Part12 コール・ユー・ファーザー

*ウェンミン*


――ウェンミン


 よく知った誰かの声を聞いた気がした。


 ウェンミンは混濁する意識の中で、自分の身体がうつ伏せに倒れていることを知覚する。

 同時に感じた違和感が、急速に彼の目を覚まさせた。


 頬に感じたのは冷たい金属ではなく、温かな土の感触だった。


 ここは、黒龍のコックピットなどではない。


 目を見開き、飛び起きる。

 そこは薄暗い森の中だった。


「――ウェンミン……」


 また声が聞こえた。


「大佐……なのですか……?」


 待っても問い掛けへの返事はなかった。


 足元の細道に沿って歩き出す。


 その先にウェンミンを待つように立つ人影を見た時、自分がなぜここに居るのかという疑問は完全に吹き飛んでいた。


「大佐!」

「ウェンミン……」


 もう一度呼ぶと、人影が確かに反応を返した。


 そこは丁度森の出口になっていて、2本の樹がまるで天然の門のようにアーチを作っていた。


 待っていたのは浅黒い肌の、がっしりした体格の男だった。


 野戦服を意識した深緑色のアストロスーツを着たその姿はもう間違いない。

 彼は――


「大佐、あなたも来ていたのですか……」


 それはウェンミンと共に最後まで戦い抜いた男、ジェイムズ・ブレイク大佐その人だった。


「待っていたぞ、ウェンミン」


 彼の顔に笑みが浮かぶ。

 どこか哀しげな笑みだった。


 その背後、森から一歩出た先には青い空と緑の草原が広がっていた。


 ウェンミンは逡巡した。


 あの時、自分は大佐に本心を明かした。

 それは"エキドナの子"への復讐を果たせるという確信があったからだ。

 そのすぐ先に待つ死が終わりではないという希望が見えたからだ。


 だがウェンミンが最後に見たのは、キグナス1が立ち上がり、飛び去る姿だった。


 結局自分は復讐を果たすことができなかった。

 そしてその機会も永遠に失われた。

 後には憎しみのゼンマイが切れた惨めな人形が残っただけだ。


 こんな自分が、父親になってくれた、少なくともなろうとしてくれた男に、ついて行く資格があるのだろうか。


 動こうとしないウェンミンに、ジェイムズが手を差し伸べる。


「ウェンミン、何も恥じる必要はない。お前は"エキドナの子"に少なくとも負けはしなかった。それどころか、一矢報いさえした。お前のような息子を持てたことを、俺は誇りに思う」


 ああ、とウェンミンは思わず感嘆の声を漏らした。


 復讐の機会が永遠に失われた今でも、彼は変わらず待ってくれていた。

 ぼくのような空虚な人間を、息子だと言ってくれた。


 空っぽになったのなら、また満たせばいい。


 戦いは終わったんだ。

 勝った負けた、ではなく、終わった。


 そのあとは何をするか、もう決めていただろう。

 前に進むなら、今だ。


 ウェンミンは森の外へ一歩を踏み出した。


「父さん」


 ずっと口にしたかった言葉は、あまりにも流暢に出た。

 なぜ、こんな簡単なことをできなかったのだろう。


 ジェイムズが優しげな瞳で見つめている。


 ウェンミンは嬉しくなって、様々な語調で「父さん」と呼んでみる。


 楽しそうに。

 悲しそうに。


 近くで。

 遠くで。


 喜ぶように。

 困ったように。


 笑いながら。

 怒りながら。


 嬉しそうに。

 辛そうに。


 ジェイムズはその一つ一つに微笑みと首肯で返してくれる。


 復讐という鎖を失っても、ぼく達の絆は変わらない。

 そのことに不思議な安らぎを覚える。


 本当の親子になる時は、思っていたよりも早く訪れた。


 疑問もわだかまりも今は忘れ、この幸せに浸っていたいとウェンミンは思った。






*ジェイムズ*


「父さん、行こう」

「ああ、行こう。ウェンミン」


 ウェンミンと二人、連れ立って歩き出す。


 彼はまるで雪の感触を確かめるように、足元の土を一歩一歩踏みしめながら歩く。


 お前はこんな表情で笑うのか。

 いつも仏頂面だったウェンミンの自然な表情を見るのは、ジェイムズには初めてに思えた。


 二人の行く手にはなだらかな丘が広がっている。


 あの丘を登ったら、きっといい景色が見える。

 そう言ってウェンミンが決めた行き先だった。


 頂上に急ぎの用があるわけでもないし、のんびり行こう。

 ジェイムズは提案した。


 丘の左右の傾斜は二人から見て正面と比べ、小さい。


 少し遠回りになるが、右側から登っていくことにした。

 やがて遥か遠くに穏やかに波打つ海が見えてきた。


 きっと高い所から見れば壮観だろうなと、ジェイムズは期待を膨らませる。


「ねえ、見て!」


 ウェンミンが頂上を指差す。

 そこにテーブルと椅子が置かれているのが見えた。


 椅子の配置にどこか既視感を感じ、ジェイムズはウェンミンと顔を見合わせた。

 どうやら彼も同じことを考えているらしい。


 丘を登る足が自然と早歩きになる。


 近付くにつれ、3つの人影が見えてきた。

 椅子に座っている。


 声を掛ける前に、人影の1つが手招きした。


「おいジム、こっちだ」


 ジェイムズは、確かに愛称で呼ばれるのを聞いた。

 同時にジェイムズとウェンミンは丘を登り詰めた。


 そこに居た眼帯と義手の男は、ジェイムズの数少ない同期の生き残り、フリッツ・フロイツハイムだった。


 ジェイムズはようやく、そのテーブルがアーガスの首脳陣と共に開いた最後のパーティーの場であることを思い出した。


 だとすると、二人の女は――


「シンドウ少佐! ガブリロワ少佐!」

「いらっしゃい」

「やっとか」


 ――ウェンミンが答えを言ってくれた。


 シンドウ・ノゾミとマリアンネ・ガブリロワ。

 アーガスの幹部の中でも、シンドウは優しく、ガブリロワは厳しく、姉のようにウェンミンに接してくれた二人だった。


 皆、憑き物が落ちたような、清々しい表情をしている。


 そうだ、"エキドナの子"への憎しみがあったからこそ、俺達はここにいる。

 どんな結末だったとしても、俺達アーガスの憎しみは決して間違ってなどいないと、胸を張って言える。


 自分達も加わろう。


 ジェイムズとウェンミンも席に着く。

 ジェイムズはフリッツの隣の席。ウェンミンはジェイムズの左前方の席。


「お前の笑うところ、初めて見るな」

「やればできるじゃない」


 ガブリロワとシンドウの言葉に、ウェンミンが困ったような笑みを浮かべる。


 そこには憎しみが繋いだ、いびつだが確かな絆があった。


 残る椅子は、あと一つ。


(Chapter7 おわり/Chapter8へつづく)

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