第6話 2
《――当該ローカルスフィアの移管を確認。
同一性保護の為、仮想躯体と接続。
――エラー……基幹部データの影響と考えられます。
――仮想躯体を再構築。
基幹部データを元に、処置を開始します……》
「――ねえ、聞いてるの?」
不満げな表情を浮かべ、そう訊ねてくるのは――ああ、忘れもしない、幼馴染のあいつだ。
いつもの夕暮れの病室。
あいつはベッドで上体を起こして。
俺はベッドの横のパイプ椅子に腰掛けていた。
――これは……夢だろうか?
「ねえ、ってば!」
目の前で手を振るあいつに、俺はうなずきを返した。
胸の奥が熱い。
ああ、泣きそうだ。
夢だとしても、あいつとこうして話せてるのが嬉しい。
「……ああ、聞いてるよ」
きっと俺は、このなんでもない――けれどひどく落ち着く時間を、ずっとずっと求めていた。
――夢でも良い。
今は少しでもこの時に浸っていたい。
「キミ、いっつもそう言うけど、聞いてなかったりするじゃん。
今だってぼーっとしちゃってさ!」
「……悪かったって。
それで、なんだっけ?」
「ほら、やっぱり聞いてない!」
頬を膨らませた彼女は、けれどすぐに苦笑して見せる。
本当にあの頃のままの――いつも通りのやり取りだ。
「だからね、この本の感想!」
と、彼女は俺の前に一冊の文庫本を差し出す。
――機械の国のお姫様。
自然と本の内容が蘇ってくる。
機械の国で、機械人達に囲まれて育ったお姫様は、ある日、外の世界に興味を持つようになる。
そこで機械人達と共に国を整えて、外からお客を招くようになった。
機械人達が見せる催しに、お客達は大層喜び、お姫様にたくさんのお礼を渡し、自国に帰っては機械の国の事を伝える。
お姫様も機械人達も、お客が喜んでくれるのが嬉しくて、さらに催しに力を入れるようになった。
そして評判は評判を呼び、悪意を持った隣国に目を付けられ、機械の国は攻め込まれる。
そんな時、お客としてやってきていた、別の国の王子が機械人達と共に立ち上がり、隣国の兵を撃退しようとするんだ。
強敵の魔女が立ちふさがったり、お姫様が囚われたりするけれど、最後は王子が奮闘して大団円。
よくある王道物語。
「わたしはね、もうちょっとお姫様にも頑張って欲しいなって思ったよ」
「戦いなんて知らずに育った子に無茶言うなよ」
病弱なくせに、気の強いところがある幼馴染に、俺は苦笑してしまう。
「ううん。だってさ、隣国に攻め込まれた時に、泣いてるだけじゃなく、機械人達と一緒に抵抗する事だってできたはずでしょう?」
「機械人達に『戦う』って概念がなかったみたいじゃないか。
そもそも隣国はもてなそうとした機械人達を、だまし討みたいな形で襲撃してる」
「むぅ! キミって、いつもそういう――理屈っぽいトコあるよね!
わたしはやられたなら、きっちり自分でやり返して欲しいって思うんだよ」
それはいつも彼女が言ってた言葉だ。
その謎に強固な信念に、何度巻き込まれた事か。
思い出すと、思わず苦笑がこぼれてしまう。
「だから、王子様に任せっきりにしちゃったお姫様に、ちょっと不満!」
腕組みして頬を膨らませる彼女に、俺は肩をすくめる。
「俺はこの話は、感情を象徴する話なんだと思うな」
感情を持たない機械人。
そんな彼らの中で育てられたお姫様は、当然のように感情が希薄で。
それでも好奇心という感情に駆られて外の世界に目を向け、機械人達と共に楽しいという感情を得る。
隣国は悪の象徴で、彼らに攻め込まれた事で、お姫様は恐怖を知る事になるんだ。
王子は正義と勇気の象徴だろうか?
