Chapter7:父子

Part1 ジェイムズとウェンミン

*ハイドラ*


 ハイドラの眼下には赤い大地が広がっていた。

 ハーキュリーズは、遂に火星に辿り着いたのだ。


 現在地は火星赤道の約1万7000メートル上空にある静止軌道。

 高速巡航形態で地上への降下ポイントを目指し移動している最中である。


 これまでの敵がハイドラとの戦闘データを送ろうとしていた地点は、タルシス三山の一つにして、火星で2番目に高いアスクレウス山の麓。


 地球統合政府の開拓基地があるクリュセ平原からは、十二分に離れている。

 身を隠すには持ってこいだ。


 反統合軍残党組織アーガスの本拠地はおそらくそこにある。


 後は降下するだけかと思われた矢先、突如ロックオン警報が鳴り響いた。

 スクリーンモニターの立体レーダーに、地上から上がってくる反応が映る。


 考えるよりも早くハイドラの手足が回避運動を入力した。

 ハーキュリーズが右に向けてロールする。


 直後、先程まで機体があった場所を、巨大な砲弾が通り過ぎていった。


 間違いなく地上からの砲撃だ。

 まさかこの高度を射程に収める砲戦力をアーガスが隠し持っていたとは。


 だが自前の推進力を持たない物体を、ここまで届かせるためのエネルギーは並大抵のものではない。


 そう繰り返し使えるものではあるまい。

 事実、砲撃は先ほどの1発で終わってしまった。


 今がチャンスだ。

 少し寄り道になるが、2発目が来る前に潰してしまおう。


 ハイドラは降下を決断した。


 砲弾の軌道を基に、発射位置を特定。

 操縦桿を前に倒し、ペダルを軽く踏み込む。






*ジェイムズ*


 アスクレウス山から赤道を挟んで南東部に広がる、太陽系最大級の峡谷・マリネリス峡谷。


 その谷底にヌシのように身を潜め、敵を待ち構える四脚の大型ウォーレッグが居た。


『第1射、回避されました』

「ついに来たか……」


 コックピットから独立したキャブから観測を行った装填手からの有線通信に、そのウォーレッグ"AIL-R441+ ラーテル・アーガスカスタム"の機長、ジェイムズ・ブレイクは舌を鳴らした。


 ジェイムズがアスクレウス山の基地を発って間もなく、戦友フリッツ・フロイツハイムからの定時通信が途絶した。


 そして今の今まで一度も通信は来ていない。

 彼らの戦場は宇宙だ。

 生存の可能性は皆無といっていいだろう。


 それはすなわち、アーガスが保有するウォーレッグが、ラーテルを含めて残り3機になってしまったことを意味してもいた。


 しかも内1機は最終調整の最中である。

 その最後の1機は、単機で"エキドナの子"を圧倒しうる性能を持っているという。


 自分に託された2機で止めることはできなくとも、最終調整の時間を稼がねばなるまい。


 ジェイムズ・ブレイクは、アーガスの創設メンバーの一人。

 "エキドナの子"の砲撃で宇宙用貨客船を撃沈され、妻子を失っている。


 統合大戦終結直後に拾った、"彼"と共にアーガスの一員となり、火星入りした。


 "彼"は幼い頃から戦闘に際して類稀なる才能を発揮し、アーガスの指導者もその技術を高く評価していた。


 だがそれが、"彼"に戦いの宿命を背負わせることになった。


 指導者が"彼"をどんな手段を使ってでも組織に引き留めることを決定し、ジェイムズも同意した。


 その前も後も、ジェイムズは仲間達と共に"彼"に惜しみない愛情を注いできた。


 だが、"彼"は自らの運命を知ってか知らずか、ジェイムズのことを決して父と呼んではくれず、誰にも一度も微笑むことすらないまま、パイロットとして成長した。


 そこで狭いコックピット内に充満するオゾン臭が、ジェイムズを回想から引き戻した。


「被害状況は……いや、いい。言わんでも分かる」


 一段高くなった機長席の足元では、消火器と新しい回路基板を手にした砲手が床下を覗いている。おそらく電装系から火が出たのだろう。


 3発撃てば機体が自壊するという謳い文句は嘘ではないらしい。


 このラーテルは、80センチという大口径弾を扱うために本来の装填機構を撤去、装填専用のマニピュレータ・アームを設置してまで、搭載砲を原型機よりも強力なものに換装している。

