すべての超能力者とそうでない人へ

こやま智

超能力者 vs 駐車場のポール

 小山サトルは超能力者である。

 透視、念動力、テレポート、読心術といった、一般に超能力と呼ばれる能力は一通り持っている。


 とある病院で医療事務をやっている彼は、人生最大のトラブルに頭を悩ませていた。

 場所は、彼の勤め先の病院の駐車場。その出入口で、夜中の22時過ぎに、彼は胡坐をかいて、根元から少しだけ曲がった、ステンレス製のポールを見つめていた。


 その日、彼は少しだけ残業をした。彼の勤め先は透析患者のための専用施設で、夜の診療はない。夕方で治療は終了し、たいていは日常的な事務作業を片付けて、19時には戸締りをして全員が帰宅する。その日は、最後の患者について会計のトラブルがあり、その確認のためにほんの僅か作業をしたのだが、その間に同僚たちはかたづけと戸締りを済ませ、帰宅してしまった。

 夜の病院というと不気味なものというイメージがあるが、この透析クリニックは今年開院したばかりだし、患者が死ぬようなこともない。小山は最後の戸締りを終えて、買ったばかりの車に乗り、外に漏れるギリギリの音量で好きな洋楽を流して、駐車場を出ようと車を走らせた。そしてウインカーを出しつつ駐車場を出ようとしたとき、


 がん、と鈍い音がした。


 慌てて車を出て、前方に回る。

 すると、駐車場の入口のポールが立っていて、新車のバンパーにめり込んでいた。

 小山は思わず頭を抱え、うっそだろ、と小さく呟き、車をバックさせた。

 同僚が出していったのだろうか。自分が車で通勤を始めたのは数日前からだから、駐車場は閉めてもよいと思ったのかもしれない。そう思ったが、それでも沸き上がる理不尽な気持ちは収まりそうになかった。


 車のヘッドライトはつけたままで、再び前に回ってバンパーの傷を確認する。

 近年の車はすぐに板金が必要になると友人が言っていたので気になっていたが、幸い、そこまでのへこみではなさそうだ。最悪でも、バンパー単体を交換すれば済むだろう。ともかく、今日は早く帰って眠りたい。


 そして駐車場のポールを外そうとして、小山は気が付いた。

 ポールが根元から曲がっているのである。

 このポールは、普段はどこかに片付けておいて後から差す、というものではない。普段は地面の下に丸ごと埋まっていて、使うときには引っ張り上げるタイプなのだ。それが根元から曲がっているということは、つまり、格納できないことを意味する。


 すなわち、駐車場から車を出すことが出来ない。

 小山は、がっくりと肩を落とした。わずかな時間とはいえ、他人より頑張って残業をこなした若者にこの仕打ちか。


 まあ、落ち込んでいても仕方がない。小山は、とにかくポールを元に戻すことを考えた。

 反対側から、何度か蹴ってみる。

 するとがん、がん、と近所中に鈍い音が響く。思いのほか大きな音だったので、小山はすぐに蹴るのをやめた。

 そしてポールを捻じ込めるか試してみたが、まったく改善した様子はなかった。見た目にも、曲がりが少なくなっているようには見えない。


 小山は、パワーが足りないのではないか、と考えた。

 ならば、もう一度車で押せばよいはずだ。

 ポールの向きを修正して、車のほうに向ける。そして車に乗り込み、ゆっくりとバンパーで押した。

 車から降りて、ポールの曲がりを確認する。

 ポールは反対側に、先ほどまでよりもさらに大きく曲がっていた。

 バンパーを押し当てている最中に回転したのだろう。小山は、自分のバカさ加減に頭を抱えた。


 もういい。車をおいて、電車で帰ろう。

 小山は駐車スペースまで車を戻し、カバンを出して駅の方向に歩き出した。

 今日はついてない。駅前の焼き鳥屋で一杯ひっかけていくか。

 そして駅が見えてきたころ、彼はもっと重要なことに気づいた。


 あのまま朝になったら、患者の車も入れないのでは。

 いや、それどころではない。クリニックからの送迎車も出せないじゃないか。


 これはまずい。非常事態だ。

 すっとぼけようにも、自分の車しか駐車場にないし、バンパーに思い切り証拠が残っている。

 小山は深いため息をついて、駐車場に引き返した。


 そして、現在である。

 小山は、最後の手段を使うことを考え始めていた。

 病院内に戻って何かしらの道具を取り出せればいいが、最後に自分が出たときにセキュリティロックをかけてしまった。無理やり入ろうとすれば、警備会社が飛んでくるだろう。考えようによっては、警備会社に電話するのが一番手っ取り早いのでは、とも考えたが、この期に及んで、彼はまだ他人に迷惑をかけたくないと考えていた。


