第4話 一般人のグルメ④
「………………」
15分後。ボクはいまだ6つも残るユーリンチーを無言で睨みつけていた。
口に含んだご飯も、いまだに残っている。
完全に腹パンパンの証である。もう胃に入って行かないのだ。
流し込みに使ったためスープはすでになく、当然口直しのキャベツもとっくにない。
侮っていた、北京を。
いや、違う。過信していたのだ。自分の胃を。
もう若くないのに、お腹が空いていると中学生の頃のノリで食べ物を頼んでしまう。
なぜ人は過ちを繰り返すのか……。
何がチャーシュー麵の追加だよ。バカなのか?
若干の気持ち悪さすら感じながらボクは震える箸でユーリンチーを掴む。
掴むが……口までの距離が永遠とも思えるほど遠い。
ユーリンチーと口の間には、緑色の赤ちゃんがいるに違いない。
これはスタンド攻撃だ!!
そんな戯言で気分を明るくしようとしたが、何も明るくならない。
その後、ユーリンチーとボクの口は寄せては返す波のように行ったり来たりして、なんとか1個は口に入れた。
しかし、これは……無理だ……絶対無理。
人間にはできることとできないことがある。
ボクは気合で、なんとか口に含んだユーリンチーを飲み込むと、屈辱のギブアップ宣言をした。
「……すみません。お持ち帰りで」
奥からスーパーでお惣菜が入ってるあの透明な容器を持った老婆がやってくる。
「入れ物50円、袋5円ね」
「あい……」
負けた……完敗だ。
これからはどんなに腹が減っていて、好物のメニューでも大大はしないでおこう。
おかず大だけにしよう。
もう何度目かの懺悔をしつつ、惣菜容器に残ったご飯をまず詰めて、残ったスペースにユーリンチーを詰めていく。
絶対食べきれなかったな、これ……。
改めて容器に移し替えてみると、無理ゲー感がよくわかる。
残り物でパンパンになった容器を袋に入れて、お会計に向かう。
「うっ……!」
立ち上がり際に嗚咽が漏れる。
少し動くだけでヤバイ。
食道にまでユーリンチーが詰め込まれているためだ。
できるだけ上体を揺らさないように、ソロリソロリとレジへ。
すでに準備していた老婆が、軽快にレジを打つ。
「日替わり大大と容器と袋で、855円ね」
「はい……」
結局800円をオーバーである。
ボクはなんのために、マ●クをやめたんだ? バカなのか?
落胆して目線を落とすボク。
するとレジ横に来月からの日替わりメニューが置いてあった。
来るたび貰うけど、結局なくして日替わりはギャンブルなのだが今回も一応貰っておこう。
一枚手に取りさっと眺めるとなんだか違和感がある。
「あれ……?」
「ああ、それね。ごめんなんだけど、来月から50円上げるんよ。日替わり」
「ええ!?」
ボクは衝撃のあまり素っ頓狂な声を上げてしまう。
また……また値上げ!?!?
うっそだろおい!?
「ごめんねぇ」
「あ……いえ、しょうがないですよね。今、なんか全部値上げしてますし」
「そうなんよねぇ。本当に困りますよ。じゃあ、また来てね」
「はい。ごちそうさまでした」
カランカランと、気の抜けたドアベルの音を背に、ボクは店を出て太陽を見上げた。
うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!
しょうがないわけあるかい!!!!
最後の最後にこんなぁ……!!
ムルソー君~! 今日も太陽が眩しいよ~!!
外ズラでは、ただ太陽を見上げる一般人であるが、脳内では完全に狂人と化したボク。
きっと世の中の物価だけ上がって給料の上がらない労働者たちの100割は、ボクと同じように脳内では狂人となっているに違いない。
しかしいつまでも眼球を焼いているわけにもいかず、視線を戻す。
何かの間違いではないかと、チラシを確認するがやはり値上げは夢ではない。
「はぁぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ……」
今日一のため息をつく。
しかし、メニューにはもうひとつの違和感があった。
「え! これっ……!」
日替わりをよく見るとなんと北京の伝説メニュー「とんかつ」が日替わりに復活しているではないか!!
このとんかつは、ただでさえ最強のコスパを誇る北京の中でも飛びぬけた存在で、公にはかつ丼しか存在していないはずだが、太古の昔に存在した物だ。
なんとこのとんかつ、普通盛りを頼むと普通に一枚でてくるだけなのだが、おかず大を頼むとなんと100円増すだけで、とんかつが2枚出てくるのだ!
とんかつが! 100円で!! 倍になるのだ!!!
「父ちゃんに聞いたことはあったけど……! マジであるんだ……!」
先ほどまでの憂鬱が一気に吹きとんだ。
これなら50円の値上がりなど些事である!
来月のとんかつの日は必ず北京へ行こう!
災厄の詰まった底辺な世界で最期に残った希望を胸に、ボクは帰路に就く。
さあ、明日は何を食べようか。
一般人のグルメ 舟木 長介 @naga3naga3
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