第3話 2

 宇宙に水着一枚で放り出された俺は、支えのない虚空をクルクルと回転した。


 資源採掘惑星とその衛星が交互に視界に飛び込んできて、その間も俺が飛び出した宿場コロニーから引き離されていく。


 割れた天窓は緊急用の気密シャッターが降ろされていたから、恐らくみんなは無事だろう。


《――警告! 躯体周辺環境が極限状態です。

 ――躯体保護の為、緊急対処を行います》


 俺のローカルスフィアに刻まれた<近衛>システムが、真っ赤に染まった視界に警告文を表示する。


 左手の甲の量子転換炉クォンタムコンバーターが発光して、星間物質を量子転換。


 俺の周囲一メートルほどの環境を生存可能なものへと書き換える。


 足を伸ばせば、反発がある。


 俺の身体は慣性を失い、その場に留まった。


 <騎士>――あるいはその上位である<近衛>システム。


 <汎銀河大戦>期に、魔法ソーサル・テクニックの原理を応用して生み出されたという技術で、大銀河帝国が既知人類圏ノウンスペースの半分を版図に治めることに成功した要因でもある。


 事象を改変し、物理法則を無視して活動する能力に加えて、その身に埋め込まれた量子転換炉クォンタムコンバーターは周囲の物質の量子配列を組み替えて、強力な兵器をその場で無尽蔵に構築する。


 最新の戦力比統計によれば、帝国騎士ひとりが、一艦隊編成ユニットに匹敵するのだとか。


 俺自身は近衛であった母上が亡くなった時に、このシステムをローカルスフィアに刻み込まれたのだが、本来ならば難度の高い選抜試験を潜り抜けた猛者だけが、<騎士>となることを許されるんだ。


 虚空に静止した俺は、深々とため息。


「――ちくしょう! エイトめ! 死ぬかと思ったじゃねえか!」


 毒づいた俺のローカルスフィアに、エイトが接続してくる。


『ははは、ご冗談を。奥様から<近衛>を受け継いでいる若が、それくらいで死ぬワケないじゃないですか』


 平坦な声で告げるエイトに、俺は心底イラついた。


「――だとしてもだ! おまえ、ふざけんのも大概にしろよ!?」


 あいつ、絶対にワザと俺を突き放しやがったんだ。


『そんな事より若。先程の暴走艇ですが救難信号を出しています』


「――あ?」


『あと、あの船を追っている艦艇がおりますね。

 ――通過まで三十秒』


 視界の隅がキラリと光り、俺はそちらを見る。


 クルーザー級――五十メートルほどのボロい船だ。


 継ぎ接ぎだらけの装甲に、整備不良なのかノズルから放たれるのは、本来の青ではなく赤混じりの炎。


 燃焼温度が足りてない証拠だ。


 そのボロ船が、俺の頭上数百メートルという至近距離を駆け抜けていく。


「そういや、最初の船はどうした?」


 俺の問いかけに、エイトはすぐに映像データを送ってきた。


 ローカルスフィアで再生されるその動画は、数分前に宿場コロニーの外部カメラが捉えたもので、資源採掘惑星の周囲を旋回する、先程の暴走艇をはっきりと映し出していた。


『スイングバイしようとしたようですが、焦りすぎたのでしょうね』


 エイトはいつもの平坦な声で告げる。


『こちらがライブ映像です』


 と、追加で送られて来たのは、資源惑星の大気に向かって挺首を真っ赤に灼熱させながら突っ込んでいく暴走艇の映像。


 どう見ても突入角が深い。


「あー、もうっ!」


 俺は頭を掻きむしった。


 要するに助けろってことだろ!?


