虐げられていた私ですが、借金持ち貴族の生活は快適です

アソビのココロ

第1話

「あふっ!」


 雑巾を顔に投げつけられ、身体が強張ってしまいました。

 ああ、どうして私がこんな目に!


「シンディが掃除なぞしたことがないことはわかっていたが」

「あ~あ、シンディのせいで手が汚れてしまいましたわ。まったく、ちゃんと掃除をしないから」

「もう二ヶ月以上経つのだ。いい加減慣れてもよさそうなものなのにな」


 ヴァーノン叔父様とその娘ブレンダが私を責めます。

 こんなことになったのも、三ヶ月近く前に両親が急に事故死してしまったから。

 借金取り達に詰め寄られて困っていたところに、駆けつけて対応してくれたヴァーノン叔父様。

 その時は感謝すらしたものでしたが。


 以降の扱いはひどいものです。

 使用人達も私に手を貸すと叱られるものですから、遠巻きでビクビクしています。

 ああ、でも仕方ないと言えば仕方ないです。

 私はマリガン子爵家の娘とはいえ、何もできない一〇歳の子供ですから。


 でも掃除は結構上手になったと思うんですけれども。

 まだまだなんでしょうか?


「ところでそろそろ三ヶ月だ。継承手続きの期限だぞ? サインする気になったか?」

「そ、それは……」


 マリガン子爵家の正統な後継者は私です。

 しかしヴァーノン叔父様はその座を譲れと言っているのです。


「シンディが三ヶ月待てと言うから待ったのだ。何も変わらんことがわかったか?」

「……」


 貴族でなくなれば私には何も残らない。

 叔父様は嬉々として私を追い出すでしょう。


「お前などに貴族の義務は果たせんのだ」

「……」


 ヴァーノン叔父様の言う通りです。

 私みたいな子供では、領民のことも納税のことも社交のことも何一つわからないのです。


「シンディ、あなたの決断が遅いから皆が迷惑しているのよ?」

「……」


 ブレンダの言うことももっともなのです。

 わかっているけど怖い。

 家から放り出されたら生きていけないから。


「あの、家に置いていただけませんか?」

「ああ? それはムリだぞ。お前は何もできないではないか」

「そうよ。シンディなんか役立たずなんだから」

「……」


 ああ、やはり私は追い出されるのですか。

 目の前が真っ暗になります。

 と、ヴァーノン叔父様が思い付いたように言います。


「そうか、わかったわかった。生活の保障がないから困るということなのだな?」

「は、はい」

「では今すぐサインすれば金貨五枚をくれてやろう」

「えっ?」

「俺も手続き期限が来て強制執行になると、余計な手間になるからな」


 金貨五枚あれば当面食いつなげます。

 その間に見習い住み込みで働けるところを探そう。

 少し希望が出てきました。


「それでお願いします」

「ふむ、では金貨五枚だ」

「ありがとうございます」

「お父様は甘いのですわ」

「そう言うな。シンディ、ここにサインを」

「はい」


 ああ、これでマリガン子爵家と完全に縁が切れてしまいました。


「とっとと出て行くがいい」


          ◇


「さて、これからどうしよう?」


 荷物まとめもそこそこにマリガン子爵家邸を出、繁華街を歩いていた私は考えました。

 まず宿を探そう。

 宿の主人なら顔も広いに違いないから、私でも働けるところを紹介してくれるかもしれない。

 うん、我ながらいい案じゃないかな?


 少し元気が出たところで横柄な男にぶつかってしまいました。


「痛え! どこ見て歩いてるんだこのチビ!」

「ご、ごめんなさい」


 私は避けましたよ。

 向こうからぶつかってきたように見えたけど。


「足が折れちまったじゃねえか。治療費金貨五枚寄越せ」

「そ、そんな!」


 金貨五枚は私の全財産です。

 何としても守らなければ。


「さっさと出せオラ!」

「や、やめてください」


 ボコボコ蹴られます。

 い、痛い。

 足のどこが折れているんだろう?

 ただの言いがかりではないですか?


 その時誰かが声をかけてきました。


「おや、シンディ嬢じゃないか」

「えっ?」


 ええと、あっ、時々家に来てくださっていた金貸しの息子さん?

