第二の噺/件の騙り(2)
***
「これが、うちの『死なない件』です……アレ、なんで私はお金をいただいてないんだ?」
「『魍魎探偵、通すがよかろう』!」
「えっ、エエ、そうです。存分にご覧あ、れ……あれれ? お金」
「『魍魎探偵、通すがよかろう』!」
「金」
「『魍魎』!」
「…………すげえな、このオッサン」
やや苦労をしながらも、皆崎とユミは『死なない件』と会った。
サーカスの中心、円形の舞台。そこに金の檻が置かれている。
中では、人面牛がのんびりと草を反芻していた。
間近で眺めて、ユミはわーっと声をあげる。本当に、牛の体にのっぺりとした──不気味だが、特徴はないといえばない──人間の顔がついていた。ずいぶんと長く、牛は沈黙を続けた。だが、皆崎とユミを見上げると、ゆっくりと口を開いた。
「『おまえたちは末永く、いっしょに旅をする』」
「聞いたかい、皆崎のトヲルよぉ? コイツ、いいこと言うじゃねぇか!」
「うーん、それだと僕は困るんですがねぇ。あなたさん、もしや適当を言ってませんか?」
しんっと、沈黙が落ちた。
人面牛は返事をしない。ソレはまた、興味なさそうに草を食みだした。たずねられたことを考えている様子すらない。自分がナニを口にしたのかをも、わかってはいなさそうだ。
ふむと、皆崎はキセルを噛んだ。アララと、ユミは首をかしげる。
不思議そうに、彼女は言った。
「アレ? コイツ、人語を使えるけど、もしかして理解してるワケじゃないのか?」
「それに『死なない件』の体は牛だ。蹄ではペンも鉛筆も持てない……しかも、金の檻に入れられている」
ぐるうりと、皆崎はあたりを今一度確認した。
檻の格子は太く頑丈だ。過去に破られた形跡はない。加えて檻からサァカスの入り口までは距離があった。金の亡者な団長が行って戻ってくることを許すとはとうてい思えない。
つまり、ポストにはたどり着けず。
手紙など書いてだせるはずもなく。
皆崎は煙を吸いこんだ。ふぅっと白蛇がごとく、細く吐いてささやく。
「ならば、誰が件を騙ったのやら」
***
サァカスには、他にも人員がいるはずだ。
たとえば、チラシにはこう書かれていた。
空中ブランコ。ナイフ投げの達人。骨なしの少女。
だが、これほどまでに大規模なサァカスに、これっぽっちしか人員がいないのは異常事態である。『船頭多くして船山に登る』ともいうが、三人の船員で軍艦の運航はできない。まあ裏方はいるだろう。……と皆崎たちは考えたのだが、なんと団長を除く面々は──後から入ったという飯炊きの女性と、大道具係の男をくわえても──総数五人だけであった。
あきれた話である。しかし────、
「これでも多いほうですよ!」
そう、ナイフ投げの達人は言った。
なぜ、彼が達人とわかったのかというと、溢れでるオーラのせい、などではない。常にナイフを操っているせいだった。彼はナイフを投げては受けとることをくりかえしている。
ナイフ・ジャグリングだ。ときたま刃が指をかすめているが、ご愛嬌というものだろう。
スタタタタタタタッとジャグリングを続けながら、達人こと──
「いえ、昔はもっといたのですがね? それこそ客とサァカス団員のどっちが多いのかわからないくらいでしたよハッハッハッ! でも、あれよあれよという間に『死なない件』を目当てに客が集まるようになりまして。演目をどれだけ減らそうが気にもされないもんですからドンドン、クビにしたんです。僕らが残されていることのほうが奇跡ですよ!」
「あなたさんたちが、貴重な団員として選ばれた理由はあるんで?」
「ありますとも! まず、僕は団長の甥っ子で、生まれながらにナイフを触っていないと落ち着かない性質なので再就職先がないからです!」
「どういう性質だよ」
「お医者様の話では『先天性ナイフ欠乏症』だとか」
