断片:7 (その1)

 そこまで思い出せば、あとは難しくはなかった。


 私は着替えを済ませ、荷造りを手早く済ませると、外出統制も気にかけずにそのままアパートを飛び出してきたのだった。もうあそこには戻れないし、戻りたいとも思わなかった。


 見れば、荷物はちゃんと私の手元にある。私物が詰め込まれたボストンバッグと、例の大きな大きなスーツケース。私はそのケースにそっと手を伸ばし、そっと撫でた。


 ――そう、ずっとあなたとは、一緒だったのだ。


 そう思うと、不意に安堵さえ覚えた。私がここにいるのはイゼルキュロスの意思だった。この街への切符を買ったのも、多分彼――彼女だろうか、さっき見たイゼルキュロスの裸体は、男とも女とも言えなかった――の指示だったのだろう。


 ならばこれから先の旅も、イゼルキュロスと一緒ならば何も心配ないに違いない。


 ともあれ……まだあの連中の仲間が、近くをうろうろしているかも知れない。街を出るのが一番だろうが、朝まで列車は出ないし、そもそも外出禁止の中あまり目立った形で街をうろつくのも得策ではない。


 まぁそれでも、あまりひとところに長居しない方がいいだろう。そう思って、私はボストンバッグに手をかけた。


 意外な重みがあった。確かに私物はすべてそこにあるから、決して軽い荷物ではなかったかも知れない。だがそれにしても、このずしりとした手応えはなんだろう……。


 しかも、そう思っている次の瞬間には、その鞄の中から何やらうめき声のような物音が聞こえてきたのだ。


 私はびっくりして、反射的に鞄を落としてしまった。


「痛ッ」


 地面に落ちた瞬間に、鞄の中からは小さな悲鳴が聞こえてきた。私は地面に落ちた鞄に、恐る恐る手を伸ばした。そのままその位置から動かさないようにして、ファスナーをゆっくりと開ける。


 入っていたのは……古新聞にくるまれた、人の頭ほどもある大きな何かだった。新聞紙は何枚も重ねられていて、手触りで中身を判別するのは少々難しそうだった。


 ……けど、それが何なのか、ぱっと見た目だけでおおむね見当はついた。厳重にくるまれた新聞紙に、かすかに血がにじんでいたのだ。


 私は恐る恐る包みを解いてみる。果たしてそれは「人の頭ほどもある大きな何か」ではなく、まさしく人の頭そのものだった。……そこに入っていたのは、あのアシュレーの生首だったのだ。


 彼の最後を、思い返してみる。彼はイゼルキュロスの繰り出した二本の触手に追いつめられ、逃げ場を失い、あっという間に首をはね落とされたのだ。それはいいとして、何故そんなグロテスクなものを私は持ってきてしまったのだろう。


 いや、それよりも問題なのは……先ほどのうめき声を上げたのは、すでに切断されたこの生首である、という事の方だっただろうか。あまり気持ちのいい話ではなかったけれど、事実は事実として認めるより他にない。


「あ、あの。アシュレー?」


「……うう。メアリーアンか。どうした。また記憶を無くしていたのか?」


「何であなたの首がここにあるの。何でこんなものを、私は持ってきてしまったの?」


「それも覚えていないのか。事情はよくわからんが、多分イゼルキュロスの指示だろう。……首と胴が離れ離れだと、俺はそう簡単には再生することが出来ない」


「……どういう事?」


「やっぱ、それも覚えちゃいないか」


 アシュレーはそう言ってため息をつく。首だけで生きているのも不自然だったが、そもそもその状態では喋る事も難しいのだろう、言葉を発するのも、ため息をつくのも、ごぼごぼ、ひゅうひゅうと変な雑音が混じるのだった。


 ともあれ、彼は続ける。


「……あのな、俺は言ったよな? イゼルキュロスは戦科研が造った攻性生物だって」


「ええ……それがどうかしたの?」


 そう問いかけたところで、私ははっと思い至った。


 彼は私たちを追うハンターだ。けど、あの黒服の男達――恐らくは政府のどこかの機関の人間なのだろう――の同僚にしては、随分と雰囲気が異なるように思えた。


「……ひょっとして、あなたも実験体だったの?」


「ご明察」


 アシュレーは、苦しそうに……あるいは居心地悪そうに、表情を苦悶に歪めた。そのまま先を続ける。


「イゼルキュロスはヒトDNAをベースに一から創り出された人工の生命体だが、それとは別に、人間そのものをベースにした実験体も、俺を含めて何人かいたのさ。……さすがの戦科研も生きた人間を実験には使えなかったけど、国境紛争で戦死した兵士の遺体なら入手はそんなに難しくはなかっただろう。――君は戦場には機械しかいないというが、生身の人間も結構いるんだぞ? ――ともあれ俺はそうやって研究に回され、こうやって生き返ったばかりか、首を落とされても死なない身体になっちまった」


「……」


「人間を上回る戦闘能力、というのはさすがに期待できないが――元が人間だからな――死んでも蘇る、リサイクルの可能な兵士ってのも、軍にしてみりゃそれなりに使いでがあるんだろう。研究を重ねた結果、取り敢えず試作品として完成に至った第一号が俺だったというわけだ……。まぁ休戦で、研究はそこで止まってしまったんだけどな」


「……」


「俺だけじゃない。どの研究プロジェクトも、一定の成果を見たところで休戦によって中断を余儀なくされちまった。イゼルキュロス以外にも多くの実験体が、最終的に行き場を失って逃亡を試みたんだ。何せ存在そのものが機密だし、倫理的にも世間に存在がバレちゃまずいし、何よりも世に解き放たれて、何をするかわからん危険な連中揃いだってんで――危険だってのは俺の見解じゃないぞ――政府は秘密裏に回収を試みたのさ。無論、中には通常の人間では捕獲の困難な、戦闘力の高い実験体もいくつかある。……その点俺は殺しても簡単には死なないし、他の実験体と違って意志疎通も比較的容易だし、それに元々兵士だから言うこともちゃんと聞くしな。……そもそも間違って死んでしまっても差し障りがあるわけでもなし。実験体だった、という資料さえ破棄すれば、俺の場合は別段普通の人間としてふるまっていくのにも不都合はなかろうってんで……そういう取引の末に、処分を免れる事が出来たってわけさ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る