 歳は私より少し上であるだけだと思うのですけれども、ボディガードを二人も連れていて堂々として見えます。

 私を助けてくださるのでしょうか?


「ねえ君、彼女はうちの大事なお客様なんだ。勘弁してやってくれないかな」

「ああ? このガキはオレの足を折りやがったんだ。落とし前つけるまで待ってくんな」

「足ねえ。おい」

「はっ」


 金貸しの息子さんのボディガードが、言いがかり男の足を折った?


「ぎゃあああああああ!」

「おお、確かに折れているね」

「き、貴様……」

「ボクは親切だから治療してあげよう。事務所まで来てくれ。何、礼には及ばないよ。シンディ嬢も来てくれるかな?」

「は、はい」


 おかしなことになりました。

 そうだ、私も金貸しさんには事情を説明しておかないといけません。


          ◇


 ――――――――――金貸しブラック金融事務所にて。


「ははあ、シンディ嬢はあのヴァーノンに爵位を譲るという書類にサインさせられて、おっぽり出されたわけか」

「は、はい」

「外道だな、ヴァーノンは」


 金貸しさんは丁寧に私の話を聞いてくれます。

 それどころか叔父様の所業に対して、皆が怒ってくれているようです。


「申し訳ありません。借金をお返しできなくなってしまいました」

「いや、それはいいんだぜ? 金貸しは担保を取るもんだからな」

「ハハッ、シンディ嬢は律儀だね」


 そういうものなのでしょうか?

 すごい額の借金だったと思いますけど、それに釣りあう担保とは?


「あの、ヴァーノン叔父様は父の残した借金など知らんと突っぱねるかもしれません」

「ああ、そうだろうな。でも構やしないんだ。証文があるからな」

「はあ……」


 証文があれば、当人や相続人じゃなくても借金を取り立てられるのでしょうか?

 私にはよくわからないです。

 金貸しさんの部下の一人がやって来ました。


「ボス、先ほどのドチンピラが吐きましたぜ」

「おう、どうだった?」

「ヴァーノンの娘ブレンダに依頼されて、シンディ嬢に絡んだんだと」

「えっ?」

「だろうな」


 あっ、だから私が金貨五枚持っていたことを知っていたのですか。

 何てひどい。


「ハハッ、クソ野郎の娘はやっぱりクソだな」

「笑いごとじゃありませんよ。シンディ嬢が泣いてしまっているではありませんか」

「金貸しさんの息子さん……」

「ああ、ボクの名はプロキオンです」

「プロキオンさん」


 何て優しいのでしょう。

 私の父がお金を借りたというだけの間柄でしかありませんのに。

 金貸しさんファミリーは怖い人達かと思っていましたが、どうやら私の誤解だったようです


「私は何もできなくて……」

「そんなことはねえよ」

「ええ。シンディ嬢の淹れてくれたお茶はとても美味だった。よく覚えています」

「あ……」


 お茶を淹れるのは私の得意なことです。

 それを知っていてくださるとは。


「あの、私をここで働かせてもらえないでしょうか?」

「おう、その気になってくれたか。ありがてえな」

「えっ?」

「シンディ嬢は王立ノーブルスクールの入学までまだ丸一年あるでしょう? しっかり勉強してくださいね」

「えっ?」


 何故働きたいのにノーブルスクール入学の話が?

 わけがわからないです。


「飯にしようぜ。シンディ嬢、今日はゆっくり休んでくれ。明日ヴァーノンを型に嵌めちまうからよ」


          ◇


 翌日、ブラック金融の皆さんとともにマリガン子爵家邸を訪れました。

 もう二度とこの家に帰ってくることはないと思っていたけれど。


「ば、バカな!」

「本当なんですよ。これ、証文の魔術コピーです。差し上げますので」


 ヴァーノン叔父様が証文の魔術コピーを穴の空くほど見つめてブルブル震えている。

 魔術コピーは王国印刷局が本物の書類に限って認めた複製のことで、誤魔化しは利かないとされています。


「ま、まさか子爵位そのものが抵当に入っていたとは……」

「昨日たまたまシンディ嬢から事情を聞くことができましてね。ヴァーノン殿が子爵位を継ぐのであれば、借金返済の義務がヴァーノン殿に発生しますので、注意喚起にまいりました」


 あっ、お父様個人ではなくて、子爵が借金をしたという格好になっているのですね?

