20.そして、春が来る
月子は自殺という事で処理された。
遺書が月子の部屋から出て来たからだ。
そこには、満月が息子ではない事、本当の母親は死んでいる事、鷹幕家の血筋の者は、満月以外、皆、死んでいる事などが書かれていた。
ハロウィンの夜に、見知らぬ連中をネットで集め、パーティーをすれば、銃声が聴こえないだろうと、ハロウィンパーティーを開いたとも書いてあった。
月子の部屋には、日記も置いてあり、それは獅子尾が警察に渡さず、持ち帰った。
獅子尾は、その場に居合わせた者として、事情聴取をとられたが、何も話さず、弁護士を呼んでもらい、勿論、天音 香華が、獅子尾の弁護をする事になった。
それよりも、獅子尾にとって重要だった事は、月子の日記を読み、月子の最期の言葉が嘘ではなかった事だった。
獅子尾が幼い頃、月子にアイスクリームをあげた事があった。
獅子尾の記憶にはない事だ。それ程、幼い頃の事。
月子は獅子尾に目を付けた。
幼い獅子尾を大人に育て上げて、血をもらおうと思っていたようだ。
そこに愛だの、恋だのはなく、只の餌としてだった。
獅子尾を遠くから眺めて、獅子尾に危険が及ぶと、気付かれないよう助けて、他のヴァンパイアに狙われないよう、それは大事に大事に育てていたようだ。
ある程度、大きくなってから、獅子尾を手に入れるつもりが、遠くで見守るだけになったのは、大人へと近づく獅子尾に、だんだん月子は心惹かれて行ったから。
ヴァンパイアは恋をすると、血を吸えなくなる。
このままでは、自分が弱り果てると、ずっと見守って来た獅子尾を捨てる覚悟をした。
とりあえず、孤児院の空いた部屋で体を休める事にし、少し回復したら、力のない子供を襲って血を吸えば元気になるだろうと考えた。
本来は子供の血を狙う事はしない、狙うならば、大人になってから。
だが、体が弱っている場合は、子供でも動物でも弱い者を狙う。
なのに、その孤児院に獅子尾がいる事に、月子は驚いた。
獅子尾が孤児であった事、そして住んでいる場所までは知らなかったからだ。
獅子尾が通る通学路などで、いつも見守っていた。
家路に着くまで、月子は見守らなかった。
親に会いたくなかったからだ。
獅子尾を手に入れる為に、両親は殺すつもりだったが、無論、獅子尾は親を愛しているだろう。
獅子尾が、親と接する所を見たら、どれだけ獅子尾にとって親が大事か知ってしまう事になる。
そしたら、獅子尾から両親を奪う事はできなくなってしまいそうだった。
それ程、月子は、獅子尾を大事に思っていた。
だから親に会わずにいたのに、まさか親なしの孤児だったとは思いも寄らなかったようだ。
だが、その偶然の出会いは、2人を恋人へと発展させた。
2人の時間は、月子にとって、とても幸福な時間だったが、永遠の命でありながら、弱る体に、だんだんと精神も蝕まれていく。
2人で住むようになっても、獅子尾は仕事で帰れない日々が続く。
当時、獅子尾が追っていた事件は、感染者の仕業だったが、その感染者は、月子が昔に感染させた者であり、月子の傍で、弱り果てた月子を守る役目をしていた。
人と恋をしたヴァンパイアは、人の血を吸えなくなり、力を失くす、その為、感染者はマスターとなるヴァンパイアをお守りする。
マスターを守る為には、チカラを強くする必要がある。
その為、警察が動く程、手当たり次第、人を襲っていた。
それを理解していた月子は、自分のせいで、獅子尾が仕事で帰って来れない事、だから会えないでいる事をわかっていた。
2人で育てようと可愛がっていた犬は、真っ白で、とてもフワフワで、寂しい気持ちを和らげてくれて、それが自分の天敵である人狼だとは知らなかった。
だから、とても可愛がった。とても可愛がって、可愛がって、大事に大事に大切に育てた。
やがて、愛おしい我が子のような存在となった。
きっと、もう人狼だとわかったとしても、その気持ちは変わらない。
だって、変わらなかったから――。
ヴァンパイアは、人の子を我が子として育てた場合、子育て中は、誰に恋をしようが、チカラを失う事はない。
シンバに対しては、ソレとは違った。
目的があるから、育てた訳ではない、多分……。
人の子を育てる理由には、二つある。
一つは、チカラを失わずに済む事。
二つめは、育てた子が大人になったら、その子の血を我が身に捧げる事で、ヴァンパイアの強さが大幅に増す事。
ヴァンパイアが子を育てる事など、滅多にない。
人を、我が子にするには、人として生きなければならない、ヴァンパイアだと知られてはいけない。
通常、人に恋をしても、ヴァンパイアは、愛した者を喰らう。
血を全て吸い尽くす。
それがヴァンパイアの愛だ。
だが、当然、愛し方が違う者もいる。
違い過ぎる時、血を吸えず、チカラを失う事になる。
そう、月子が、幼い獅子尾を見守っていたのは、ある程度、大きくなって育てやすい時期が来たら、我が子として育て、ヴァンパイアの強さを、更に上げる為に、大人になったら血を吸い尽くす予定だった。
それができなかったから、もう苦しくなったから、もう愛し続けるのがわからなくなったから、感染者を呼び、逃げる事にした。
街を離れ、あちこちを転々とし、獅子尾への想いを断ち切ろうとしたが、断ち切れず、人になる術も探したが、見つからず、最終的に街に戻る事にした。
そして獅子尾の変わりが、ある程度、大きくなっている事を知った。
満月だ――。
満月は万が一の為のもので、獅子尾と共にいながらも、満月の事はイロイロと進めて来ていたが、途中から、獅子尾の事ばかり考えてしまうようになり、すっかり存在を忘れていた。
だが、満月は、手のかからない年齢にまでなっていて、更に、父親を手のひらで動かすのは、美しい月子には容易く、うまく家族に入り込めた。
その後、月子は計画を立てた。
獅子尾がいる街で、獅子尾を想いながら、獅子尾を愛して行く。
そして、この街を、ヴァンパイアが住む街にして、獅子尾も共に永遠に生きて行く。
いつか感染者として、生まれ変わらせればいい。
――それまで、アナタの人としての生き方を、私が記憶していてあげる。
――そうしたら、マスターの私は、感染者となったアナタに必要な記憶だけをあげれる。
――人としてのアナタを、忘れる事はない。
「馬鹿だなぁ……」
日記を閉じて、獅子尾はヘラッと笑いながら、そう呟く。そして、
「そりゃぁ、報われなさすぎるよ、月子さん……」
