Switch -スイッチ-

こけさく

Switch -スイッチ-  

人間のスイッチは、何処でスイッチが入ってしまうのだろうか。


感情という名の水は同等で、どちらが極端に多いわけではない。

同等だから、互いに意識して恋心に進んで行く。

だが、何処かで感情の水に差が生まれて、差を埋めることができなくなる。

その感情と言う名の水は容量が一杯になり溢れ出す。

そしてスイッチが入る。


愛おしい相手が憎しい相手に見える。

スイッチが入ると嫉妬心は敵対心に変わる。とにかく相手を消したいと思うことだ。


その男は、ユリが働くスーパーマーケットの常連客だった。

その男を常連客と意識したのは、男で出会って半年前。

来店する曜日は異なるものの、その男が来店する時間は20時頃。スーツ姿ではなく毎回カジュアルな服。


ビックシルエットのパーカーからチラリと見えるシルバーのネックレス、腰履きジーンズが定番スタイル。

ハイトーン、ミルクティーベージュのアップバングショートのヘアスタイル。

小顔の男。

少々ガラの悪さをユリは感じた。

年齢は二十六歳のユリよりも年下に間違いない。


少し素行の悪そうな男を常連客と意識はじめたのは、必ずと言っても過言じゃないユリのレジに並ぶからだ。客層もまばらな夕方のピークタイムを過ぎた二十時。


完全セルフレジも稼働している。スマホ決算、二十代と言う若い年齢、圧倒的に完全セルフを選ぶ者が多い。

その男の購入する物は、基本的に惣菜または菓子、ビールなどアルコール。手持ちで収まる程度。だとすれば、尚更完全セルフレジを使用した方が早い。

無駄なやりとりを避けたい若年層はドヤ顔でセルフレジを選ぶ。だが、その男はレジカウンターに並び、商品をおくと軽く頭を下げる。

その男なりの挨拶。


ユリは少し照れたように平然を装って言う。

「お待たせ致しました!いらっしゃいませ」

ユリは、その男と目を合わせ決められた接客言葉で挨拶をする。

お互い目と目を軽く合わせると言葉にできない空気感が漂い、それが妙に新鮮だと感じた。

ぎこちない距離感は日に日に変化して行く。

その男から「こんばんは」小さな声で挨拶してきた。

ユリもつられるように「こんばんは」と返した。

数カ月も過ぎれば、ユリにとって素行の悪そうな第一印象の男は爽やかな笑顔が印象的な男に変わっていた。

そのうち一言二言増えて行く関係性に変わっていた。

今思えば出会って数カ月の印象で止めておけば良かった。

相手のことを知りたい、少し興味がある。

相手のことを知ることでグラスの中は増えも減りもする。

お互いに少し意識し興味を抱くと男と女はキッカケを求めたがる。

ユリと男が当然のように会話を交わしてから距離を縮めることに時間はかからなかった。男は手慣れたようにユリに話しかけた。


「いつも何時で仕事終わるの?」

ユリは躊躇なく返した。

「21時まで」

その男は少し目を開き、明るい表情で返した。

「そうなの? あと1時間ないじゃん。」

ユリは微笑み返した。

「そうね、もうすぐ終わる」

男は、躊躇うことなく軽い口調で周囲を気にするように言った。

「今日、終わったら予定あるの?」

ユリは言葉の意味を何となく感じとるように周囲に聞かれないように小さな声で返した。

「いや、とくにないけど・・・」

男はユリと目を合わせて見つめるように言う。

「じゃあ、ちょっと飲みに行こうよ?」

ユリが、想像していた言葉だった。

男が仕事終了時間を聞いてきた時点で何かしら誘ってくるだろうと予感をしていた。ユリと男は互いに興味を抱きはじめていた。

冒険心と好奇心。

ユリの仕事終了時、店舗の裏口付近で男と待ち合わせをした。


駅前の居酒屋にユリと男は入った。


常連客の男は、中村優也、二十三歳。

ビールのグラスが増えるほどユリと優也は躊躇心をなくして自然な笑顔で会話を楽しむ。

まるで数年前から知り合いだったように二人の会話は途切れることがなく続いてた。ユリは少し意味深な目付きで優也に聞く。

「もしかして私のレジにあえて並んでいた?」

優也は少しばかり照れたように笑みを見せると隠しきれない自信を滲み出し答えた。「あたりまえじゃん、あえて並んでいたよ」

ユリはハニカミながら小さな声で聞いた。

「なんで?」優也は開き直ったように返した。

「何でって、そりゃわかるでしょ。可愛いからじゃん。じゃなきゃレジなんてどこでもいい」ユリは照れたように笑い返した。

「ありがとう、お世辞でも嬉しい」

優也は照れた表情でお礼を言うユリがたまらなく愛しく思えた。


この日をキッカケにユリと優也は連絡先の交換した。

すぐに優也からメッセージが送信され、ユリも可愛いスタンプと共に即返信した。

彼氏と別れて3年、ユリにとって久しぶりの恋愛感情。ユリも二十六歳、恋愛に懲りたと言うほど傷を負っているわけでもない。

同じ職場で働いていた彼氏と別れをキッカケに、前職場の飲食店も辞めたユリ。

深く考えることもなく自宅マンション近くのスーパーマーケットを選び働きはじめた。


多少の色恋は平凡すぎる毎日を楽しく生きる糧にもなると感じていた。

色のない毎日よりも少しばかり刺激がほしい。

初対面の優也はユリにしてみれば理想の男でもないし好みではない。

とは言え、嫌いな男でもない。


優也は身長も高く男らしい体型である。

少しチャラついたガラの悪さを感じるものの、今時のカッコ良さをキープしている。単刀直入に言えば、容姿的には合格だった。

ただ安定感のない建設工事のとび職よりも一般的なサラリーマンだったら尚更良かった。上場企業ともまで言わなくても土日祝日、一般的なサラリーマン。ユリはスーツを着て出勤するような男性としか付き合った経験がない。

ユリは、職人は素行が良くない、遊んでいるという偏見を持っていた。

ところがユリの偏見を覆すかのように優也は外見の軽さとは異なりジェントルマンだった。はじめて居酒屋でビールを酌み交わした日もユリをホテルや自宅に誘うこともなくキスや手を繋ぐわけでもない。

