第二の噺/件の騙り(3)

   ***


 くつくつとぐつぐつと、大根が煮えている。

 大根が、煮えている。

 大量の大根おでんが。

「美味いとは聞きましたが、これでは三食大根ですね」

「大根で満足してる、サァカスのやつらすっげぇなぁ」

「はて……もし、あなたたちは?」

「久世さん! この人らは『魍魎探偵』ですって! それじゃあ、アタシは行くわ!」

 お尻をフリフリ、愛子は去って行った。

 延焼を防ぐためか、外に設けられた厨房。そこでは竈の火に、鍋がかけられていた。

 輸入が途絶えて、天然ガスが貴重な資源となってから久しい。常世の『人の発展を好まない性質』もあり、停滞、あるいは麻痺した技術も数多かった。結果、電力も高価となっている。行き渡っていない村や街も多い。そうして、人は昔のように火力に頼る面が大きくなった。

 料理の負担も増えたといえる。

 特に、妊婦ならばなおさらだ。

「赤ちゃんがいるのですか?」

「ええ、そうです」

 目の前の穏やかそうな女性に、皆崎はたずねた。大きなお腹をさすりながら彼女はうなずく。それを聞き、ユミは瞳を輝かせた。小柄な体で、ユミはぴょんぴょんと飛び跳ねる。

「なぁなお、俺様によう、そのお腹を撫でさせちゃくれねぇかい? いや、ダメならいいんだけどよ! この俺様が優しくナデナデーってしてやったら、赤子も喜ぶと思うぜぃ!」

「ユミさん、コラコラ」

「ふふっ、いいですよ。この子も嬉しいと思います」

 そう、久世の奥方は笑った。

 わぁっと、ユミは駆け寄る。彼女がお腹を撫でる間に、皆崎は奥方の名前を訊いた。

 久世。大きく張りだしたお腹の中にはもうずいぶん育った子供がいるという。

 そこに、ユミは許可をもらって耳をつけた。くふふっと笑って、ユミは目を閉じる。

「動いている音がするぜぇ! こいつはもうすぐ生まれる子だな!」

「ええ……本当はもうじきにでてくるはずです」

「……なにか、心配でもあるんですか?」

 眉根を寄せて、皆崎はたずねた。

 ええ、と茉莉奈は言葉を濁す。少し考えたあと、彼女は口を開いた。

「あの……『死なない件』は本当に件なんでしょうか?」

「なぜ、そのようなことをお聞きに?」

 あくまでも穏やかに、皆崎は問い返す。茉莉奈の表情は、それだけ暗かった。

 きゅっと、彼女は唇を噛んだ。悩みに悩んで、茉莉奈はささやくような声で告白する。

「だって、団長がどんどんおかしくなるんですもの。金だ、金だ、『死なない件』様、って。まるで阿呆のよう。それで人にもいっぱい憎まれ、怨まれてもいます」

「うん、わかりますとも」

「このままだと、あの人は遠からず死んでしまいますわ!」

「……まあ、そうでしょうねぇ」

 皆崎は応えた。それは、件でなくとも予測できることだ。

 この混沌とした国内で、ときの富豪や権力者を相手に、『三分の一の確率でしか当たらない予言』をするなど正気の沙汰ではない。いずれは、大ハズレをかまして殺される。それこそ、夜市の鍋の中でぐつぐつ煮こまれることとなるだろう。団長おでんの完成だ。

 そこで大根だらけの鍋が泡を吹いた。炭を動かし、火を調整しながら、茉莉奈は続ける。

「それで、どうです? あの件はやはり偽物なのですか?」

「いえ、アレは僕の見立てじゃ本物ですね」

 残念ながらと皆崎は告げた。カランッと茉莉奈の手からトングが落ちた。あんぐりと彼女は大きく口を開く。がしっと茉莉奈は皆崎の肩をつかんだ。勢いにユミがひぇっと言う。

 唾を飛ばしながら、茉莉奈は声を荒らげた。

「でも、『死なない件』は件では!」

「いいえ、いいえ。『人面牛』で『牝牛から生まれ』、『人の言葉で予言もする』……それなら、アレは件でしょう。特に、僕は件という存在のカンジンカナメは、『予言をする』ことにあると考えていますんで、これだけ要素を満たせていれば十分ですよ」

 落ち着かせるように皆崎は語った。口惜しいというように、茉莉奈は唇を強くひき結ぶ。

 なぜか、その目には大粒の涙がたまった。皆崎から手を離すと、茉莉奈はうなだれる。ゆっくりと、彼女は自身の膨れた腹を撫でた。どこか哀れな様子を眺め、皆崎はつけ足す。


「ただし、『件』として、アレは半端モノですが」

「私の『死なない件』のどこが半端だ!」


 そのときだ。台風のごとく、嵐が突っ込んできた。

 団長という、暴風の塊だ。

 なぜここにと、皆崎とユミはギョッとする。見れば、団長のすぐ後ろには、ぼうっとした大柄の男性も立っていた。サァカスの総員の中で、まだ会っていない人間を考えるに『裏方の久世の夫婦』の『怪力の旦那のほう』だろう。彼に向けて、茉莉奈は声をあげた。

