12.心を読む者


ガーゴイルにやられた者達が目を覚まし、レイヴンが、命令口調で、皆にイロイロと話し、1人がレイヴンの指示で、どこからか、干し肉を持って来て、それを約束のモノだと言って、ガーゴイルに渡し、それからガーゴイルは服が破れてしまったから狼の姿になろうとして、その時に……

その時に――……

「あー、そうそう、リヴァ」

と、ガーゴイルはリヴァに声をかけた。そして、

「お前、オレに付いて来ないか?」

そう言った。皆、シーンとする中で、

「レイヴンに付いて行っても、お前がレイヴンのチカラを得られるのはどの程度なんだ? 群れは何人いて、それぞれ平等にレイヴンのチカラを手に入れた所で、1人、どの程度? 確かにレイヴンは強いと思うけど、チカラを分散したら弱くなるんじゃないか? そりゃ、ずっと、この群れでやってくなら、みんなで力を合わせてって、それもアリかもしれないけど、大きなチカラを1人で手に入れて、その力を自分だけのものにしたくないか?」

ガーゴイルがそう話し出した。

「自分だけのチカラを、次に継がせる。確かに死は自分を消すが、次の世代の若い者に自分の全てを残す事ができる。群れにいる全員に自分の全てを分け与えるのも悪くはないと思うが、オレは全身全霊全てオレ自身を、一人の誰かに残したいんだ、なんせオレは自分を唯一無二の存在だと思ってるからさ」

唯一無二とか、よくもまぁ、そんな日本語がベラベラ出て来るものだと、シンバは思うが、きっと、その台詞をシンバに聞かせたいのだろう。

なんせ、シンバは、ガーゴイルの言っている意味がわからずに、ガーゴイルのチカラをリヴァに与える為の修行でもするのだろうかと思っている。

「オレと同じ風のチカラを使うなら、お前の風のチカラに、オレのチカラがプラスされて、限界値数が大幅に上昇するよ? リヴァ、お前は強くなる、群れなくても人間に媚びる必要もなく、独りでやっていける程にな」

ガーゴイルが言った後、リヴァも、他の者も、黙り込んで、動く事もなく、茫然としていたが、レイヴンが、

「決めるのはアンタだよ、リヴァ。好きにしな」

意外にも、優しい口調で、アッサリそう言ったのが、印象的で、シンバは、そういうもんなの?と、不思議に思っていた。

「ところで、聞きたいんだけど」

レイヴンが、シンバとガーゴイルに向かって、

「なんで私はレイヴンなの?」

と、問う。

「どうして人間はスノウやガーゴイルってアンタ達を呼ぶの? リヴァもそう。フォーンもクレイもアンジェリアンも、どういう意味なの? 人間達の呼び名で、結局、私達も呼び合ってるけど、誰がどういう意味で付けてるのか気になってたのよね」

「ヘアカラー」

「へ?」

「毛の色。色の名前なんだよ。レイヴンってのは、お前の毛色がレイヴン色な訳。オレはガーゴイル色。スノウはスノウ色。特に何も考えてないよ、人間達はオレ達の事なんて。只、ヴァンパイアを倒す為の存在として認識してるだけさ」

そう言ったガーゴイルに、レイヴンは、自分の髪を指で持ち、色を確認しているように見ていた。

後は特に何も会話もしないまま、事務所へと戻って来た。勿論、レイヴンを連れて。

シンバはイロイロありすぎて、しかもイロイロと衝撃的過ぎて、帰り道、起こった出来事を頭の中で整理していたが、最早、何の為にレイヴンに会いに行ったのかさえ、よくわからなくなっているのに、何故、レイヴンが隣で立っているのかさえ、疑問だった。

