第2話 2

 ――会場に響き渡る肉を打つ音。


「――うぶぅっ!?」


 ブタみてえな呻きをあげて、オーランドが吹っ飛び、ゴロゴロと床に転がる。


 ホールが一際大きなざわめきに包まれた。


 ミランダが悲鳴をあげて、その場にへたりこんだ。


「ラ、ライル!? 貴様、なにを――!?」


 オーランドが上体を起こし、俺に殴られた頬を抑えながら叫ぶ。


「……う~む、角度が甘かったか」


 一撃で意識を刈り取るつもりで殴ったんだがな。


 俺は首をひねりながら素振りして、オーランドとミランダを見下ろす。


「なにを? おまえらの主張を真実にしてやろうっていうのさ!」


 ――徹底的に、な。


 俺は笑みを浮かべてさらに一歩を踏み出し、床に座り込んだミランダの襟首を掴んで立ち上がらせる。


「なあ、ミランダ? もう一度だけ聞いてやろう。

 ――俺が、いつ、どんなひどい事をしたって?」


 ゆっくりと、こいつのゆるい頭でも理解できるように、優しい声色で訊いてやる。


「そ、それは……」


 俺が笑顔を浮かべたことで安心したのか、ミランダは引きつった笑みを浮かべつつも、まだ言い訳を探していた。


 その頬を張る。


「例えばこんな事か?」


 ミランダの顔が凍りついた。


 こんなヤツでも公爵令嬢――しかも皇子の婚約者だ。


 誰かに殴られた事なんて生まれてから一度もなかっただろう。


 だが、俺はやる!


 前世ならいざ知らず、万民が魔法――ソーサル・テクニックを使えるこの世界では、男女の力の差など無いに等しい。


 文化的には、『男は女を守るもの』という慣習が残っているが、あくまで慣習でしかないんだ。


 事実、俺の母上はサーノルド王国の王女の身から、帝国近衛にまで登り詰めている。


 ミランダは俺に襲われたなどと訴えていたが、公爵令嬢として幼い頃から魔法教育を受けている女が、なんの抵抗もせずに襲われるがままという事の方が不自然なんだよ。


 まあ、荒ごとに慣れてない諸侯連中は、まんまと騙されてたようだがな。


「ラ、ライル、さま……?」


 ミランダは信じられないモノでも見るように、全身を震わせて俺を見た。


 俺は再び微笑みを返し。


「それともこんな事か?」


 身体強化で筋力を増し、俺はミランダを片手で吊り上げ――床に叩きつけた。


 ホールの令嬢達が悲鳴をあげる。


「ライル! 貴っ様ぁ――ッ!!」


 オーランドが拳を握って殴りかかって来たが、俺はその攻撃を避けざまに、奴の足を引っ掛けて床に転がす。


「バカが! おまえ程度が俺に当てられるかよ!」


 腹を蹴りつければ、オーランドは人形のように床を転がる。


「げふっ――がっ!? なぜだ!? おまえは……家庭教師も投げ出す、無能で不出来なはずだっ!」


 苦痛に顔を歪め、よだれを撒き散らしながらオーランドが叫んだ。


「あん? そんな噂を信じてたのか?」


 情報の裏取りもしねえなんて、コイツは皇族として本当に無能だ。


 俺についた家庭教師が、すぐに辞めたのは事実だ。


 なんせ圧縮教育で済むようなところを、自分の思想――懐古主義者で、直接テキストで学ぶ事に意義があるってやつだ――を押し付けてきて、なんの実にもならなかったからな。


 武術にしてもそうだ。


 最初に就いたのは、帝国騎士のひとりだったんだが、派閥意識からなのか、母上への嫉妬からなのか知らんが、とにかく上から目線で面倒くさい奴だった。


 だから、どっちもすぐにクビにしたんだ。


 結果、連中は自分の体面を保つために、俺が無能だという噂を流したってわけだ。


 皇宮内で兄弟に疎まれている俺としては、優れていると警戒されるよりは、無能と放置された方が暮らしやすいから、放置してたんだけどな。


 そんな噂を、オーランドはまんまと信じ切っていたらしい。


 実際のところは。


 俺は帝国の最新科学に裏打ちされた圧縮教育で、すでに大学教育レベルを履修しているし、魔法ソーサル・テクニック教育も専門課程にまで進んでいる。


 武術にしたってそうだ。


 本来なら皇子に武術なんて必要ないってのに、頭のおかしいウチの家臣達が母上基準で、地獄のようなメニューを組んで俺を鍛え上げたからな。


 こないだの健康診断で、帝国騎士相当――それも上位の十三騎士レベルで肉体が仕上がってるって言われたよ。


 そんな俺と、社交ばかりに精を出してたオーランド。


 比べるまでもないだろう?


