Part2 先入観という敵
*ハイドラ*
時折細かなデブリが当たるが、ハーキュリーズの運動遮断コーティングはそのダメージを完璧に防いでくれている。
ハイドラはスフィア宙域に到達した。
球状のスクリーンモニターのどこを見回しても、周囲には無数のデブリが漂っている。
身を隠すにはうってつけの場所だ。
既に宙域に入った時点でレーダー波を逆探知し、レーダードローンの姿も多数確認していた。
デブリ帯は索敵が
レーダードローンはそのような場所での索敵を支援するために作られた航宙・航空機である。
これをハッキングして敵の索敵網を借りるという手があるが、万が一バレれば通信内容を基にこちらの正確な居場所を特定されてしまうだろう。
敵情が分からない今、自機の位置を相手に晒すのはリスクが大きすぎる。
危険な障害物の探知をレーダーに、敵機の捜索をモーショントラッカーに任せ、自身の眼でも警戒しながら、火星への航路を進む。
間もなくデブリの隙間から青白い光が2つ、高速巡航形態のハーキュリーズを左右で挟むように並行して飛んでいるのが見えた。
いつまでたっても位置が変わらないことに気付かなければ、星の光として見逃してしまうだろうが、それを視認した時点でハイドラは光をスペクトル分析に掛けた。
結果は陽電子パルス推進の噴射炎の色だった。
この時代の宇宙航行において最もポピュラーな推進力で、ワイズマン・リアクターによって実現した技術の一つだ。
ちなみにハーキュリーズもこの推力を採用しており、出力は並のウォーレッグを大きく上回っている。
有人か無人かまでは分からないが、あの光もウォーレッグの物である可能性が高い。
敵が仕掛けてくるとしたらこのスフィア宙域だと考えていたら、案の定だ。
そして先程見かけたレーダードローン群。
特に武装はないため、敵を発見したら後退するのが基本ルーチンだが、その様子が見られない。おそらく通信を確保するため留まっているだろう。
この宙域に潜んでいる敵は、相応のウォーレッグ運用能力を持っているらしい。
推測ばかりになってしまうが、何も考えず突っ込むよりはずっといい。
ハイドラはハーキュリーズをウォーレッグ形態に戻し、デブリからデブリへと身を隠すような機動に切り替えた。
やがて前方から、複数のウォーレッグらしき反応が接近していることを、コンソールモニターのモーショントラッカーが告げた。
見る間に数が増えていく。1機や2機ではない。少なく見積もっても20機以上は居る。
同時にレーダーがハーキュリーズの行く手に巨大なデブリの存在を捉えた。
敵ウォーレッグはまるでこのデブリを守るように陣形を組んでいる。
やはりこちらに向かってくる。
スフィア宙域の航宙図と照らし合わせるが、この周辺にこれほどの大きさのデブリはない。
敵に位置を完全に把握されている。
もうこれ以上、隠れる理由はない。
ハイドラは大破・放棄された駆逐艦の陰から、敵の前へ躍り出た。
だがエクスブラスターライフルの銃口が、前方の視界全てを塞ぐように迫る巨大な球体を捉えた時、彼は思わず身震いした。
直径はおよそ1.2キロ。
色はライトグレー。
全体を走るランプセンサーは幾何学模様を描き、脈打つように明滅している。
無数に集まって球を形成しているのは、様々な大きさの長方形をしたパネル状の表層モジュール。
正面の輪をかけて巨大なモジュールは、最大の武器となるビーム波動砲"カラミティ・ブリンガー"を守る防護ハッチだ。
拡大しなければ分からないが、表層モジュールには他にも物理・光学問わない対空砲や埋め込み式のミサイル発射管、全8か所のウォーレッグ発進口が設置されている。
見間違うはずがない。
全神経が危険信号を発している。
反統合軍の象徴たる宇宙要塞"AIF-S1スフィア"。
かつてこの宙域での激しい攻防戦の末、滅びたはずのスフィアが蘇り、今ハイドラの目の前に存在していた。
だが――それがどうした。
胸の奥に闘志が燃え上がる。
相手が何者だろうと、邪魔をするなら叩き潰すだけだ。
幸い、イロアダイユニットは大型目標との戦闘も想定している。
地獄から這い上がってきたというなら、地獄に蹴り返してやるまでだ。
ハイドラは両方のペダルを一気に踏み込んだ。
スラスターが吼える。
ハーキュリーズは護衛のウォーレッグ群に向けて突進していった。
*フリッツ*
「キグナス1、当機へ向け急速に接近! ウォーレッグ隊と交戦に入る模様!」
通信手の緊迫した報告にも、フリッツは全く動じなかった。
「対空砲火開け。奴を我々の懐に誘い込むぞ。ウォーレッグ隊全機に再度通達、『先走りも深追いもするな』」
冷静に新たな指示を出す。
まず最初に応えたのが対空火器類だった。
重金属レーザー、砲弾、対空ミサイルがスクリーンモニターの闇を明るく照らし、正面のある一点へ向けて殺到する。
機体前面のほぼ全対空火力が向けられているのだ。
"エキドナの子"と言えど、この量の対空砲火を無視することはできまい。
これで敵はドゥームスフィアと速やかに決着を付けようとするか、少なくとも対空砲火を封じようとするだろう。
いずれにせよ、キグナス1はこの機体に張り付こうとするはずだ。
だがそれこそが最大のチャンスでもあるのだ。
「トランス・フォーメーション用意。タイミングは次の指示まで待て。キグナス1の動向を注視しろ」
操縦手とレーダー手に告げる。
そうだ、この機体はスフィアではない。
ドゥームスフィアだ。
繰り返しになるが、宇宙要塞の姿は偽装に過ぎない。
アーガスでの改造は、スフィアを"エキドナの子"と渡り合える姿にトランス・フォーメーションさせることを可能にしている。
そしてドゥームスフィアの真の姿を見せつける時こそが、"エキドナの子"の最期の時となると、フリッツは考えていた。
だが今はまだその時ではない。
敵にこちらをスフィアだと信じ込ませ、それを最大限利用してやるつもりだった。
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