第2話 3

 俺が階下に降りてすぐに、父上は皇帝の顔で玉座を立ち上がった。


 諸侯達が跪き、俺もまた膝を折る。


 すぐ横では、オーランドがほくそ笑み、静まり返ったホールにミランダのすすり泣きだけが響く。


 陛下が発言しようって時に退室なんて許されるわけがないからな。


 ミランダはしばらくはそのまま醜態を晒し続けなきゃいけない。


「さて――」


 父上の低く押し殺された声がホールに響く。


寿ぐことほぐべき迎春の宴で、余の子らが引き起こした此度の件、諸侯らを騒がせたな」


 あれだけのカオスな状態を『騒がせた』だけで、父上は済ませた。


 傲慢ともとれる言葉だ。


 だが既知人類圏ノウンスペースの半分を版図に持つ大銀河帝国皇帝に、謝罪は許されない。


 だから、この言葉は父上が表現できる精一杯の謝罪で、貴族的な言葉遣いに慣れた諸侯に不満を持つ者はいなかった。


 ……ただひとりを除いて。


「――父上! まさかそれだけで済ませるおつもりですか!?」


 黙って父上の言葉を待つべき場面だというのに、オーランドは声を張り上げた。


「…………」


 父上は無言のまま人差し指を伸ばし、下へ向ける。


「――がっ!?」


 まるで巨大な重しでも乗せられたように、オーランドがその場に押し潰される。


 コマンドなしでの事象改変――魔法ソーサル・テクニックだ。


 偶然に偶然が重なって、末子の皇子ながら即位する事になった父上は、一見すると温和で、誰かを傷つけるようなマネなどしない人物のように思われている。


 だが、末子だったからこそ、自らの力だけで身を立てようとしていたという過去があり――ぶっちゃけ既知人類圏ノウンスペースでも指折りの魔道士スペル・キャスターだったりするのだ。


 俺は圧縮教育で近代史を学んだから知っている。


 南方領域の蛮族討伐に出陣させられた、若い頃の父上と母上が、蛮族相手にいかに武功を上げまくったのかを。


 得意の念動の魔法で、蛮族が拠点としていた惑星の衛星の軌道を動かして、それによって発生する潮力で、地表を大津波に襲わせるなんていう頭のおかしい戦術を当たり前のように使ってたりしたんだ。