ただLINE交換をしただけである。

別れてからすぐに

「ユリちゃん今日は、ありがとう。楽しかった。今度デートに誘ってもいい?」

愛らしいメッセージを送ってきた。

ユリは優也のメッセージを読みながら頬が緩みクスッと笑みがこぼれた。

ユリは即返信を返した。

「私も久しぶりに楽しいお酒が飲めました。奢ってくれて本当にありがとうね。私も、また、会いたい。」

文字と一緒にOKの猫スタンプ。

ユリと優也は毎日のようにLINEを交わし、4日後の土曜日にデートの約束を交わした。優也とユリの初デートは横浜へドライブ。

優也の愛車で音楽をかけながら途切れることなく車内で会話が続いた。

優也はボキャブラリー豊富な男だ。

次から次へとユリが笑みを見せる会話を提供した。

ユリは優也の根っから明るい性格に引き込まれて行く。

付き合う相手の職業に拘る必要性もないし、職業に引っかかる自分自身が小さく感じたユリだった。

相手の職業をこだわるほどユリ自身も自慢できる職業でもないし良い家柄でもない。優也の本質にユリは引き込まれた。車の運転する優也は穏やかだった。

よく車の運転は本性が現れると言うが優也の気性の荒さを感じることはない。

法定速度より遅く入る車でさえ煽るような下品な行為はしない。

見過ごせるほど心の広さを感じた。

信号待ち、ミントのタブレットを優也に分けるユリ。

時折、目と目が合い優也は「ありがとう」と微笑む。

そんな些細な出来事が楽しく感じた。

海の見える公園近くで夜景を見ながらテラス席で食事を交わした。

帰りは少し渋滞にはまりながらも夜9時過ぎに地元の中野付近に到着した。


「俺の家に来ない?」

優也は信号で止まると真面目な顔でユリを見つめていった。

ユリは「うん」小さく頷いた。

その夜、ユリと優也は必然的に互いを求め合い男と女の関係になった。

優也は肉体労働者だけあり日焼けした色黒の肌に引き締まった肩甲骨。

20代の若い男で体力もある。

優也のセックスは優しくも激しい時間をかけたエクスタシーを感じる最高な時間。

優也とユリが肉体関係に進んでからも優也の優しさは変わらない。

休日は優也とデートを交わすことが当たり前になっていた。

優也とはメジャーなデートスポットは全て制覇した。

ユリの誕生日にはディズニーランドやディズニーシーで楽しんだ後はディズニーアンバサダーホテルで夢のような時間を過ごした。

ユニバーサルシティに旅行に行った日はユニバサールホテルで思い出を作った。

数えきれないほど優也とデートを重ねた。

デート代金も優也が支払った。

「男として当然でしょ?」

優也は恩着せがましい行動をひとつとして見せることはない。

お互いの誕生日はプレゼントを贈り合い普通の恋人同士、いや最高の時間を重ねた。


感情という名前のグラスは、互いに同じ量の水が入っている。

どちらかが極端に多いというものではなく、ほぼ同じ量に水が入っているからベストな関係を保てる。

もしかしたらユリの方が優也よりも多く入っているかもしれない。

ユリは出会った頃よりも優しく夢のような時間を叶えてくれる優也に対して好意的な印象を強く抱いていた。ユリは優也のことを心から愛していた。

優也もユリのことを心の底から愛していた。

2人の関係は変わることなく年を迎えた。


