Part5 トレンチ・ラン

*ハイドラ*


 スクリーンモニターの景色が一瞬で通り過ぎていく。


 ハイドラは可能な限りの全速力で粒子供給装置を目指していた。


 後方では追手のウォーレッグ小隊が攻撃態勢に入りつつある。


 イヴリースが両腕の変形を解き、レーザーランチャーを手にしようとしている。

 2機のフラップジャックはトレンチ側面を長い脚で這いながら、ランプセンサーの光点でハーキュリーズを正確に追尾している。


 今ならまだ振り切れる距離だ。


 ハイドラはハーキュリーズを更に加速させた。


 たちまち敵ウォーレッグとの間が空いていく。


 重要なのは高度だ。

 高すぎれば対空砲火に曝され、低すぎれば底部に腹を擦る。


 スクリーンの別ウィンドウに表示した後部カメラの映像で追いかけてくる敵機を確認しつつ、はみ出したエネルギーパイプや装甲板の膨らみを左右への平行移動だけで回避していく。


 粒子供給装置の露出部はまだ見えない。


 スクリーンモニターには、奥に向かって無限に思えるほど一直線に伸びるトレンチだけ。


 敵機の数を判別しやすい縮尺に設定した平面レーダーにも、連動しているナビゲーションマップにも、目標地点が表示範囲の外にあることとその方向を示す矢印しか映っていない。


 それでも前進あるのみだ。


 やがて前方約100メートルに渡って、トレンチを埋め尽くすように幾本もの柱が設置された地帯が現われた。

 ウォーレッグの活動妨害を目的に要塞化拠点に設置される、対ウォーレッグ可動式阻塞柱群だ。


 スフィアの場合ここ以外のトレンチにも多数設置され、付け根に仕込まれたコンピューター制御のアーム/レール/ピストンにより、約15万通りの連携駆動ができる。


 幸い、降下位置の関係でここを抜けることができれば粒子供給装置まですぐだ。


 更に敵機との距離も大きく開いている。


 確実に躱していこう。


 安全圏の端に当たるトレンチ上層を飛ぶという手もあるが、回避運動の範囲が狭まる。通るにしてもできるだけ短時間にしたい。


 ハーキュリーズを運動性に優れるウォーレッグ形態に戻す。


 それまでの速力を維持したまま、ハイドラはあえて阻塞柱群の中へと突っ込んだ。


 疑似乱数予測ソフトに柱の動きを予測させ、衝突の恐れのある柱をスクリーンモニターに赤で表示させる。


 次の瞬間、ハーキュリーズは立体的な回避運動に入った。


 全方位から次々と突き出される柱を鋭利な軌道で掻い潜る。

 両横から上半身を挟み潰そうと迫る柱は、咄嗟の変形と急加速でやり過ごす。

 正面から棍棒のように振るわれる柱には再びウォーレッグ形態に戻り、制動からの急上昇。

 トレンチの縁、対空砲に狙われない限界線をスラスター全開で飛び抜け、阻塞柱群を抜けたところで元の高度まで降りる。


 レーダーとナビゲーションマップに、そこで遂に目標を示すアイコンが現れた。


 ようやくここまで辿り着いた。


 後は真っ直ぐ突き進むだけだ。


 上後方からやっとイヴリースと2機のフラップジャックが追い付いてきた。

 敵味方識別機能を利用して、呑気にトレンチの上空を通ってきたのだろう。


 ハイドラは無視して自機を高速巡航形態に変形させ、ペダルを強く踏み込んだ。

 ハーキュリーズが進撃を再開する。


 見る間に目標との距離が縮んでいく。


 静かにタッチパネルを操作し、兵装セレクタからエクスブラスターライフルを選んだ。


 スクリーンモニター正面中央に、ライフル用のロックオンカーソルが固定表示される。


 機体全体の操作で粒子供給装置を示すマーカーに重ね、右親指のボタンでロックオン。


 手に持っていない今は、イロアダイユニット懸吊部から前方にしか撃てないが、目標をカーソル内に捉えれば必要な修正は自動で行われる。


 だが粒子供給装置の露出部は、一辺僅か2メートルしかない正方形。

 可能な限り必中を期したい。


 索敵機器のディスプレイに映る敵機の反応――

 ワイズマン・リアクターのくぐもった稼働音――

 腹の底に響くような機体の振動――


 それらノイズとなる全ての情報を頭の中からシャットアウトし、目と耳と右人差し指に全神経を集中する。


 目標地点まで残り50メートル。

 トレンチの終点に当たる、行き止まりの壁が見えてきた。


 スピードは一切緩めない。

 ビームを撃ち込んだら、全速力でスフィアから離脱するつもりだった。


 集中力を極限まで高める。


 世界から音という音が消え、自らの息遣いと心音だけが残る。

 視線はただ、粒子供給装置との距離を無言で読み上げる。


 今、ハイドラの全てが、敵の急所を撃ち抜く為だけに機能していた。


 そして永遠にも思えるコンマ数秒が過ぎた後。


 必中距離を告げるブザー音が意識に割り込み、ロックオンカーソルの色が赤になった瞬間。


 彼は機械的にトリガーを引いた。


 ライフルに充填された、金属の荷電粒子が銃口のビームランプからほとばしる。

 その行く先には、粒子供給装置の露出部が。


 鮮やかな緑のビームは装置の脆い外装を突き破り、その向こうに充填されたカラミティ・ブリンガーから放たれるべき膨大な金属粒子の流れを暴走――


 させなかった。


 何が起きた。


 突如左右からスライドしてきた装甲板が強力な反磁力パルスを発生させ、エクスブラスターライフルのビームを完全に分散させてしまったのだ。


 ハーキュリーズをウォーレッグ形態に戻し、逆噴射で急制動を掛ける。


 トレンチ底部に降り立ち、焦げ跡一つ付いていない装甲板を前にハイドラは愕然とした。


 やはりスフィアの欠陥を敵も把握し、対策を打っていたか。


 復活したスフィアは、あらゆる攻撃を寄せ付けない、難攻不落の宇宙要塞と化していた。


 それでも、絶対に落ちない要塞など存在する筈が無い。

 そうだ。

 それならそれで、他の弱点を探すだけだ。


 カラミティ・ブリンガー発射の瞬間を狙うか。カタパルトから内部に突入するか。

 どちらも粒子供給装置と比べれば確実性は大きく下がる。


 だがそこで一つの疑問がよぎった。


 なぜ敵は態々わざわざ自分の懐にこちらを呼び込むような真似をしたのか。


 考える間もなく、接地面から伝わってきた地響きのような振動が、ハイドラを揺さぶった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る