 不勉強なオーランドは、そんな父上の一面を知らないから、公の場であるにも関わらず、その言葉を遮るなんて非常識なマネができたんだろう。


 プライベートならいざしらず、皇帝としての仮面を被った父上は、どこまでも冷徹な為政者だ。


「……愚か者め」


 父上のそんな小さな呟きは、最前列に居たからこそ聞き取れたもので、恐らく諸侯には届かなかっただろう。


「――ふたりの皇子に沙汰を言い渡す!」


 父上が声を張り上げたことで、諸侯は息を呑んだのがわかった。


 諸侯の中には、この場で暴れた俺だけが処分されると考えていた者も多かったという事だ。


 だが、父上は『ふたりの皇子』と言ったからな。


「まずはオーランド。場を弁えず、確たる証左もなしに兄皇子ライルを糾弾とは、呆れ果てて物も言えん」


「で、ですが父上! ミランダという証人が――ぐぁっ!?」


 オーランドは再び父上の言葉を遮って、念動の魔法に押し潰された。


 ほんと、バカだなぁ……


「皇族の外出は記録管理されておる。そして、皇宮への来客の立ち入りもな。

 ライルはこの半年、皇宮から出ておらん。

 そしてミランダ嬢が最後に皇宮を訪れたのは半年前だ」


 父上が手を振ると、大型のホロウィンドウが開いて、皇宮の入退室記録が表示された。


「そしてその時、ふたりきりになったという事実は存在しない!」


 そりゃあ、気をつけていたからな。


 皇宮は常に足の引っ張り合いだ。


 相手が婚約者とはいえ、政略が絡んでいる以上、俺は弱味を見せるわけにはいかなかったんだ。


 ぶっちゃけミランダとの間に既成事実を作られて、それをダシにオルディア家に皇族レースに担ぎ出されるのがイヤだったんだよ。


 そんな警戒が、こんな形で役立つとは思わなかったがな。


「余が少し探っただけでわかるような事すら調べられんとは、オーランド、貴様には失望したぞ」


 皇宮の入退室記録は、誰でもアクセスできる情報ではないのは確かだが、オーランドは皇子だ。


 アクセスレベルは十分に満たしているのだから、調べる事もできたはずなんだ。


「よって、これはオーランドとミランダ・オルディア嬢のふたりが結託して、ライル皇子を陥れようとした事が明白である!」


 ざわりと、オーランド派――クエンティア王室を中心とした派閥連中がどよめいた。


「オーランドよ。余が兄弟同士の諍いを厭うているのは承知しておるな?」


「――は、はいっ!」


 これは父上が公言している事だ。


 父上が皇帝の座に着く事になったのも、先代の皇子達が政争、暗闘を繰り返し、上が共倒れしまくったからだしな。


 同じ轍を自分の子供達には踏ませないよう、父上は日頃からお心を砕かれていたんだ。


「よって、オーランドは母親と共にクエンティア王国への蟄居を命ずる!」


「――お、恐れながら陛下、お待ちをっ!!」


 さすがにこれにはクエンティア大使が立ち上がって異議を唱えた。


「た、確かにオーランド殿下はライル殿下を陥れようと画策したかもしれません! ですが、その後のライル殿下の行動をご覧になられたでしょう!?

 暴力を振るわれたのですよ!? この宴の場で!

 オーランド殿下は被害者です!」


 まあ、そう言うしかないよな。


 あまりに予想通り過ぎて、俺は顔を俯かせて笑みを隠す。


「――余はふたりの皇子に沙汰を下すと告げたはずだが?」


 オーランドが愚かなのは、ああいう連中に囲まれてるからかもしれねえな。


 人の話は聞かないクセに、自分の主張は押し通そうとする。


 明らかに非があろうともそれを認めず、他者を蹴落とす事に躍起になる。


 帝国議会なんかでも、クエンティア出身の議員なんかは、やべえのばっかだしな。


 父上の目が、俺に向けられるのがわかった。


 皇帝の仮面を貼り付けた無表情だったけど、わずかに開かれた唇から、深い溜息が漏れ出る。


「……ライルよ」


「はい」


「いかに奸計に陥れられたとはいえ、祝いの席での狼藉は見逃すわけにはいかん。

 その短気は皇子にふさわしいとは思えん」


 よしっ!


 俺は拳を握り締めて、歓喜が漏れないよう感情を抑え込む。


 これで皇位継承レースからは脱落だ!


「よって、そなたは東方領域――ソーンブルグ星系に封じる!」


 オーランドが勝ち誇った笑みを浮かべた。


 ソーンブルグは近年になって開拓が始まったばかりの未開領域だ。


 実質の島流しと言っても過言ではない。


「それは良い!」


 クエンティア大使が手を打つ。


 クエンティアにしてみれば、オーランドが蟄居を命じられたとはいえ、クエンティア王国と帝国主星とは恒星間転移路トランスファーゲートで結ばれていて、いつでも訪れる事のできるご近所だ。