 ようやく納得できました。

 型に嵌めるとはそういうことだったのですか。

 叔父様はどうする気でしょう?


「もちろん期限までに借金を払っていただければそれで構わないですよ」

「こ、こんな莫大な金額は払えるわけがない!」

「もうヴァーノン殿は子爵位を継いでしまわれましたかな?」

「い、いや、まだだ。今日書類を典礼省に提出しようと思っていたところでな……」

「ああ、ヴァーノン殿は大変ツイておられる」


 金貸しさんのにこやかな顔とヴァーノン叔父様の恨みがましい蒼白の顔が対照的です。

 ブレンダがすごい目で睨むけど、私は知らなかったの。

 どういう契約になっていたかなんて。

 そして何故私がブラック金融の皆さんに親切にされるのかも。


「確か爵位継承届出の期限が……」

「九日後だ」

「ああ、そうでしたな。で、どうされます?」

「し、子爵位は諦める」

「お父様っ!」

「賢明な判断ですな」


 とても愉快そうな金貸しさんと息子のプロキオンさん。

 ああ、ブレンダが情けなさそうな表情になりました。

 でも元に戻ったたけではないですか。


「ではシンディ嬢がサインしたという、爵位譲渡に関する書類を拝見させていただけますか?」

「これに」

「破棄してしまってよろしいですね?」

「ああ」

「では、遠慮なく」


 ビリッビリッっという音が何度もして私がサインした書類はバラバラになり、暖炉にくべられ燃え尽きました。


「はい、これでヴァーノン殿はマリガン子爵家とも借金とも無関係になりました」

「ああ」

「爵位継承手続きについては当方で滞りなく済ませておきます。それからこの屋敷については九日後までに明け渡していただければ結構ですので」

「わかっておる」

「では、本日はお時間を取っていただき、ありがとうございました」


          ◇


 ――――――――――金貸しブラック金融事務所にて。


「よし、これでマリガン子爵家はシンディ嬢のものだ。栄光の未来に乾杯!」

「「「「「「「「かんぱーい!」」」」」」」」


 ブラック金融の皆さんが大喜びです。

 私は子爵家当主になれるようです。

 でもまた借金持ちになってしまいました。


 借金取りさんが言います。 


「いや、必ずしもシンディ嬢は借金を返す必要はねえんだぜ」

「は?」


 どういうことでしょう?


「ここに先代子爵の覚書がある」

「お父様の?」

「契約書じゃねえんだ。法的拘束力はねえんだが」

「拝見します」


 ええとプロキオンさんに私を娶わせ、マリガン子爵家を継ぐ?

 思わず金貸しさんとプロキオンさんの顔を見てしまいます。


「先代は立派だった。どうして借金こさえたんだか、シンディ嬢は知ってるかい?」

「領内で治水の大工事をしたところ、天候不順による飢饉に襲われた。それで借金に借金を重ねてしまったと……」

「そうだ。あの辺の領主で増税しなかったのは先代だけだぜ」


 そうだったのですか。

 爵位を質に入れてまで資金を回し、領民を救ったのですね。

 涙が出ます。

 お父様領主の鑑です。


「俺はマリガン子爵領の出身なんだ」

「そうなんですか?」

「うちには俺以外にも子爵領の貧農出身者がいる。先代は少しでも農家の所得を上げようとしてくれてたんだ。俺らはしがない金貸しに過ぎねえが、先代の心意気には胸を打たれたぜ。ヴァーノンなんぞが領主になって領民を泣かせたんじゃ、先代が浮かばれねえ」