そんな彼に触れて、お姫様は他者への愛を知るようになる……
「だから、王子が活躍するのは必然というか、お姫様の感情を育てるために必要なことなんだよ」
「――なんでそこで、反抗心を育てないのさ!」
幼馴染はぷぅっと頬を膨らませて、俺の感想に不満げだ。
俺は思わず噴き出す。
ああ、そうだ。おまえならそう言うよな。
「だから、王子が頑張って隣国を追い返したろ?」
「それでも! わたしはお姫様も王子と一緒に立ち上がって欲しかったの!」
理詰めの俺と、感情的な彼女。
……いつも俺達の感想は正反対で。
「キミ、ほんっと、そういうトコだよ?」
「おまえこそ、そういうトコだかんな?」
いつもふたりでこう言って締めて、笑い合う。
……今となっては、ひどく懐かしい――俺の原風景。
ずっと、ここに居たいと思ってしまった。
このままなにもかもを忘れて、彼女と一緒に本を読んで過ごして、時々感想を言い合って。
そんな風に、平穏に過ごして行けたなら……
けれど。
――きっと、待ってますから。
唇に蘇る柔らかい感触と、静かに告げられた言葉。
思わず涙がこぼれた。
「――ちょっ!? なんでいきなり泣き出すしっ!?」
「や……いや、なんでも……なんでもないんだ……」
俺だって、泣くとは思わなかった。
夢だというのに、彼女はひどくあの頃のままで。
「なんでもない事ないじゃん! キミが泣くなんて、小学校でクラスの連中と大喧嘩して以来じゃない!」
幼馴染ってのは、これだからタチが悪い。
良いことも悪いことも、全部覚えてるんだから。
「アレは、アイツらがおまえをバカにしたからだ……」
「そうだよ! キミは人の為にはバカやっちゃうから……だから、今泣いてるのだって、そうなんでしょう?」
本当に幼馴染はタチが悪い。
きっと彼女は、俺の事ならなんだってお見通しなんだ。
「……俺はさ、守れると思ったんだ……」
ぽつりぽつりと語り始める。
仲間を守ろうと戦ったこと。
「きっとうまく行くと思ってた。俺ならって」
けれど、相手は想像以上に強くて――結果、尊敬する人を失い、それで逆上した俺は守ろうとした人に守られる事になった。
すべて俺の思い上がりだった。
「他に……なにかもっと冴えた手があったはずなんだ……けど、俺が思い上がってたから……」
「……はぁ~」
と、それまで黙って聞いていた彼女が、深い溜息をついて、俺の頭に手を伸ばす。
「キミ、ホント、そういうトコだよ!?」
いつもの口調でそう言って、彼女は俺の頭を掻き混ぜた。
「キミはできる限りの事をやったんだろう!? それをなんだい、グチグチと!
――負けた?
だからなにさ! まだキミは生きてるんだ! なら、完全な負けじゃない!」
強引に、俯いていた顔を上げさせられる。
……彼女は、まっすぐに俺を見ていた。
「キミは誰かのために自分から動ける人だ。
わたしはこんな身体だからね。
そんなキミをいつも羨ましいって思ってたよ。
でも、そんなキミの心が、今、折れかけてる」
真剣な顔で、まっすぐに。
彼女は俺の目を見つめる。
「……きっと、物語のヒロインなら、そんなキミを抱きしめて、優しく慰めてあげるんだろうさ」
そう優しく微笑んで。
茜色に染まった病室に、乾いた音が響いた。
視界が勢いよくブレて、頬が熱を持つ。
張り飛ばされたのだと気づいて、俺は――きっと今、驚きの表情を浮かべているだろう。
「――生憎とわたしはヒロインじゃないからね!」
べっ――と舌を出し、彼女は笑みを濃くする。
「キミを待ってる子がいるんだろう? いい加減、目を覚ましなよ!
いつもわたしは言ってたはずだよ?」
人差し指を突きつけて、彼女は胸を張ってその言葉を口にする。
「――やられたら、やり返す! どんな手を使っても絶対に!」
病弱で、俺以外には自発的に誰かに関わる事の少なかった彼女だったけれど。
誰かにイヤな事をされた時だけは、あらゆる手段を使って、それ以上の目に合わせた。
「……そう、だったな」
俺は殴られた頬を手でさすって、彼女にうなずき、パイプ椅子から立ち上がった。
今でも、この場所に居続けたいという想いは強い。
けれど。
彼女はそんな俺を許さないだろう。
俺だって、彼女の幼馴染だ。それくらいはわかってる。
だから。
「そろそろ行くよ」
病室の出口に向かって、俺は歩き出した。
「――うん。お姫様は王子様が助け出すものって、キミは言ったんだ。
ならさ、そうなるように――頑張れっ!」
「――ああっ!」
その声に背中を押されて、ドアをくぐる。
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