きみの話を嗅ぎたい

半ノ木ゆか

*きみの話を嗅ぎたい*

 天の川銀河のあるところに、自然豊かな惑星が浮かんでいる。地球人が勝手に「ユクスキュル第二惑星」と呼んでいる星だ。その赤道直下にある小さな島で、地球人たちとユクスキュル人たちが交渉の席に着いていた。

 今日は彼らにとって特別な日だ。二つの種族が歴史上、初めて顔を合せたのである。

「つまり、この星の科学技術を学びたいんです」

 地球人の代表が緊張した面持で言った。

 窓から朝の光が射し込んでいる。地球人たちの背後の丘の上には、地球製の宇宙船がまっていた。ユクスキュル人たちの背後の海の先には、彼らの作った都市が広がっている。

「私たちは森を拓き、氷を溶かし、生き物を滅ぼしながら社会を発展してきました」

 大きな目を瞬かせながら、彼女が声に力を込める。

 地球人は三人いた。真ん中に腰掛けているのが代表者だ。生物学者は特殊なカメラでユクスキュル人たちを撮っていた。言語学者は筒型の翻訳機を携えている。

 翻訳された地球人代表の声が、内蔵スピーカーを通して大広間に響いている。だが、それはユクスキュル人の言葉ではなく、近くの星で使われている全く別の言語だった。

「でも、あなた方は違います。自然と調和しながら、立派に社会を発展させているんです。この惑星に留学生を送った日には、ぜひ、あなた方の智恵を分けて下さいませんか」

 彼女は落ち着いて口を閉ざした。やり切ったような、満足気な表情で相手を眺める。しかし、ユクスキュル人たちはぼうっと席に着いたままだ。数秒経つと、話が終ったことに気付いたらしく、きょろきょろと顔を見合せはじめた。

 地球人たちはうなだれてしまった。会話を試みて三時間近く経っているが、いまだに単語一つ、言葉が通じないのである。

 ユクスキュル人たちはしきりに口を動かして、何かを話し合っているように見えた。そうして、代表者らしきユクスキュル人が地球人たちのほうを向いた。彼が緊張した面持で口を開く。

 ユクスキュル人も三人いた。真ん中に腰掛けているのが代表者らしい。一人は拡声器のような形の機械を地球人たちに向けている。一人は丸い機械を携えていた。

 キツネのような大きな耳をぴょこぴょこさせながら、ユクスキュル人代表が口をぱくぱくさせている。地球人たちは必死に耳を澄ました。だが、不思議なことに、彼の声は一言も聴こえなかった。

 ユクスキュル人代表は落ち着いて口を閉ざした。やり切ったような、満足気な表情で地球人たちを眺める。しかし、地球人たちはぼうっと席に着いたままだ。数秒経つと、話が終ったらしいことに気付いて、きょろきょろと顔を見合せはじめた。ユクスキュル人たちはうなだれてしまった。

 生物学者が仕切り直すように言った。

「言葉が通じないのなら、映像を見てもらいましょう」

 地球人代表が小さく頷き、席を立つ。彼女が台車で運んできたのは、透明な箱型の機械だった。ユクスキュル人たちは身を乗り出した。

 地球人代表が機械に触れる。すると、中に立体映像が浮び上がった。独楽こまのような形をした天の川銀河だ。それが段々と大きくなって、太陽系が見えてきて、青く輝く地球が見えるようになった。

 南米の熱帯雨林や、北極の氷河や、サイが草をむ映像が流れる。彼女はそれを横目に、ユクスキュル人たちをそわそわしながら眺めていた。

 ユクスキュル人たちは投影機にじっと顔を向けている。しかし、耳をピンと立てているだけで、めぼしい反応は見られなかった。投影機の電源を切り、地球人代表は深い溜息をついた。

 今度は、ユクスキュル人代表が席を立つ。彼が台車で運んできたのは、透明な箱型の機械だった。地球人たちは身を乗り出した。

「きっと投影機ですよ」

 言語学者が興奮ぎみに、地球人代表に耳打する。

 ユクスキュル人代表が機械に触れる。地球人たちは必死に目を凝らした。だが、おかしなことに、待てど暮らせど立体映像は現れなかった。

 視線を感じて、地球人代表はふと顔を上げた。ユクスキュル人代表が、三角形の耳をこちらに向けている。大広間にはほのかに、甘いような酸っぱいような複雑な匂いが漂っていた。



 地球へ向う宇宙船の中で、三人は投影機を囲んでいた。透明な箱の中に三人のユクスキュル人たちが映っている。

 代表者は顎に手を当てて何かを考え込んでいる。生物学者と言語学者は議論の真最中だ。

「わたしは、ユクスキュル人は地球人には聞き取れない声で会話しているんだと思いますよ」

 生物学者が言った。

「例えば、ゾウのようや超低周波音やイルカのような超音波を、出したり聞いたりしているのかもしれません」

「それはありえませんよ」

 言語学者が筒型の機械を持ち上げてみせた。

「この翻訳機には地球人が聞き取れない周波数の音も拾える、特殊な録音器が付いているんですが……ユクスキュル人は、言語として使えるような複雑な音を出していないようです」

「じゃあ、ユクスキュル人が立体映像を認識できなかったのはどうしてなんでしょう」

「おれは、ユクスキュル人と地球人は目のしくみが違うんだと思います」

 言語学者が言った。

「この投影機は、箱の中に光を満たすことで映像を作り出すんです。その映像が分らないということは、そもそもユクスキュル人の目は光を感じないのでしょう。ひょっとすると、別の感覚器官で物のかたちを認識しているのかもしれません」

