第3話*積極的なアプローチ

美都は目を開けた。


見知った天井が視界に入ったのと同時に、カーテンのすき間から太陽の光が差し込んでいた。


「――ああ、朝だ…」


寝起きのせいで渇いている声で呟くと、美都は躰を起こした。


昨日、兄の大学時代の後輩である有栖川成孔と再会した。


再会をしたと言っても、美都は彼のことを何も覚えていなかった。


その彼にキスをされて宣言をされた。


――美都を俺のものにする


ずっと欲しかったと、成孔に言われた。


(…私は、告白された?)


今の今まで縁がなかったので、美都はどうすることもできなかった。


それから成孔に自宅まで送られて、家の前で別れて、いつも通りにお風呂に入って寝て、朝を迎えたと言う状況だ。


着替えを済ませ、顔を洗って、兄と父と一緒に朝食を食べて、歯を磨いて軽くメイクを終えると、美都は会社に行く準備をした。


「行ってきまーす」


「行ってらっしゃい」


兄と父に見送られ、美都は自宅を後にした。


いつも通りの朝だと、美都は思った。


電車に乗ると、美都はカバンからスマートフォンを取り出した。


「あれ?」


指で画面をタップすると、メッセージが1件届いていることに気づいた。


(沙保ちゃんからかな?)


そう思いながら、美都は指でタップするとメッセージの内容を確認した。


それを見た美都は驚いた。


(成孔さんからだ…)


成孔からのメッセージだった。


そう言えば、昨日の帰りに彼とお互いのアドレスを交換したことを美都は思い出した。


美都は成孔から届いたメッセージを見るために、画面に視線を落とした。


『おはよう


昨日はちゃんと眠れた?』


特にたいした内容ではなかった。


(返す必要があるかどうかと聞かれたらないかも。


と言うか、成孔さんって暇なんだな)


美都はメッセージを閉じると、スマートフォンをカバンの中に入れた。


会社の最寄り駅に到着したので、美都は電車を降りると駅を後にした。


勤務先のビルが見えてくると、美都はハッと我に返った。


(成孔さんもこのビルの中にある会社に勤めているんだよね?


もしかしたら…いや、もしかしなくても会う可能性があるよね?)


そのことに気づいた美都は慌てて周りを見回したが、成孔らしき姿の人物はいなかった。


「おはようございます」


代わりに声をかけられたので視線を向けると、そこにいたのは高崎だった。


「おはようございます、高崎さん」


美都があいさつを返すと、高崎は嬉しそうに微笑んだ。


「昨日はどうでしたか?」


高崎が聞いてきたので、

「昨日ですか?


昨日は父と兄と一緒にお墓参りに行った後、中華料理店でご飯を食べました」


美都は答えた。


「美味しかったですか?」


「はい、とても美味しかったです」


高崎と話をしながら歩いていたら、勤務先のビルに到着した。


「もう到着しましたね」


そう声をかけてきた高崎に、

「あっと言う間ですね」


美都は返事をした。


「美都さんと話をしていたからでしょうかね?」


高崎はそう言うと、フフッと笑った。


「そうですね。


1人の時は長く感じますけど、誰かと話をしているとあっと言う間ですもんね」


それに対して、美都は微笑みながら答えたのだった。


今日も通常運転の美都に、高崎は苦笑いをするしか他がなかった。


「森坂さんと高崎さん、おはようございまーす!」


そんな彼らの間に割って入るようにして現れたのが、同じ会社で働く後輩の香西由真(カサイユマ)だった。


「おはよう、由真ちゃん」


「おはようございます、香西さん」


美都と高崎は彼女にあいさつを返した。


「お2人が一緒に出勤って珍しいですね!


もしかして、つきあってたりするんですか?」


キャッキャッと笑いながら聞いてきた由真に、

「…もしそうなったら嬉しいんですけどねぇ」


高崎は呟くように返事をした。


「そんな訳ないじゃない、確かに高崎さんはかっこいいけどね」


美都は彼の呟きを否定するように、彼女の質問に答えた。


(高崎さん、涙目だ…)


由真は心の中で呟いた。


(森坂さん、悪い人じゃないんだけどねぇ…)