と、笑う。だが、その笑い顔は、悲しみでイッパイだ。
もしも違う道があったら、違う結末になっただろうか。
いや、どうしたって、ここに辿り着いてしまう。
所詮、人とヴァンパイア。
報われる事などない。
だが、それでも、もし許されるなら、手をとって、世界の果て迄も逃げる覚悟はあった。
共に死ねたら、終わり良しだったんじゃないだろうか。
なのに、キミは、生きろと、手を離したんだと、
「俺だってね……追うのも追われるのも、解けない謎も、わかりきった答えも、報われない事に疲れて来てたよ? でもさ……俺を好きだったなら、疲れて勝手に手を離さないでほしかったなぁ……一緒に手を握り合ったまま……地獄の果てまでも……そういうもんだろ……?」
と、シンバを見る獅子尾。シンバは狼の姿で、クワッと大きな口を開けて、大あくび。
日向で眠そうにしているシンバに、獅子尾は、優しい笑みになり、
「俺が死んだら……シンバはどうなるんだって事か……」
と、これで良かったんだと思う――。
ガーゴイルとレイヴンは、あの戦いの後、姿を消した。
恐らく、ガーゴイルは、組織のある国へ戻ったのだろう。
サヨナラの挨拶もなしに。
サヨナラを言う気にならなかったのか、サヨナラを言う必要はないと思ったのか。
それはレイヴンもなのか、何も言わず、群れ共々いなくなった。
レイヴンの計画である、ヴァンパイアに血を吸ってもらい、感染し、ハイブリッドになるというのは、もうやめたのか、それとも別の場所へ移動して、計画を実行するのか。
なんにせよ、シンバに対しての、いや、スノウに対しての復讐心は消えたようだ。
夕里の犬達も、ハロウィンの夜は活躍したが、大事になる前には、全員、ちゃんと屋敷に戻った。
そこには、つむぎの活躍があったそうだが、全てはハロウィンの夜の夢と言うように、ニュースにできない為、その活躍が公にされる事はない。
満月は、月子が母親ではないと言う事は知っていたようだ。
それでも独りになるのが怖くて、母親という存在を偽りでも受け入れた。
月子の死の第一発見者となっている獅子尾が、今後、未成年の満月の保護者変わりとなる。
満月は屋敷を売り払い、一人暮らしを始めた。
鷹幕家の財産は全て満月が受け継いだので、金銭面の心配は何もない。
心配なのは、満月のメンタルだったが、月子の事を本当の母親ではないと知っていた事もあるせいか、どこかで、いつかこうなる事を悟っていたのか、意外にも穏やかだった。
「彼女の事は……恨んでません……寧ろ感謝しかないです……」
と――。
朝比奈兄弟は――……
「翔ー! ちょっとリビングまで来てくれるー?」
母親の呼ぶ声で、翔は二階の自分の部屋から階段を下りて、一階のリビングに来た。
父親と母親がソファーに座っているから、
「いや、バイトの事なら、テストが終わるまでは休み入れるから!」
そう言い出した。
最近、ファーストフードのバイトを始めたのだが、両親が勉強が疎かになると反対していた。
それでまた怒られるのかと思った翔。だが、
「そうじゃないわよ、もうバイトはいいわ。その代わり、成績が下がったら直ぐに辞める事!」
と、母親が言い出し、だったら何?と、翔は、両親と向かい合わせに座るように、ソファーに座った。
「尊……最近ちょっと元気ないでしょ? ぼんやりする事も多くなって、今日なんて、夕飯のおかず少し残してたし」
心配そうにそう話す母親に、
「あれじゃないか? ほら、ワタルがいなくなったから元気ないんじゃないか?」
と、父親が言う。あぁ、と、翔は頷きながら、
「ワタルをまた連れて来いって話?」
そう言うと、両親は首を振り、
「そうじゃなくてね、どうせなら犬をお迎えしましょうかって」
と、父親を見ながら、ね?と、母親が言う。
「クリスマスにな、プレゼントで。だが、ほら、犬って高いからさ、お前と尊と二人へのプレゼントって事で、今年はお前のプレゼントはナシって事でいいか?」
と、父親は母親を見ながら、そうだよな?と、言うから、いやいやいやと、さっきから二人共、言うならコッチを見て言えよと翔は苦笑い。
「おれはバイト始めたし、欲しい物は自分で買えるからいいよ。でも、尊は犬が欲しいのかなぁ?」
「だってワタルを、あんなに気に入ってたじゃないか」
父親がそう言うから、まぁねと、翔は頷き、
「でも、それはワタルを気に入ってただけで、犬が欲しいのか、どうかは……」
と、翔は首を傾げる。
「でも最近、あの子の様子がおかしいでしょう、なんとかしてあげたいのよ。多分ね、ワタルを想っての事なんじゃないかと思うのよ。だから新しい犬が来たら、それはそれで、ワタルへの想いも断ち切れるんじゃないかしら?」
母親にそう聞かれても、翔もわからない。
「ハロウィンの夜に、この街は事件が多かったからなぁ、そのせいかもしれないなぁ。尊の担任も亡くなったんだろう? 通り魔だっけ?」
そう言った父親に、母親が、
「お葬式はしなかったのよね。だからクラスメイト誰もが、よくわからないまま、担任変えになって、本当に亡くなったのかも、わからない状態で嘆く子供もいないって言うのを聞いたわ」
なんて言い出すから、
「誰から聞いたのソレ?」
と、翔が眉間に皺を寄せて聞くと、尊のクラスメイトの母親だとか――。
「ハロウィンの夜以来、学校側は、夜に出歩かないようにって、注意してて、先生達も夜の見回りを街中でしてくれてるって話よ。塾もオンライン授業になってるって。あの日の夜、本当に事件が多かったものね。翔も尊も無事で良かったわ。お友達の輝夜くん? だっけ? お気の毒よね……まさか、うちで遊んでる間に母親が自殺したなんて……」
「本当に自殺だったんだろうか? おかしな点が幾つかあるって言う話も聞いたよ」
そう言った父親に、それは誰から情報なの!?と、翔は苦笑いしながら、
「兎に角、尊には、おれから話してみるよ。だからクリスマスプレゼントは早まらないで」
翔は、そう言って、立ち上がり、2階へ上がり、早速、尊の部屋のドアをノックした。返事はないが、勝手にドアを開けて、中に入る。尊はベッドで寝転がって漫画を読んでいた。
「風呂?」
そう聞いた尊に、
「いや、風呂入れって言いに来た訳じゃなくてさ、ちょっと話があって……」
翔がそう言うと、尊は起き上がり、ベッドの縁に座り、翔を見る。
「最近……学校どう……?」
「何が?」
「楽しい?」
「別に」
「シンバくんとは……?」
「何が?」
「仲良くやってる?」