 しかし、その反動に対応できるだけの機体の補強に失敗していた。


 機体の寿命が来る前に決着を付けるしかないだろう。


 機長席のキャノピーを保護するシャッターを開く。


 コンソールモニターに表示したレーダーが、キグナス1を追跡している。


 間もなく接近警報が鳴り、赤い昼の空からこちらへ向けて降下してくる光を、肉眼で捉えた。


 すぐにシャッターを閉じ、カメラモニターを起動させる。

 退いて視界を確保していた16枚のモニターがジェイムズの前に滑り込んで来る。


 ラーテルが苦手とする中・近距離での戦いになるだろうが、幸いこちらには強い味方が居る。


「ウェンミン、そろそろ準備しろ」

『…………了解です。大佐』


 ジェイムズの有線通信に、ウェンミンと呼ばれた声の主が冷たく応答した。


 機体下部に急造されたパラサイトベイに駐機されている、ウォーレッグのパイロットからだ。


 その"彼"――チェン・ウェンミンこそが、ジェイムズが実の息子同然に育てた、アーガス最年少にして最強のパイロットだった。






*ウェンミン*


 遠い記憶。


 最も古いそれは、火の海と化した街の中に、全身に火器を装備したウォーレッグがたたずんでいる光景。


 次に気が付いた時にはもう戦争は終わっていて、焼け出された人々と共に暮らしていた。


 彼は戦災孤児だった。


 名前も、着ていたぎの服に書かれていた字を繋げると偶然そう読めたというだけで、本名なのかどうか定かではない。


 両親はおそらく、あの時に死んだのだと思っている。


 生きる。

 あのウォーレッグを壊す。

 パイロットを殺す。


 今までウェンミンを突き動かしてきた感情こそが証拠だった。


 その感情のままに時に殺人や窃盗に手を染めながら生きてきた。


 そんな彼にその感情を憎しみだということを教え、向けるべき矛先を示してくれたのが、ジェイムズ・ブレイク――ウェンミンが"大佐"と呼ぶ男だった。


 火星での厳しくもどこか満たされた日々。それは大佐を始めとするアーガスの構成員達の、暖かな眼差しがあったからこそだった。


 そうだ。

 ぼくの全ては大佐と仲間達のために。


 ラーテル・アーガスカスタムの護衛機として建造された、特務護衛戦闘ウォーレッグ"AIL-K211 黒龍"――型式番号は自称だ――のコックピット。


 目を覚ませ。

 戦う時が来た。


 心の声のままに、チェン・ウェンミンは瞑想から覚醒した。


 背筋を伸ばすのにあわせて首筋に接続されているコードが揺れ、皮膚と癒着しているソケットチョーカーの存在を否応なく意識させられる。

 ウェンミンと黒龍を繋いでいる部分だ。


 ぼくは奴らを殺すために戦う。


 大佐から街を焼いたのが"エキドナの子供達"、あるいは単に"エキドナの子"と呼ばれる強化人間達だと聞かされた時、ウェンミンはその人の皮を被った怪物達全員へと憎しみを伝播でんぱさせた。


 アーガスの構成員は皆、"エキドナの子供達"に親しい人を奪われていた。当然、大佐もその一人だった。


 故郷を滅ぼしたあのウォーレッグのパイロットだけではない。

 "エキドナの子"は皆殺しにする。

 散っていったアーガスの仲間達がくれた愛情に報いるために。


 そして大佐と、本当の親子となるために。


 憎しみで動く人形である今の自分に、その資格はない。


 彼を父と呼ぶ時が来るとしたら、仲間達のために笑う時が来るとしたら、それは戦いから解放される時だ。


 その時はきっと、この復讐の先に来る。


 ウェンミンはゆっくりと


 視界に暗く狭い空間が浮かび上がる。

 センサーの映像が脳の視覚野に直接投影され、像を結んだのだ。


 黒龍が背中に6本のケーブルを繋がれ、冷たいパラサイトベイの内部に腹這いの姿勢で駐機されているのを、ウェンミンは肌で感じ取る。


 今、黒龍は彼自身の身体となっていた。


「こちらウェンミン。準備完了」

『こちらジェイムズ。了解した。敵はそこまで来ているぞ。射出プラグアウトのタイミングは任せる。操作をユー・ハブ預ける・コントロール

受け取りアイ・ハブました・コントロール。大佐、ご武運を」


 それだけで通信は終了した。


 有線データリンクで受け取ったレーダー情報には、上空急速に接近するウォーレッグの反応があった。


 戦いは、ここから始まるのだ。

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