このまま変わることなく揺らぐことなく普通の恋人同士のように愛し続けると優也もユリも感じていた。

だが、二人の関係を変えるキッカケは前触れもなく訪れる。

それはユリが飲食店の仕事に転職した日からである。

一人暮らしをしていたユリは今よりも稼ぎの良い仕事を探していた。

スーパーマーケットのレジは、20代のユリにしてみれば長く続けようと思えない。本格的な仕事が見つかるまでの場繋ぎにしか過ぎない。

優也と出会ったことや、嫌な上司や同僚もいなく働きやすい環境ということもあり長く勤務を続けていた。

だが、ユリにしてみれば時給千円少しで週5日、8時間勤務は割りに合わないうえに生活的に余裕はない。


今までデート代金や欲しかったバッグや服は優也がプレゼントしてくれた。

だが人気のコスメもショッピングも友達との交友関係も楽しみたいのが本音。

手慣れた飲食業界で社員として働いた方が金銭的に楽になる。

ユリから転職の話を聴いた優也は、一緒に同棲生活をしようと提案してきた。

家賃も生活費も優也自身が持つと言う。


「金銭的なことなんて心配しないで、今で通りスーパーで働いてれば良いよ。アルバイトに戻って短時間勤務にすれば良いよ」


ユリが転職することに反対だった。

優也は自分自身の目の届く場所、ユリを支配下に置きたいと思っていた。

ユリがスーパーマーケットで働いているうちは、比較的シフトも希望通り通る。

何よりも女性が圧倒的に多い職場で悪い虫がつきにくいことが一番大きな理由。ユリが勤めているスーパーマーケットは男性スタッフも年配者が多く、ユリ自身が魅力を感じるような華のある男性はいない。

優也はユリが転職して他の男に魅力を感じることを危惧していた。


優也は少し嫉妬深い。

ユリが好きな俳優に対して嬉しそうな顔で話すことも優也にしてみれば面白くない。それが同じ職場の男性スタッフにならば尚更リアルになり嫉妬深くなる。

だがユリは、よくある男の嫉妬心程度に軽く考えていたものの、やはり同棲となれば優也からの束縛は想定できる。

ユリは優也からの同棲案を考えておくと曖昧な返事を返し断り続けた。

正直ユリにしてみれば学生時代、今まで勤めてきた異性の仲間は数十人といる。

優也に内緒だが男女の飲み会も参加している。

優也を愛していることに変わりはないが、ユリも多少の息抜きや自由を満喫したい。ユリは新宿のイタリア料理店の社員として働くことが決まった。

実働八時間、早番と遅番を繰り返すシフト。

早番は十九時程度に仕事が終了するが、遅番は二十三時と自宅マンションに着く頃には日付が変わるような時間帯である。

それでも週二日の休みは優也と必ず会っている。

優也がユリのシフトを聞き把握している。

ユリの休日は優也が当たり前のように二人で過ごす予定を入れてくる。

優也とは毎日LINEでやりとりをしている。

恋人同士であれば当たり前の行為だがユリが飲食店に勤務してからは優也のLINEは攻撃的なものに変わって行く。

ユリが仕事時間外にLINEに即返信しないと怒涛の優也からメッセージ。


ある夜、

ユリが勤務している飲食店はイベントが入ったこともあり混雑し大繁盛だった。ユリは忙しさもあり仕事終了後にスマホのLINEメッセージを確認したものの、疲労感が強く返信をしなかった。