「知らないよ、来てないし」
「来てない?」
「学校に来てない。いいんじゃねぇの。だって来る意味ねぇじゃん。アイツ、犬だもん」
「……」
「言ったろ? アイツ、ワタルだったんだって! オレを騙してたんだって! 化け物だったんだよ!」
「……」
「ハロウィンの夜、この街に事件が多かったのも、アイツのせいなんじゃねぇの?」
「……」
「それでアイツ、学校来辛いだけじゃん?」
「……」
「てか、二度とオレの前でアイツの名前とか出すのやめろよな! 腹立つから!」
「何に腹を立ててるの?」
「何って!!!!」
なんでわからないんだとばかりに、尊は翔を睨んだ。だが、翔も怒った顔で、尊を見ている。
「尊……シンバくんは、お前を何度も助けてくれたんじゃないの? お前に酷い事をされても、それを咎める事もせず、お前を助けてくれたんじゃないの?」
「別に助けてってお願いした訳じゃない!! アイツが勝手にやったんだ!!」
「じゃぁシンバくんはどうすれば良かった!? 本当の正体をお前に話してたら、お前はワタルを最初から受け入れたのか!?」
「それは……そうかもね!! ちゃんと正直に話してくれれば良かったんだ!! そしたらオレだって、最初から、アイツに近付かなかったよ!!」
「本気で言ってる?」
「言ってるよ!! オレがアイツを殴ったり蹴ったりしても、アイツ、全然平気そうで、だから余計、殴ったり蹴ったりしたけど、我慢してた訳じゃない!! オレなんかに殴られても蹴られても痛くも何ともなかっただけ!! だってアイツ化け物だから!! アイツに虫を食えって、給食に虫をたんまり入れてやったら、平然とそれを口に入れたんだ!! 気持ち悪ぃって思ったけど、アイツにとったら、それも餌だったんだよな!! だってアイツ化け物だから!! そんな相手だとわかってたら近寄らなかった!! バカにしやがって、オレを悪者にして嘲笑ってただけなんだよ!! オレを助けるフリしてただけ!! そうやって優越感に慕ってたんじゃねぇの? 違うか、何か企んでたのかもな!! もしかしたらオレを食おうと考えてたのかも!! だってアイツ化け物だから!!」
ハァハァと息を乱して、そう吠える尊に、翔は、スッと表情を無にした。そして、黙って、背を向けて、部屋を出て行こうとするから、
「翔ニィチャン?」
と、その背に、声をかけた。翔は、顏だけ振り向いて、横顔を見せると、
「おれがイジメられてるのを見た時、お前、おれに言ったよな。恥ずかしいって。兄だなんて思えないって。そっくりそのまま、その台詞返すよ」
そう言った。そして、
「お前みたいな弟、いらない」
そう言い放った。
「ハァ!? 何言ってんだよ!!?」
「お前みたいな心のない人間を弟だなんて思えない。血の繋がりがあるなんて信じられない。化け物だから? オレからしたら、お前の方が化け物に見える」
翔は、そう言って、行こうとするから、尊は、翔の腕を掴んだ。その尊の手を強く振り解き、翔は、また顏だけ振り向かせて、
「触るな。お前なんて知らないから、二度とおれに話しかけて来るな。気持ち悪いんだよ、お前」
と、部屋を出て行った。そんな翔を見たのは初めてで、尊はビックリするが、直ぐに大声で、
「こっちの台詞だっつーの!! 大体話しかけて来たのそっちだし!! 俺のが知らねーわ、テメェなんか!! 兄貴面二度としてくんじゃねぇ!!」
そう吠えた。
それでも、尊は、翔に言われた事に傷付いて、更に、朝起きたら、洗面所で翔に出くわして、おはようと声をかけたにも関わらず、無視されて、朝ご飯の時も、一切、目を合わせて来ない翔に、更に傷付いて、いつもなら途中まで一緒に行こうと言って、玄関まで追って来る筈の翔が、サッサと学校に行ってしまった事に、もっと傷付いて、急いで追いかけたが、もういなくなってた事に、もっともっと傷付いて、尊はランドセルを背負ったまま、道路の真ん中で俯いて、動かなくなってしまった。
そこへ通りかかる、クラスメイト達。
「よっ! 尊! 何してんだよ?」
「尊? どうした?」
「急がねぇと遅刻しちゃうぞ?」
みんな、尊と連んでいる友達だ。尊は、皆を見回し、
「オレ、獅子尾探偵事務所に行って来る!」
そう言うと、走り出した。皆、獅子尾探偵事務所?と、首を傾げながらも、尊を追う。
「尊、獅子尾探偵事務所って?」
「探偵に何か依頼すんの?」
「どこにあんの? 探偵屋さんって?」
「獅子尾探偵事務所は、獅子尾んちだ!」
「獅子尾んちって、獅子尾 シンバの事か? アイツの家って探偵なの!?」
「てか、尊、アイツんち知ってんの?」
「何しに行くんだよ? アイツ、学校休んでんじゃん?」
「学校休んでんから行くんだよ! アイツ、なんで休んでんのか知らねぇけど、友達なら迎えに行ってやるべきだろ!!」
そう言った尊に、皆、顔を見合わせながら首を傾げ、尊の後に続く。
そして、ビルの2階へ駆け上がり、尊は獅子尾探偵事務所のドアを開けようとするが、鍵がかかっている。ガチャガチャとドアノブを回すが、開かない。
「尊……? 探偵事務所まだ開いてないんじゃない?」
「誰もいないんじゃない? ノックしても出て来ないじゃん?」
「学校行こうぜ」
と、階段を下りて行くから、尊も肩を落とし、溜息を吐きながら、階段を下りると、道路の向こう側から、獅子尾と狼の姿のシンバがこっちへ向かって来る。
皆、うわぁ、デッカイ犬だなぁと、見てる中、尊が、
「オジサン!!」
そう叫んだ。獅子尾は、尊を見て、
「あぁ……キミは確か……翔くんの弟くんだったね? 忘れもしない、頑なに俺をオニィサンと呼ばない子だ」
と、笑顔で言うと、
「これから学校? いってらっしゃい」
と、手を振るから、
「そうじゃなくて!!」
と、尊は、大声を出すから、皆、ビックリする。
「あの!!」
尊は、狼のシンバを見ながら、
「あの!! どうしてシンバくんは……学校へ来ないんですか……」
そう聞いた。そして、皆、獅子尾を見る。獅子尾も皆を見て、
「あぁ、みんな、シンバの友達かな? シンバの事が心配で来てくれたの?」
と、笑顔で言いながら、
「実はね、シンバ、体調悪くしててね、ほら、ハロウィンの夜に、ちょっとイロイロあってね。で、体弱ってる所に、殴ったり蹴ったりされたら、大変だからさ」
なんて、意地悪な台詞を似合わない表情で言い出した。
尊以外、皆、ゴクリと唾を呑み込み、下を向き始める。
「キミ達だろう、うちのシンバを散々イジメ抜いてくれたのは」
笑顔で、その台詞は、逆に怖い。
「オニィサンはね、これでも探偵だ。知らないとでも思ってた? 証拠も押さえてある」
子供達の顔が青冷めるのが、そんなに面白いのか、笑顔どころか、ゲラゲラ笑い出す獅子尾。
「さぁて、警察に突き出そうかなぁ? オニィサンはね、元刑事でね、警察の方にも顔が効くんだよ。死刑にしてくれって、オニィサンが言えば、全員、死刑かな」
笑いながら言う台詞ではない、子供達は今にも泣きそうだ。だが、尊だけは、真顔で、ジッと獅子尾を見ている。
「冗談だよ、怒ってないし、シンバも怒ってない。さぁ、もう学校へ行った方がいい、遅刻するよ」
そう言った獅子尾に、皆、ホッとして、学校へ行こうとするが、
「だから!! そうじゃなくて!!」
と、尊が叫んだ。皆、動きを止める。獅子尾も、尊を見て、真剣な顔になる。それは、尊が真剣な顔で、真剣な眼差しで、獅子尾を見ているから。
「シンバくんは、どうして学校へ来ないんですか? オレ達もうイジメとか、そんな事はしません。イジメた事が許せないと言うなら、今、オジサンがオレを殴ってくれてもいいし、土下座しろって言うならします! 警察にだって連れてくなら、オレは素直に応じます。許してくれなくても何度だって頭を下げます! だからもう一度、オレにシンバくんと仲良くなれるチャンスを下さい!」
尊は、そう言って、頭を深く下げた。皆、ザワっとするが、尊が頭を深く下げるので、とりあえず、自分達も下げた方がいいかと、頭を下げた。
獅子尾は、シンバをチラッと見ると、シンバは、タタタタタッと、階段を登って、事務所へと向かった。そのシンバの足音で、尊は頭を上げて、行ってしまうシンバの背を見つめる。
獅子尾は、腰を落とし、皆と同じ視線にして、
「犬の寿命って知ってる?」
そう聞いた。皆、何の話だ?と、お互いを見合いながらも、首を傾げる。その中の一人が、
「僕のうち、犬いるから知ってる。長くて15年とか、16年とか……」
そう言った。獅子尾は頷き、
「そうなんだ、長くて、15、6年……もっと長生きする子もいるだろうけどね……もっと早く死ぬ子もいる。だから犬はね、大体、10年生きればシニアなんだ。わかる? 老人になるって事。老人になるって事はね、寝てばかりになるし、うまく歩けなくなるし、覚えてる事も少なくなるし、物忘れも酷いし、力もなくなる……」
そう話した。皆、シーンとして聞いているが、尊以外は、ポカーンとした顏をしている。
「シンバはね、今、そういう状態なんだよ」
どういう事?と、尊以外、皆、首を傾げる。
「そういう病気だと思ってくれていい」
病気?と、また皆、首を傾げる中、尊が、
「寿命が近いって事?」
そう聞いた。獅子尾は笑顔で、それに対しては答えず、
「俺がね、キミ達が、シンバに暴力を振るっても、何も言わなかったのは、シンバが、それに耐えるだけのチカラがある事を知ってたからなんだ。キミ達、どれだけシンバを殴ったり蹴ったりした? 力いっぱい殴った? 服の上からだから知らないだろうけど、シンバの体には痣一つなかったよ。それどころか痒くもないって言っていた」
そう言って、皆を見回す。それは強がりだろうと、痣一つないなんてある訳ないと、皆、思っているが、尊は真剣に聞いている。
「それよりも、キミ達の方が心配だった。シンバには、絶対に手を出すなって、言って聞かせたよ。何事も本気になるなってね。シンバが本気で、いや、本気じゃなくても、やり返したら、キミ達なんて、只の餌だよ」
ハァ?と、皆、眉間に皺を寄せる。
「でもね、今のシンバに、キミ達が寄って集って暴力を振るうと、いや、たったの一撃で、シンバは……もしかしたら死ぬかもしれない」
そんなバカなと、皆、少し笑う中、尊が、
「絶対に殴ったり蹴ったりしないし、シンバはオレが守ります!」
そう言うから、皆、なんで?と、驚いて、尊を見る事しかできない。
「それだけじゃないんだよ。それだけじゃない。さっきも言ったけど、老人というのはね、お世話をしなくちゃいけない。例えばトイレにも行けず、漏らすかもしれない。そしたら、片付けなきゃいけないし、漏らした服も着替えさせないといけない、食べる事だって、うまくできなくなってるし、歩くのも遅くなっている。階段もね、上るのは、まだいいんだ、でも下りるとなると、無理がある。手を貸してあげなきゃならない」
獅子尾がそこまで話すと、
「そこまでまだ酷くないですよ」
と、ゆっくり階段を下りて来たシンバ。その姿は、クラスメイト達がよく知っているシンバの姿だ。
ランドセルを背負っているシンバに、獅子尾が、
「行くのか?」
と、問う。もう無理に学校に行く必要はないと、獅子尾は思っている。
月子の事も終った今は、のんびりゆっくりと過ごしたらいいと思っている。
「折角……迎えに来てくれたみたいだし……行けるとこまで行ってみます」
そう言ったシンバに、送らなくていいって事かと、獅子尾は頷き、
「じゃぁ、何かあったら連絡しろ? 直ぐに迎えに行く」
そう言った。頷くシンバに、獅子尾も頷き返し、今度は尊を見て、みんなを見て、
「なぁ、もし、相手がシンバじゃなくて、うんと心も体も弱い子だったら、キミ達は今頃、殺人者かもしれない。みんなで寄って集って、一人を甚振るなんて、それこそ悪そのものだ。キミ達は本当に警察に捕まって、本当に罪を償う為に、これからの何十年という人生を生きて行かなきゃならなくなる事、そうなってたかもしれない事を絶対に忘れちゃダメだよ」
そう言うと、
「頼んだよ、シンバの事」
そう言った。尊は強く頷き、シンバに近付いて、ランドセルをよこせと、
「オレが持ってやるよ」
そう言うから、そこまではいいよと、シンバは首を振る。だが、
「いいからよこせよ!!」
と、シンバから無理矢理ランドセルを奪う尊に、獅子尾は、あの子はちょっと通常が乱暴なんだなと苦笑い。
翔とは真逆な感じだ。
ゆっくりゆっくり歩くシンバと、それに合わせる尊と、しょうがなしに、皆も、シンバと尊に合わせて歩く。
「もう完全に遅刻だな」
「一限目の授業ってなんだっけ?」
「それより獅子尾ってさ、親、外人じゃないんだな? 母親が外人なの? お前、ハーフって奴?」
「それな! 俺も思ったわ。ていうか、あのオッサン、ホンモノの探偵なの? 犬の話はなんだったの?」
「なぁ? ていうか、本気で歩いてる? ふざけてない? こんな遅いとか有り得ないし」