なんだっけ?と、思いながら、事務所のドアを開けて、そこに獅子尾が上着を着ようとしている姿勢で立っている事に、

「あ、獅子尾さん、出かけるんですか?」

と、問う。シンバの右横にいる狼に、

「あぁ、おかえり、シンバくん。ガーゴイルくんはどうして狼なの?」

と、上着を着ながら問い、更に、

「やぁ、キミは確かレイヴンさんだね? どうして?」

と、左横に立っているレイヴンに問う獅子尾。

「あ、えっと、どうして一緒にいるかって、それは――」

それは、だから、なんだっけ?と、シンバは黙ってしまう。

ガーゴイルが人の姿に戻り、

「ねー、シンバの服ってあるの? 貸してよ、裸のままじゃダメでしょ?」

と、事務所の奥へと入っていく。

「あー、確かここにもスペア幾つか置いてあったかな」

と、奥へ向かうガーゴイルの背に、そう言って、獅子尾はシンバを見ると、

「ちょっと、車、待たせてるから、行くけど、急ぎの話ある?」

そう聞いた。いろいろあるのだが――……

「車って? 組織の?」

「いや、パトカー」

「パトカー?」

「前の職場の人が、俺に事件のアドバイス求めててね。隣町へ行くんだけど」

「隣町? もしかして、黒い犬に襲われた事件?」

「ん? あぁ、うん、それはわからない。ニュースでも見たか? とりあえず保健所が動いてるみたいだが、犬に警察は動かないと思うし、俺の前の職場の人だから」

そう言われ、殺人課だと、

「殺人事件!?」

少し大きな声で問う。すると、シンバの服に着替えたガーゴイルが、

「面白そう。連れてってよ」

と、笑いながら言うから、遊びじゃないんだと獅子尾は言うが、

「別にいいよー、勝手に付いてくし」

と、ガーゴイル。

「狼になってパトカー追い駆けられたら困るよ」

「大丈夫だよ、見つからないように追い駆けるから」

「あのね、余りウロウロしないでほしいんだよ。ヴァンパイアの情報は組織から、まだ何も来てない。キミ達は大人しく、お菓子でも食べてて」

「うん、いいよ、わかったって言えばいい?」

そう言ったガーゴイルに獅子尾は額を押さえ、勘弁してよと呟く。

「ていうか、オレ達どうせ隣町へ行く予定だったしね?」

ガーゴイルがそう言ってシンバを見て、獅子尾はどういう事?という顔でシンバを見る。

「黒い犬が人を襲ったって、レイヴンさんじゃないかって思ったんだけど、違ったみたいで。それで、レイヴンさんも自分じゃないって証拠に、黒い犬を追うって」

「成る程。とりあえず、ダメだ。大人しくしてなさい」

「大人しく頷いて、行かないフリしてもいいけど、そんな事する理由もないか。獅子尾の言う事聞かなきゃいけない理由はないもんね、オレは――」

と、ガーゴイルはそう言って、

「オレはソイツじゃない。獅子尾の言う事なんて聞かないよ」

と、ソイツと、シンバを指差した。すると、

「私も大人しくしてる理由はないわ」

と、レイヴン。

「獅子尾さん、僕も、黒い犬の事、気になってます。何が気になるかって聞かれても説明はできません。直感みたいなもので感じてるだけですから。勿論、獅子尾さんが行くなと言うなら、僕は行きません。でも、この2人は僕には止められない。だから僕達も一緒に連れて行って下さい。捜査の邪魔にならないようにします。人間の犯した殺人事件には僕達は関係ないから、現場には入りません。見た目からして人間の子供ですから、誰も入れてくれる訳ないですし。只、隣町へ行くだけ。それならパトカーじゃなく、僕達だけで行ってもいいんですけど…」

シンバがそう言うと、

「直感って、動物的直観? そういうの、当たりそうだよね。わかったよ、どうせ、誰も俺の言う事なんか聞きゃしないんだから、連れてくよ。狼の姿でウロウロされて、人目に付いても面倒だしね。だったら人の姿のまま、隣町へ連れて行って、子供の姿でウロウロされた方がまだいい。パトカー乗って来た子供が補導もされないだろうしね」

獅子尾は鼻で溜息を吐いて、行くぞと、先に歩きだし、次にガーゴイルが、シンバの横を通り抜ける瞬間に、

「服ダサすぎ」

と、囁くように言って、獅子尾に続き、レイヴンが、

「日本の警察って、どこまでヴァンパイアを知ってるのかしら」

と、独り言を呟きながら行く。シンバは獅子尾同様に鼻で溜息を吐くと、事務所のドアを閉めた。

パトカーは大通りに停まっていて、警官の服を着た人が運転席から出て来て、獅子尾に頭を下げ、獅子尾は軽く手を上げて、

「悪いね、面倒みるよう頼まれてる子供でさ、置いて行く訳いかなくて、連れてくけどいいかな?」

そう言った。警官は、子供をですか!?と、言うが、直ぐに、頷き、

「とりあえず、獅子尾さんを連れて来るようにと命じられているだけなので、獅子尾さんが子供を連れて行くと言うのならば、それで。僕は運転するだけですから」

と――。

恐らく、見た目が日本人ではない子供相手に言葉も通じない不便さもあるのかもと、留守番はできないかと考えたのだろう。なんせ、

「それにしても探偵業って大変ですね、子供のお守りまでやるなんて、まるで何でも屋ですね」

そう言って、警官は車に乗り込んだのだから。

助手席に獅子尾が乗り、後部座席にシンバとガーゴイルとレイヴンが乗る。

「やっぱり連続殺人事件になるんですかね?」

警官がそう言って、運転しながら、獅子尾をチラっと見る。

「さぁ? でも隣町だと管轄外だろ? なのにこっちの警察が動くってなると、こっち事件と何かしら交わりがあるって事だろうから……連続なのかもな」

「獅子尾さんは刑事だった頃、表彰されたりとかあったんですか?」

「ないよ」

「一度も?」

「あぁ、なんせ犯人を捕まえた事なんざ一度もないからな」

「そうなんですか!?」

「聞いてないのか? 的を得た意見1つ言わない刑事だったって。最後には空想ばっか並べ立てて、刑事やめてったってさ」

「あ……それとなく聞いた事はあります。化け物退治だとか何とか。それで、探偵事務所開いてるから、よく警察にそれらしい事件を持ち込んできた人には、獅子尾探偵事務所を紹介してるとか、なんとか」

「そうそう。だから警察で相手にされなかった人の駆け込み寺みたいになってるよ、うちの事務所」

と、笑う獅子尾に、警官は苦笑いしている。

「でもどうして獅子尾さんを現場に連れて来いだなんて言うんでしょうね?」

「うん?」

「殺人課が動いてるって話ですし、事故や自殺ではなく、事件として扱う死体を、どうして刑事を辞めてしまった獅子尾さんに? 何か刑事だった頃に大きな功績を残したのかと思ってました。でも違うなら、どうして……」

「そりゃ仏さんの殺され方が説明つかないようなもんなんじゃないの?」

「え?」

「超常現象みたいなもんを警察は扱えないだろ、でも死体が出たんじゃ、警察が出ない訳にもいかないだろ、だけど事件解決の糸口が全くわからないんじゃぁ、俺みたいな変な事件扱ってる奴でも連れて来て、何か手がかりをってな話だろ」

