第38話 今度はナターシャが譲るんだ

 ナターシャの全身から膨大な魔力が漏れ出して感情が伝わってくる。


 自責、後悔、不安、無念、恐怖、絶望、懇願、愛情……ありとあらゆる想いが濁流のように入ってくる。


 体から侵入されてしまうので耳を塞ごうが関係ない。まるで私の気持ちを聞けと言わんばかりの強引さだ。


 意図して体内の魔力を暴走させ、感情まで乗っけているのであれば大した策略家だなと、評価せざる得ないだろう。


 父や俺のように戦うことしか知らない愚か者は逃げられない。


 全てを受け止めるしかないのだから。


「私を残さないでください! お兄様のいない世界は、もう耐えられないんですっ!!」


 全身をナイフで刺されたかのような痛みを感じた。


 これほどの激情をナターシャはずっと抱えて生きていたのか。俺自身がナターシャの人生を追体験しているのか、見たこともない映像が脳裏に浮かぶ。


 俺が紅茶を飲んで倒れて正気を取り戻し、泣き叫んでいた。


 激情に任せてストークのクソ野郎を殺し手が真っ赤に染まる。


 身分を偽り平民として厳しい生活を続け、体を壊してしまう。


 それでも諦めるようなことはせず、寝食を忘れてやり直す方法を探す日々。


 艶のある髪も、張りのあった肌も、無邪気な笑顔も、全てを失っていた。


 たった一つの未来を手に入れるため、カビの生えたパンを食べて泥水をすすっても生きてきたのだ。


 我慢して耐えようとしているのに、涙が止まらない。


 俺がナターシャの境遇を悲しんでいるのか、それともナターシャが俺を想ってのことなのか。二つの感情と思考が混ざってしまいもう分からない。


 だが、一つだけ変わらないものがある。


 大切な人の死なんて見たくはない、自分よりも長く生きて欲しい。


 その想いだけは同じだった。


「俺の負けだ。もう一度やり直そう」


 いいだろう。やり直そうじゃないか。俺とナターシャ、父、そして騎士や領民が生き残る未来をつかみ取るのだ。


 説得できたと分かったようで、部屋中に満ちていた魔力が引っ込む。


 全身を刺すような激しい感情の渦がいっきに消えた。


 ようやく解放された。


 これからは話し合いの時間だ。


「だからといってナターシャの命を削るのは違う」

「でも!」


 拒否するのではなく妥協案を出そう。俺がナターシャの立場を想像したからこそ出てきたアイデアだ。


「生命属性の魔法は、俺にも使えるんだろ? 俺の命を使って過去に戻るのであれば協力できる」


 そもそもの話、過去に戻ることには反対していないのだ。むしろやり直しできるのであれば歓迎である。


 消費されるのが俺の寿命であれば安いもんだ。


 ナターシャの頬に触れて涙の跡を触る。


「義妹を守るのが義兄の役目だ。受け入れてくるよな?」

「お兄様は生命属性への適性が低いので、数日戻るだけで数年分の寿命が削れてしまいます」

「何もしなければ死ぬんだから、数年分なら安いもんだろ」


 俺が頼りなかったから、ナターシャの十五年分以上の寿命を使ってしまったのだ。不出来な義兄の寿命なんて、もっと消費しても良いぐらいである。


 不満を言おうと口が僅かに動いたのを見逃さず、人差し指を唇につけて止めた。


「今度はナターシャが譲るんだ」


 時空属性と生命属性の組み合わせで時間を巻き戻す。その方法を許可したのだから、俺のワガママも聞いてもらおう。


 真っ直ぐ見つめて気持ちを伝えることにした。


「……………………わかりました」


 ふぅと息を吐いたナターシャから力が抜けた。よし。力業ではあったが、説得できたみたいだな。


「今回は、お兄様の命を使って世界の時間を戻します」

「戻る地点は冒険者ギルドに行く前で頼む」

「プルップとの因縁を作り直すんですね」

「そうだ。全員が生き残るためにプルップとの出会いをやり直そう」

「はいっ!」


 俺の寿命であれば気持ちよく使える。この戦いに勝つんじゃなく、戦いが始まらないように過去を変えていけばいいのだ。


 それが全ての命を救う唯一の方法である。


「で、俺は何をすれば良い?」


 話はまとまったのだが、魔法なんてさっぱり分からない。どうやって俺の命を使えばいいか聞かなければならないのだ。


「魔方陣の上に立ってください。他にすることはありません」

「なるほどねぇ。これが人の寿命を吸い取る禁忌の魔方陣なんだな」


 何気なく見ていたものが、とてつもなく恐ろしく感じる。そんな危ない魔方陣の上で言い争いをしていたのか。ナターシャがその気になったら、強引にでも世界の時間を巻き戻せたと気づく。


 説得が失敗したら大変なことになっていたな……。


「もうむりっす!!」


 外からクライディアの悲鳴にも似た叫び声が聞こえた。


 プルップの分体が大分集まってきたのだろう。早く動けなければ。


 急いで魔方陣の上に立つとナターシャを見る。既に準備を終えているようで目をつぶって聞き取れない言葉をつぶやいている。


 短い魔法言語ではない。やたら長い。


 魔方陣が光り出したのと同時に俺の体から何かが抜き取られていく。


 これが、命を削られて寿命が減っていく感覚なのか。


 大切な何かがこぼれ落ちていくような感覚は、不快感が伴う。ナターシャはこんなのを経験してまで俺を救おうとしていたんだな。


『ワールドトラベル』


 目の前が真っ暗になった。意識だけの体になる。

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