Part2 リーナ・アンダーウッド

*ハイド*


 岬の家からエアスクーターで20分ほどの場所にあるハイスクール。

 そこが今ハイドが通っている学校だった。


 海外の学校の校風を積極的に取り入れていることが特徴で、ハイドが着ている紺色の制服も、学校から指定されたものだ。


 校門をくぐる度にハイドは不思議な気分になる。

 つい1年前まで社会人として働いていたのに、今はこうして学校で自分の見た目上の年齢と同年代の生徒達と共に学ぶ立場にある。


 だがこの暮らしこそ、コックピットから離れることを強く希望したハイドに、その生存を保障している軍が用意した日常であった。


 1時限目までまだあと40分以上ある。彼女は南北二つある校舎の内、南校舎1階の図書館に居るはずだ。


 駐輪場にエアスクーターを停め、足早に校舎に向かう。


 沢山の本棚が並ぶ広い部屋に足を踏み入れ、軽く探すとすぐに見つかった。

 出入り口から最も離れたロングテーブルの、更にその端の席に縮こまるようにして、一人の少女が本を読んでいた。


 彼女が1時間近く前に登校し、図書館で本を読んでいることを知ったのは、助っ人を頼まれた課外活動の朝練の時、偶然その姿を見かけたからだった。


「おはよう、リーナ」


 ハイドが声をかけると、リーナと呼ばれた少女はすぐに顔を上げた。


 紺のカーディガンを羽織った体は小柄で痩せ型。どちらかというと丸顔で、顎の高さで切りそろえられた黒髪は、外はね気味に癖の付いたショートヘアだ。

 かけている黒い太縁眼鏡のレンズ越しに、ブラウンの優しげな眼がハイドを見つめている。


 フルネームはリーナ・アンダーウッド。彼女こそがハイドがこれほど早く登校する理由だった。


「ハイド、おはよっ!」


 リーナの表情が目に見えて明るくなった。


「今日も早起きだね」

「ああ、早すぎて母さんに茶化されるくらいさ」


 挨拶から途切れることなく会話に入る。


「今日はどんな本を読んでるんだい?」


 ハイドは尋ねながら隣の椅子に座る。


 やはり最近よく読んでいる、旧二ホンの孤独な刑事を主人公にした小説のシリーズだろうか。

 それとも隅の本棚で埃を被っていた、ある学園に通う若者達の恋模様を描く連作ロマンス小説の一冊だろうか。


 彼女は大人しそうな見た目に反し、過激なハードボイルド系の小説や、ストレートな性描写があるロマンス小説を好んで読んでいる。


 この時代の図書館の例に漏れず、ここも蔵書数は紙より電子書籍の方が圧倒的に多い。だが現在も紙の本を望む者は少なくなく、また"紙の本"という文化の保持も兼ね、この学校の図書館は紙の本を所蔵する方針を取っていた。


「えっと、奥さんを殺されちゃった男の人が、警察や政府も敵に回して犯人に復讐していくって話なんだけど……」


 小説の内容を楽しげに語り出すリーナ。どうやら結構面白かったらしい。


 だがハイドは、自分が顔に浮かべている表情が次第に引き攣っていくのを、手に取るように感じていた。


「ハイド?」

「ああごめん。僕が苦手なシーンがあるみたいだね。その本」

「わたしこそごめんね。ハイドって、グロテスクな話は好きじゃないの分かってたのに、つい夢中になっちゃって」


 本当は違うんだ。


 リーナと一緒にいると、不意に彼女に全てを吐き出してしまいたくなる気持ちに駆られることがある。彼女と知り合うきっかけになった、"あの一件"の直後もそうだった。


 本当は違うんだ。


 僕はその小説の主人公のように、自分のささやかな日常を奪った者達を皆殺しにしたことがある。


 あとはもうが無かった。


――本当は君の少なくとも2倍は生きている。僕の両親は統合大戦で死んだ。君が僕の母さんだと思っている人は、僕を産んだ人じゃない。その人の役に立ちたいという理由だけで、僕は非人道的な計画に参加した。僕は身体も心も弄繰いじくり回され、最強の兵士に。軍の命令で、僕はたくさんの人を殺してきた。それから、それから、それから――