「――目覚めてもたらせ……」


 コマンドを紡いで、左手の量子転換炉クォンタムコンバーターと胸の奥の魔道器官――ソーサル・リアクターを接続。


 視界に登録兵装リストが表示されて、そこから俺はバトルスーツとスターバイクを選択した。


 俺の身体を帝国制式である、黒地に濃紫のラインの入った戦闘服が包み込む。


 同時にすぐ目の前には、前世の水上バイクに良く似た形状のスターバイクが顕現した。


「エイト、ナビとサポートを!」


 スターバイクにまたがり怒鳴れば。


『さすが若。それでこそです。パチパチ』


 抑揚のない声で、やつはそう応える。


 アクセルをひねれば、スターバイクは一気に加速した。


 スターバイクは星系規模で行われる、スピードレース用の最小の艇だ。


 短距離での加速なら、トップクラスの速度を持つ。


 瞬く間に宿場コロニーを背後に置き去りにし、俺は艇首を資源採掘惑星に向けた。


 先行していたボロ船にも追いつき――追い越した。


『若、回り込んでの大気圏突入では間に合いませんので、直で行きますね』


 と、視界にナビ進路とタイムスケジュールが表示される。


 本来ならば、惑星を何周かして高度と速度を落として行くのだが、そんな事をしてたら追いつく前に暴走艇が燃え尽きてしまう。


 だから、エイトが示したルートは、まっすぐこのまま惑星に突っ込むというルートで。


「わかってる。そのまま誘導しろ!」


 本来のスターバイクに、大気圏突入に耐えられるだけの強度などない。


 だが、この艇は俺用にカスタマイズされた強襲揚陸仕様だ。


 は、できるように設計されている。


 資源惑星は見るみる大きくなって行き、いまや視界を覆い尽くすほどになった。


 大気の層に突っ込む。


 圧搾された空気が発熱を始めた。


 水蒸気の輪が前方に幾重にも生まれ、俺はそれを潜っていく。


 俺は再び量子転換炉クォンタムコンバーターを喚起。


 ――兵装選択。


「――目覚めてもたらせ、バリアフィールド!」


 艇の周囲に、虹色に輝く多面結晶体が張り巡らされ、俺の周囲を熱から守った。


『――若、進路このまま。十五秒後に接触です』


 示された進路に、先端を融解させた暴走艇が見えてきた。


『――助けて。怖いよぅ、ニーナ、ニーナァ……』


 短距離通信で発せられる、搭乗員の悲鳴。


 幼い少女の声だ。


『相対速度、合わせます』


 エイトがスターバイクを微調整して逆噴射。


 暴走艇の搭乗ハッチに横付けした。


「――もう大丈夫だ。今助ける!」


 通信にローカルスフィアを接続し、不安を与えないよう声を落ち着かせて、艇内の少女にそう伝える。


 腰からレイガンを引き抜き、ハッチを撃ち抜いた。


『……え? え!? その声は――』


 驚く少女の声。


 俺は搭乗口に飛び込んだ。


 気密ハッチも撃ち抜いて、艇内通路を駆け抜ける。


『艇内図を表示します。生体反応は操縦室ですね』


 と、視界に映し出された見取り図に従い、俺は操縦室を目指した。


 艇の進行方向――貨物室のすぐ向こうだ。


 操縦室のドアを押し開く。


 ――いた。


 七、八歳くらいだろうか。


 床にへたり込んだ簡易宇宙服を着た彼女は、長い青銀色の髪を床に広げ、金の瞳いっぱいに涙を湛えて、飛び込んで来た俺を見上げていた。


「……そんな……こんな事って――本当に……?」


 その目元から、涙がこぼれ落ちて頬を伝った。


「よく頑張ったな。さあ、脱出するぞ」


 俺が彼女に声をかけると。


「――はいっ! 皇子様っ!」


 彼女は跳ねるように俺の胸に飛び込んできて、満面の笑みでそう応えた。


 俺はそのまま幼女を抱え上げ、来た道を戻って、ハッチに辿り着く。


 背後で爆発音が聞こえた。


『――若、襲撃船による攻撃です』


 ハッチから顔を覗かせると、さっきのボロ船が上空から砲撃してくるのが見えた。


「――あいつら、死にてえのか!?」


 ただでさえ慎重な制御を要する大気圏突入中に、艦砲射撃なんて正気とは思えない。


 突入角度が一度でも狂えば、あんなボロ船なんかバラバラになってもおかしくないというのに。


『よっぽど頭がイっちゃってるのかもしれませんね』


 エイトの冷静な分析に、今は俺も同意する。


「ところでエイト、スターバイクはどうした?」


『先程の砲撃で撃墜されました』


「あん? じゃあ、どうやって逃げるんだよ?」


『エイトは若の頑丈さを信じてますよ!』


 デフォルメされたエイトのアニメ調画像が送られてきた。舌をぺろりと出して、サムズアップを突き出してるやつだ。


「っざけんな、おまえ!」


『ほらほら、口論してる暇なんてありません』


 再び爆発があって、炎がすぐそばまで迫っていた。


 クソクソ! あいつ、戻ったら絶対に泣かす!


「――皇子様、逃げるんじゃないの?」


 不安そうに俺を見つめてくる幼女に、俺は安心させるようにうなずきをひとつ。


「ちょっと難易度が上がったけど大丈夫だ」


 そう告げて頭を撫でて、俺は腰のポーチから無針注射を取り出す。


 即効性の鎮静剤だ。


 幼女の首筋に先端を当てて、トリガーを引く。


「……あれ? なんか……すっごく眠い……」


「そのまま眠っててくれ」


 これからちょっと危険だからな。


「……はい」


 そうして寝息を立て始めた幼女を抱え直し、ポーチからハーネスを出して、俺の身体と幼女を固定。


 ――ああ、クソ!


 生身で大気圏突入なんて、ギャグマンガじゃねえんだぞ!


 だが、やるしかない。


 俺はハッチから腕を伸ばし、上空のボロ船にレイガンを三点射。


 狙い通りに艦首両脇のビーム発振器を撃ち抜き、残る一射は後方の推進器を損傷させる。


 ボロ船が斜めに傾いだ。


「ハッハー、ざまあみろ!」


 そうして俺は、艇外に飛び出す。


 着地に備えてバリアフィールドを周囲に展開したところで。


 自由落下による加速が始まった。

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