ユミの言葉に、羽金青年はさらっと本当か嘘かわからないことを告げた。そのさわやかな顔には、嘘を言っている様子はない。ううんと、皆崎はうなった。世の中の律は常世と混ざって乱れている。確かにおかしな病気は増えた。そしてヤブ医者の数もそれより多い。
さらにナイフの動きを加速させながら、羽金青年は続けた。
「あとはですね……軟体の愛ちゃんは団長の恋人だし、空中ブランコの
「果たして、経営難とは別の意味で大丈夫なんですか? このサァカス?」
「俺様も、ちょっとばかしヤベェんじゃないかと思うぜぇ」
「あと、飯炊きと大道具の久世さん夫婦は、なくてはならない人らなんですよ。いやね、演者を一斉にクビにしたら、その恋人だとか家族だとか友人だとかで、裏方もみぃんな消えちまいまして……困ってたときに、久世さん夫婦がタダでもいいから置いてくれってやってきてくれましてね」
渡りに船でしたと、羽金青年は声を弾ませる。
ほぉっと、皆崎はキセルを振った。
「そりゃ、気前のいい話だ」
「でしょ? タダより高いモンはないって言うけど、奥さんの飯は美味いし、旦那さんは怪力だしで、あれ以上のふたりはいやしませんぜ。よく働いてくれるから、おかげさまで、僕らも毎日にっこにこです」
ナイフの回転は、もはや見えないほどに速くなっている。銀色の残像が、きれいに円を描いた。そのさまは、回遊魚が死にものぐるいで泳いでいるかのようだ。
まあ、空中を舞う魚がいるのかという話だが。
高速でナイフをさばき続けている羽金青年に、皆崎はたずねる。
「それで、あの『死なない件』はもとはどこから?」
「確か、サァカスに金がないときです。借金で主が逃げた牧場に、団長がこっそり牛乳をもらいに行ったら、ちょうど牝牛が生んだんだ。あっ、件だ。もって帰ってひと儲け……と思ったら、最初の予言のあとも死ななくて、ふた儲けもさん儲けもできたんですよねぇ」
「盗みじゃねぇかよ」
冷静に、ユミがツッコむ。ハッハッハッと、羽金青年は笑って誤魔化した。
ふむと、皆崎は山高帽を押さえる。考えながら、彼はつぶやいた。
「……確かに、牝牛の胎から生まれているわけ、か。ありがとうさんです。それじゃ」
「はいはい、どーも。サァカスが高級予約制になって以来、『死なない件』の客ばっかりで僕らはとっても暇なのでゆっくりしていってくださいな」
そこで、彼のナイフ捌きは限界を迎えた。
あまりの速さに両手が追いつかず、指がつるりと滑る。トストストストスッと、ナイフが縦に並びながら落ちた。足の甲をきれいに貫かれて、羽金青年は甲高い悲鳴をあげる。
「イッタアアアアアアアアアアアアアアアイ!」
間抜けな声は聞き流し、皆崎とユミは歩いた。
そうして、巨大なテント裏──併設された、小テントへとたどり着いた。ふたりは直につながった入り口をくぐる。中へと、足を踏みいれた。あたりは灯りを消されているのか、まっくら闇だ。離れないように、皆崎の手をつかみながら、ユミは訝しげな声をあげた。
「なんのために、テントがふたつもあるんだぁ?」
「ひとつは『死なない件』専用で、もうひとつは……」
「それは、それはね!」
「アタシたちのため!」
低い声と、高い声が鳴りひびく。
カッと、テントに灯りがついた。
その中心で、空中ブランコが揺れた。
***
たったったったたーららんたん!
たったったったたーららんたん、たん!
「ハッ!」
ドーム型の天井近くで、人間が回転した。
飛びこみの演技のごとくぴんっと伸ばした足を抱き、その人はくるくると回る。くるくるくるくる。だが、永遠に滞空はできない。その人は落ちた。だが、揺れて戻ってきたブランコを器用につかむ。ギシっと音の鳴ったあと、かの人はブランコのうえに立っていた。
拍手喝采! 万雷の歓声がひびく!