「成る程……説明つかない殺され方って……どんなものでしょうか?」

「そりゃ行って見てみないとわからないよ」

「そうですよね」

その会話を聞きながら、ガーゴイルが、

「ヴァンパイアかな?」

と、シンバに耳打ちするが、どうだろう?と、首を傾げる。だって、組織からの連絡は何もないなら、ヴァンパイアがあからさまに足跡を残すような動きをしてるとは考え難い。

暫くパトカーは走り続け、隣町へ入って、更に人気の多い場所で止まった。

「現場はここから歩いて少しの場所なんですけど、直行していいですか?」

後部座席のシンバ達を見て、警官がそう言うと、獅子尾もシンバ達を見て、

「悪いが、ここで大人しく待っててくれ。なるべく直ぐ戻るから。犬の事件も刑事達に聞いて来てやるから」

と、場所はわかると、警官に相槌して、1人で車を降りた。その時、ドアが開いた時の空気の流れが、シンバ達の嗅覚を刺激した。

「やけに強いニオイだな」

そう呟いたのはガーゴイル。

「犬のニオイ……にしては、強すぎる。直ぐ近くにいるみたいな……」

と、シンバは窓から外を見て、犬が視界に入る範囲にはいない事を確認する。

「強烈だな、まるで人狼並だ」

と、笑うガーゴイルに、笑いごとじゃないと、シンバはレイヴンを見て、

「キミも感じた?」

と、問う。なんせ、レイヴンの表情が難しく歪んでいるから。

「ははは、さすがの冷血で無表情気取りのレイヴンも、このニオイには驚きか」

と、馬鹿にしたような言い方で、ガーゴイルは笑うから、シンバが、笑いごとじゃないと怒ろうとした時、

「シンバ」

と、レイヴンに呼ばれ、見ると、

「ニオわなかったの?」

と、問われ、首を傾げると、

「降りるわ、ドアを開けて」

と、レイヴンは、警官に言う。

「犬のニオイなら、僕も感じたよ?」

そう言ったシンバを無視して、

「降りるって言ってるでしょ、ドアを開けて」

と、レイヴンは何故か急かす。

「い、いや、勝手にキミ達を車の外へは出せないよ」

そう言って振り向いた警官に、レイヴンは思いっきり顔面に拳を入れた。

ビックリしたのはシンバとガーゴイル。

「な!? 何やってるんですか! レイヴンさん!?」

レイヴンの突飛な行動に、大声を出すシンバ。

「お、おい、アンタ、大丈夫か? おい!? あーあ、気絶しちゃってるよ」

と、前の座席に体を乗り出して、警官を見るガーゴイル。

「ドアを開けて」

「いや、だって開きませんよ、前の座席で操作するんですから」

「ドアを開けて」

「だから――」

「開けないなら、窓を壊すわ」

と、拳を振り上げるレイヴンの、その拳を掴み、

「わぁぁ! わかりましたから! ガーゴイルくん、前へ行ってドアを開けて下さい! 変なトコいじらないようにして下さいよ!」

と、シンバが叫ぶと、ガーゴイルは、狭い車内をムリヤリ移動して、前の座席へ行き、そして、気絶している警官を邪魔だと、どかしながら、後ろのドアを開けた。

外へ出ると、更にニオイのキツさがわかる。

「おもしれぇな。犬がこんなにもニオイ巻き散らかしてるなんて」

そう言ったガーゴイルに、シンバはコクンと頷く。

騒がしい街並み、店はこれからとばかりにどこも電気が眩しく光っていて、人を招き入れる。人と人が行き交い、更に近くで事件があるせいか、警官がウロウロしている。まるで歩行者天国のようだが、勿論車も通っている。

「こんな街で、これだけニオイを残して移動してるって事は、人の目にもっと触れていい筈。大きな犬だったら、危険だと言って、人を非難させるべきだと思いますけど、犬程度に大して避難する必要はないと思ってるのか、それとも、ニュースで流れてても他人事なのか、それとも――」

「それとも?」

「目に見えない程のスピードなのか……」

そう言ったシンバに、フンッとガーゴイルは鼻で笑い、

「覚えてるか? 獅子尾が言ってた人狼草紙とか言う戯言」

と、シンバを見て、

「吸血鬼を倒す日本の戦い方? 人狼と人の間に生まれた犬?」

と、そこまで言うと、風を嗅ぐように、上を向いて、

「ごちゃごちゃした狭い街で、迷路同然だ、でもオレ達ならニオイで追える。挟み撃ちと行こうよ」

と、シンバとレイヴンを見て、言ったのはいいが、

「おい!」

と、レイヴンに大きな声で吠えて、

「どこ見てんだよ、レイ! あっちとこっちで挟み撃ちって話したろ!?」

と、全然、全く、違う方向を見ているレイヴンに、ガーゴイルは怒鳴る。レイヴンは遠くを見つめながら、突然、走り出したが、そっち方向に犬のニオイは強く放たれてない。

だからシンバとガーゴイルは、その場に立ち尽くす。

「なんなんだ、アイツ? どこ行く気だ?」

「わかりません」

「大体、アイツが自分の無実を証明する為に、黒い犬を捕まえるって言ったんだぜ?」

「はい」

「なのに犬のニオイ無視?」

「……彼女は何のニオイを感じたんでしょう?」

「は?」

「僕にニオわなかったの?と尋ねたんです。車に乗ってる時。窓を開けた一瞬、外の空気で、僕達は犬のニオイを感じた。でも、彼女は別のニオイを感じ取った」

「他に何がニオう?」

ガーゴイルはクンクンと空気を嗅ぐ。そんなガーゴイルを見て、

「僕に言ったんですよ」

と、シンバ。ガーゴイルはシンバを見て、は?と、眉間に皺を寄せる。

「ガーゴイル君じゃない、レイヴンさんは僕に聞いたんだ、ニオわなかったの?って。つまり、ガーゴイル君は知らないニオイで、僕は知っているニオイ。そしてレイヴンさんも知っているニオイ。それって何でしょう?」

