第12話*ムーンライトセレナーデ
この場を離れる和香と律の後ろ姿を見送ると、
「それじゃ…」
成孔はそう言って、美都の顔を覗き込んできた。
「ここで立ち話もあれだから、ビルの中に入って事情聴取をしようか」
そう言った成孔に、
「はい…」
美都は観念するしか他がないのだった。
先ほど出たばかりのビルに成孔と一緒に入ると、54階にあるバーにきた。
夜景がキレイでバーテンダーはイケメン揃いと有名なのだが、敷居が高過ぎると言うこともあり、足を踏み入れたことは1度もなかった。
美都はカシスオレンジを、成孔はカミカゼを頼んだ。
「それで何があったの?
どうして俺の電話やメッセージを返してくれなかったの?
俺、何か美都の気に障るようなことをしたかな?」
カミカゼを1口だけ飲むと、成孔が問いつめてきた。
美都はコクリ…と、喉を潤すためにカシスオレンジを飲んだ。
成孔の前で隠し事は無用だと言うことは理解している。
コトン…と、美都は覚悟を決めたと言うようにグラスをカウンターのうえに置いた。
「さっきの人――魚住くんって言う、今月に入社してきた例の社員なんですけど――に、数日前まで言い寄られていたんです」
そう話を切り出すと、成孔の顔を見た。
「続けて」
成孔が続きを促してきた。
「理想の人だって言われて、“美都さん”って名前を呼ばれて、指導役の先輩がいるのに何かあると私のところにきたりとか…そう言う感じでなんですけど、魚住くんにつきまとわれていたんです。
でも沙保ちゃんや由真ちゃんや高崎さんが私のことを守ってくれたから大きな被害は受けなかったんですけどね」
そう言って笑った美都だったが、彼の顔は笑っていなかったのでやめた。
「今から6日前に、その日にどうしても片づけたい仕事があったから久しぶりに残業をしていました。
そしたら忘れ物を取りに魚住くんがオフィスに現れたんです」
そのことを思い出したら、恐怖で自分の躰が震えたのがわかった。
美都は深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、
「――魚住くんに触れられて、キスをされました…」
と、成孔に言った。
言い終えたのと同時に、美都は成孔から目をそらした。
「成孔さん以外の男に触れられてキスをされたことがショックで…。
こんなことが成孔さんに知られたら軽蔑されるんじゃないか、嫌われるんじゃないかと思ったら…」
そう話をしている自分の声が震えている。
成孔の顔を見るのが怖い。
彼はどんな顔で話をしている自分の顔を見ているのだろうか?
「――なるほどね…」
成孔が言った。
何が“なるほどね”なんだろうか?
「それで、俺のことを避けていたんだ」
そう言った成孔に、
「はい…」
美都は呟いているような声で返事をした。
「何かずいぶんと俺のことを誤解をしているようだけど…そんなことで美都のことを軽蔑しないし、嫌いにならないから」
美都はそう言った成孔の顔を見た。
眼鏡越しで自分を見つめている優しい目とぶつかった。
「俺が美都を嫌いになる訳ないでしょ?」
成孔は美都の頭をなでた。
その手の大きさと温かさに、美都は安心感を覚えた。
(私は、本当に成孔さんが好きなんだ)
自分の中にある彼への思いに改めて気づかされた。
「正直に話してくれてありがとう」
成孔の端正な顔が近づいてきたかと思ったら、
「――ッ…」
唇が重なった。
お菓子のような甘い香りが躰を包んだ。
その唇に触れることができなかったのは経った数日だったはずなのに、何年かぶりに触れたような気がした。
重なった唇はすぐに離れると、
「――寂しかった」
成孔が言った。
「美都からのメッセージが見れなくて、美都の声が聞けなくて…何より、こうして美都に触れることができなかった。
寂し過ぎて、どうにかなりそうだった」
「――成孔さん…」
名前を呼んだ美都の顔に向かって手を伸ばすと、頬に触れた。
その顔が近づいてきたかと思ったら、チュッ…と音を立てて頬に唇が触れた。
触れた唇は耳元に移動して、
「――今日は帰したくない…」
と、ささやいた。
「――ッ…」
ドキッ…と、心臓が大きな音を立てた。
「今すぐに美都が欲しいんだ」
眼鏡越しのその瞳に美都の心臓は加速する。
成孔が自分を求めているように、自分も成孔を求めているのがわかった。
震える唇を開いて、美都は口を動かした。
「――私も、あなたが欲しいです…」
精いっぱいの勇気をこめて、音を発して告げた。
言い終わった瞬間、美都は両手で顔を隠したい衝動に駆られた。
(は、恥ずかし過ぎる…!)