と、皆、シンバを見る。
「ごめん、ちょっと疲れて来ちゃったから……」
と、呼吸を小さく乱しながら、その場に立ち止まるシンバに、嘘だろ!?と、皆も立ち止まるが、
「てか、マジで老人かよー!」
「ていうか、もう置いて行こうぜ、尊!」
「そうだよ、大体、なんで獅子尾と急に仲良くなろうとしてんだよー!」
「まぁ普通にクラスメイトとして仲良くなるのはいいけどさー! コイツを仲間にするってのは違うと思うなー!」
「またさ、ハロウィンの時みたく、クリスマスとかさ、そういうので何か一緒にやるってのはいいけど、勿論、野球にサッカーにドッヂとか? そういう遊びも入れてやるよ? でも誰かの家に集まってゲームしたりとかさ、漫画読んだりとか、俺達だけの、空間? なんていうか、まぁ、そういう俺達の仲間ってのとは違うかな。悪いな、獅子尾」
そう口々に言いたい放題言った後、
「獅子尾って髪の毛真っ白だから白髪のジィサンみたいだなー!」
と、一人が、そう言って、皆、シンバを見て、大笑いし出した。
「行きたいなら行けよ、くだらねぇ事喋ってねぇで」
尊が、大笑いしている皆に向かって、そう言うと、皆、ピタッと笑いを止めた。
「オレは獅子尾と学校へ行く。お前等サッサと行けば? 別にお前等の仲間に入れてもらおうなんて思わねぇよ。オレの仲間はコイツだから」
そう言った尊に、皆、お互いを見合い、だが、何も言わず、尊を睨み付けるようにして、その場を去るように、学校へ走って行った。
皆が走り去るのを見つめるシンバに、
「あそこに公園があるから、あそこのベンチで休んでから行こうぜ」
と、尊が言うので、シンバは、尊と一緒にゆっくりと公園に入って行く。
公園のベンチは日が当たっていて、暖かい。
「寒くないか?」
と、尊は、手袋してくれば良かったと、手を擦り合わせながら、白い息を吐いた。
ぼんやりと、日を見つめるシンバ。何を話していいか、わからない尊。
だが、何か話そうと、
「あのさ……」
と、シンバを見る。シンバはぼんやりとしてるだけ。
「あのさ、オレ、お前がワタルだってわかった時、本当は怒ったりしてなかったよ。ビックリはしたけど、嫌だと思った訳でもない。翔ニィチャンにイロイロ言われて、悲しかったのもあるけど、だから今日、お前を迎えに来たんじゃなくて、いや、だから迎えに行ったんだけど、ホントは、ホントに、翔ニィチャンに言われる前から、お前と仲直りしたいって、どうやったら仲直りできるかって考えてたから」
言い訳だなと、尊は思いながらも、そう言って、
「悲しかったんだ……言ってくれたら良かったのにって……でも言えないよな……だってオレはお前に酷い事してばかりだったから……言える訳ないのに、そんなのわかってたのに、それもお前のせいにして、勝手に怒ったふりして、スネて、勝手に悲しんで、バカだろ?」
と、少し悲し気な笑顔で、シンバを見ると、シンバは、やっぱりぼんやりしてるから、尊は黙って、シンバと同じように、日を見つめる。
2人で暫く静かな時間を過ごした後、尊が立ち上がり、
「よし! そろそろ歩けそうか?」
そう聞いたが、シンバは、キョトンとした顏をして、尊に、
「誰ですか?」
そう尋ねた。
「え?」
「どちら様でしょうか……? ここは……? 僕はどうしてここに……?」
「え、あ、えっと、学校! 学校へ行く途中!」
「学校?」
「うん、学校! オレ、同じクラスの朝比奈 尊!」
そう言われ、シンバは暫く考えて、あぁ!と、頷きながら、
「学校へ急ぎましょうか」
と、立ち上がった。
そして、ゆっくりゆっくりと歩き出すシンバに、付き添う尊。
学校へ着いたのは2限目が終わった頃だった。
「獅子尾くんのお父さんから連絡が来てたので、遅刻するのは、わかってたけど、それにしても遅すぎじゃない?」
そう言ったのは、新しく担任になった若い女の先生だ。
「獅子尾くんの病気の事は、お父さんからも聞いてるわ。でも、毎日、獅子尾くんの付き添いをしていると、朝比奈くんまで遅刻しちゃうから」
と、困ったように言う先生に、
「尊はサボリたいんじゃねぇの?」
と、誰かが言った後、数名が笑い出した。尊の仲間……だった子達だ。だが、
「私もシンバくんの付き添いに協力します! だから、朝比奈くんと交互でやれば、毎日じゃなくなるからいいんじゃないですか?」
と、夕里 つむぎが手を上げて言い出した。
尊は、なんでアイツが?と、思うが、もしかして、シンバの正体を知っているのか?と、思い、ジィーッとつむぎを見るから、つむぎが、そんな睨まなくてもと苦笑い。
「でも2人で交互にやったとしても、週に2、3回は遅刻になるわ。授業も遅れちゃうし」
と、先生は更に困った顔。
「遅刻した日は放課後に残って勉強すればいいんじゃないですか?」
そう言ったつむぎに、先生は、それは私に残業をしろって事なの?と、もっと困った顔。だが、
「それでいいじゃん、そうしようぜ」
と、尊まで言い出し、
「で、でも、放課後はなるべく早く帰るようにって言われてるでしょう? 変な事件に巻き込まれても困るしね」
慌てて、だからそれは駄目と、先生は、首を振りながら言う。
「それなら、課題を出して、次の日に提出するようにすればいいんじゃないでしょうか?」
男子の学級委員が、そう言うと、女子の学級委員も、
「理由があって遅刻した場合は、宿題を多めに出すとかすればいいと思います。授業のノートは私が見せてあげれるので」
そう言って、シンバへの付き添いの賛成意見を言い出す。え?え?と、先生はクラスの皆を見回すと、だいたいの生徒が、
「獅子尾くんも、クラスの一員なので、病気で来れないなら、サポートするのがクラスメイトだと思います」
と、言い出した。中には、数名、反対派もいるが、圧倒的に、シンバを受け入れようとする生徒が多い。
そうなったら、しょうがないと、先生も、
「わかりました、では、獅子尾くんは、少し朝早めに出発するようにして、遅刻は一時限目までとします。一限目の授業内容は学級委員がノートにまとめて、見せてあげて下さい。わからない事は先生に休み時間を利用して聞いて来る事! それから朝比奈くんと夕里さんだけでなく、獅子尾くんには、みんなで手助けしてあげて下さい。それでいいわね? 朝比奈くんも夕里さんも、今迄より朝早く起きなきゃならないわよ? いい?」
そう言った。尊も、つむぎもコクンと頷く。そんな中、シンバは、一番後ろの席に座って、ぼんやりとしているだけだった。
休み時間になると、尊は、漏らさないようにと、シンバをトイレに連れて行き、昼の給食の時は、つむぎが、食べやすいように、おかずを細かく切ってあげたりした。
5時限目が始まると同時に、先生が、
「あら? 獅子尾くんは?」
と、シンバが席にいない事に気が付き、皆が振り向いて、シンバの席を見ると、誰もいない代わりに……
「先生! 獅子尾くんの机の下に大きな犬が寝ています!」
と、シンバの席の前の子が、そう叫んだ。
皆が、犬?と、シンバの席を覗き込む。
「あれって獅子尾の犬じゃん」
誰かが、そう言うのと同時に、
「獅子尾は保健室に行きました!」
尊が叫んだ。
「保健室?」
先生が、そう尋ねると、尊は、
「体調が悪過ぎて保健室で寝てるって! 後で様子見て来て、帰りはオレが送ってくよ!」
そう言った後、直ぐに、
「あの犬は獅子尾んトコの犬で、多分、獅子尾が心配で来ちゃったんだと思う! アイツもオレが責任もって連れて帰るから!!」
そう言った。先生は、でも犬は外に追い払わないと……そう言うから、今度は夕里が、
「駄目です。野良犬と思われて、保健所に連れて行かれる可能性があります。そうしたら、外へ追い出した先生の責任になります。今は犬も家族ですから、それで訴えられる場合がありますよ!」
なんて言い出し、先生は、えぇ!?と、それは困ると首を振りながら、
「ね、寝てるようだし、ソッとしておきましょう、では、授業を始めます」
そう言って、授業を始め出した。
6時限目、移動教室で、尊は、
「サボっちゃえばいいか」
と、狼の姿のシンバを置いて行けず、だからって連れまわす訳にもいかないだろうと、寝てるシンバの横に座りながら、そう呟く。
皆、教室から出て行き、残った尊は、
「そういえば、お前、服どうしたんだよ?」
と、辺りをキョロキョロ探していると、
「何か探してるの?」
と、つむぎが戻って来たので、
「あぁ、いや、別に。ていうか、移動しないの?」
と、尊が聞くと、
「これから移動するよ、トイレに行ってただけだから」
と、つむぎは机の中から教科書を取り出す。でも、尊とシンバが気になって、つむぎは、教科書を机の中に戻し、
「サボっちゃおうかな」
なんて言うから、尊は、つむぎを見る。
「なぁ、もしかしてさぁ、お前、コイツの正体知ってんの?」
尊が、そう聞くと、つむぎは、尊を見て、そして、シンバを見て、そして、また尊を見て、
「朝比奈くんも知ってるみたいね」
そう答えた。そして、つむぎは、
「でも、だからって、どうして、急にシンバくんの味方なの?」
と、首を傾げながら問う。
「味方っちゅーか……」
スコスコ眠るシンバに、尊は、フッと笑みを零す。
『でも、ワタルは……尊くんが……好きだと思います』
「オレが知ってるコイツの名前はワタルって言うんだよね…」
「ワタル?」
聞き返すつむぎに、コクンと頷く尊。
『尊くんに優しく撫でてもらったり、尊くんに心配してもらったり、会いたいと思ってもらえたり、そういうのは嬉しい……事だと思います』
「獅子尾がさぁ、言うんだよ、ワタルはオレの事好きだと思うって。オレに優しく撫でられたりするの嬉しい事だと思うって」
「へぇ……」
「オレ、獅子尾の事、散々イジメて来たのにさぁ、絶対に消えない傷付けたのにさぁ、それでもコイツはオレの事好きだって。ちょっと撫でてやっただけなのにさぁ……」
「うん……」
『だから、ちゃんと言えなくなる前に言っておきます。ありがとうございました』
「礼ならオレが言わなきゃいけないのに、コイツ、オレにありがとうっつったんだよね」
「うん」
「馬鹿だよね」
「犬って、そういうとこあるよね。あ、獅子尾くんは犬とは違うけど……狼も同じなのかもね。絶対に自分の方が強いのに、その強さを絶対に使わない。本当に大事なモノを守る時にしか使わないの。そして、相手のイイトコを本の少しでも覚えてるの。人間とは逆なのよ。人間は嫌な事をやられたら、その嫌なトコばかりを覚えてる。いい事をしてもらっても、嫌な事の方ばかり覚えていて、いい事してもらったのに、いい事してもらったと思えない。犬の方が、人間なんかより優しい……」
「うん……え? ていうか、狼!? 狼なの!? コイツ?」
「え? なんだと思ってたの?」
「犬だと思ってた」
「犬じゃないわよ、イヌ科だけど。狼よ」
「マジで!? デカいと思った!! え? ていうか、よくわかんなかったんだけど、もしかして、コイツ、狼って事は、狼男ってヤツなの!?」
「そうみたいね」
「そうみたいねって!! 驚かないのかよ!?」
「もう沢山驚く事イッパイあったから」
「あのさ……」
「なに?」
「狼も寿命って短いの? 犬って短いんだろ?」
「短くはないよ、平均15年くらいかな」
「短けぇじゃん!!」
「まぁそりゃ人間よりはね」
「狼も?」
「そうなんじゃない?」
「……コイツ、もうすぐ死ぬのかな」
そう言った尊に、つむぎは黙り込む。
「コイツ、寿命近いのかな……」
「わからないけど、20年とか生きる子もいるし……」
「オレ……コイツに生きててほしい……」
「うん……私も……」
つむぎは頷きながら、だからこそ生きてる間にイッパイ愛してあげるんだと、言おうとして、
「そういえば、ハロウィンの日ってさぁ……」
と、全然、違う話を出した。
きっと愛してあげるって言っても、よくわからないだろうと思ったからだ。
自分も愛などは、よくわかってない。
だが、犬を飼って来て、今迄で別れもなかった訳じゃない、その度に、父親から、だからイッパイ愛してあげるんだと言われて来た。
それは家族だから言える事であって、小学生の友達同士で話す事ではない。
それにつむぎなりに、イッパイ愛してあげる事は、イッパイ可愛がってあげる事だと思い、犬達を沢山撫でて、沢山抱き締めて、沢山のスキンシップをとって来ている。
シンバをイジメて来た尊に対して、それを伝えるのは、酷な事だ。
イジメを後悔している尊には特に――。
せめて、泣き顔より笑顔で傍にいる事が幸せなんじゃないかと、
「何の仮装したの?」
と、笑顔で、尊に聞いた。
「なんだよ、突然?」
「何の仮装したのか気になるんだもん!」
「ヴァンパイア」
「ん? 嘘でしょ? あ、いや、違うよ? 朝比奈くんのコスプレなんてどうでもいいんだからね?」
「ハァ!?」
