうするものか。

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