第9話 眼中にない

「深沢! ちょっといいかな? 」


 部活終了後に、用具の片付け中の深澤に、吉澤が声を掛けた。


「なにかな? 今、手が離せないんだけどな」


 明らかに深沢は眉をひそめる。両手には練習に使用したコーンがある。


「それはごめんな。それで片付けが終わったら、今日は俺と遊びにでも行かないか? 映画かメシか。それともバスケか? 」


 自信満々で、余裕な表情にて、吉澤は深沢を遊びに誘った。


「ごめん遠慮しとく」


 深沢は誘いをあっさり断る。その言葉や口調に迷いは皆無である。


「どうしてだ? 何か理由があるのか? 差し支えなければ教えてくれないか? 」


 明瞭に吉澤は動揺していた。予想外の返答だったのだろうか。


「吉澤君とは遊ぶような関係じゃ無いから。これって理由かな? 」


 深沢はこてんっと首を傾げた。自身の言葉に疑問を覚えたのだろうか。顔の表情や様子から、そのように断定できた。


「あ、遊ぶような関係じゃ無い…。そんな…じゃあ俺はどんな関係なんだい? 」


「う〜ん…、ただの部活仲間? 」


 平然と深沢は答えた。その口調に遠慮や配慮は存在しなかった。自然と漏れた言葉のようだ。


「ただの…」


 衝撃的な言葉に吉澤の顔が固まる。先ほどまでの余裕は消え失せる。完全に遥か彼方に飛んでいる。今、無言で佇む吉澤は、俺の知ってる吉澤では無いのは確かだ。

 

「もういいかな? 早く片付けしないといけないから」

 

 ショックを受けた吉澤を特に気に掛けず、再び深沢は片付けに着手した。慣れた手つきで体育館倉庫にコーンを片付けた。


 体育館倉庫から退出し、タイマーや部員のジャージなどを片付ける際、深沢の視界に吉澤は1度も入らなかった。深沢にとって吉澤など眼中になかった。注意して意識する相手でもなかった。


 深沢の言葉通り、本当にただの部活仲間なのだろう。


「これで片付け終わり」


 体育館に雑に投げ捨てられていた、部員のジャージや服を深沢は畳み終えた。マネージャーの仕事を終えたため、深沢は体育館の床から立ち上がった。


「あ! 灰原君! ちょっと待った! 」


 まもなく体育館を退出する最中の俺に、深沢は呼び掛けた。200メートルは、俺と深沢は離れていた。だが、深沢の声は俺にしっかり届いた。


「なんだ? いきなりどうしたんだ? 」


 俺は振り返り、応答した。

 

「ちょっと待ってよ。一緒に体育館を出ようよ! 」


 深沢は俺の後ろを追い、軽く背中を押す。わずかに背中に軽い軽い痛みが生じる。大したことはないのである。


「ねぇ、聞いて! 『彼女を奪われた俺のリアル実話』は本当に最高でー! 」


 早速、俺の拙作であることを知らず、深沢は例の小説の感想を述べる。


「文章はリズムミカルで読みやすいさぁ〜。主人公が頑張って浮気に関する情報を得るために、行動するのも人間らしくて魅力的なんだ」


 趣味に関する際の深沢の饒舌ぶりは健在だった。俺の感想をノーストップで捲し立てた。どれもマイナス要素はなく、プラス要素だけだ。嬉しく興奮する言葉だけが俺に降り掛かった。


 当然、幸せな気持ちになった。嬉しさは収まることを知らなかった。


「そうなんだ! その作者も深沢に褒められて有頂天になってるだろうな! 」


 深沢がベタ褒めする小説の作者は俺なんだけどな。


「そうだったら嬉しいな。それにしても1回会ってみたいな〜。素晴らしく、リアル感ありの小説を書けた『彼女を奪われた俺のリアル実話』の作者に会いたいな〜」


 いや実際に会ってるよ。目の前に居るよ。すぐにそこに居るよ。遠い雲の存在じゃないよ。


 些か、深沢に作者の正体を教えてみたくなった。だが、その行動は俺のポリシーに反するだろう。だから、心の中に留めて、内緒にする。


「それと、この作品をより多くの人に知ってもらいたから。私の大切な人や友人に紹介しておすすめしようと思ったんだ! だから読んで欲しいな! 」


 まさかの他者から拙作を勧められるとは。こんな展開、誰が予想できただろか。


 それに俺以外にも友人達にも紹介してくれるのか。そうすれば、現在よりも多くの人間に拙作を読んでもらえるか。たくさんの人間に知ってもらえるか。


「わかった! 絶対に読破するわ。それと、深沢の友人や知人には絶対にお勧めした方が良いと思うな。俺は深沢の言葉に賛成だな 」


「本当に! やっぱり灰原君とは気が合うね! アドバイス通り多くの人達に紹介するね! 」

 

 敢えて拡散されるように、俺はオススメすることを促進した。

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