19.ハロウィンナイト
ここは屋根裏部屋のプラネタリウム。
薄暗い部屋に、天井には満天の星空が映し出され、床には一面の星月夜。
「シンバ……お前……花があるのに……」
獅子尾が息をするのも苦しそうに、途切れ途切れ、そう言った。
星月夜が一面に咲いている床に、シンバは、ニオイがないから平気だと思う。
ニオイがない訳じゃない。
現に獅子尾は噎せ返るような星月夜のニオイに、クラクラしている。いや、クラクラしているのは、怪我をしているせいもあるだろう。
シンバは、自分の体が、もう人狼として、殆ど役に立たないと悟る。
老化現象がシンバの五感を鈍らせる。だが、そのおかげで、星月夜の毒にやられないで済む。
「シンバ……」
今、月子がシンバを呼ぶ。
「私のよく知っている姿で来てくれたのね……」
そう言って、優しく微笑む月子。そして、おいでとばかりに手を伸ばして来る。
「いつも撫でてあげたわね、シンバ……」
「アナタの白い体をギュッと抱きしめてあげたわね、シンバ……」
「アナタのフワフワの優しい毛を覚えているわ、シンバ……」
「一緒にご飯も食べたわね、シンバ……」
「シンバ……おいで……」
「あの頃と何も変わらず、アナタを抱き締めてあげるから」
そう言って、月子は手を広げる。
シンバは、チラッと獅子尾を見ると、獅子尾は、汗だくで息を切らせ、月子に向かって銃口を向けたまま、月子を見ている。
今、その弾き金を弾いても、きっと心臓からズレてしまうだろう。
獅子尾さんの目も片目しか開いていない。そして何より手は小刻みに震えている。
狙いは定まってない様子……
「アナタはいつも私を守ってくれた、そうよね、シンバ……」
月子にそう言われ、シンバは月子を見る。月子の全てに、あの頃の全てがあり、それはとても残酷過ぎた。
シンバは、一歩一歩、ゆっくりと月子に歩み寄ったかと思うと、ダダダッと後ろ足を強く蹴って駆け出し、今、月子目掛けて襲い掛かる。
シンバの白く大きな前足が、月子の肩を掴むようにし、後ろへ押し倒した。月子の肩にシンバの爪が入る。
月子は近くに来たとばかりに、牙を向き出して、口を大きく開けると、シンバに噛み付こうと、倒れて肩を押さえられながらも、足掻くように首を前へと伸ばす。
前足を噛まれないよう、シンバは、右肩を押さえている手を月子の額へと置いて、顔を押さえつける。
振り乱される白い髪。
美しく優しい顔はどこへやら、ヴァンパイアの顔を向き出しにして、月子は、鋭い爪を出して来て、肘を曲げて、シンバの横腹に爪を突き刺して来た。
グハッとシンバの口から息が吐きだされた後、鼻の上に皺を寄せながら唸り声を上げて、グワッと大きな口を開き、牙を向き出しにして、月子の首元目掛けて噛み付いた。
ギャーッ!という悲鳴を上げながらも、月子もシンバの横腹に刺した爪を更に奥へと差し込んで来る。
もみくちゃになるシンバと月子に、獅子尾はどうしたらいいんだと、銃の向きを何度も変える。
もうこうなったら、距離をとる必要はないと、獅子尾はシンバと月子のバトル中の傍に走り寄り、至近距離で月子の心臓を狙うが、どの角度からしてもシンバが邪魔だ。
シンバは獅子尾が傍に来た事を感じ、月子の首から口を離した。
シンバの牙から血が滴り落ちる。
その血は、月子の血ではない、月子が吸って来たであろう者の血。その血が、月子の首元から溢れ出るが、直ぐに傷が塞がって行く。
動かない、機能などしていない、その心臓を狙うしかない。だが、シンバが押さえつけてなければ、月子は逃げてしまう。だから、
――それだけの至近距離なら、僕の体を貫く威力はある筈。
と、
――今なら、月子さんの心臓を撃ち抜ける!!
と、
――僕が押さえつけているから早く!!