ユリは心の中で「マンションに到着してからで、いいかな・・・」呟き、スマホをバッグに入れて電車に乗った。

中野駅を降り、自宅マンションに向かい部屋の明かりを灯しすぐに優也から電話がかかってきた。

ユリはスマホに浮き上がる中村優也から着信画面に溜息をこぼしながらも受話器をオンにすると、開口すぐに優也は機嫌な声。


「ねぇ、夜23時なら仕事終わっているよね?何で既読になっているのに即返信できないの?」

ユリは疲労感から少しテンション低く返した。

「ごめん、今日は疲れてて返信する気力なくて、帰ってから返信しようと思っていたの」

優也の機嫌は悪い。

「なにそれ、今終わった程度のメッセージやスタンプくらい返信できるだろう?俺がどれだけ心配したと思っているんだよ?もう家?」

ユリは小さい声で答えた。

「うん・・・家についたとこ」優也は低い声で返した。

「本当だろうな?オトコでもいるんじゃないのか?!今から行くから!!」

ユリは少し慌てて答えた

。「いるわけないじゃない!もう夜中だし、今帰ったばかりで私、疲れているから今日は無理」ユリの言葉に対して優也からの返事はない。

優也は一方的に電話を切った。

優也の一方的な電話から十五分程度、ユリのマンションのインタホーンが鳴る。

ユリは鍵穴から目を細めて覗くと優也の姿。

「もう・・・勘弁してよ」

小さく呟き、ユリは大きな溜息を零しながら扉を開けると、優也は勢いよく扉を引き、ユリの部屋に怪訝な表情で入ってきて部屋の中を見渡す。

まるでユリが男を部屋の中にかくまっているように優也は目を動かした。

当然ながら男なんているわけもない。

優也は部屋のリビングのソファに腰を下ろすと憤りを隠せないまま、威圧感のある口調で言った。


「お前、もう飲食店やめろよ」

一方的な言葉に、ユリもイラついた口調で優也に言い返した。

「どうして?優也に決める権利ないでしょ?」

怒ったユリに優也は子供のように拗ねた。

そしてユリを強く抱き寄せて言った。

「お前が他の男と浮気しているんじゃないかと心配なんだよ、こんな真夜中まで仕事してるしさ、夜道だった危ないじゃん分かるだろう?お前のことが好きなんだって」


優也は強い力でユリを羽交い絞めするように抱きしめてユリの首筋にキスを何度も交わして、ユリのカラダを求めてきた。

ユリは抵抗しつつも、男である優也の力強い腕力に敵うわけもない。

「ちょっと優也、今日は疲れているの、本当に、今日はやめて」

抵抗するユリの言葉を無視するように優也は抑えきれない感情のまま、帰宅して間もないユリのカラダを半ば無理やり求めて行為に及んだ。

セックスを終えると優也はユリに優しく唇を重ねてユリの髪の毛を撫でた。


「ごめん、本当に愛しているんだ。

ユリのこと可愛くて仕方ない、心から大切にしたいと思っているし、だから・・・・今日はゴメン」

ユリは悲し気な瞳で訴えてくる優也に対して、言い返すこともなく黙って頷いた。

ユリの物言わぬ瞳を見つめて納得したのか、感情の高ぶりが収まった優也は服を着て静かにユリの部屋を出て行った。

優也が帰った部屋。ユリは裸のまま天井を見つめて考えていた。

優也の感情が重くて精神的な苦痛に顔をゆがめる。

翌日には、何ごともないように優也はユリと休日の予定やデートプランを決める。


優也に恐怖心をおぼえたユリ。


グラスの中は相変わらず水が溢れそうなほど、ユリへ愛情を注いでいる。

だがユリのグラスの水は減っていた・・・

あの日を境に無理やりセックスをされた日が大きな境になった。

優也の愛情が強くなるほどユリの感情は醒めて行く方向へ進んで行く。

優也の約束は強制だった。


「今月のシフト出たでしょう?休み教えてよ」

休みを教えると優也は自分のスマホに登録して優也も休みを当然のように合わせる。

当然のようにユリの意見も聞くこともなく休日は、二人で過ごす予定を埋める。