「それはありえませんね」

 生物学者がカメラを持ち上げてみせた。

「透視カメラでユクスキュル人の体のつくりを調べたのですが、目や耳や鼻など、感覚器官のしくみは地球人とほぼ同じでした。例えば目には、地球人の水晶体と網膜にあたる部分があります。地球人は、物の表面で跳ね返った光を網膜で受け止めて、その物のかたちを認識しているんです。ユクスキュル人も同じように世界を捉えていると考えて間違いありません」

「そうだ」と、言語学者が思い付いたように言った。

「おれたちは音を組み合せて作った言葉を、耳で聞いていますよね。こういう言語を『聴覚言語』というんです。ですが、手話などの視覚言語とか、点字などの触覚言語とか、言語には他にも種類があるんです。今度ユクスキュル人に会ったら、手話を試してみませんか」

「立体映像が見られないのに、どうやってわたしたちの手の形を見るんですか」

「あの、すみません」

 代表者が呼びかける。二人は言い合うのをぴたりとやめた。

「お二人は、あの大広間の匂いを覚えていますか」

「匂い?」

 代表者が遠くを見つめながら語る。

「甘いような酸っぱいような、不思議な香りでした。初めて嗅いだ匂いだったので、ずっと気になっていて」

「うーん」と唸りながら、生物学者が天井を向く。

「わたしは気付きませんでしたけど」

 言語学者がおかしそうに笑った。

「まさか、ユクスキュル人が匂いで会話するとでもおっしゃりたいんですか。目は物のかたちを見るために、耳は人の言葉を聞くためにあるんです。鼻はせいぜい、腐った食べ物を嗅ぎ分けたり、晩御飯の内容をお皿を見ずに言い当てたりするくらいの使い道しかないんですから」

 生物学者もくすくすと笑った。

「彼の言う通りです。ユクスキュル人はイヌでもコウモリでもないんですよ」

 代表者は恥しそうに顔を背けた。窓際で頰杖をつく。遠离とおざかってゆく惑星を目で追いながら、彼女は呟いた。

「私はいつになったらあの人の話を聞けるんでしょう……」



 都市へ向う連絡船の中で、三人は投影機を囲んでいた。透明な箱の中に三人の地球人たちが映っている。

 代表者は顎に手を当てて何かを考え込んでいる。生物学者と言語学者は議論の真最中だ。

「おれは、地球人はユクスキュル人には嗅ぎ取れない匂いで会話しているんだと思いますよ」

 生物学者が言った。

「例えば、極端に大きな分子や極端に小さな分子を、出したり嗅いだりしているのかもしれません」

「それはありえませんね」

 言語学者が丸い機械を持ち上げてみせた。

「この翻訳機にはユクスキュル人が嗅ぎ取れない匂いも拾える、特殊な録香器こくこうきが付いているんですが……地球人は、言語として使えるような複雑な匂いを出していないようです」

「じゃあ、地球人が立体映像を認識できなかったのはどうしてなんでしょう」

「わたしは、地球人とユクスキュル人は耳のしくみが違うんだと思います」

 言語学者が言った。

「この投影機は、箱の中に音を満たすことで映像を作り出すんです。その映像が分らないということは、そもそも地球人の耳は音を感じないのでしょう。もしかすると、別の感覚器官で物のかたちを認識しているのかもしれません」

「それはありえませんよ」

 生物学者が拡声器型のカメラを持ち上げてみせた。

透聴とうちようカメラで地球人の体のつくりを調べたのですが、耳や鼻や目など、感覚器官のしくみはユクスキュル人とほぼ同じでした。例えば耳には、ユクスキュル人の鼓膜と蝸牛にあたる部分があります。ユクスキュル人は、物の表面で跳ね返った音を蝸牛で受け止めて、その物のかたちを認識しているんです。地球人も同じように世界を捉えていると考えて間違いありません」

「そうだ」と、言語学者が思い付いたように言った。

「わたしたちは匂いを組み合せて作った言葉を、鼻で嗅いでいますよね。こういう言語を『嗅覚言語』というんです。ですが、指話しわなどの聴覚言語とか、線字せんじなどの触覚言語とか、言語には他にも種類があるんです。今度地球人に会ったら、指話を試してみませんか」

「立体映像が聞けないのに、どうやっておれたちの指の形を聞くんですか」

「あの、すみません」

 代表者が呼びかける。二人は言い合うのをぴたりとやめた。

「お二人は、あの大広間の光を覚えていますか」

「光?」

 代表者が遠くを聞き澄ましながら語る。

「黄色いような青いような、不思議な輝きでした。初めて見た光だったので、ずっと気になっていて」

「うーん」と唸りながら、生物学者が天井を向く。

「おれは気付きませんでしたけど」

 言語学者が口元を隠して笑った。

「まさか、地球人が光で映像を作るとでもおっしゃりたいんですか。耳は物のかたちを聞くために、鼻は人の言葉を嗅ぐためにあるんです。目はせいぜい、敵の影を見つけたり、今が昼か夜かを時計を聞かずに言い当てたりするくらいの使い道しかないんですから」

 生物学者も笑った。

「彼女の言う通りです。地球人はカタでもラカウュジシでもないんですよ」

 代表者は恥しそうに顔を背けた。窓際で頰杖をつく。遠离ってゆく宇宙船を耳で追いながら、彼は呟いた。

「俺はいつになったらあの人の話を嗅げるんだろう……」


 この後、地球人とユクスキュル人は何べんも会話を試みることになる。お互いの言語の仕組を理解し、初めて会話らしい会話をするのは、地球の単位で七年後のことである。

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