美都は眼鏡越しの目から逃げるようにうつむいた。
我ながら何を言っているのだろうと思った。
だけども、成孔を心の底から欲しいと思ったのは事実である。
「――美都…」
成孔が名前を呼んだ。
頬に添えられていた手によって、うつむいていた顔があげられた。
端正なその顔立ちが近づいてきたその瞬間、美都は目を閉じた。
「――ッ…」
重なったその唇に、美都は自分が酔ったのを感じた。
42階から51階はホテルになっていることを知っていたが、利用したのは今日が初めてだった。
(初めて利用した日が初めてつきあうことになった人と一緒だなんて…)
そんなことを思いながら部屋に足を踏み入れたら、後ろから成孔に抱きしめられた。
「――な、成孔さん…?」
美都が振り返って名前を呼んだら、それを待っていたと言うように成孔が唇を重ねてきた。
「――ッ、んっ…」
今日で唇を重ねるのは、もう何度目だろうか?
離れていたその時間を埋めるように、成孔はキスを繰り返した。
気がついたら、美都はベッドのうえに押し倒されていた。
自分を見下ろしている成孔の顔が普段とは違って見えたのは、自分の気のせいだろうか?
あまりにも自分を見つめてくるものだから、美都は目をそらしたくなった。
それに気づいていたのか、そうはさせないと言うように成孔が唇を重ねてきた。
「――んんっ…」
重なった唇にあわせるかのように、成孔の大きな手が自分の手に触れてきた。
ギュッと繋がれたその手に、美都の心臓がドキッ…と鳴った。
覚悟は、もうとっくにしていた。
成孔に全てを捧げる準備は、もうできている。
唇が離れたかと思ったら、成孔はまた自分を見つめた。
「――美都…」
名前を呼んだ彼が額に唇を落とした。
お菓子のような甘い香りが自分の躰を包んでいる。
(――私は、本当にこの人のことが好きなんだ…)
その甘い香りを感じながら、朦朧とする意識の中で美都は思った。
まるで大切な宝物を扱うかのように抱いている成孔に、美都は幸せな気持ちに包まれた。
「――美都…」
名前を呼ぶその声に答えるように、
「――成孔、さん…」
美都は彼の名前を呼んで、たくましいその背中に自分の両手を回した。
自分の唇を成孔の耳元に寄せると、
「――好き…」
美都はささやくように告げた。
「――成孔さんが、好きです…」
ウェーブがかかった黒い髪も、目も、鼻も、唇も、ピアスをしている耳も、刺青が入っている左腕も、好んで身につけているその甘い香りも、何もかも全てを含めて彼が好きだ。
「――俺は…」
成孔がそう言って、自分を見つめてきた。
「――俺は、愛してる…。
美都を愛してる…」
返されたその言葉は美都の胸に深く染み入った。
「――美都…」
「――ッ、成孔さん…」
躰も心も何もかも全てを彼に捧げながら、美都は目を閉じた。
目を開けると、
「起きた?」
成孔が自分の顔を覗き込んでいた。
「――何をしていたんですか…?」
寝起きのせいと言うこともあってか、聞いたその声はかすれていた。
「俺も少し前までは眠ってた。
それからずっと、美都の寝顔を見つめてた」
そう答えた成孔に、
「寝顔を見つめてたって、飽きなかったんですか?」
美都はクスッと笑いながら聞き返した。
「飽きなかった。
むしろ、もっとずっと見ていたいって思った」
成孔はフフッと笑うと、美都の髪をなでた。
「あっ!」
美都は大きな声をあげた。
「どうしたの?」
突然大きな声を出した美都に驚きながら、成孔は聞いた。
「お父さんとお兄ちゃんに連絡してない…」
やってまった…と呟いて、美都は枕に顔を埋めた。
「後でいいんじゃない?」
そんな美都に向かって成孔は言った。
「後、ですか?」
美都は枕から顔をあげると、成孔を見つめた。
「うん、後で連絡すればいいと思う。
その時は俺も一緒に謝るから」
成孔はそう言うと、美都の肩を抱き寄せた。
「もう少しだけ美都と一緒にいたい。
離れていた時間は長かったんだし、もっとこうしていたい」
「成孔さん…」
成孔はフッと笑うと、美都の額に自分の唇を落とした。
「それでいい?」
そう聞いてきた成孔に、
「…そうします」
美都は答えると、彼の胸に顔を寄せた。
「成孔さん」
「んっ?」
「愛しています」
そう言った美都に、
「俺も愛してる」
成孔はそう返事をすると、唇を重ねてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます