第4話 狂騒香


困りましたね――と、山南はもう一度言った。


左之さんですよ。心配する必要なんかないです」


 どの左之だかわからないが、沖田はそこを強調した。


「大方、どこかの女の所にしけこんでるに違いありませんよ」


 左之さんですから――と、沖田が言った。


「原田君のことです。おいそれと不覚を取ることはないとは思いますが、万が一と言うこともあります」


 山南は腕を組むと、涼やかな顔をしかめた。




 そもそも事の起こりは昨夜のことであった。


 原田左之助の一隊が祇園の外れを巡回していた時のことだった。

「味醂楼」という茶屋に御用改めに入ったという。


 戻った隊士の話によれば別段、怪しいところがあった訳でも無く、ましてやタレこみがあった訳では無い。

 先頭を歩く左之助が、味醂楼の格子の前で立ち止まったらしい。


 すると突然――

 改めにゃな――と、呟いた。


 そこからは早かった。

 暖簾を潜り、飛び込む左之助を、平隊士たちは遅れまいと追った。

 そこに一人の客がいた。

 身なりの小奇麗な侍。おそらくは京屋敷詰めのどこぞの藩士に見えた。

 朱い花をあしらった着物の芸妓と共に、店を出ようとしていたところだった。

 そこへ、左之助を筆頭に十人ばかりの新撰組隊士が飛び込んだのだ。


「御用改めであぁる」


 いつものことか――と、店のものは苦笑いを浮かべつつも、頭を下げ畏まる。

 だが、そこに居合わせた客は違った。


 ぬぁら――


 浅黄色のだんだら羽織を見た瞬間、叫んだ。

 芸妓を突き飛ばすや否や、剣を抜き放った。

 左之助の頭上を白刃が走り抜ける。

 それを間一髪――身を沈めて躱す左之助。

 だが流石に驚いたのだろう。


「な、なにしてくれるんだよ」


 眼を丸くして頓狂な声をもらした。

 その隙に、入り口にいる隊士を突き飛ばし、男は店を飛び出した。


「ちょ、おい。待ちやがれ!」


 戸口で呆気にとられる隊士たちを蹴り飛ばし、左之助が後を追った。

 残された隊士たちが慌てて後を追うが、人混みに紛れ既に二人の姿は確認できない。

 時折、響き渡る怒声と悲鳴を頼りに探索するも、二人の姿を見つけることは出来なかった。


 それから一昼夜――原田左之助の所在は知れずにいた。



 

 ふう――と、山南は深い溜息を吐いた。


 先程まで道場にいた平隊士たちの気配は既にない。

 鬼の副長土方の顔をちらつかせながら、各々が身支度を急いでいることだろう。

 今回ばかりは、土方の気持ちが良く分かる。


 急速に膨れ上がった隊の整理がつかず、新入隊士たちの練度が追いつかないのが目下、喫緊きっきんの懸案事項であることは自覚している。そんな中、通常の見回りだからと、実地訓練もかねて新人ばかりを引きつれて巡視に行かせたのがいけなかったのだろう。

 左之助が強行したとはいえ、黙認したのは土方や山南である。とはいえど、さすがにこのお粗末な有様では、今回ばかりは土方の怒りようも共感できる自分がいた。

 その意味では、とばっちりを受けた沖田には同情を禁じ得ない。


「原田君のことだ。滅多なことで後れを取ることはないと思うが、尊攘派の連中がきな臭いことを企んでいる話も耳にする」

「…………なら、偶には自分が行けばいいのに――」


 だが山南の言葉は、沖田の耳には届いていないようだった。拗ねたように唇を尖らせ、童のように床を蹴っている。


「なら、私も同行しま――」


 山南がその様子に見兼ねた時だった。


「総司!」


 切羽詰まった様子で、永倉新八がやって来た。


「私が行く」


 有無を言わさぬ強い調子で、永倉が言った。


「永倉君」

「山南さん。副長がいるなら話が早い」


 ずい――と、身を乗り出すと、


「左之助の捜索と、件の不逞浪士の一件。私が率いて出動するが許可願いたい」


 総司それで良いな――と、拒否を許さぬ調子で言い放つ。


「本当ですか。残念ですが、永倉さんの頼みとあれば嫌とは言えませんね」


 自然と湧き上がる笑みを、沖田は隠そうともしない。


「永倉君……」


 真っ直ぐな視線は、睨みつけるかのようでもある。

 永倉新八――神道無念流の達人。新撰組の中にあって、沖田と互角以上に戦える数少ない男である。愚直とも取れるその性格は、常に一本の芯を貫いている。そんな永倉ではあるが、対極的ともいえる性格が逆に引き合うのか、左之助とは知己の間柄である。


「分かりました。土方君には私から言っておきます」


 忝い――と、山南の緩んだ眼尻に、永倉は深々と頭を垂れた。

 急くように道場を後にする永倉。それに便乗するように、沖田が続こうとする。


 だが――


「あれ?」

「私たちも行きますよ」


 襟首を掴んだ山南の笑みが、それを許さなかった。

 

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