Part5 天使は舞い降りる

*ハイド*


「走れるかい?」


 ハイドの問いにリーナは静かに頷いた。


 大分精神が安定してきたようだ。

 彼女の目にまだ僅かに不安の色は残っているが、こちらをまっすぐ視線を合わせてくれる。


 その手を握ってやると、確かに握り返してくれた。


 さあ行こう。


 力強くリーナの手を引っ張り、ハイドは路地裏を飛び出した。


 ハンディ・ターミナルに表示された合流地点と到着予定時刻は、頭の中に刻み込んである。


 幸い、ターマイトは諦めて他のターゲットを探しに行ってしまったようだった。


 だが、炎はかなり近くまで迫っている。

 ここからは時間との戦いだ。


 来たとき同様、目的の場所へ向けて瓦礫の中を突っ切っていく。


 リーナが転びそうになればすぐに支えてやり、越えられない場所はその身体を抱きかかえて進む。


 途中、敵のウォーレッグが殺戮を行う姿に頻繁に出くわした。


 ターマイトがR1型ワークレッグに背後からしがみ付き、コックピットにレッグニードルを突き刺す。

 人型のウォーレッグが逃げ惑う人々に火炎放射器の炎を浴びせる。


 その度にリーナは小さく悲鳴を上げて目を反らしこそするが、足を止めることだけはしなかった。


 それでいい。これ以上、君が傷つく必要はどこにもないのだから。


 ハイドは彼女に何も言わず、ただその手を引き、時に助けながら走り続ける。


 その最中さなかでも頭では、この町にミサイルを撃ち込んだ者達について考えていた。


 炎の逆光に照らし出された人型ウォーレッグの影から、おおよその見当はついたが。


 そういえば軍は一体何をしているのだろうか。未だに現れる気配がない。

 この町近くの基地で、同時多発的に何らかのトラブルが起きたのだろうか。この事態を起こしたのがなら、その可能性はある。


 だが今すぐ答え合わせをする暇はなく、その必要性も感じなかった。今の最善手は全力で逃げることだけだ。


 時にやり過ごし、時に隙を突いて合流予定地点の座標を目指すが――


『よう"エキドナの子"、ガールフレンド連れてどこへ行く気だい?』


 ――不意に外部スピーカーから下卑た声で呼びかけられた。


 よりによって合流地点その場所で、人型ウォーレッグに見つかってしまった。


 色はサンドベージュ。身長は16メートルちょうど。

 ほぼ曲線のみで構成されたその体躯は手足・胴体ともに無機質なくびれを描き、設計の過程に機械的な計算の介在を読み取れる。

 胴体に半ばめり込むように付いた半球状の頭部から胸上部にかけて、Y字形のランプセンサーが冷たい青に光っていた。


 その手に握られている拳銃型の武器は、後部から伸びたチューブで背負われたタンクに繋がっている。対人用の火炎放射器だ。


 ハイドはこのウォーレッグを知っている。


 統合大戦初期に反統合派の主力量産機として生を受け、無人ウォーレッグ登場後もその指揮官機として戦場にあり続けたウォーレッグ、"AIL-Iアイ212イヴリース"だ。


 パイロットの意志のまま、イヴリースは火炎放射器の照準を目の前の二人に正確に合わせる。

 後ろのリーナが思わず顔を伏せる。


 リーナを背後に隠すように庇いながら、ハイドはウォーレッグを睨み返す。


 背筋が凍る思いがした。このウォーレッグのパイロットは、自分の秘密を知っている。

 だがイヴリースの遥か後方、黒く煙る空を切り裂くように飛ぶ光が目に入った時、ハイドの戦慄は、本能レベルで刻み込まれた闘争心に塗り潰された。


 恐怖に、殺意が取って代わったのだ。






*リーナ*


 ウォーレッグが手にした武器が文字通り火を噴くかと思われた瞬間、何かが激しくぶつかり倒れる音がした。


 リーナがゆっくりと顔を上げ、ハイドの肩越しに恐る恐る覗くと、そこには白い人型ウォーレッグが立っていた。


