親愛なるイゼルキュロスへ
芦田直人
断片:1
ふと見上げれば、光が煌々と照っていた。
私は道端に座り込んだまま、ぼんやりとその光を見上げていた。街灯のあかりを見上げているのだ、という事に気付くまでには、少しだけ時間がかかった。
そう、私は何故か道端に座り込んでいたのだ。慌てて周囲を見渡してみる。すでに夜間外出規制の時間帯にさしかかっているのだろうか、石造りの古い街並みはただただ静かなままに、夜の闇にすっかりと包まれていた。
――一体どうして、私はこんなところに座り込んでいるのだろうか。
そう疑問に思ったところで、誰も答えてはくれなかった。規制を破って外をうろついている人影など、私の他にはどこにもありはしない。街はまるで元々誰も住んでいないかのように、見事に静まり返っていた。
しかも私は、何故かすっかり旅の準備をしてそこに座り込んでいたのだ。しっかりとコートを着込んで、傍らには使い込まれた大振りのボストンバッグがあって、そして……人ひとりがすっぽりと中に入るほどだ、と誰だったかに形容された事のある大きな大きなスーツケースが、やはりきちんと側に置かれていた。
こんな風に唐突な状況におかれるのにはもう慣れているつもりだったが、さすがに街を出ていく用意をしてあったのには正直ぎょっとした。一体私はこの街を出て、どこへいくつもりだったのだろうか。
考えてみても答えは出ない。私の記憶はすっかり混乱してしまっていた。と言っても、私の記憶なんて随分昔からぼろぼろのまま、色んな部分が欠落して不完全なままだったけれども。
私はそれでも無理矢理に断片的な記憶をたぐり寄せようと努力してみたが……思い出せないものは思い出せなかった。
何か記憶を蘇らせるきっかけになるものはありはしないだろうか、と持ち物を確認してみる。コートのポケットをまさぐると、そこに二つの紙片があった。
ひとつは、列車の切符の半券だった。王都発クラウヴィッツ行き。多分それはこの街に来るときのもので、今からどこへ行くかにはあまり関係がなさそうだった。そしてもう一つの紙片……それは、書きかけの便箋だった。
私はそれを何気なしに広げ、目を通してみる。
――親愛なるイゼルキュロスへ。
お久しぶりです。元気にしているでしょうか。そちらは、以前とお変わりないでしょうか。
ということを書くのも、馬鹿げていますよね。あなたが平穏無事な日常を送ってるはずが無いことは、私もよく承知しているつもりです。あなたの無事をただ遠くから願うことしか出来ないのが、時として、とてももどかしかったりもするのですけど。
ちなみに今私がどこでこの手紙を書いているのか、あなたは多分興味を持たないと思います。私はもう王都からは随分遠いところにいますし、多分あなたが私を捜すなんて事は、無いと思いますので――
……そうやって文面に目を通しているうちに、奇跡的にいくつかの記憶の断片が脳裏に蘇ってきた。そうだ、この手紙は確か、このクラウヴィッツの街へやってくる列車の中で書いたのではなかったか。
私は遠く王都を離れ、長い長い旅の末にこの街までやってきた。何故この街だったのか、そしてこの街で何があって、何故今こうやって去っていこうとしているのか――。
私はそれを、思い出してみる。
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