「先代子爵がどういうお考えでボクとシンディ嬢の婚姻を考えたかはわからないけど」

「俺には何となくわかる。もし借金を返せねえとしたら、先代は自分に何かあった時だと考えていたんだろうぜ」


 お父様がもし亡くなった時は、ブラック金融を頼れということだったのですか。

 ヴァーノン叔父様ではなく。


「先代が亡くなった時は大勢で押しかけちまって悪かったな。俺達も泡食っちまってよ」

「いえいえ、とんでもありません」

「シンディ嬢にはおおまかに三つの選択肢がある。子爵となり借金返済の道を歩むこと。子爵位をブラック金融に引渡し平民となること。そして……」

「はい、私はプロキオンさんに嫁ごうと思います」


 歓声が上がります。

 皆さんが喜んでくれるのですね。

 嬉しいです。


 今の私に領政なんてとてもムリです。

 領民になるたけ苦労をかけないためには、多くの人の助けが必要です。

 お父様が考えていたのはそういうことなのでしょう。


「では婚約成立だな」

「プロキオンさん、よろしくお願いいたします」

「ええ、よろしく」


 照れたような顔がお可愛らしい。


「私は何をすればよろしいのでしょうか?」

「勉強だな」

「ノーブルスクールの入学に向けてですね」

「えっ?」


 昨日も言われたけど、そこで何故ノーブルスクールの話が?


「うちは金貸しだけじゃなくて、商売にも手を広げ始めているんだ」

「財務状況の悪い商会を買収したりしてですね。しかしまずまずと言っていいのかパッとしないと言うべきなのか」

「いかんせん金貸しがバックでは弱いんだな」

「なるほど、それでお父様を抱きこんで貴族の信用を得ようとしたと」

「そういうことだ、シンディ嬢」


 これはわかります。

 だからそこに私の価値があると見出しているのですね?


「信用という面では、同じ貴族でも金で爵位を買い取ったのでは効果が薄いんですよ。先代子爵の血を引いているシンディ嬢でなければ」

「ノーブルスクールでシンディ嬢の成績がよければ、マリガン子爵家だけでなくその婚約者筋のブラック家の評価も上がるって寸法よ。また人脈を広げてくれればありがたいな」

「ブラック家の商売がうまくいけば雇用の創出にも繋がるんだ。領民も豊かになる」

「はい、よくわかりました。頑張ります」


 私がノーブルスクールで、いい意味で目立つほどよろしいということですね?

 努力がそのまま成果になるのなら、張り切り甲斐もあるではありませんか。


「なるべく早く落ち着いた環境と家庭教師を手配するからな」

「はい、よろしくお願いいたします」

「父さん、その前に子爵領政の様子を見に行かないと」

「おお、そうだった。うっかりしてた」


 バタバタと物事が動き始めました。

 一昨日までの延々と屋敷の掃除をしていた私がウソのようです。


「でも今日はここまでだ。シンディ嬢、甘味処でも行きませんか?」

「はい、お供いたします」

「おうおう、親睦を深めてこい」


 プロキオンさんに手を引かれて外へ。

 にこと笑いかけてくれる。


「シンディ嬢が婚約者なんて夢みたいです」

「そ、そうですか?」

「そりゃそうですよ。貴族の御令嬢ですからね。生きる世界が違うと思っていました」


 やや俯くプロキオンさん。


「……金貸しなんて、どこへ行っても蛇蝎のごとく嫌われるものです。しかしシンディ嬢はいつも丁寧に応対してくれました」


 お客様にお茶をお出しするのは、侍女ではなくて私の役目でした。

 プロキオンさんがおいでくださると、いつも微笑みかけてくれていたのは覚えています。


「可愛いお嬢さんだとお邪魔するたび思っていたんですよ」

「ありがとうございます」

「ボク達には足りないものが多過ぎる」

「ええ」


 年齢も経験も知識も技術も。

 プロキオンさんが私の目をしかと見ます。


「あなたとともに成長していけることを嬉しく思います」

「私もです」


 ああ、ドキドキします。

 これが甘酸っぱい思いというものなのでしょうか?


「ところでマロン亭がその名の通り栗の新作スイーツを最近提供しているんですよ。御存知でしたか?」

「あっ、知りませんでした」


 最近はずっと家事手伝いばかりでしたから。

 甘酸っぱい思いはどこへやら。

 頭の中が甘々の新作スイーツで占められてしまいました。


「ハハッ、急ぎましょうか」

「はい!」


 握る手に力が込められ、にっこり微笑み合います。

 今日だけは栗に思いを馳せて。

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虐げられていた私ですが、借金持ち貴族の生活は快適です アソビのココロ @asobigokoro

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