「あんた、団長を呼んできちゃったのかい?」

「帰ってみたら知らない人がいたから、お客が迷いこんだのかと思って……」

「貴様ぁああああああ! 私がうっとり『死なない件』を眺めているうちに入りこむとは! 金、金、入場料と予約飛ばし料と侵入料と慰謝料とお詫び料と謝罪料、全部払え!」

「催眠が解けている? 『魍魎探偵、通すがよかろう』!」

「やれやれだぜ」

 そうして団長と皆崎はどったんばったんをくりかえした。

 騒ぎの間、『死なない件』を見ているものはいなかった。


 それがいけなかった。


 メインのテントに帰ってみれば、『死なない件』は殺されていたのだ。


 背中にぶっすり、ナイフを突き刺されて。


   ***


「あああああああ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 悲痛な声が、サァカスにひびきわたる。

 叫び、怒り、嘆き、団長は大粒の涙を落とした。ぽろぽろ、ぼろぼろ、塩辛い水の塊が落ちる。さらに、団長はもう冷たくなりはじめている人面牛の亡骸を撫でさすった。驚いたことに、その手つきの中には本物の労りと優しさがふくまれていた。

 何度も、何度も、『死なない件』を撫でながら、団長はくりかえした。

「ああ、痛かったろうねぇ。辛かったろうねぇ。ごめんねぇ。かわいそうに。かわいそうに。なんで死んでしまったんだ、私の件、私の金、私の神様」

 ぼろぼろ、ほろほろと、団長は泣き続けた。だが、急にキッと唇をひき結んだ。

 憤怒と殺意に顔を赤く染めて、団長は吠えたてる。


「誰が、私の『死なない件』を殺したんだ!?」


 シンンッと、あたりは鎮まり返った。返事はない。

 この場には、団長と皆崎とユミと愛子、ナイフを回している羽金青年に、久世の旦那に背負われた矢嶋の姐御、茉莉奈がそろっていた。だが、誰も彼もが目をそらす。

 それも当然だ。ここで、『ハイ、私が犯人ですっ!』と名乗りでるものあれば、すでに団長に殺されている。ふーっふーっと団長は息を荒らげた。ヨダレの泡が顎を伝って滴り落ちる。恐ろしいことに、そこには血と、噛みしめすぎて砕けた奥歯が混ざっていた。

 彼の怒りは、臨界点を越えている。

 このままでは全員が殺されかねない。

 そう、皆崎とユミが危惧したときだった。

「『魍魎探偵』さんと助手さんと団長と久世さんたちはいっしょにいたって言うから、容疑の外ね。それでアタシは団長の大切なハニーちゃんだから、そんなことしなくってよ!」

 ツンッと、鼻を高くあげて、愛子が謳った。皆崎が口を開く。

 だが彼がなにかを言う前に、彼女は天井を仰いだまま続けた。

「凶器を調べてみれば、わかることもあるんじゃなくって!」

「そ、そうだな。愛ちゃんの言う通り、現場検証は大事だ!」

 団長は応える。彼は『死なない件』の背中に刺さったナイフをえいやっと抜いた。どろりと体の奥深くから血が溢れる。これだけ深く刺されていた以上、件は即死だっただろう。

 そしてナイフの刃には、Jの字の刻印があった。

 羽金青年が、すっとんきょうな声をあげる。

「ええっ!? 僕のナイフ!?」

「んん? なんで、Jなんでぃ?」

「単にかっこいいから、なんとなく……でも、なんで、僕のナイフがそんなところに! 見てのとおり、こうして、僕はナイフをずっと回し続けていて、一本の欠けもないのに!?」

「ほら、ご覧なさい、白状したわね! こんなの自白とおんなじよ! ずっと羽金君はナイフをくるくる回してる。そこから誰も凶器は奪えない。なら彼が殺したに違いないわ!」

「そ、そんなぁ」

 あんまりな愛子の決めつけに、羽金青年は情けない声をあげた。

 団長はナイフを握りしめる。冬眠から目覚めた熊のような声を、彼は腹から押しだした。

「おまえかぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

「ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

 赤色の暴風と化し、団長は突進する。そのさまは猪突猛進の闘牛がごとし。人間に止められるとは思えない。ナイフを回し続けながら、羽金青年は哀れな叫びをあげた。

 ガチリと、皆崎はキセルを食んだ。

 ひと吸い、ひと吹き、ひと言。

「遅れましたが見つけた。『騙り』だ」

「なら……やるってのかい? 皆崎のトヲルよぅ!」

「ああ、そうですともさ」

 皆崎は山高帽をかたむけた。

 他の面々はキョトンとしている。その中で、団長は羽金青年を刺そうとナイフを振りあげた。パンッと、ユミは手を叩く。団長の動きは急にスローモーションになった。そこに音が重なっていく。パンッ、パンッ、パパパパッ、パンッ!

 柏手のごとく音がひびく中、『魍魎探偵』は宣言した。


「これより、『謎解き編』に入る」


 誰が、『死なない件』を殺したのか。

 なぜ、『死なない件』は殺されたのか。

 なぜ、『死ねない件』より、手紙が届いたのか。


 パンッと、ユミは音を鳴らした。


「乞う、ご期待!」

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