のほほんとしている美都に、由真は心の底から高崎に同情したのだった。


 *


同じ頃、成孔は会社へと向かう車の中でスマートフォンの画面を見つめていた。


「有栖川」


そんな彼に声をかけてきたのが、赤い眼鏡をかけた女だった。


ダークブラウンのストレートのセミロングに、メルヘンチックなデザインのワンピースに身を包んだその姿は、まるで人形みたいだ。


大学生とか20代前半だと年齢をごまかしても、誰も疑わないだろう。


「雑賀ちゃん、どうしたの?」


そう聞いてきた成孔に、彼女は呆れたと言うように息を吐いた。


彼女の名前は雑賀真生(サイカマオ)、34歳だ。


有栖川成孔の秘書として働いている。


真生の様子に、

「ああ、ごめんごめん。


何か言ってたかな?」


成孔は慌てて謝った。


「先ほどから本日のスケジュールを申しあげていたのですが、全くと言っていいほどに聞く気がないようで」


「だから、本当にごめんって」


成孔はもう1度謝ると、スマートフォンをジャケットの胸ポケットに入れた。


“真っ直ぐに生きる子になりますように”と言う両親の願いを込めてつけられた真生は、その名の通り曲がったことが大嫌いな真っ直ぐな女性だ。


秘書としての腕は一流なのだが、まじめな性格ゆえに怒らせると怖いのだ。


「雑賀ちゃん、機嫌を直してよ。


今度こそはちゃんとまじめに聞くからさ」


成孔は両手をあわせると、真生の前に突き出して謝った。


そんな彼に真生はやれやれと言うように息を吐くと、

「仕方ありませんね…」

と、呟いて手帳を広げた。


まじめな性格だからか、自分の仕事を放棄したくないみたいだ。


本日のスケジュールを淡々と読みあげる真生の声を聞きながら、成孔はそんなことを思った。


「以上が本日のスケジュールです、何か質問はありませんか?」


パタンと手帳をたたむと、真生が聞いてきた。


「いや、特にないよ」


成孔は彼女の質問に答えた。


「では、私の方から質問させてもよろしいでしょうか?」


真生が言った。


「私がスケジュールを申しあげていた時にスマートフォンを見ていた理由は、何だったのですか?


何か大事な連絡でも?」


眼鏡越しから自分を見つめてくる真生に、

「…特に大事って言う訳じゃないかな」


成孔は答えると、彼女から目をそらしたのだった。


 *


昼休みを迎えた。


「美都、一緒に行こう」


「うん、いいよ」


沙保から声をかけられ、美都は仕事を切りあげると財布を手に持って椅子から腰をあげた。


昼食を買うために2階のコンビニに降りたら、

「あの…」


後ろから誰かに声をかけられたので、美都と沙保は同時に振り返った。


そこにいたのは、日本人離れした顔立ちをした背の高い男だった。


(この人、誰なんだろう?)


美都が首を傾げた時、

「ああ、玉村さん」


沙保が目の前の男に声をかけた。


どうやら、沙保の知りあいみたいだ。


「沙保ちゃん、知りあいなの?」


美都が声をかけたら、

「うん、ちょっとね」


沙保は質問に答えた。


「私、先にご飯を買ってくるから」


コンビニの中を指差した美都に、

「うん、わかった」


沙保が返事をしたことを確認すると、美都はコンビニへと足を踏み入れた。


ボンゴレのパスタとレモンティー、ナタデココ入りのぶどうゼリーを購入すると、美都はコンビニを出た。


沙保と玉村と言う男の姿はなかったが、美都は彼女のことを待った。


「お待たせー」


しばらくすると、コンビニの袋を手に持った沙保が出てきた。


「お帰りー」


美都は声をかけた。


2人で一緒にエレベーターに乗ると、

「さっきの人って、沙保ちゃんの知りあいなの?」


美都は先ほどと同じ質問をした。


「うん、IT関連会社に勤めている人なの」


沙保が答えた。


「へえ、そうなんだ」


(IT関連会社って、成孔さんの会社だよね…?)


美都は沙保に返事をしながら、心の中で呟いた。


「来週にやる七夕祭りに一緒に行かないかって誘われた」


沙保が言った。


「えっ?」


思わず聞き返した美都に、

「さっき、玉村さんに誘われたんだ」


沙保は照れくさそうに笑った。


「来週の七夕祭りって…」


美都が呟くように言ったら、

「仕事が終わったら一緒に行こうねって、美都と約束してた」


沙保が言い返した。


「あー、うん…」


美都はどう返事をすればいいのかわからなかった。


このビルの近くで毎年行われている七夕祭りに一緒に行こうと約束をしていたのだ。


(玉村さん、沙保ちゃんと一緒に行きたいから誘ったんだよね…?)