 一方の俺が封じられたソーンブルグは、恒星間転移路トランスファーゲートどころか直通の超光速航路ハイウェイすらない辺境中の辺境。


 きっとオーランドとクエンティア大使は内心で、俺が皇位継承レースから脱落したとほくそ笑んでいる事だろう。


 俺はそんなモノには、微塵も興味がないにも関わらず。


「――陛下! 我々は承服しかねますぞ!」


 と、怒号をあげたのは、騎士服を着た俺の筆頭家臣のケイタルで。


 角刈りにした顔を真っ赤に染めて、ホールのその太い声を響かせる。


「――ケイタルっ!」


 負けじと俺も声を張り上げた。


「陛下の沙汰だ。俺に異はない!」


 俺は叫んだ。


 良いぞ。これで諸侯は、この沙汰が俺と父上の共謀だとは思わないだろう。 


 俺の言葉に、忠実なサーノルド王国の家臣であるケイタルは、拳を握り締めて押し黙った。


「……あれが第二皇子殿下? 誰よ……暗愚なんて言ったの……」


 令嬢達のひそひそ声が聞こえてくる。


「こんな目にあっても毅然として、オーランド殿下よりよっぽど――」


 おかしいぞ? なぜか俺の評価が見直されている。


 やめてくれ。せっかく自由が目前なんだから。


 まずいと思った俺は慌てて立ち上がり、胸に手を当てて父上に会釈。


「ならば、私は早々に立ち去ると到しましょう」


 父上が頷くのを待って、諸侯達にも会釈する。


「みなを騒がせた事を詫びよう。どうか引き続き、宴を楽しんでくれ」


 そうして俺は、胸を張ってホールの出口に向かう。


「そうそう、ミランダ嬢だが……」


 そんな父上の言葉に、俺は歩速を緩めた。


 そういやあいつが居たっけな。


 俺をハメようとした女の顛末は、聞いておきたい。


「婚約者たるライルを陥れようとしたばかりか、祝いの場を穢した事は到底許容できるものではない。

 よって、今後、ミランダ嬢の皇宮への立ち入りを禁止とする」


 まあ、妥当かな。


 と、そう思ったのだが。


「また、そなたを守るというオーランドの言葉を慮り、ふたりの婚約をここに認め、ミランダ嬢の成人を待って、ただちに婚姻させるものとする!」


「――なっ!?」


「ま、待ってください!」


 父上の言葉に、オーランドとミランダが取り乱して叫んだ。


 これは俺も聞かされてないぞ?


「私にこんなションベン女を娶れと!?」


「わたくしだって、アンタみたいな没落皇子なんてお断りよ!」


 ふたりは声を荒げて罵り合いを始めた。


「いいぞ、もっと争うが良い。そして諸侯らよ、よく見ておけ。この者達の醜態を!」


 父上が煽って、高らかに哂った。


 ああ、俺が追放される事になった事に対する、父上なりの意趣返しってわけか。


 蟄居を命じられた為、自由に皇宮に登城できなくなったオーランド。


 そしてその婚約者は登城を禁止されたミランダだ。


 ここから皇位継承レースで巻き返すのは、並大抵の努力じゃ難しいだろう。


 なにより、この醜態だ。


 オーランドの派閥は、クエンティア王国とミランダの家のオルディア家を残して、他の貴族達は離れて行く事だろう。


 首だけ巡らせて背後を振り返ると、父上と目があった。


 ――すっきりしたろう?


 口の動きだけでそう告げて。


 父上はそのまま俺を見送ってくれた。


 ホールの出口をくぐると。


「――若っ!」


 待ち構えていたサーノルド王国出身の家臣達が、雁首揃えて頭を下げて、俺に声をかけてくる。


「マフィアじゃねえんだから、そういうのやめろよ」


 俺は苦笑して、そのまま回廊を突き進む。そのすぐ後ろを、家臣達がゾロゾロと着いてきた。


「……若、差し出口を挟みまして、申し訳有りません」


 ケイタルが申し訳無さそうに声をかけてきて。


「あそこでなんの反論もない方がおかしいだろうが。さすがケイタルだな。俺の事をよくわかってる」


 まさかアドリブで父上に反論してくれるとは思わなかった。


「まあ、若ならこの好機を逃さないだろうと察しやして……」


 家臣達は、俺が皇帝になりたくない――それどころか市井に降りたいとまで望んでいる事をよく知っている。


 俺を皇帝の座に着けたいと望んでいる反面、俺の意思を尊重したいとも思ってくれているんだ。


 そもそも伯父上――現サーノルド王国国王は権力欲が薄い人で、帝国での立場なんか大して気にしていないんだ。


 さっさと息子に王位を押し付けて引退したいって、いつも言ってるしな。


 息子、まだ五歳だろうに。


「――なにはともあれ、ようやく皇宮から出られる!」


 俺が手の平に拳を打ち付けて笑うと。


「これで若も一国一城の主ですなっ!」


 ケイタルもまた、笑顔でそう笑い。


「――おめでとうございやす、若っ!」


 後ろに並んだ家臣達が声を揃えて、そう告げる。


「さあ、忙しくなるぞ! 頼んだぞ、おまえら!」


「へいっ!」


 まだ見ぬ自由と俺の領土に思いを馳せて、俺は胸を高まらせるのだった。

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