ユリは、優也から距離を置くようにデートの誘いを断った。

完全拒否をすれば、優也は再び感情的になり逆上をする。

「仕事が入った・・・」「同窓会なの・・・」


ユリは嘘をついていた。

逃げようとしている。

優也自身は感じ取っていた。

優也の支配力は日に日に高まり、毎日のようにユリが仕事を終える時間帯にユリの職場付近で待ち伏せをした。

毎日の数十通のメッセージと着信履歴と監視。

優也の行動は、ユリの職場仲間の目に入っていた。

遅番仲間数人で店の閉店後に飲みに行く日、店舗の裏口付近で待機していた優也は、不機嫌な顔つきでユリの前に現れた。


「ユリ!迎えにきたよ!!」

怒鳴るように告げると、ユリの腕を強引に引っ張り車に乗せた。

優也は店舗に客として入ってくることは一度もないが、ユリが働く様子を店舗の外から監視するようにガラス窓を通して覗いていた。

ユリと職場仲間の一人である和人と楽しそうに会話している姿を見つけると、仕事を終えて裏口から出てきた和人に難癖をつけて殴りかかったこともある。

優也の行動が過激になるほどユリと関わると優也に絡まれるイメージが強くなり、ユリは職場の飲み会やイベントに誘われることもなくなった。

いつからか、ユリは自分から断るようになった。

職場でユリは孤独感を少しずつ感じていた。


この日も店舗近くで待ち伏せをした優也。車内で能天気に話を振る優也、素っ気なく返すユリ。

重い空気が流れた・・・

ユリの自宅マンションに車が到着してユリは車から降りた。

ユリは優也に意を決したように伝えた。


「ねぇ、もう別れよう。もう、私たち無理だから」

ユリの言葉に優也は当然ながら納得できずに運転席から慌てて飛び出てきてユリに攻寄る。ユリは少し顔をこわばりながらも優也に言った。

「それよ、そうやってチカラ任せに威圧感を相手に与えてきて・・・わたし、もう、限界なの!もう、私の前に二度と現れないで、これ以上、私にしつこくしないで!!」

優也の強い腕をユリは思いっきり振り払い、優也を壁に突き飛ばした。

ユリは、自宅マンションへ走ると扉を勢いよく開けてすぐにカギを閉めた納得行かない優也は、マンションの扉をドンドンと何度も叩き、ユリの名前を叫び続けた。

ユリが扉を開けないことに優也は興奮し、更に激しくマンションの扉を蹴り続けて、怒鳴りはじめる。

ユリは耐え難い恐怖心を感じ110番通報をした。

ユリは優也に対してストーカー被害を出した。

優也の異常なつきまとい、嫌がらせ行為、脅迫、監視などを伝えた。

自宅マンション周囲のパトロールなど警察の目が光っていたこともあり、意外にも優也の異常な行動は止まった。


店舗近くで待ち伏せ行為は、なくなったものの、マンション近隣に姿を見せることは時折ある。

マンション近くに静かに止まっている優也の愛車。

車中からハンドルにカラダを倒し、無言でユリを見つめている優也。

ユリがマンションに入る姿を見とどけると優也は車のエンジンをかけて立ち去る。毎日の待ち伏せしているわけでもなく、何か言うわけでもない。

すぐに立ち去る行為だけにユリも警察に連絡することもできない。

物言わぬ行為にユリは優也を不気味に感じていた。

優也が住む同じ地域に暮らしたくない。

優也がユリは数十分で互いの部屋を行き来できる距離。

ユリは、優也から完全に逃れる為にマンションを引っ越すことにした。

中野から遠く離れた千葉に引っ越した。

とにかく優也という存在を忘れたい、優也が知りえる情報から全て切りたいと思っていた。

ユリは新宿のイタリア料理店も辞めて千葉を拠点に生活することにした。

嫉妬心から職場のスタッフに絡み、ユリを毎日のように監視して束縛していた優也の行動が落ち着いたことにユリは半信半疑ながらも、それでも安堵の表情を浮かべていた。警察沙汰になったことが優也にお灸を添えたことだとユリは思っていた。