 ハイドがリーナと行動を共にするのは、この気持ちの訳を知りたいからだった。


「いいんだ。面白かった本の話をしている時のリーナ、僕は好きだし」


 つい、そんな言葉が出てしまった。なぜなのかは分からないが、リーナが悲しい顔をするのを見たくはなかった。


 ハイドは知りたいと思う。リーナと一緒にいる時、自分が感じること、思うことの全部の理由を。


「えっ?」

「あっ、いや、そういう時のリーナは楽しそうだから、僕も楽しくなるって意味だよ」


 頬を赤らめるリーナを見て、慌てて取り繕う。


「そう……でも嬉しいよ。わたし、好きだから。ハイドの笑顔」

「へっ!?」


 顔が熱い。今度はハイドが赤面する番だった。


「ごめんごめん。わたしと一緒にいる時だけでもいいから、ハイドには笑顔でいてほしいってこと」

「なんだ、そういうことか。けど、君のためならいつだって笑ってあげられる気がするよ」

「ふふっ」

「ははは……」


 なんだかおかしくなって、二人で笑い合う。


 気が付くと、1時限目まであと15分ほどになっていた。

「さて、僕はそろそろ行かないと」

「うん、お昼にまたいつものとこでね」


 ハイドとリーナは昼休みにまた会う約束を交わし、同時に席を立った。






*リーナ*


 昼休み。


 リーナが南北の校舎に挟まれる中庭を訪れると、ハイドはもう植えられた木を囲むように置かれた、円形のベンチに座って昼食を食べ始めていた。


 パック入り牛乳をベンチの上に置き、遠くを見つめながら背もたれに寄りかかって、左手のホットドッグを機械的に口に運んでいる。

 どちらもカフェテリアで売っている品だ。


 彼はこちらの姿を認めると、少し困ったように微笑んで小さく手を振ってくれた。


 リーナもすぐ隣に座り、家から持参してきたランチバスケットを開ける。

 中にはサンドイッチが3つ。ピーナッツバターが2つとツナが1つだ。


 他愛のない話をしながら、リーナはハイドの横顔を見つめる。少し首をかしげればそのまま肩に頭が乗ってしまう距離だ。

 精悍だがまだ幼さがかすかに残る中性的な顔立ち。くせ毛の茶髪もアイスブルーの瞳も本当に綺麗だと、リーナは思う。


 リーナは"あの一件"以来、晴れている日はこうして中庭でハイドと昼食をとるようになっていた。


 半年ほど前のことだ。


 リーナがいつものようにカフェテリアで昼食を食べていると、不意に「どけよ」と声を掛けられた。


 顔を上げるとそれはダニエルだった。

 取り巻きと共に廊下を我が物顔でのし歩く姿がトレードマークの、この学校が自分を中心に回っていると思っているような男。


 リーナはこういう場面に出くわすと、頭の中が真っ白になってしまうタイプだ。


 動けない彼女を自らの要求に応じる気がないと判断するやダニエルは、どんなことを言われたのかはよく覚えていないし、思い出したくもないが、リーナを口汚く罵りだした。

 ただ、彼女自身コンプレックスを抱いている、身体のある部位の特徴についての下品極まりない、表記はばかられる罵倒だけは、今でも昨日のことのように思い出せる。


 そこに「やめろよ」という言葉と共に、横槍を入れたのがハイドだった。


 より具体的に言えば、リーナとダニエルの間に堂々と割り込んだのだ。


 そんな彼にダニエルはリーナを庇うことの異常性を説くが、当のハイドは睨み付けるばかりで全く動じない。


 遂にダニエルが手を上げた次の瞬間、彼の身体はハイドを飛び越えるように宙を舞い、そのまま床に腰から叩きつけられていた。


 しばらくの間ダニエルは打った部分ををさすりながら、何が起きたのか分からないといった風に目を白黒させていたが、自分の顔を覗き込むハイドと視線が合うと、悲鳴を上げよろめきながらカフェテリアから逃げ出した。

