Part8 拳
*ハイドラ*
正面切っての戦いにあっても、駆け引きの要素はある。
相手はどう出るか。
ハイドラは絶えずドゥームスフィアの動きを予想し続ける。
ハンドマニピュレータによる攻撃だけでも、幾つものパターンが予測できる。
拳で殴り付けるか。
開いて握り潰すか。
あるいは隠し武器で攻撃してくるのか。
敵は2.7キロメートルの巨体の持ち主だ。
いずれの場合もハーキュリーズには一撃で致命傷になりうる。
コンソールモニターに呼び出した平面レーダーに、ドゥームスフィアの現在の姿勢と予想される動きを基にした危険地帯を赤で強調表示させる。
余りに巨大なので敵ウォーレッグの姿勢は、傍らにホログラフとして呼び出した、ワイヤーフレームモデルで確認する。
危険地帯まであと3秒という距離で、ドゥームスフィアは攻撃に出た。
右の拳を突き出す勢いに、手首付け根の打撃補助スラスターと捻った上半身を戻す回転をプラスした、ブーストパンチだ。
鈍重に見えるがその大きさ
スクリーンモニター正面奥から、巨大な拳が青白い噴射炎と共に突っ込んでくる。
だがハイドラは臆さずペダルを踏み込み、左の操縦桿を前に倒した。
そっちが上半身なら、こちらは全身で受けて立つ。
交差。
衝突。
ハーキュリーズはシザープレッシャーで、ドゥームスフィアの拳を受け止めた。
背面と脚部のスラスターを吹かし、全身で押し返しにかかる。
こちらよりも大きな敵を相手にする時は、腕だけでなく機体全体の力を使うに限る。
だが断崖のように立ち塞がる手は、シザープレッシャーの先端がめり込んでいくばかりで微動だにしない。
両者の出力は互角。
ここからは根比べの時間だ。
先に勝負を下りた方が傷を負う。
それでもハイドラには勝算があった。
ハーキュリーズにあってドゥームスフィアに無い物。
ワイズマン・リアクターの共振稼働。
然るべき時にそれを使えば、この拮抗状態を脱せる。
そして今はまだ、その時ではない。
その時とは、敵が耐えかねて勝負を下りた時だ。
その時まで、待つしかない。
*フリッツ*
膠着状態を認識しているのは、ドゥームスフィアの搭乗員達も同じだった。
「奴の出力は少なくとも、当機の腕1本分はあるようです」
副長は冷静に見解を述べる。
操縦手は両手で右の操縦桿を押さえ続ける。
副操縦手は必死にスラスターの出力を調整する。
レーダー手は冷静に敵機の解析を続ける。
砲手は火器類の調停を行いながら指示を待つ。
内務手は右のハンド・マニピュレータに続々とリペアドローンを送り込む。
搭載機隊の全滅と共に手空きの状態となった通信手は、内務手のフォローに回る。
そして機長フリッツはただ無言で、ブリッジから僅かに見える右腕の先の光を睨んでいた。
ドゥームスフィアの現在の姿勢と稼働状況を示す、ホログラフのワイヤーフレームモデルは、突き出された右手の拳が赤く表示されている。
「内務手、レーダー、当機及びキグナス1の損害比率は?」
視線を動かさず、部下に尋ねる。
「右マニピュレータに敵機の
「逆にキグナス1は無傷です。このまま装甲を突破し、右腕部を内部から破壊するものと思われます……」
報告を聞いて、静かに歯を食いしばる。
ここが分かれ目だ。
この状況が続くことは、敵の利になるとフリッツは判断した。
「振り回せ!」
ごくシンプルな命令に操縦手がすぐさま反応する。
喉から絞り出すような絶叫と共に、右操縦桿を手前に引いた。
スクリーンモニターに映る右腕と、ホログラフのドゥームスフィアの右腕が、ゆっくりと後ろに引き始めた。
*ハイドラ*
ハイドラはハーキュリーズが左前方に引っ張られるのを感じた。
推進を緩めてシザーを閉じ、流されるまましがみ付く。
勝負を下りたのは、ドゥームスフィアの方だった。
その手の装甲部に穴が空き、シザープレッシャーを装備した左腕が深く食い込んでいる。
敵は下りるべくして下りたといってもいい。
そうだ。
今がその時だ。
操縦桿から右人差し指を伸ばし、3つ数えて
途端に出力係数の桁が見る間に増え始めた。
今まで出し惜しんできたのは、ハーキュリーズのただでさえ他のウォーレッグと一線を画すリアクター出力が更に向上し、特にスラスターの制御が極めて困難になるためだった。
同期された二つのリアクターのエネルギーが、機体全体に行き渡っていく。
同時にハイドラの全身を痺れるような高揚感が駆け巡る。
ドゥームスフィア、お前もこの宙域に漂うデブリの仲間に加えてやる。
敵ウォーレッグの腕の動きに逆らうようにスラスターを吹かした。
装甲にめり込んだ左腕が抜け、続いてシザープレッシャーに掴まれた配線が引きずり出されてくる。
更に手首の駆動部で漏電の火花らしい光が2、3度瞬いたかと思うと、右手首は呆気なく外れ飛んだ。
腕との間に残った人工筋肉もハーキュリーズの動きに併せて次々と千切れていく。
まず一つ目の勝利だ。
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