だが、違った。


男と女、一度でも恋をすれば必ず感情が生まれる。

それは、個人差がある。熱しやすく冷めやすい人間もいる。

何カ月も何年も感情が冷めない人間もいる。それが終わった恋愛であっても納得できない人間もいる。

愛した相手が憎しみに変わることもある。

何処で、どう間違えて、はき違えて、感情が交差するのか分からない。

何処で、どう間違えて、スイッチが入るのか、それは分からない。

スイッチが入った瞬間、それは本人じゃないと分からないことだ。


ユリは優也と出会ったことを過去の事として今を生きる優也はユリと出会ったことを過去の事ではない・・・

まだ、優也にとってユリは恋人であることに変わりはない。

だからユリが優也から離れていても住まいや職場を変えても優也は、ユリが再び自分の元へ戻ってくると信じている。

何故なら優也はユリのことを愛しているからだ。

愛しているから、ユリの行動は把握しておきたいと優也は思っている。


優也はユリと付き合っている当時からユリが寝ている間にユリの許可なくGPSアプリをインストールしていた。

ユリの行動は遠隔操作で優也のスマホに情報が届く。

高機能で便利なGPSは、たくさん世の中にでている。

スマホのカメラが監視してくれる、ユリの行動を・・・・どんなに離れても職場を変えても、ユリの行動は優也に届く・・今、ユリが何をしているのか、誰と一緒にいるのかも分かる。