「考えすぎ。お前がオレ達の真ん中に座ってて、レイの隣にいたから、お前に聞いただけだって。オレがレイの隣にいれば、オレに聞いてたよ。探偵って、ホント無駄に考えようとするよな。やめようぜ、そういうの。どうせ大した理由ないんだから。それより、犬のニオイ追うぞ!」

ガーゴイルはそう言うが、シンバはレイヴンが気になる。

群れを統一するリーダーのレイヴン。一番最初に、ちょっとした異変にも気付くだけの敏感さを持っていそうだと、レイヴンを追った方がいいかもしれないと考える。

「おい、オレはこっちから行くから、お前、そっちから、挟み撃ちするぞ。いいか、オレ達は人の姿なんだ、狼の姿じゃない。挟み撃ちしなきゃ、追いつけないぞ。レイヴンなら大丈夫だよ、アイツは1人でもやれる。何をやらかすか知らないけど」

ガーゴイルに、そう言われ、シンバは、とりあえずコクコク頷き、ガーゴイルの言う通りにする事にした。

その頃、レイヴンは、ニオイを辿り、賑わう街を歩いていた。

小学生が歩くには、時間的に場所が悪い。

ふざけた男達がレイヴンにちょっかいを出そうとしたり、声をかけたり。

優しいふりして、近寄って来る男もいる。だが、レイヴンは無視をして、ニオイだけを辿る。

男達は美少女でも外国人の見た目をしているレイヴンに、しつこくはしないが、次から次へと、見知らぬ男が近寄って来る。

だが、どんどんレイヴンの足が速くなり、最早、男達など、声をかける隙もない。

ニオイを完璧に感じ取ったレイヴンは、目的に向かって真っすぐ走る。

そして、スタッと立ち止まった場所は、人気の少ない路地裏のような場所。

周りは高いビルに囲まれ、薄暗く、一歩、そこから出れば、明るく人通りのある場所なのに、まるでその一歩が境界線のようだ。

行き交う人々のざわめく声も聞こえてるのに、静かな闇が広がる。

レイヴンがスーッと息を吸い込み、

「間違いないわ、このニオイ」

そう呟いた。その声で、今、レイヴンの存在に気付いた影達が振り向く。

派手な服装の若い男達だ。

「アナタ、シンバのクラスメイト……つまり私のクラスメイトよね?」

レイヴンは、男達の向こう側にいる女の子を見て、そう言った。

足の膝小僧から血が出ていて、可愛らしいワンピースは汚れている女の子が、

「……レイヴンさん?」

そう言った。彼女は夕里 つむぎだ。だが、レイヴンは彼女の名を知らない。

「あれあれあれぇ? 友達なのかなぁ? キミ、外人? 可愛いねー!」

「最近の子は発育がいいねー! オニイサン達と一緒に遊ぼうよー!」

「怖がらなくても大丈夫だよ」

男達がそう言って、レイヴンの周りに寄って来る。だが、レイヴンは男達を見ていない。その瞳に映っているのは、つむぎ。

「困った子ね。とっても美味しそうに、血なんか流しちゃって。まだ女になってないのね。子供のニオイだわ。日本に来てから、食事らしい食事をとってないのよ。でも安心して、私、食には拘りがあるのよ。特に自分と同じ黒い毛の子は食べないの」

「何をブツブツ言っちゃってんの? てか、日本語うまいねー!」

そう言って、レイヴンの手を掴もうとした男の手を逆に掴み返し、

「怖がらなくても大丈夫よ」

と、男達が『え?』と、小さな声を出した瞬間、レイヴンはその男の手を捥ぎ取った。

ブッシューと腕から滝のように溢れ出す血に、バタンと気絶して倒れる男。

レイヴンは捥ぎ取った腕を、近くで茫然としている男に投げると、男は変な悲鳴を上げながら、腕をキャッチした。

「急いだ方がいいわ、死へのカウントダウンは始まったのよ。サッサとソレ持って病院へ連れて行ってあげなさい。傷口はなるべく触らないで、布か何かで包んだ方がいいわ。あ、それと、腕は上へあげた方がいいかも。上げる程、腕は残ってないか」

レイヴンは、今にも気絶しそうな程の男達に、淡々とそう言った後、1人、離れて、冷静な様子で、こちらを黙って見ている男に目を向ける。

そして、

「ふーん、面白いわね」

と、クスッと笑い出し、今度はつむぎを見て、

「転んだの? だから膝から血が? そしたら男達に追い着かれた? まだコイツ等には何もされてない?」

と、問う。コクコク頷くつむぎに、

「成る程ね。こんな子供1人を数人で襲うなんて、バカバカしいって誰も言わなかったのかしら? それともリーダーには逆らえない? ねぇ、アナタが命じたんでしょ? つまり、アナタがリーダーね? 気付いてる? アナタ……死んでるのよ?」

と、様子を見ている男に、そう言った。他の男達は、倒れた男を担ぎ、何か叫びながら、この闇から慌てて転げるようにして、出て行く。

残った男1人に、

「わかるわ、美味しそうよね、彼女。血が出てるのを見て、食べたくなった? でもアナタ、その自分の衝動が理解できてない。死んだ事すら覚えてない」

レイヴンはそう話しながら、近付いて行く。

「何の話だ……」

まだ声が若い。10代後半、または20代前半か。男はパーカーのフードをかぶっていて、顔を隠しているようだ。それは……

「彼女を見た時から、歯がうずいてしょうがないんじゃない? 牙が出て来て、自分では、その牙をどうしていいか、わからないの? 慣れてないのね、だから牙を隠せず、顔を隠して、誤魔化してる。自分が何者なのか、隠し通せると思う? この私に――」

「寄るな! なんなんだ、お前!」

「怖いの? 怖がらなくても大丈夫と言ったでしょう?」

「寄るなぁ!」

「あらあら、本能では気付いてるみたいね。自分が何者なのか。だから私を恐れる」

「ウルサイ! 黙れ! 近寄るな!」

「なら、どうする? アナタから来る? それとも逃げる?」

レイヴンはそう言って、挑発的な笑みで、足を止める。

男はフードの奥でどんな顔をしているのだろう、見えなくてもわかる。

怯えている。恐怖を感じている。それは体全体から溢れている。

小刻みに震える手、今にも走り出しそうな足。だが、逃げれないと察している。戦わなければ、逃げ道はないと、男は、拳を振り上げて、レイヴン目掛けて殴り掛かる。

簡単にヒョイっと顔を横にして、攻撃を交わし、

「思い出してくれないかしら? アナタをそんな風にした人の事。探してるのよ、感染者じゃなく、ヴァンパイアを」

わぁぁぁと雄叫びを上げながら、拳を何度も振り上げるが、レイヴンはヒョイヒョイと交わし続け、

「ねぇ、聞いてる? ていうか、聞こえてる? 私の声」

と、余裕に話しかける。男はレイヴンの言葉など聞いちゃいない。大きな声で雄叫びを上げ続け、拳を振り続ける。だから、

「黙って聞け!」

と、思わず、レイヴンはフードの中に手を差し込んで、口元を引っ掻いてしまった。

男のフードの中から、血がポタポタと落ちて、男は動きを止めて、フードの奥を手で押さえている。静かになったのはいいが、

「アナタが悪いのよ、言う事を聞かないから。ねぇ、喋れる? 舌は無事?」

と、自分の指先に付いた肉の破片を見ながら、レイヴンは溜息交じりに言う。そして、

「喋れない? 喋れないなら要はないわね、そろそろ死んどく? 既に死んではいるけど」

なんて言うから、男は首を振りながら、あうあうと言葉にならない言葉を吐き、ペタンと尻を地面に付けて、オシッコまで漏らしてしまう。

「レイヴンさん!!」

つむぎが突然、叫び、レイヴンの名を呼び、

「もうやめて! なんなの!? 腕とか簡単にあんな風に! これ、私を驚かすドッキリなの!? その手に付いてる赤いのって、その人の顔を傷付けたの? 何かの冗談でしょ?」

泣きそうな顔で、そう叫ぶ。レイヴンはウザそうに、つむぎの方に顔を向け、そして、つむぎの胸の所にあるモノに気付く。

「……アナタ、それ、どうしたの?」

「え?」

「それよ、胸の所にあるモノ」

「え? これ? これはオジイチャンからもらったお守りのペンダント。狼の牙なんだって」

「……狼の? 人狼の牙よ、それ」

「え? じん?」

「人狼。アナタ、どうしてここにいるの?」

「え?」

「どうしてこの町に、こんな時間に1人でいるのかって聞いてるのよ」

「そ、それは……探してて……」

「探してる? 何を?」

「……うちの犬」

「犬? それって大きな黒い犬で子供を襲ったって?」

「違う! ハグレは人を襲ったりしない!」

「ハグレ? 犬の名前かしら? でも黒い犬が子供を襲ったって聞いて、アナタはここに犬を探しに来たんじゃないの? わかってる? ここ、隣町よ? アナタ、私のクラスメイトよね? あの学校へ通っているなら、アナタの住む町はここじゃない。まさか逃げた犬の走るスピードを見失う事なく、ここまで一緒に来たって訳ないでしょ? それとも探している犬は、話題になってる犬とは全く違うのかしら?」

「……確かにニュースを聞いて来たけど」

つむぎが、そう言った時、フードの男は立ちあがって、悲鳴を上げながら逃げて行った。それを見送るレイヴン。そして、レイヴンは、つむぎの方へ向き直し、

「犬に会いたい?」

囁くように言う。

「え?」

「ハグレちゃんに会いたいかって聞いてるのよ」

「勿論!」

「じゃぁ、連れて行ってあげるわ」

「え?」

「驚かないでね」

レイヴンは不敵に微笑み、

「どの道、銀のナイフは持ち合わせてないから、人の姿で感染者は倒せない。狼になる必要があるのよ。いちいち悲鳴あげたり、気絶したりするのはよしてよ? メンドクサイ子は嫌いだから」

そのレイヴンの台詞に、つむぎは首を傾げ、何を言ってるかわからないと問うつもりが、目の前で、衝撃的なものを見て、言葉を失い、目を丸くして、呼吸を止める。レイヴンという少女が黒い大きな狼の姿になったからだ。

「レイヴンさん……?」

グルルルルっと、喉を鳴らす大きな黒い狼。

「犬になったの?」

そう言ったつむぎに、狼よ!と、レイヴンは叫ぶ。勿論、心の中で。だが、

「え? 狼?」

と、問うつむぎに、

『アナタ、私の声が……狼の姿である人狼の声が聞こえるの?』

レイヴンは驚いて、問う。人狼として、人の言葉を完全理解しているから、狼となっても、人の言葉はわかるが、人の言葉を発する事はできない。

犬のように唸るか吠えるか鳴くか。

だが、心で思った声が、つむぎには聞こえるようだ。

「レイヴンさん……アナタ……何者なの……?」

『その台詞、そっくりそのまま、アナタに返すわ』

「え?」

『乗って』

「え?」

『背中に乗せてあげるって言ってるのよ。連れて行ってあげるわ。その前に、逃げた感染者を追うから寄り道するけど、アナタは私の背中に乗って、犬の話をしなさい』

「犬の話? ハグレの事?」

『その犬がアナタから離れた時の様子。何かおかしかったんじゃない? 聞きたいわ』

「ハグレは……」

『とりあえず乗って。それから話して。私は風になるから。アナタは風にしがみついてる事で精一杯だろうけど、話して頂戴。話終わる頃、犬がいる場所に辿り着くわ。連中も、辿り着いてる頃だわ』

連中とはシンバとガーゴイルの事だ。

確かにシンバとガーゴイルは挟み撃ち状態で、大きな黒い犬を追いつめていた。

「熊みたいにバカデカイな。オレ達が狼になった姿より倍デカいぞ。闘犬って奴か?」

「違うでしょ……闘犬なんてもので片付けられる訳ない。これどう見ても狼っぽいんですけど」

「だって日本に狼っていないんだろう?」

「はい……多分……でも……犬とは少しニオイも違うし……狼とも少し違うけど……でもどちらかで言うなら狼だと思うんですけど……」

「でも日本に狼はいないんだろう!?」

「はい……」

「じゃあ、犬だろ」

「い、犬ですかね!?」

「牛には見えない」

「え!? あ、いや、僕だって牛には見えてませんよ」

「じゃあ、犬だろ」

「無理やりですねぇ……でもだとしたら……なんて犬種なんだろう……サイズは超大型犬クラスでしょうか……」

「ていうか、日本って、こんなの一般的に飼えるもんなの……?」

「わ……わかりません、何か届けが必要かも」

「どこへ? 何を届けたらこんな化け物飼えるの? 日本って国は」

「いや、だから……知りませんよ……」

犬は、そう話している、シンバとガーゴイルを交互に見ながら、鼻の上に皺を寄せて唸り、警戒し、威嚇し、更に怒っている。

「おいおい、落ち着けよ」

と、軽々しく近付こうとするガーゴイルに、グワッと大きな口を開けて、犬は飛び掛かったが、ガチンっと空を噛み、直ぐ様、後ろに身を引いて、再び唸りだす。

ガーゴイルは、サッと身を引いた後、

「あっぶねー! アイツ、本気でオレを噛もうとしたぞ。強さの順位わかってないだろ、感じてないのか? オレの強さ。獣だろ? 本能で悟ってる筈だよな?」

と、シンバに言うが、シンバは首を振り、

「今の僕達は人の姿だから、強さの順位とか、わからないんじゃないでしょうか。ニオイも人のニオイですし。狼にならないと、獣にはわからないかもしれません。人狼同士なら兎も角――」

そう言った後、犬を見て、首を更に振って、

「いや、それどころじゃなさそうです。なんか正気じゃないみたいです、あの犬……本能とか五感とか全然働いてなさそうです……ヨダレ出してますし……狂犬病でしょうか......」

と、言って、肩を竦めるから、ガーゴイルは、

「しょうがないな、こんな馬鹿デカいイカれた犬飼ってる飼い主見たかったけど、とりあえず殺しとくか。狼になって首でも噛み千切ってやったら一発だろ」

と、若干嬉しそうに言うから、シンバは野蛮だなぁと溜息を吐き、

「殺す必要はありませんけど、このまま放っておくのも危険ですから、倒すしかないでしょうね。でも狼になるのはダメです。それ僕の服ですし、破かないで下さい。お気に入りなんです、その服」

そう言った。

「は!? このダサイ服がお気に入り!? 冗談だろ!? こんなダサい服どうでもいいだろう! もっとカッコイイの買ってやるよ! 組織の金で! ていうか、記憶失うと服のセンスも変わるもんなの!?」

ガーゴイルは、そう言うが、シンバはダメだと首を振る。

本当は服なんて別にどうでもいい。勿論、気に入ってる訳でもない。

只、殺す必要はないとシンバは思っている。狼になったら、やりすぎる可能性がある。ここは捕まえて、保健所に……とは言っても殺処分されるならば、一気に苦しまず殺した方がいいのだろうかとも考えてしまう。それでも今は兎に角殺さずでと、

「気に入っているんです、そのダサイ服!」

ガーゴイルに少し大きな声で、そう言った瞬間、犬が、飛び掛かって来たのに気付くのが遅く、シンバは避けきれず、爪が頬を掠り、前髪がパラパラと切れて落ちた。犬の爪がこんなに鋭く攻撃力があるなんて、有り得ないと、シンバは驚く。

だが、驚いている暇はない、シンバ目掛けて大口開けて、牙を向き出し、更に飛び掛かって来る。避けきれず、そのまま、押し倒されて、大きな太い足で、シンバを押し潰すように押さえ付け、大きな牙を向き出して来る。

シンバは犬の顔を押さえながら、噛まれないように抵抗し、もがく。

飛び散るヨダレがシンバの顔に落ちて、目にも入るから、視界も悪くなる。

今、ガーゴイルが、犬の背中に飛び乗り、犬の首を持ち上げるようにして、顔を上へ向かせようとするが、

「なんだコイツ!? 本当に犬なのか!? やっぱ牛か!?」

と、犬の力が人狼であるガーゴイルの力と対等と言っていい程、犬の首が動かない。それどころか、目の前のシンバに噛み付いてやろうと、犬は首に力が余計に入っていて、シンバから顔を押さえられ、ガーゴイルから首を上へ引っ張られているにも関わらず、全く退く様子がない。

だが、黒い風が大きな犬の横腹を貫き、犬は、その衝撃で吹っ飛ばされ、建物の外壁にぶつかる。犬から解放され立ち上がるシンバと、とっさに避けたガーゴイルの目の前に、狼の姿となったレイヴンが、

『なにやってんのよ、犬一匹に押され気味なんてカッコ悪い。ピンチに現れるヒーローなんてやりたくないのよ、私は――』

と、グルグル唸りながら、心に話してくるが、そんな事よりも、

「何やってんだ、レイ、お前、その子――」

誰だと言おうとしたガーゴイルの声を塞ぐように、

「夕里 つむぎさん!?」

と、シンバが声を上げる。ガーゴイルが誰それ?ってクエスチョン顔。

「どうして、その、えっと、背中に? そ、その、い、い、犬の――」

レイヴンの名前も狼という事も何も言ってはいけないと思い、そう尋ねるシンバに、

『私の正体はバラしたわ、わからないのは、この子の正体よ』

と、レイヴン。

「この子の正体って……」

そう問うシンバに、

「私の正体なんて何もないです」

と、答えるつむぎに、シンバは驚く。

「こ、声が聞こえてる!?」

そう、つむぎにはレイヴンの言葉が聞こえている。

『今はアイツを何とかするべきね。つむぎって言ったわね、降りてちょうだい。あの犬がアンタの犬でしょ?』

大きな犬はレイヴンに横腹を体当たりされ、吹き飛ばされた衝撃で、よろよろしながら、今、やっと立ち上がり、光る目で、レイヴンを睨み、唸っている。

つむぎは頷いてレイヴンから降りると、犬に近寄ろうとするが、犬の表情が正気じゃないのを見て、一歩後退。

『言ったでしょ、怯えたら最後よ。アンタ、あの犬助けたいんでしょ? だったらあの犬を正気に戻せるのは、アンタしかいない。それともできないって尻尾巻いて逃げて、あの犬を見殺しにする? アンタ、言ったよね? あの犬は子供を襲わないって。証拠見せてよ、子供のアンタを襲わないんでしょ?』

レイヴンにそう言われ、引いた一歩を、前へ出すつむぎに、

「やめろ! 正気じゃないんだ、獣相手に危ない! 下手したら殺される! レイヴンさん、挑発するのはやめろ! 夕里さんはまだ子供なんだぞ!」

シンバがそう叫ぶと、つむぎは前へ出した足を止める。

『アンタ、自分の群れの1人を信じてないの?』

「群れ!?」

『アンタの群れの1人でしょ、この子』

「群れってクラスの事を言ってるの? それは別に群れて一緒にいる訳じゃない!」

そう言ったシンバに、

「私の一部よ」

つむぎはそう叫んだ。シンバがつむぎを見ると、つむぎはペンダントトップを胸の所でギュッと握りしめ、キッとした顔で、

「ハグレは私の一部! 群れとか、仲間とか、そういうんじゃない。私自身!」

と、覚悟を決めたように、ズンズンと犬に向かっていく。そして、

「ハグレ、どうしちゃったの? どうして急に暴れ出したの? どうして家を飛び出したの? どうしてみんなを襲ったの? 理由があるんでしょ?」

犬に話しかけている。危ないと、シンバが、つむぎの腕を掴み、それ以上、犬に近寄っちゃいけないと言うが、つむぎは、シンバの手を解いて、

「確かに、ハグレは手が付けられないくらい凶暴な子だった。子供の頃から檻に入れられて、猛獣扱いだったの。同じ仲間の中にも入れず、親にさえ懐かず、誰にも懐かないこの子が、私にだけ懐いてくれた。私の言う事なら何でも聞いてくれた。命じなくても、心で通い合ってた。でも、2年程前から、ハグレは急に私の言葉も聞こえなくなって、ぼんやりする犬になったの。凄く賢くて、人の言葉だって理解してた子が、急に只の犬みたいに――」

「2年前?」

調度、月子さんが浚われた時期だとシンバは思う。

「お父さんが、もう年寄りだから、しょうがないんだって言ったの。後は死を待つばかりだって」

「老犬なんだね、何歳くらいなんですか?」

「17歳」

「長生きだね」

「まだまだ生きてもらう。だってハグレは私を1人になんてしない。そうでしょう! ハグレ!!」

つむぎは大きな声で、犬に叫んだ。

「ハグレ! 大丈夫! 私が守る! 今まで沢山アナタは私を守ってくれた。だから、今度は私が守る! 怯えなくていいから、私の所へ帰って来て!」

グルグルと喉を鳴らし、手を差し出し、広げるつむぎを、犬は警戒しながら伺っているようだ。

例えば、これが、小説だったら、漫画だったら、テレビドラマだったら、映画だったら、きっとうまくいくだろう。

だから、なんとなく、うまくいくような気さえしていたが、現実はそうはいかない。やはり、目を爛々と光らせて、ヨダレを垂らし、牙を向き出して、唸っている獣に、そう簡単に近寄れるものでもない。

手を広げるつむぎに警戒心を解く気配はなく、つむぎの足も途中で止まってしまい、ガーゴイルが、

「はい、終了。お涙頂戴みたいな感動にはならなかったね、ちょっと期待しちゃったけど。さて、お嬢ちゃんは引っ込んでてくれるかな? 後はオレ達でアイツを倒すから」

なんて言い出し、雰囲気は、つむぎの出る幕なしと言う感じになって来た。

何故かつむぎが泣きそうな顔で、今にも涙を落としそうな目で、シンバを見る。

シンバは、どうしようもないと言う感じで、目を逸らした。

あのイカれきった表情をしている犬は倒すしかない。そうするしかない。殺す訳じゃない。でも、倒しても、正気を戻さない犬の行き先は――?