 その右足の下で、先程リーナ達を殺そうとしたウォーレッグがどうにか抜け出そうともがいている。


 頭部のバイザーと巨大なウィングが特徴的な白いウォーレッグは、踵に付いた杭打機のような装備で相手の胴体を無慈悲に穿った。

 敵は伸びるように地に伏したまま、動かなくなった。


 リーナは燃える街を背後に立つその姿を、まるで宗教画に描かれる、悪魔を踏みつける天使のようだと思った。


「来てくれたか、ハーキュリーズ……!」


 ハイドは独り言のように呟き、何かをポケットから取り出しながら、ウォーレッグの方に向かって歩き出した。


 白いウォーレッグは"ハーキュリーズ"というらしい。リーナも後に続く。


 ハーキュリーズは二人が近付いて来るのを認めると、まるで主人にかしずく騎士のように片膝を突き、差し出した右手を地面に置いた。


 ハイドがその掌に乗り、「乗るよ」というように左手を伸ばす。


 その手を握って一歩を踏み出すと、握り返してくれた手が一気に上へ引っ張り上げてくれた。


 町の中を逃げている時も思ったが、握る力も引く力も華奢な見た目からは想像が付かないほど強い。


 リーナがしっかりと両足を着いたのを確認してから、ハイドは右手のハンディ・ターミナルを操作した。


 耳元を抜ける風と足元の揺れから、ハーキュリーズの手が地面を離れたことを知る。


 落ちないようにハイドが腰に手を回してくれる。

 思いがけず彼と密着する形になり、つい自分と相手の鼓動を意識してしまう。

 目の前で家族を失った後だというのに、ときめいてしまう自分の恋心が少しだけ恨めしい。


 ハーキュリーズが自身の胸部の前で手を止めた。すぐにその部分の装甲がスライドしだす。


 上下に開く胸部のハッチとその奥の二重シャッターの先に、パイロットシートはあった。


 まずハイドが飛び移り、続いてリーナが再び彼の手を借りてコックピットに入る。

 背後でシャッターが閉じられ、外部と内部が完全に切り離される。


 球形をしたその空間には、底部後方から伸びたアームでシートが空中に浮かぶように固定されていた。

 背もたれ両脇から逆アーチを描くアームレストの先に、操縦桿と小さなパネル。

 足元には腰かけた場所から確実に踏める場所に、ペダルとフットバー。

 今はペダルと同じ高さにあるが、何らかの操作でシートに座った者の胸の辺りに来ることが想像できるモニター。


 昔流し読みした雑誌の記事の記憶からウォーレッグのコックピットは、レバーやペダル、ボタンやスイッチ、モニターや計器類が詰め込まれた狭苦しそうな空間を勝手にイメージしていたが、それと比べれば遥かにシンプルだった。


 ハイドが背もたれの裏側に付いた箱状のパーツを開くと、それはたちまちサブシートになった。ここに座れということらしい。


 促されるまま座ったリーナが備え付けの4点式シートベルトを着用するのを見届けると、ハイドもパイロットシートに着いた。


 二つのシートは共に同じ方向を向いていて、シートベルトが許す範囲で上半身を傾ければ、パイロットシートの様子がある程度分かった。


 ハイドが握った操縦桿から指を伸ばしてすぐの位置にある、あのパネルの何らかのアイコンに触れると――タッチパネルだったらしい――リーナの想像通り、彼の足元からモニターが上がってきて点灯した。


 続いてシート周囲の灰色の空間が鮮やかに色付き、外の様子を映し出す。

 正面には映像にレイヤーを重ねるように、リーナには理解できない情報が表示されている。

 球状の壁はカメラ用のスクリーンモニターだったのだ。


 ハイドがペダルを踏み込むと、ハーキュリーズがゆっくりと立ち上がった。

 周囲の景色が上から下に向かって流れ、目線が少しだけ高くなる。


 リーナには、彼の背中がとても頼もしく思えた。

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