 幸い、たまに通行人がいるくらいで、周りに人目はない。

 こんなときくらい超能力を使ってもいいのではなかろうか。

 とうとう小山は、超能力を使うことを決めた。


 まずは、ポールの根元を透視する。

 小山の能力の中では、透視は使い出のあるほうだ。根元のほうをじーっと見つめると、だんだん中が透けて見えてくる。

 力を込めていくと、小山の体もそれにつれてうすぼんやりと発光し始めた。超能力を使うと、いつもこうだ。周囲に見とがめられる前に透視を打ち切った。

 透視の結果わかったのは、ポールの周囲に金属製のリングがあり、それがねじ止めされているということだ。もっとも、リングをよく見ていれば、ねじ止めされていることくらいすぐわかったのだが、今の小山にそんな冷静さはなかった。


 ともかく、このねじを外してみれば、状況が好転するかもしれない。

 次に小山は、念動力でねじを回すことを試みた。が、さすがにうんともすんとも言わない。ちょっとしたものを宙に浮かせるくらいの力はあるが、馬力があるわけではないのだった。


 再び胡坐をかいて、ポールを見つめる。

 大きめのプラスドライバーがあれば、外れそうにみえる。問題は、ドライバーがないことだ。小山の記憶では、ドライバーセットはコンビニで売っていることもあるが、あまり大きなものは期待できない。

 もう一度、クリニックのほうに目を向ける。入り口そばに受付があり、そこに工具箱が置いてあったはずだ。

 玄関のガラス扉から中を覗いてみるも、受付の扉は当然閉じていた。

 仮に開いていたとしても角度的に工具箱のある棚まで見通すことはできそうにない。それに、仮にドライバーを動かせたとしても、そこから外に持ち出す手段がない。


 手が残っていないわけではない。テレポートだ。

 中に入って素早くドライバーを探し、戻ってくればいい。だが、万が一センサーが感知したら大騒ぎになるし、監視カメラに映る可能性もある。


 そこまで考えて、思いついた。

 近所に、たしか自転車屋があったはずだ。

 あそこなら工具もそろっているだろうし、監視カメラなんてハイテクなものもついていないだろう。


 自転車屋までの道のりを歩きながら、小山は最悪の事態を何度も思い浮かべた。

 だがそのたびに、もうこれしかない、と頭を振った。

 みつからなければいい。それで、すべてがうまくいくはずなんだ。

 自分に言い聞かせ、自転車屋のシャッターの前に立った時、誰かが小山の肩をぽん、と叩いた。


「うちの店になんか用かい」

 振り向くと、そこには初老の自転車屋の店主が立っていた。

 一瞬、小山の呼吸が止まる。

「あのっ、…あのっ」

 ほろ酔いの店主が、小山の顔を覗き込んだ。

「なんか困ってるの?」

「ど、ドライバー!ドライバー貸してください!!」

 小山は泣きそうになりながら、やっと声を絞り出した。


 店主は、工具箱をもって駐車場まで来てくれた。

 自転車用のヘッドライトでポールの根元を照らし、覗き込んでいる。

「あー、なるほどね…。これは、たぶんねじもひん曲がってるね」

 何とかなりますか、という小山の問いかけに応えず、自転車屋の店主は黙ってポールに片足をかけた。


「よっと」


 店主が足に力を込めると、ポールはいとも簡単に真っすぐになった。

「ちょっとまだひっかかるけど、明日ちゃんと直せばいいだろ」

 店主はにっこり笑って、ポールを出し入れした。本当に、ポールが中に引っ込められるようになっている。

「さっき、僕がやっても全然曲がらなかったのに…」

 小山が不思議そうに言うと、店主は「1200W出せれば、まあいけるよ」と言ってニヤリと笑った。自転車のペダルを回すときのパワーの単位だと小山が知ったのは、しばらく後のことである。


 店主を店まで見送ってから、小山は車に戻ってエンジンをかけた。

 時刻は23時を回ろうとしていた。

 ポールのなくなった駐車場からスムースに路上に出て、信号待ちをしながら、小山は改めて深いため息をついた。


「超能力、ほんとうに役に立った試しがないな…」

 本心だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

すべての超能力者とそうでない人へ こやま智 @KoyamaSatoshi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