「沙保ちゃんは何て返事をしたの?」


そう聞いた美都に、

「後で連絡するって言った」


沙保は答えた。


(これは、いくら何でも邪魔をしちゃいけないよね?)


美都は心の中で呟くと、

「行ってきてもいいよ」

と、言った。


沙保は驚いたと言う顔をした。


「私、誰か――そうだな、由真ちゃんを誘ってみるから――と一緒に行くから。


だから、沙保ちゃんは玉村さんと一緒に七夕祭りに行ってきてもいいよ。


玉村さん、沙保ちゃんと一緒に行きたいから誘った訳なんだし」


そう言った美都に、

「美都は、それでいいの?」


沙保は聞き返した。


「うん、いいよ。


だから、楽しんできなよ」


美都が答えたのと同時に、エレベーターが到着した。


エレベーターを一緒に降りてオフィスへと足を向かわせながら、

「美都が言うならそうするね」


沙保が言った。


「うん」


美都が首を縦に振って返事をしたことを確認すると、沙保はスカートのポケットからスマートフォンを取り出した。


玉村に返事をするみたいだ。


いつものように自宅に帰って、兄が作ってくれた晩ご飯を食べると風呂に入った。


風呂からあがると、美都は洗った髪をバスタオルで拭きながら冷蔵庫からアイスを取り出した。


それを手に持って自室に行くと、机のうえに置いていたスマートフォンが震えていることに気づいた。


袋からアイスを取り出しながら画面を覗き込むと、成孔からの電話だった。


美都はスマートフォンを手に持つと、指で画面をタップした。


「もしもし?」


スマートフォンを耳に当てると、

「美都?」


成孔の声が聞こえた。


「こんばんは」


美都があいさつをすると、

「こんばんは」


成孔があいさつを返した。


「えっと、何か用事ですか?」


美都はアイスをかじりながら、時計に視線を向けた。


時計は夜の10時を過ぎたところだった。


「用事って言う訳じゃないんだけど、美都の声が聞きたかったって言う理由はダメかな?」


そう言った成孔は、どこか照れくさそうだった。


「はあ、そうですか…」


それに対して、美都はどうやって返事をすればいいのかわからなかった。


「それと…」


成孔はそこで言葉を区切ると、

「今朝、何かあった?」

と、聞いてきた。


「えっ、特に何もありませんでしたが…」


彼がどうしてそんなことを聞いてきたのか、美都はよくわからなかった。


「じゃあ、体調が悪かったりした?」


続けて聞いてきた成孔に、

「特に悪いところはありませんでしたが…」


美都は訳がわからなくて、彼の質問に答えることしかできなかった。


一体、何が言いたいのだろうか?


「メッセージを返して欲しかったな」


成孔が言った。


「…今朝のですか?」


そう聞いた美都に、

「うん、返して欲しかった」


成孔は答えた。


「どうしてですか?」


「それが礼儀な訳だし、何より美都からの返事が欲しかった」


そう言った成孔は、どこか悲しそうだった。


そんな彼の様子に戸惑いながら、美都はアイスをかじった。


「そりゃ、朝は忙しいって言うことはわかってるよ。


でも休憩時間でも昼休みでもいいから、美都からの返事が欲しかった」


「…嬉しいんですか?」


呟くように聞いた美都に、

「うん、すごく嬉しいよ。


たった一言だけでも、今日も1日頑張ろうって思うから」


成孔は嬉しそうに答えたのだった。


「ずっとスマートフォンばっかり見てた。


美都からの返事はまだかなって、そう思いながら見てた。


どんな重要な連絡よりも美都からの返事が大切だった」


「な、成孔さん…」


「遅くなってもいいから、いつでも返事を待ってる。


だから、俺からのメッセージを返してね」


そう言った成孔に、

「はい、わかりました」


美都は返事をしたのだった。


まるで中学生か高校生みたいだなと、美都は思った。


(と言うか、寂しがりなところがあるんだな)


美都は心の中で呟いた。


「時間、まだ大丈夫かな?