「おら、ミランダを守るんだろ? 根性見せろよ、オーランド」


 俺は再びミランダの襟首を掴み上げて、宙に吊るす。


「そしてミランダ。そろそろどんな事をされたのか、思い出せたか?」


 ひと睨みすると。


「――ヒィっ!」


 ミランダは息を呑んで、身体を震わせた。


 ばしゃばしゃと水音が足元で響いて、アンモニア臭が立ち昇ってくる。


「うわっ、きったねっ!」


 ミランダから慌てて手を離すと、彼女は臭う水溜まりに飛沫をあげて倒れ込む。


 周囲のヒソヒソ声が、俺を非難するものに加えて、ミランダを嘲笑するものが混じりはじめて。


「あー、あー、どうすんだ、オーランド。おまえが守るはずのミランダは、粗相を衆目に晒しちまったぞ。

 おまえ、当然、守ってやるんだよなぁ?」


 気分はすっかり悪役だ。


 徹底的に、こいつらの心を叩き折るつもりだった。


 汗で湿った前髪を掻き上げる。


 ただ、それだけの動作で、オーランドがビクリと身構えるのが面白かった。


「――ち、父上っ! こやつは――こやつは乱心しております!」


 ついには段上にいる父上に向けて、涙声をあげて取りすがる。


「なんだぁ? さんざんイキり散らかしておいて、負けそうになったら父上を頼るのか?

 なっさけねえな、それで皇子だって?

 とんだ暗愚じゃねえか!」


 これでヤツの派閥は崩壊だな。


 誰も擁護に動かないのが、良い証拠だ。


 高笑いする俺に、ホールのざわめきはより大きくなる。


 ミランダはすすり泣き、オーランドは必死に父上に助けを求め続けた。


 我ながら、ずいぶんなカオスを生み出したもんだ。


 と、そこに。


 手を打ち合わせる音が響いて、ホールが静まり返る。


「――ライルよ」


 父上が俺を呼んだ。


「――は、陛下」


 作法に従い、俺は進み出て、段の下で跪く。


「近う」


 手招きに応じて、段を昇れば、玉座に腰掛けた父上が渋い顔をして顔を寄せるように手招きする。


 四十三歳の父上は、日々、帝国が誇る医療団に健康管理をされている為、普段なら二十代でも通用しそうなほどに若々しい。


 けれど、苦み走ったその表情をしている今は、不思議と年相応の年齢に見えた。


「……やり過ぎだ。あほうめ」


「や、宮廷力学を考えたら、父上だって俺を処分しなきゃならんかったでしょう?

 なら、より明確に処分しやすいようにしようと考えたのですよ」


「そこまで想定できておいて、おまえというヤツは……」


 父上はため息をひとつ。


 それからニヤリと苦笑して。


「まあ、すっきりはしたな。帝国議会におけるクエンティア王室の専横は目に余るところがあったしな」


 まるでイタズラが成功した悪友のような表情で、俺に囁きかける。


 クエンティア王室ってのは、オーランドの母親の実家だ。


 同じ属国でも、俺の母上の実家であるサーノルド王室と違い、クエンティア王室は帝国が興った初期に組み込まれた事もあって、その権力は皇宮内でも強く、父上のまつりごとの悩みのタネとなっていた。


「これで連中の発言力は、ガタ落ちとなるでしょう?

 なにせ担ぎ上げてるオーランドが、あの有様なのですから」


 神妙な面持ちを貼り付けて、段の下のオーランドを見やる。


 あいつ、俺が叱責でもされてると思ってるんだろう――勝ち誇った笑みでこちらを見ている。


「それで、おまえはどういう落とし処を想定している?」


「俺を皇宮から追放してください」


「――はっ!?」


 いやいや、なぜそこで驚くのか。


「皇子同士とはいえ、さすがに宴の場で暴力を振るったのですから、当然でしょう?

 まして俺はいま、婚約者に暴行したって事にされてるんですから」


「い、いや……おまえ、それで良いのか?」


「なんなら、皇位継承権も剥奪してくれて構いませんよ?」


 これは心底望んでいた事だ。


 皇子という立場は、俺にとっては枷でしかない。


 正直なところ、皇位継承レースなんてさっさと脱落して、自由の身になりたかったんだ。


 ずっと冷遇されてきた皇宮は、俺にとっては檻なんだよ。


 前世の記憶が蘇った今は、さらに強く自由を欲してしまう。


 だが、父上は珍しく慌てた表情を浮かべて。


「待て。待て待て……皇宮から出るのは、まあおまえのかねてからの願いだってわかってるよ?

 けど、皇子まで辞めちゃいたいの?」


「父上、口調が乱れてますよ」


 俺の指摘に、父上は咳払い。


「……ガチで本気マジ?」


「ガチマジです」


 父上は深々とため息。


「とはいえ、それじゃあサーノルドが黙ってないんだよなぁ……

 あいつら、普段は優秀な騎士なのに、怒るとマジホント、おっかないんだよ……」


 ふむ。


 母上が亡くなった為、俺はサーノルドにとっては大事な忘れ形見だ。


 それが今回のように弟皇子と婚約者にハメられて追放となれば、確かに黙ってはいないだろう。


 俺自身は、サーノルド王国よりは帝国主体で思考するのだが、サーノルドにとっては、俺は帝国の中での立場を確立する旗頭のひとりなんだ。


 そういうしがらみが面倒で、俺は皇子の立場を投げ出したいワケなんだが。


「――なら、こういうのはどうでしょう?」

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