 取り巻き達もその後を追ってカフェテリアを出ていく。


 そこで我を取り戻したリーナが、ハイドに礼を言おうと席から立ち上がった時、彼のひどく怯え切った目と目が合った。


 何か取り返しのつかないことをしてしまったような目だ。

 多分、父が毎日少しずつ組み立てていたボトルシップの瓶をふざけて割ってしまった、6歳の時の自分も同じ目をしていただろう。


 テーブルに置いていたパック入り牛乳とホットドッグを持って、ハイドは逃げるようにカフェテリアを飛び出していった。


 リーナが後を追いかけると、後に二人が共に昼休みを過ごす場となる、中庭の円形ベンチに縮こまるように座るハイドを見つけた。


 そこで彼が自分に言い聞かせるように呟いた言葉は、今でも耳に強くこびり付いている。


「僕は……普通じゃないんだ……」


 瞳の奥に、深い闇を見たような気がした。ダニエルもこの闇を見たのだろうか。

 だがリーナは、彼の闇を怖いとは思わなかった。


 ハイド・ミデン。

 授業においてその発言はいつも教師を唸らせ、課外活動ではあらゆるスポーツに引っ張りだこの運動能力を持つ少年。

 だが同時に、腫れ物扱いせずにはいられない、どこか近寄りがたい影を持っている少年。


 だがリーナはそこで、町外れの岬にある家で"母さん"と二人暮らしをしているということ以外、彼のことを何一つ知らないことに気付いた。


「じゃあ聞くけど、普通っていったい何なの?」


 それがハイドに掛けた最初の言葉だった。


 そして次にリーナは彼に、助けてくれた礼を言い、自らの名前を名乗っていた。


 ハイドはきっと何か、わたしが知らないことを隠している。

 そして今、それのせいで苦しんでいる。

 わたしはあなたのことをもっと知りたい。

 あなたが何者でもいい。

 わたしの前だけでもいいから、笑顔でいてほしい。


 それがリーナがハイドと行動を共にすることを決めた理由だった。


 ダニエルの件は、先に手を出したのがダニエルだという居合わせた者の証言があったこと、また彼が特に怪我をしていなかったことから、ハイドの処分は口頭注意だけで終わった。


 再び現在。


 今までもそうしてきたわけだが、今日も彼にアプローチするための行動を惜しむ気はなかった。


「ねえハイド」

「何だい」


 ハイドは快い声で応えてくれる。


「今日の放課後、時間空いてる?」

「ああ、特に助っ人も頼まれてないし、バイトのシフトも入ってない。正直暇だね」


 自分の表情が自然と笑顔になるのを感じる。


「なら今日も会える? 会わせたい人がいるんだけど……」

「今日は『買い物デートに行きたい』じゃないんだね。食事するなら母さんに聞いてからじゃないと分からないけど、会うだけなら大丈夫だよ」

「よかった。じゃあ、待ち合わせの場所はどこにする? その前にちょっと二人きりになる時間が欲しいの……」

「君の家から近い所でいいよ。僕はエアスクーターがあるから」


 リーナは、自宅から徒歩で5分ほどの場所にある広場の名前を挙げた。


 意外とすんなり約束は取り付けられた。後は急なトラブルに見舞われないことを祈るだけだ。


 急に胸が高鳴りだす。

 今日こそハイドの秘密を知りたい。自分が傷つくことになっても構わない。そして言ってあげたい。『それでもわたしはあなたの側にいるよ』と。『それでもわたしの側に居ていいんだよ』と。


 それが自分の"好き"の形なのだとリーナは思う。そして多分、そういう気持ちを抱けるハイドのことを、一人の異性として好いているのだとも。


 中庭の端に立てられたポール式の屋外時計が、午後の授業の開始時刻が近いことを告げている。


「それじゃ、そろそろ行くね。楽しみにしてるから」

「僕も楽しみにしてるよ。それじゃまた」


 朝と同じように、二人は同時にベンチを立った。

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