もう少しだけ俺と話ができそう?」


そう聞いてきた成孔に、

「ええ、はい」


美都は首を縦に振ってうなずいた。


(まだ私と話がしたいんだ)


美都は食べ終わったアイスの棒をゴミ箱に捨てた。


「えっと、何を話せばいいのでしょうか?」


そう聞いた美都に、

「今日あった出来事とか、美都が話したいことでいいよ」


成孔は答えた。


「じゃあ、話します。


沙保ちゃんって言う同じ会社で働いている友達がいるんです」


「へえ」


「沙保ちゃん、私よりも背が高くて大人っぽくて、とても同い年には見えない子なんです。


おしゃれでピアスをつけてて、大家族一家で育ったこともあってか、とてもしっかりしている子で」


「そうなんだ」


特におもしろいと言う訳ではないのに、成孔は自分の話を興味深そうに耳を傾けて聞いていた。


「その沙保ちゃんなんですけど、来週に会社の近くで行われる七夕祭りに一緒に行こうって言って誘ってきた人がいるんです。


成孔さんの会社で働いている人なんですけど」


美都はベッドのうえに腰を下ろした。


「それって、デートの誘いってヤツ?」


そう聞いてきた成孔に、

「デートの誘いってヤツです」


美都は答えた。


「私、沙保ちゃんと一緒に行こうって約束をしていたんですけど…でも、その人も沙保ちゃんと一緒に行きたいから勇気を出して誘ったんだろうなって思って」


「思ったから、どうしたの?」


「沙保ちゃんに、その人と一緒に行ってきなよって言いました」


何故だか沈黙が流れた。


「えーっと…それはつまり、美都は1人で七夕祭りに行くって言うことだよね?」


「はい、沙保ちゃんは他の人と行きますから。


ああ、大丈夫です。


私は他の人を誘って一緒に行きますので」


「あのさ」


美都をさえぎるように、成孔が話を切り出した。


「美都がよかったらだけど、俺と一緒に行かない?」


そう聞いてきた成孔に、

「成孔さんとですか?」


美都は聞き返した。


「うん、一緒に行きたい」


はっきりと言った成孔に、美都はどうすればいいのかわからなかった。


(これは早い話が…)


「デート、ですか?」


心の中で思ったことを美都は口に出した。


「…まあ、そうだね」


成孔は戸惑った様子だが、美都は特に気にも止めていない様子だった。


「それで、どうかな?」


「はあ…」


美都は口を閉じると、考えた。


(成孔さんと一緒に、か…まあ、いいかな)


心の中で結論をつけると、

「いいですよ」


美都は成孔に返事をした。


「よかった、どうもありがとう」


成孔は嬉しそうにお礼を言った。


「じゃあ、来週の…そうだな、6時くらいでいい?」


そう聞いてきた成孔に、

「わかりました、6時ですね」


美都はカバンの中から手帳を取り出すと、時間を書き込んだ。


「6時に…えーっと、どこに行けばいいですか?」


「2階にあるカフェはどうかな?」


成孔は言った。


「はい、わかりました」


美都は返事をすると、場所を書き込んだ。


「間違えて家に帰らないでね」


そう言った成孔に、

「大丈夫ですよ、手帳にちゃんと書き込みましたから」


美都は言い返した。


時計に視線を向けると、11時を過ぎていた。


(ずいぶんと成孔さんと話をしていたんだな)


美都は心の中で呟いた。


「美都と出かけることも決まったし、もうそろそろ電話を切ろうか」


そう言った成孔に、美都は自分の頭の中を読んだのではないかと思った。


もうそろそろで話を切りあげたいと、成孔に言いたかったのだ。


「美都?」


名前を呼んできた成孔に、

「あ…そ、そうですね」


美都は首を縦に振ってうなずいて、返事をした。


「明日もまた仕事があるからね。


本当はもっと美都と話をしていたいところだけど…それはまた別の機会に、と言うことで」


成孔が笑いながら言った。


「じゃあ…おやすみ、美都」


「おやすみなさい…」


そう言いあった後、電話を切ったのだった。


美都はスマートフォンを耳から離すと、

「男の人と電話したの、初めてだ…」

と、呟いた。


手帳に視線を向けると、先ほど成孔と交わした約束があった。


「本当に、行くんだな…」


美都はそう呟くと、ベッドから腰をあげた。


スマートフォンの電源を切ると、それを充電器に差し込んだ。


手帳をカバンの中に入れると、歯みがきをするために自室を後にした。

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