「私が気になるのはシンバくんの仮装! シンバくん、カッコいいから何のコスプレしても似合うんだろうなぁって思って」
「なんだそれ!? コイツはシーツ被ってゴーストだっつってたけど!! てか、まんまでいけたんじゃん!! 狼男で!!」
「そうだね」
と、笑い出すつむぎに、尊も笑い出す。
その楽しそうな笑い声に目を覚ますシンバ。
今、ねぼけた視界で見ると、尊の手がシンバの頭を行ったり来たり撫でていて、尊とつむぎが、楽しそうにしていて、2人の笑い声に、シンバも嬉しそうに口角が上がり、そのまま目を閉じて、また眠りに付いた。
それから、シンバは尊とつむぎの世話になりながら、学校へ行くようになった。
問題はイロイロあったが、なんとか切り抜けて、12月になり、もうすぐ冬休みと言う日まで来ていた。
特に、突然、狼の姿になってしまう事に、言い訳を考えるのが大変だった。
「シンバくんの服、ローカに落ちてた!」
「あぁ、体操服に着替えさせたんだけど、じゃぁ、体操服じゃない方がいいよな、こっちの服にもっかい着替えようぜ」
狼になった後、人の姿に戻れば裸になってるシンバ。
今のところ、誰にも気付かれずに狼になったり、人になったりだが……
放課後、誰もいない教室で、尊は、シンバに、やっと体操服を着せたが、また脱がそうとする。
シンバは何度も着替える理由がわからず、何をするんだと、抵抗する。
「なんだよ!? 体操服より着て来た服のがいいだろ!? なんで嫌がるんだよ!?」
「これでいい」
「よくねぇよ! これ着るの手伝ってやるから!」
「やだ」
「やだじゃねぇ!!」
「朝比奈くん、いいじゃない、体操服でも」
そう言いながら、つむぎは、体操服入れの袋の中に、着て来た服を入れた。
「あ、トイレ! 獅子尾、トイレは? 行っとこうぜ?」
尊はそう言って、シンバの背中を押すが、シンバは動こうとしない。
「なんなんだよ!? もー!!」
と、尊がそう言って、溜息を吐いたら、つむぎはクスクス笑いながら、見ているから、尊もフッと笑いが零れ、はははっと声に出して笑い、
「頑固過ぎだよなー!」
と、シンバを見て言うから、シンバも、はははっと声に出して笑い出した。
尊とつむぎが笑うから笑ってみたと言う感じだが、声を出して笑うシンバに、尊もつむぎもビックリする。
「なんだよ、お前、そんな風に笑えるんじゃん!」
尊がそう言うと、つむぎも頷きながら、
「うん、ホント、笑えるんだね、シンバくん! シンバくんの笑顔、笑い声、聞けて嬉しいよ」
と、泣きそうになりながら言い出して、シンバも悲しそうな顔になるから、慌てて、つむぎは笑った顔をする。
このまま冬を越して、春が来て、卒業して、中学校へ行っても、シンバと一緒に、大人へと近付くのだろうと、疑いもなかった。
だが、その数日後、シンバは息を引き取った――。
クリスマスイヴで、雪がチラチラと降り注いだ聖なる夜だった。
獅子尾に抱かれながら、狼の姿で、眠るように、シンバは呼吸を止めた。
その夜、獅子尾が、人の姿のシンバに、
「ローストチキンの予約をコンビニでしてあるんだ。今年は奮発してケーキも買ったからな」
と、
「取りに行って来るから、ちょっと待ってろ」
と、ジャケットを着ながら言った。
黙って、事務所のソファーに座っているシンバ。
「今日は冷えるな、雪でも降るかな。あったかいスープみたいなのも買って来るかな、シャンパンもだな、あぁ、それに、おでん! クリスマスイヴに、コンビニのおでんは食わなきゃだよな!」
と、獅子尾が笑いながら、そう言って、事務所を出ようとした時だった。
「獅子尾さん」
と、獅子尾を呼ぶシンバに、獅子尾は振り向いた。
「獅子尾さん、眠くなって来ました」
「え?」
「だいぶ……眠く……なってきて……」
そこまで言うと、シンバは、狼の姿になってしまったので、獅子尾は直ぐに駆け寄り、シンバを抱き締めた。
狼のシンバの呼吸はどんどん浅くなって行き、あぁ、もう、そうか、そうなのか……と、獅子尾は、シンバを抱き締めながら、ソファーに座り、
「うん、いいよ、もういいよ、よく頑張った、ラクになっていい。今迄ありがとうな」
と、シンバを撫で続けた。
獅子尾の目から落ち続ける大きな涙の粒。だが、獅子尾は笑顔で、シンバを見つめながら、
「きっと、これから行く世界では、幸せだけが待ってる。人とか、狼とか、人狼とか、関係ない。平和で、優しい世界が待ってるんだ」
と、撫で続ける。
「月子さんにも会えるな。きっとお前を待っててくれて、うん、そうだな、きっと手を広げて待っててくれてさ、そして、きっと優しい笑顔で待っててくれて、きっと――」
と、撫で続ける。
「俺も、いつか、行くからな……また会えるから……」
と、撫で続ける。
「シンバ、聞こえてるか? 本当に本当に今迄ありがとうな。ありがとう。ありがとう、シンバ――」
と、撫で続け、シンバの呼吸が止まった瞬間、一瞬だけ、その手は止まったが、また直ぐに撫で続け、獅子尾は涙を流し続けながら、撫で続けた。
0時過ぎて、
「メリークリスマス、シンバ」
と、眠ったようなシンバに、獅子尾は、そう言って、静かなクリスマスを過ごした――。
そんな事になっているとも知らず、年明け、冬休みが終わり、学校が始まる日、尊は、シンバを迎えに行った。
その日は翔も一緒だった。
尊が、シンバの話をするようになり、翔も、尊を許し、今は仲のいい兄弟だ。
だが、シンバの死を聞いて、2人は、事務所の階段の下で、動けなくなった。
実感もなくて、尊は、階段を見上げる。
階段からゆっくりと、シンバが下りて来るような気がして――……
「おはよう」
そう言って、白いシンバに似た少年が下りてきた。
え?と、尊も翔も、その少年を見ている。
「あぁ、キミ達に話しておくね、スノウ。シンバの弟になる」
獅子尾が笑顔で、そう言うから、弟?と、眉間に皺を寄せる二人。
「実はね、シンバは、人狼の能力を彼に渡していてね、どうやら、能力を渡すと、一気に老化が進むみたいだ。だからシンバは、それを覚悟で、彼に能力を渡したんだ。まぁ、それには、シンバのいろんな想いがあった事だから……」
と、
「それで、彼は、シンバの能力を受け継ぎ、シンバの力を得た事で、シンバの息子って事になる。でもね、ほら、普通にね、シンバの見た目年齢から、息子なんておかしいから、弟って事にした」
と、
「シンバが死んだ日にね、現れて、どうやらシンバが能力を渡す代わりに条件を出したようなんだよ」