と、獅子尾にアイコンタクトを送る。
獅子尾はシンバの瞳に迷いはないと察し、頷いた。
『どこからも何も、俺は最初からハードボイルドの生き方をしてるだろう!』
『ハードボイルドって? どういうの?』
『だから俺みたいなのだ!』
『獅子尾さんみたいなのって?』
『だから! 俺みたいにだな、恐怖などの感情に流されず、冷酷非情で、精神的、肉体的に強靭で、男の中の男! エロスと死がテーマで、死ぬ事も殺す事も恐れないぜって奴だ!!』
ハードボイルドだったよなと、獅子尾は弾き金を弾いた瞬間だった、月子は爪を引っ込めて、シンバの横腹から爪を抜き取り、今迄の力以上の力を出して、シンバを突き飛ばした。
シンバは突き飛ばされ、床に転がったが、直ぐにスタッと立ち、月子を見た時には、月子は心臓を銀の弾丸で貫かれて、獅子尾に抱きかかえられている所だった。
どうしてそんな力があったなら、もっと早く突き飛ばさなかったんだろう?と、シンバはわからない表情で、2人を見つめる。
なんで?と、わからない顏をしているシンバに、月子は、そっと顔を上げて、微笑んだ。その顔はヴァンパイアの月子ではない。よく知っている優しい月子だ。
「だって……シンバまで死んだら……獅子尾さんが独りになっちゃうでしょ……」
なんで?と、益々わからなくなるが、
「お菓子のプレゼントより……いいでしょ……?」
なんて言う月子に、ハロウィンの子供へのプレゼントかと、獅子尾が少し笑ったが、その目には涙が一杯だ。
「月子さん、どうしてこの街で感染者を増やしたりしたんだ……大人しくしててくれれば……殺さずに済んだのに……」
「だって……この街をヴァンパイアの街にしてしまえば……アナタも感染者になって……永遠に一緒にいられるじゃない……?」
「俺が感染者に?」
「なるでしょ……? だって……街にはヴァンパイアか感染者しかいなくなるのよ……アナタもなるしかないわ……」
「無謀過ぎるだろ……」
「途中で変えたの……」
「変えた?」
「計画を変更したの……本当は人になろうとしたの……でもその方法は見つからなかった……だからアナタに感染者になってもらおうとしたの……」
「もういいよ、そんな嘘。月子さんの好きな人と関連のある事なのかもしれないが、感染者が増えるのは止めなきゃいけなかったし、ヴァンパイアが集まって来る事も阻止しなければならなかった。小さな街だが、人が住む為の場所だから」
「そうね……満月に嘘のママでごめんねって伝えて……本当のママは事故で亡くなったと――」
「わかった」
「満月の事……大人になる迄……面倒みてあげて……鷹幕家の遺産は使ってないから……」
「わかった」
「それから……」
と、月子はシンバに手を伸ばす。ゆっくりとシンバは月子の傍に行く。
月子は真っ白の手を真っ赤に血で染めて、その手を、シンバの顔に近付けた。
「ごめんね……痛かったわよね……でも本気出さないと……私を殺さないでしょう……?」
と、その台詞に、月子は最初から死ぬ覚悟だったんだと悟る。
そもそも老化するシンバの肉体は衰えて来ているのだから、本来なら、月子が本当に本気を出していたら、簡単に倒せた筈だ。
シンバは、月子の手のひらにソッと頬を摺り寄せ、鼻をキューンと鳴らす。
月子はシンバのフワフワの白い毛を手の中で感じ、嬉しそうに微笑む。
「獅子尾さん……初めて出逢った時……」
「あぁ、孤児院で……」
「初めて出逢った時、あの時の、お礼を言えないままだったから……」
「お礼?」
「アイスクリームをありがとう」
「アイスクリーム?」
全く身に覚えのない事を言われているようで、獅子尾は眉間に皺を寄せるが、死ぬ間際の幻か?と、
「あぁ、いいよ、別に、今更、礼なんて」
と、答えた。月子はフフフと笑いながら、目を閉じて、力を失くす。
月子の心臓を貫いた傷は塞がらず、血が流れて行く。
月子の血ではない、月子を生かす為の誰かの血が沢山流れて行く。
月子の長い白い髪も赤く、白いワンピースも赤く、床の星月夜も、赤く染まって行く。
月子をいつまでも抱き締める獅子尾も赤く染まる。
その狂気に満ちた光景が、シンバの目には、とても美しく思えた。
感染者達は、月子からの支配が解けて、我に返る。
その場で頭を抱え苦しむ者、狂う者、急いで家に帰ろうとする者、とにかくハロウィンの夢であるようにと願う者。
ヴァンパイアは強い同士の共鳴を失い、この街にいる意味がないと、散らばるように去った。
ハロウィンの夜は犯罪が多い。
この街でも、ハロウィンナイトは、事件となる事があちこちで起きたとして、説明付けられるのだろう。
そして、この屋敷で起きた事件も、狂気に満ちたハロウィンナイトが、一人の女性の死で終了した。
あちこちでパトカーのサイレンが鳴り響く――。
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