優也は、自分自身のスマホを見つめて舌打ちをした。ユリが浮気をしている。


優也と離れて約半年、ユリはスカウトされ水商売の仕事をしていた。

20代で容姿も良いユリは、華やかな世界に似合う女性であり化粧映えをする。

ユリは優也の存在を忘れて夜の世界で生きていた。

男と同伴出勤をすることは日常的だったし、ユリ自身も特別な存在ができた。

それはユリが勤務しているキャバクラのボウイだった。ユリをサポートしてくれる存在の男にユリは優也から逃げて来たことを相談していた。


「ストーカー気質で気持ち悪くて・・・今は落ち着いたけど、、、また、目の前に現れるんだじゃないかって・・怖くて仕方ない」

純二はユリを肩を抱き寄せると呟いた。

「大丈夫だよ、その時はオレが守るから、クズでモテない男なんだろうな」

ユリとボウイの純二は、自然と男と女の関係に進んだ。

スマホにGPS機能がついていることも知らずにユリは純二とホテルに行き、セックスを交わした。

ベッドサイドのテーブルに置いたユリのスマホには、純二に抱かれ感じている喘ぎ声とホテルの天井が写っていた。


優也は髪の毛を掻きむしる。

身体中に電気が入るように熱くなり、呼吸は荒くなる。


「俺が?? ストーカー・・・・ユリの野郎、俺がいるのに、男とセックスしやがって絶対、許さねぇ!!!」

血走った目で優也は呟き、スマホの電源を切った。

ユリが自分自身のスマホに不明なアプリに気づくことは、純二と肉体関係へ進んでから3日間目のことだった。

ユリ自身がインストールした覚えがない不明なアプリ、休日に部屋でくつろぐユリは顔を傾げながら「何だろう、、、このアプリ」と不可思議に呟いた。

遠隔操作でユリの顔を見つめた優也は、遠く離れた場所から呟いた。


「ユリ・・・オレ、ストーカーじゃないから・・・

お前、いつから、そんな下半身ゆるくなったんだよ・・・」

優也は、不気味に鼻で笑っていた。


ユリは見覚えのないアプリをアンインストールした。

高品質のGPSアプリと知るよしもなくショップアプリだと思っていた。

知らないからこそ、恐怖心なく今日まで過ごせた。

優也がユリの前に再び現れたのは、ユリがアプリをアンインストールして3日目のこと。


夜0時、裏路地を通っていた。

キャバクラの仕事を終えた後、ユリはコンビニに立ち寄り、飲み物と軽い食事を購入することが日課だった。

優也は全て知っていた。

少し薄暗い路地を歩き、ショートカットして駅に向かうこと・・・

ユリはスマホを手にとり、時折スマホ画面に目を向けて、薄暗い裏路地をゆっくり歩いていた。

ユリのスマホに着信音と同時に画面が切り替わる。


「中村優也」

ユリは立ち止まり、スマホをバッグの中に慌てて投げ入れた。

ユリの心臓はドキドキと行動が早い。

半年以上も何ひとつ連絡がない優也から着信にユリは恐怖心を感じた。

「電話かけているんだからさ、スルーしないでよ・・・ユリ」

ユリの背後から優也は低くボソッと呟いた。

猟奇的な気配にユリは、あわてて振り返ると優也が不気味に口角を上げてニヤついていた。


「優也・・・」

驚いてユリは声をあげると優也はユリの顔面を大きな手の平で掴み、雑居ビルの裏階段に連れ込んだ。

鉄サビで剥がれ落ちた華奢な手すりにユリの身体をおしつけるとユリの顎を強く掴み、優也は自分の顔を接近させるように血走る目で呟いた。


「ユリ、オレ以外の男とセックスしちゃダメじゃん?

オレ、全部知っているから、お前のこと」

正気ではない優也、ユリは恐怖心で脚が震えて立つことができない。

そんなユリをあざ笑うように優也はユリに跨り、身体を抑え込んだ。

誰も通らない雑居ビルの裏階段は、街灯もない・・・・

それでもユリは必死で声をあげて叫ぶが優也の大きな手がユリのアゴを掴み、思うように叫ぶことができなかった。


「だ、誰か・・・・ 」

ユリは心中で声にならない言葉で助けを求めていた。


「オレがお前のこと、なにも知らないと思っているの??

オレ、お前の彼氏だよ??」

ユリは震えながら泣き叫んだ。

「違う!!!誰か!!!」

裏階段に倒れ込んだユリに跨り優也はスボンのポケットからナイフを取り出しユリに怒鳴った。


「叫ぶなっ!! 

オレは、ユリの彼氏だろう?!!

オレがいつ、ストーカー行為したんだよ?お前が逃げるから、他の男と浮気するから、オレは監視しているの?分からないかな???なぁ?」

優也は倒れたユリのミニのワンピースを力任せに引きちぎりボロボロにするとユリの腹を何回も繰り返しナイフで刺した。


力尽き血まみれのユリに赤く染まったナイフを投げつけると優也はユリに顔にツバを履き、何事もないように街の雑踏に紛れ込み歩いた。


夜も明けきらない早朝、裏路地に冷たくなったユリは同業者により発見され、当日の速報としてニュースとして流れた。

至るところに設置されている防犯カメラに写る優也が警察に捕まることに時間はかからなかった。


警察に捕まった優也は、冷静沈着だった。

特別慌てる様子もなく、事情聴取にも応じている。

ただ優也がユリに対して申し訳ないと謝る言葉は一度もない。

優也は犯行の動機について刑事に淡々と答えた。


「彼女のユリが男と浮気したから、腹が煮えくりかえった。

別れたワケでもないし、普通に付き合っていた。

オレは、ユリを見守っていた。

オレ、ストーカー行為なんてしたことないですよ?

何を思ってストーカー呼ばわりしているのか、、さっぱり分からないです」


男と女の関係は、

何がキッカケでスイッチが入るのだろう。

はじめて出会った甘い感情は、気づいたときには苦い物に変わる。

感情という水は同じだった。

同じだから、一緒に身体を重ねて心を通わしてきた。

どこで、感情の水に差が生まれてしまったのだろう。

どんな言葉で、どんな行動でキッカケでスイッチが入り憎しみに感じるのか。

それは本人しか知ることができない感情。

優秀なコメンテーターでも、想像で伝えることしか出来ない。

愛した相手を消したいと思う感情は、自分自身でも気づかないまま、スイッチが入り、そのスイッチを止めることは出来ないもの。

愛しているから、憎しみにも変わる。

どんな生き物よりも人間は愚かで残酷なことができる。

感情と共に生きているから。

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