『役に立たない子ね』

レイヴンがそう言って、

『役に立たないなら殺してもいいわよね、いい加減、お腹も減って来たわ』

と、つむぎに近付くから、言葉が聞こえるつむぎは、レイヴンから一歩下がりながら、

「レ、レイヴンさん? お腹減ってるって……ご飯食べてないって事?」

などと間抜けな事を言い出す。

『どうやら好き嫌い言ってる場合じゃないわね。力をつけなきゃ、あの犬にも勝てないわ、ここに来る途中、感染者を灰にしてきたし、お腹もすくわよね』

「レイヴンさん……それ以上、夕里さんに近寄らないで下さい」

そう言ったシンバに、レイヴンは金色の目をキッと向けて、

『どの道、人狼の存在を知った人間は始末するんでしょ!』

と、つむぎの所へ走り、後ろ足で立ち上がるようにして、両手を広げ、つむぎ目掛けて、襲い掛かろうとしたレイヴンが、今、犬の体当たりにより、後ろへ倒れる。ドサッとアスファルトに叩き付けられるようにして倒れたレイヴンは直ぐに立ち上がる。

犬は、つむぎを背後に隠すようにして、レイヴンを、シンバを、ガーゴイルを見て、戦闘態勢で、唸っている。

「まさか……夕里さんを守ってる……?」

犬の行動に、シンバが疑問形で呟く。

「ははっ、レイヴンの芝居勝ちか」

そう言ったガーゴイルに、シンバが芝居?と見ると、

「当然だろ、食う訳ないじゃん、赤毛しか食わないって何回言えばわかんの。人間より動物の方が意外と絆とか深いもんだろ? 本当にあの犬があの子を大事なら、どんな状態でも、あの子の危機には敏感に動く筈だ。残された知性に賭けてみたんだろ。その知性が一度働けば、後は薬の効き目がいい時みたいにさ、ほら――」

と、指を鳴らし、差した方向を見ると、つむぎは犬を抱き締めている。犬の首に両手を回して、泣きながら、抱き締めている。

守られたとわかった瞬間、つむぎの中の恐怖は消え去ったのだろう。もう怖くないとばかりに、犬を抱き締め、抱き締められた犬も、つむぎの優しい温もりに、愛されている暖かさに、理性を取り戻していく。

シンバはその光景を見ながら、月子を思い出している――。

白い手を伸ばされ、優しく頭を撫でてもらった時の、あの時間――。

トリップしそうな自分に、目の前の光景から目を逸らし、俯いて、顔を上げると、ガーゴイルが、冷めた目でこっちを見ていたので、こんな甘苦しい感情を抱いている事が見透かされているようで、それが嫌で、

「夕里さん、キミにはいろいろ聞きたい事もありますし、でも、ここは賑わう街から少し離れてるとは言え、街の中に変わりはないですし、それに今はゆっくり話をしている暇はないですから、後で話を聞くとして、この状況をどうするかですね」

と、次の展開へと話を持っていくシンバ。レイヴンが、どうするかって?と問うので、

「レイヴンさん、狼の姿になられちゃ、その後、人の姿に戻ったら裸ですよ? しかも女の子を裸で歩かせる訳にもいかない。それに、夕里さんの犬は異常に大きい。大人しくなったとは言え、街中を連れ歩くのも難しい。僕達が乗って来たパトカーには、3人の子供しか乗れない。3人以上も以下もダメ、運転してた人に説明ができませんから」

そう話しながら、今度はガーゴイルを見て、

「獅子尾さんが事件現場から戻って来るまでに車に戻ってなきゃいけない。そして全員で、獅子尾さんの探偵事務所に戻る。それにはどうしたらいいでしょうか?」

と、今度は、つむぎと犬を見て、連れて帰るには、あの犬が一番厄介だなと思う。

『そんなの簡単よ、つむぎを私の変わりに車に乗せるの。あの犬は私が連れていくわ。あの犬なら狼の私について来れる筈よ。大丈夫、スピードはそれなりに落とすわ。それに人から離れた場所を選んで移動するから心配はいらない。事務所の場所も覚えてる』

「いや、でもレイヴンさん、あの犬と夕里さんを離すのは危険じゃないでしょうか? 夕里さんの言う事しか聞かないかもしれません」

『だったら、つむぎがよぉく言って聞かせればいいだけの事。大体、つむぎを連れてきたのはこの私よ、あの犬だって正気の沙汰じゃなかったとしても、それくらい理解してるでしょ、この場所につむぎが現れたのは、私が連れてきたって事、見てたんだから』

「確かにレイが彼女を連れてきたけど、彼女を襲おうとしたのもレイじゃん」

そう言ったガーゴイルにシンバは頷き、

「うん、そうですよ、それであの犬はレイヴンさんから夕里さんを守ろうと――」

と、そのセリフを遮られ、

『そんなの芝居だってわかってるわよ、今は!』

と、苛立ったようにレイヴンが言った後、

『バカなガーゴイル程度にも芝居だってわかったんだから』

なんて吐き捨てるように言うから、ガーゴイルが、犬と一緒にするなと怒り出す。

だが、どう考えても、その方法で移動するしかないかと、シンバはつむぎを見て、犬とつむぎの絆を信じてみるかと、

「夕里さん……キミは狼の姿になっているレイヴンさんの声が聞こえるみたいですが、もしかして、その犬の声も聞く事ができますか?」

と、問うと、つむぎはシンバを見て、小さく首を振ったので、

「多分それは、その犬が言葉を失っているだけかもしれません、レイヴンさんは人の言葉を完全理解し、日本語まで完全マスターする程、言語力がある。でも犬はそういう訳にいかない。だけど、犬だって感情はあり、心もある。夕里さんは、その犬の心の声を感じ取れる筈です。言葉じゃなくても、何か。ちゃんと、その犬に言い聞かせてほしい。この後、レイヴンさんに付いて行く事。夕里さんと一時の間だけ離れるけど、二度と暴れたりしない事など。言い聞かせられたら、犬が夕里さんの指示に従うか、それとも従うふりをして、途中で暴れ出すか、夕里さんなら見抜ける筈です。心の声で――」

やってみると頷くつむぎに、シンバも頷いた。

心を読むつむぎに、シンバは、何者なんだろうと思う――。

今まで近くにいて、何も感じなかった分、彼女には危険も感じ始める……。

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