第15話 とある冒険者たちの末路4

 ジャックが目を覚ますと、そこは薄暗い洞窟だった。ほんのりと光る鉱石のお陰で辛うじて視界は確保できるものの、出口がどっちなのかは全くわからない。

 どこかからぴちゃんぴちゃんと水滴の垂れる音がするが、反響しているせいで方向すら掴めない。


「メリル……? ダンテ……? どこだ?」


 返事はない。自分の声が頼りなく洞窟内に木霊するだけだ。


 装備は全て取られていて、下半身を隠す下着一枚しか残っていない。かなり無理をして購入した剣も、もしもの時のために用意しておいた薬も、何もかもがなくなっている。


 拘束されてはいないが、毒でも盛られたのか指一本たりとも動かせない。これでは自力での脱出は不可能だ。


「クッソ……なんでこんなことに……全部あいつのせいだ。あのウスノロさえちゃんとやってりゃ、今頃順調に出世してたってのに……」


 ジャックは細かく体を震わせながらも、強がるように悪態を吐く。その声に反応したかのように、洞窟の奥から足音が聞こえてきた。


 仲間が来たのかと思い、興奮気味に顔を上げたジャックだったが、姿を見せたのは森のように緑の肌をした背の低い人型のモンスター、ゴブウッドだ。


「ゴ、ゴブリン……⁉ なんで……こんな……」


 その手には、鋭く尖った鎌が握られている。ゴブウッドはその刃をギラギラと鈍く光らせながら、一歩、また一歩とジャックに近付いて行く。


「やめろ……やめろ! 来るな!」

「ギヒ……」

「や、やめてくれ! 頼む‼」

「ギヒヒヒヒヒヒヒヒイィィィィィェェェェェッ‼」


 会話の通じない相手への命乞いなど無意味。この瞬間、ジャックは冒険者になったことを心底後悔した。


 村で一番剣の才能があったからといって驕らず、素直に両親の畑を継いでおけばよかった。出世など考えず、楽な依頼だけをこなしておけば良かった。名声などかなぐり捨てて逃げればよかった。出世なんかのために危険なダンジョン攻略をすべきじゃなかった。


 一瞬のうちに、無限の後悔がよぎる。目からは涙が溢れ、口からはとめどなく悲鳴が零れる。


「嫌だ……嫌だぁ、助けてくれぇ……助けて! 誰か助けてくれ!」

「────ていっ!」


 その絶叫に答えるかのように、ゴブウッドの脳天に見覚えのある杖が振り下ろされた。


 背後からの一撃を受けたゴブウッドは堪らず頭を抑え、鎌を放り出して一目散に洞窟の奥へと逃げていく。


「怪我はありませんか? ジャックさん?」


 そこに居たのは、ダンジョン攻略中に敵の罠にかかり、死んだはずの元パーティーメンバーだった。


「お前……シファン? シファンなのか? どうしてここに……モンスターに操られていたんじゃ……」

「え? 何のことですか? 変なことを言わないでくださいよ。せっかく助けに来てあげたのに」

「あ、あぁ……いや、そ、そうだよな。それより、早く俺を外へ運び出してくれ。体が痺れて動けないんだ」


 あまりにも非現実的な光景を目の当たりにしても、ジャックはすんなり受け入れることができた。

 なぜなら、その方が都合がいいからだ。死んだはずの人間がタイミングよく現れることへの違和感など、命が助かったという安堵に比べれば取るに足らない些細なことでしかない。


「へぇ……体が痺れて動けないんですか」


 シファンは地面に転がるジャックを見て、低い声でそう呟く。


「ああ……だから、早く……」

「運んでほしいんですよね? 動けないから、助けてほしいんですよね?」

「そう言ってるだろ。こんなことしてる内にまたモンスターが来るかもしれないじゃねぇか。いいから早く────ッ⁉」


 ジャックは突如太ももに走った鈍い痛覚に顔を歪める。


 視線を落とせば、そこにはさっきゴブウッドが持っていた鎌が深々と突き刺さっていた。その持ち手を握っているのは、優し気に微笑むかつての仲間だ。


「な、何を……お前……⁉」

「静かにしなさい。どれだけ喚こうが助けなんか来ないんですよ。それが現実なんです」

「あ、あぁ……⁉ や、やっぱ……お前……モンスターに操られて……」

「何を言っているんです? あのダンジョンにモンスターなんていませんでしたよ。モンスターがいたのは、うちのパーティーの方です」


 シファンはジャックに突き刺さった鎌をゆっくりと捻っていく。足の肉が血を噴き出しながらジワジワと裂けていき、刃はやがて骨まで到達する。


「ぐ……ぁっ⁉ ああああっ……ぐああああああぁ!」


 痛い、という次元はとうに超越している。あらゆる感覚が暴走し、脳が正常な思考力を失い、精神が急速に崩壊していく。

 もはや何かを考える余裕すらない。苦痛に身をよじることすらできないジャックは産まれ立ての赤子のように、ひたすら喚き続けるしかない。


「ほら、助けてほしくないんですか? 守ってほしくないんですか? このままじゃ死んじゃいますよ?」

「がっ……は……た、頼む……助け……」

「なんですか? よく聞こえません」

「助けて……くれ……」

「ふふ、嫌です。ここで死んでください」

「────⁉」


 ジャックの顔から一気に生気が抜けていく。真っ青を通り越して、病的なまでに白く染まっていく。

 絶望の一言では生温い。これまでの人生全てを根底から否定され、無かったことにされるかのような喪失感。そして光り輝いていたはずの未来が確実に閉ざされていく虚無感。


 ジャックの頭にはもう何もなかった。誇りも、知識も、常識も、記憶もない。残っているのは生物としての生存本能だけ。

 それを全力で行使して、ただ助かる道を模索し続けた結果、唯一動く口をひたすらパクパクさせるという結論に辿り着いた。


 もちろん、何の意味もない。


「どんな気分ですか? 助けてもらえないと知って、信頼を裏切られて、どんな気分なんですか? 教えてくださいよ。私はその気持ちをよく知っていますが、あなたも同じ気持ちになるんですか?」

「た、助け……た、助け……」

「他の仲間のことは気にならないんですか? メリルさんがどうなったか、ダンテさんがどうなったか、聞きたくありませんか?」

「あ……うぐ……あ……あぁ……」

「興味がありませんか。まあ、すぐに知ることになりますけどね。あなたも二人と同じ目に遭わせますから」


 シファンは恐ろしく冷たい目でジャックを見つめ、何の抵抗もなく鎌を足から引き抜く。ジャックにはもうそれを痛がる気力も残っていなかった。


「あなたが助けてくれないから、私は死んだんです。もうあなたたちと一緒に冒険をしたあの頃の私はいません。残念でしたね。私はちっとも、そうは思いませんが」


 ジャックの髪を掴み、固い洞窟の中をズルズルと引きずっていくシファン。時折小石に乗り上げ、ジャックの体が跳ねるのもお構いなしだ。


「ふふ……あれだけ威張り散らしていたジャックがこのザマ。あなたが世界で一番強いんじゃないかと思っていた頃もあったんですけどね。でも、クロン様のダンジョンに置き去りにしてくれたことだけは感謝しています。私、お陰で自分の役割を見つけることができましたから」


 かつてのパーティーメンバーに対し、お礼を言ったシファンの表情はとても満足げで、実に清々しいものだった。

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