Part13 アンサー

*フリッツ*


 白く塗り潰された視界が、一瞬の内に黒く沈んだ。


 意識が身体から滲み出し、違う世界へと旅立っていく。

 自分と空間の境界が曖昧になる感覚には、どこか微睡まどろみに似た多幸感があった。


 その場に居ながら約束の場所へと無限に加速していく。


 そうだ。

 必ず帰ろうと皆で誓い合ったあの場所へと。


 やがて置いてきたはずの身体が感覚を取り戻していく。

 最初に感じたのは、土の湿った匂いだった。


 どこだ。

 少なくともドゥームスフィアのブリッジではない。

 もっと空気が乾いていたはずだ。


 手足との繋がりが蘇る中で、自分が片膝立ちでうずくまっていることを理解した。


 次にすべきことは、そうだ、目を開け立ち上がることだ。


 左瞼を上げ、ゆっくりと両足を伸ばす。


 そこでフリッツは、自分が薄暗い森の中に居ることに気付いた。


 ひどく体が重い。

 その重しとなっているのが、全てを吐き出し切った自分の中に残った苦悩だということを、彼はよく分かっていた。


 自分は持てる全ての力を出し尽くして戦った。

 だがその果てに残ったのは、自分達が本当に正しいことをしたのかという疑問だけ。


 木漏れ日の差す方に向けて、ふらつくように歩き出す。

 足元には消え入りそうに細い道。

 森の外に向かって続いている。


 火星にあるアーガスの本拠地とは似ても似つかない場所ではあるが、何故かこの先に"あの場所"があるとフリッツの直感が告げていた。


 答えはそこにある。


 根拠のない確信だけを頼りに、森の出口を目指す。


 道の先に生えていた、まるで人が出入りするのを見越していたようにしなった2本の木の間を通り抜けると、急に周囲の景色が開けた。


 フリッツの前には、絵に描いたような青い空と緑の草原が広がっていた。


 前方に少し歩いた先は、なだらかな丘になっている。


 あの丘に登ってみよう。

 心の声のままにフリッツは再び歩き出した。


 急ぐわけではない。

 比較的傾斜の緩い左側から、時計回りに回り込むように登る。


 頂上に近付くにつれ、テーブルと椅子が見えてきた。

 二人の人間が談笑している姿も。


 そして頂上の土を踏んだ時、フリッツは思わず右目を見開いた。


「君達は……」

「「教官、失礼いたしました!」」


 彼の存在に気付いた二人が慌てて席を立ち、気をつけの姿勢を取った。

 そこに居たのは、フリッツが戦士として育て上げた二人の女性だった。


 反統合海軍の制服を着ている一人はマリアンネ・ガブリロワ。

 アーガスの誰よりも激しく、"エキドナの子"への憎しみの炎を燃やし続けた女。


 ボマージャケットに似つかわしくない朗らかな顔立ちのもう一人はシンドウ・ノゾミ。

 常にガブリロワの傍らに寄り添い、彼女がただ一人心を開いた相手。


 こんな場所でまた会えるなんて。


「いや、楽にしてくれ。席に着いても構わん。こちらこそ、君達に水を差してしまったようで申し訳ない」


 フリッツの言葉に二人は再び椅子に座り直し、相好を崩した。


 このテーブルには見覚えがある。

 確か談話室の――そうだ、何かにつけてアーガスのリーダーたる"准将"は、このテーブルのある部屋に構成員を招き、パーティーを開いていた。


 いよいよマリアンネ達を地球へ送り込むというその前日にも。


 自分の椅子は確か、ガブリロワの向かいだった。


 その背もたれにには果たして、"フリッツ・フロイツハイム"と刻まれていた。


 自分もゆっくりと席に着き、片方しかない眼を細める。


 笑い合う二人の教え子の姿に、フリッツは理解した。


 私が本当にすべきことだったのは、復讐を遂げさせることではなかった。

 そもそも若者達に"エキドナの子"への復讐の片棒を担がせないことだったのだと。


 自然と、言葉が出た。


「シンドウ、ガブリロワ、これから私が言うことは、私のごく個人的な希望だったものだ。聞き流してくれて構わない」


 二人が押し黙った。

 構わず続ける。


「できるならお前達にはあの時、首を横に振ってほしかった。アーガスになど入ってほしくなかった。復讐など知らず、平穏な日々を送ってほしかった」


 それだけを言い切った。


 言いたいことは言った。

 後はどんなそしりを受けようと、甘んじて受け入れるだけだ。


 だが、彼女達から返ってきたのは、思いもしない言葉だった。


「教官。私達を組織に導き、師事してくださったことに、感謝します。私達の居場所は、アーガスにありました」


 シンドウの言葉に、ガブリロワが続けた。


「あなた達が復讐という道を示してくれたからこそ、私達は出会うことができた。復讐の先にどんな未来が待っていようと、共に居たいと思える者に」


 ただそれだけの言葉だったが、フリッツは肩の荷が下りていくのを感じた。


 時計の針を戻すことはできない。

 間違いを繰り返し続けた果ての、哀しいばかりの今がある。


 だが同時に、二人が笑っている今この時だけは、間違いではないと心から思えた。


(Chapter6 おわり/Chapter7へつづく)

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