「ブラボーブラボー、ブラビッシモ!」
だが、実のところその音の主は軟体の少女、愛子ただひとりだ。とにかく、彼女は声がデカい。愛子が手から喉からだす音は小ぶりなテントの天井にぶつかり、ひびきわたった。
やがて、空中のブランコ演者は動きを止めた。するすると、銀色のブランコが地面近くまで降ろされる。その人は皆崎と視線をあわせながらも、ブランコに乗ったままで言った。
「うふふ、『空中依存症』なもので、浮いたまま失礼します。矢嶋です。ハジメマシテ。降りたら死にます。うふふふふ」
「……色々と言いたいこともありますが、すべてを呑みこみまして。はい、はじめまして」
「うふ」
ブランコに腰かけて、矢嶋という人物は怪しく笑う。
その頭は禿頭で、大きな唇は紅い。痩せた体は愛子と同様にスパンコールを貼ったタイツに覆われていた。だが、矢嶋のほうには特徴がある。または、ない。つまるところ、性別が謎に包まれているのだ。肌にぺたりと張りついた布地には、上にも下にも起伏がない。
中性的であり、両性的でもあった。
あーと悩んだあと、皆崎は口を開いた。
「それで、『死なない件』についてお聞きしてもよろしいか?」
「まあ、私の話が長いのを予測して、世間話を避けたのですね! お見事、見事。でも、ダァメ。ゆっくり、じっくり、ぺったり、私とお喋りしていきましょうよ」
「矢嶋の姐さん! ソイツらにはね、愛子が話があるの! いいかしら?」
舞台端から、愛子がデカイ声を張りあげた。
あらあらうふふと、矢嶋は笑う。そのまま、糸を伝う蜘蛛のごとく、かの人はスゥッと空中に吊りあげられていった。見れば、愛子が壁から生えたレバーで高さ調整をしたのだ。矢嶋を上へと送りだし、愛子は客席に移動した。お尻を突きだして、勢いよく腰を下ろす。
そして、チョイチョイと皆崎とユミを手招いた。顔を見あわせながらも、ふたりは移動する。皆崎たちが間近にくると、愛子は声を殺してささやいた。
「危なかったわね、アンタたち! 矢嶋の姐さんは話が長いから、捕まったらもう終わりよ! 人生譚から、将来の夢まで、みんな聞かされるハメになるわ!」
「そりゃ、存在自体が罠みたいなお人ですねぇ」
「踏んだら終わりって意味だと、地雷のほうが近くねぇか?」
「とにかく! アンタたちには貸しがあるから、助けてあげたのよ! フンッ! 普通ならこんなことしないんだからね!」
「貸し、とは」
「団長を救ってくれたでしょ!」
ツンッと鼻をうえに向けつつ、愛子は言った。ああと皆崎はうなずく。意外にも愛子は義理がたい性質らしい。照れたのか、彼女はふんっと足を組もうとした。だが、顔をひきつらせてすぐにもどす。どうしたのかと見ると、タイツ越しに分厚く包帯が巻かれていた。
「怪我を?」
「ええ、前のナイフ投げの演目のときに、ブスウッと刺さっちゃって。お医者様のところに運んでもらって緊急手術……抜くのが大変だったのよ……そんなことより、アンタたち、『死なない件』について嗅ぎ回ってるそうじゃない! なんで、なんで?」
「……それは」
「盗みだしたいのなら、力を貸すけど」
「……はぁ?」
思わぬ申しでに、ユミは首をかしげた。その表情を見て、愛子は鼻を鳴らす。
どうやら、期待外れだと気がついたらしい。腕を組んで、彼女は続けた。
「なーんだ、サァカスの裏にまでわざわざ回るなんて、ドロボウかと思ったのに! ここは『死なない件』のせいで、舞台を追いだされたアタシたちが、暴れに暴れて団長に作らせた、もうひとつの舞台。誰の目にも入らない場所だってのにさ!」
「そんな場所を恋人のためとはいえ作るとは……あの団長もケチなのか、そうでないのか」
「ここも、よくわかんねぇヤツらばっかりだなぁ、皆崎のトヲルよう」
大きく、ユミはため息を吐いた。
その前で、愛子はツンッと天井を向く。ふんっと、彼女は鼻の穴をふくらませた。
「なによなによ。アンタたちだって、よくわかんないじゃない! さらに言うなら、アヤシイわ! ヘンテコリンだわ! いったいぜんたい何者よ!」
「僕は『魍魎探偵』でして」
山高帽の端を持ちあげ、皆崎は名乗る。
ナニソレと聞かれるかと思えば違った。パチパチと、愛子はまばたきをする。
「魍魎? それって、妖怪のことよね。その探偵?」
「そう、ですが。ナニカ?」
「アラ、それならちょうどいいわ。
足をかばいながら立ちあがり、愛子はお尻を振りながら歩きだした。久世の夫婦は裏方のふたりだろう。だが、いったいぜんたい、なぜ、妖怪絡みの専門家を求めているのか?
皆崎とユミの覚えた疑問に、愛子は続ける。
「『死なない件』が偽物じゃないか、疑ってるんですって!」
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