と、獅子尾が、そこまで話すと、今度はスノウが、
「ハロウィンの夜、呼んだら直ぐに現れて、味方になる事。シンバさんが亡くなったら、その後、旅はやめて、獅子尾さんが寂しくないように、獅子尾さんの傍にいて、獅子尾さんの探偵の仕事を手伝う事」
そう言った。
「まぁ、俺は寂しくないって言ったら嘘になるけど、別に俺と一緒にいる事はないって話したんだけどね」
と、苦笑いしながら、獅子尾が言うと、スノウは、
「シンバさんの能力をもらったので、条件は果たす。が! 学校へ行けとは言われてない」
と、仏頂面。
「見た目が小学生なんだよ。小学生がね? 平日の昼間っからウロウロできないの。夜もできないの。学校行ってないと、俺が責められるの。児童福祉とか来ちゃったら面倒だろ?」
と、獅子尾がそう言って、スノウを見る。スノウも獅子尾を睨み見ている。そんな二人をポカーンと見ている尊と翔。
獅子尾は、
「シンバの能力があるスノウはね、シンバ自身と言ってもいい。だから、仲良くしてやってくれな?」
笑顔で、そう言って、尊の頭を、ポンポンとすると、
「別に仲良くしてくれなくていい」
などと、無表情で言い出すスノウ。またそういう事を言う!と、獅子尾がスノウを怒る。
「よ、よくわかんねぇけど、ソイツも狼男なの?」
尊が、そう言って、スノウを見る。翔も、スノウを見て、
「シンバくんと同族って事ですか?」
と、聞く。コクンと頷いて、スノウは、
「でもシンバさんとは違う。カラーも白くて似てるだろうけど、ぼくはやられたら、やり返す」
と、学校へ向けて歩き出す。その背に、
「スノウくん、本気出しちゃ駄目だからね? 手加減しても駄目。兎に角、やり返すなんて絶対に駄目! 何もしちゃ駄目だからね! 殴られても蹴られても、やられっぱなしでいいんだよ! わかってるよね!?」
と、獅子尾が叫ぶから、それってシンバにもそう言ってたんだろうなと、尊は思いながら、スノウに向かって走って行く。
翔は、方向が違うから、そこで、獅子尾と共に、2人を見送った。
「久し振りにシンバくんに会いたかったなぁ」
そう言った翔に、
「会ってく?」
と、獅子尾。え?と、獅子尾を見る翔。
「手元供養にしたから、いるよ。事務所に」
「あぁ……じゃぁ、学校帰りにゆっくり寄ってもいいですか? シンバくん、何が好きでした? おれ、バイトしてるから、少しお金あるんです。シンバくんが好きなもの買って来ます」
「ラーメンかなぁ」
「ラーメン? それ獅子尾さんが今食べたいものですよね?」
「あれ? バレた?」
「バレバレですよ」
そんな話をしている獅子尾と翔の横を通る青年に、獅子尾は、思わず目を奪われた。
「知り合いですか?」
「あぁ、いや……」
「あ、探偵の仕事の?」
「そうじゃなくて、あの青年、何度か見た事あるなぁと思ってね」
「この辺に住んでるんですかね」
そう言った翔に、そうだなと、獅子尾は頷いた。
青年は、後ろのジーンズの腰から、ピエロの仮面を出した。そして顔に着けて、今、スノウに近付く……
スノウが、振り向くと、尊が、
「待てって言ってんだろ」
と、走って来て、隣に来ると、
「弟って事は、学年は下になんの?」
と、聞いて来るから、馴れ馴れしいなと、スノウは冷めた目で尊を見る。
「なぁ? シンバの能力もらったとか言ってたけどさ、それもらうと、どうなるの?」
「……」
「お前も寿命短いの?」
「……」
「見た目はまだ子供なのに?」
「見た目年齢は関係ない。それより、黙れないかな?」
「え?」
「ウルサイ」
「そんな事言うなよ。なぁ? 狼男ってさ」
「日本語で正しくは人狼」
「じんろう? それは強いの? オレも後からになってだけど、イロイロ聞いて知ってんだけど、ハロウィンの夜にさ、ホンモノのヴァンパイアと戦ってたんだよな? 人狼ってヴァンパイアより強いの?」
「強さなら、どっちもどっち」
「そうなの? じゃぁ、正義なんだ?」
「正義? 正義か悪かって? そんなの、人寄り意見なら、どっちも悪だ」
「え? そうなの? じゃぁ、どっちが勝っても負けても、人間は……」
「人間の味方になるか、ならないかってだけだろ。味方なら、それは例え悪でも正義になる。敵なら、例え正義でも悪になる」
「え? なんか難しいな。オレと獅子尾は……」
友達と言おうとして、尊は言葉を呑み込み、黙るから、スノウはやっと静かになったと思う。
「んじゃぁさぁ!」
静かになったと思ったのに、また喋り出した尊に、スノウは、今度は何!?と、睨むと、
「人狼とヴァンパイアは敵なしだね! 強いから!」
などと言い出すから、
「もっと厄介な連中がいる」
そう言って、今、空を見上げるから、尊も、その視線を辿り、空を見上げる。
綺麗な青空。
ピンクの冬桜の花びらが、ヒラヒラと舞っている。
だが、スノウが見ているのは、電柱の上に立っている青年。
ピエロの仮面を付けているから、どこを見ているのか、わからないが、コチラを見下ろしているのだろうと、スノウは思う。
そして、次から次へとと、小さな溜息。
「で?」
尊が、そう言って、スノウを見て、
「で? 厄介な連中って?」
と、問うから、スノウは、スッと目線を下へ戻し、
「魔女」
と、歩き出す。
「魔女? 魔女って、そんな強いか? 相手は女だろうしさ! いや、まぁ、女も強いヤツいるけどさ……」
「魔女は女とは限らない」
「え? だって、魔女は女だろ、魔女ってくらいだから。男だったら魔法使いとかになるんじゃねぇの?」
「魔女って言うのは、職業の名前みたいなものだ。それに、魔女と魔法使いは違う」
「違うの!? どういう風に違うの!? だって、ゲームとかにも魔法使いって出て来るけど、魔女って呼ばれてたりしてるよ? それに戦士より全然弱いよ? だから絶対に人狼とかヴァンパイアのが強いと思うけどね、だから、そんなヤツが現れても、全然平気だよ」
と、笑い出す尊。そして、ベラベラとゲームについて話し出した。
何もわかっていないお気楽な少年だなと、スノウは思いながら、青空を見上げ、あの世も晴天かなと思う――……。
まだ寒いが、もうすぐ気温もグンッと上がる春が来る。
出会いと別れの季節…
新たな生命の息吹と、終わりを告げる糧なる命。
桜の香りを胸にイッパイ吸い込み、新しい始まりが来た事を感じる。
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