6.夜に咲く花
朝、起きて、目が覚めて、ふと思った。
学校へ行きたくないって――。
だって、昨日、朝比奈くんを置いて帰って来た事は、良くなかったと思う。
昨夜は眠れなくて、うちの犬達がまた遠吠えするから、余計に眠れなくて。
何度も寝返りをうった。
こんな時、何か素敵な事が起きないかなって思う。
嫌な事を忘れちゃうくらい、とーっても素敵な事。
でも、大抵、素敵な事なんて起きやしないし、日常は繰り返されるだけ。
悪い事だって、大抵、そうは起きないと思うんだけど、嫌なニュースばかりが流れるから、悪い事ばかり起きている気がしてならない。
「つむぎちゃん? 夕里 つむぎちゃん?」
フルネームで呼ばれ、振り向くと……
「月子さん」
うちから、ちょっと歩くけど、ご近所さんって感じの場所に、素敵な洋館があって、そこに住んでる女の人。
とっても綺麗な人で、真っ白な肌と、真っ直ぐに伸びた黒髪と優しく微笑むピンク色の艶やかな唇と頬と、それからどこか神秘的で、謎めいた黒い一重の細長い瞳。
そんな月子さんは、袋を持って、近付いてくる。
「それ……夕里パンの?」
「そう、息子がね、ここのパン屋さんのパンが大好きで、今朝、ドアをノックしても、まだ起きて来ないから、食べ物で釣ろうと思って」
「いいなぁ、私も夕里パン好きなんだぁ。でもバカにされるから食べるのやめてるの」
「バカに?」
「うん、私の苗字と同じ名前でしょ? 夕里。で、私、つむぎって名前で、小麦粉みたいだからって、夕里パンってバカにされてるの」
「あら、そうなの?」
と、クスッと笑う月子さんは、大した事ないと思ってるんだろうなぁ。
これでも深刻問題なんだけどな。
だって、本当に嫌なんだもん、パンとか言われるのは――。
「じゃぁ、つむぎちゃんにクリームパン1つどうかと思ったけど、ダメかしら?」
「え!? クリームパン!! 夕里のクリームパン大好き!!」
思わず、そう言って手を出してしまった……。
私のバカ! 本当に恥ずかしい奴!
クスクス笑う月子さんに、私は自分の顔が赤くなっていくのがわかる。
どうしたら、こんな綺麗な人になれるんだろう……。
ハイと、私の手の中にナイロン袋に包まれたクリームパンが置かれた。
まだ温かい……焼き立てみたいだ。
「良かった、つむぎちゃん、俯いて元気なさそうに歩いてたから、どうしたのかと思って、声をかけたんだけど、食べる元気はあるみたいね」
「あ、はい……」
「どうかした?」
「学校へ行きたくないなって思ってたんです」
「あら、どうして?」
「昨日、転校生が来て、イロイロあって、友達が……喧嘩になっちゃったかも」
うまく説明できてないやと、私は、そのまま俯いたら、
「あら、そうなの?」
と、月子さんはまたクスッと笑う。そして、
「子供も大変ね」
と、私の胸の所に手を伸ばしたかと思うと、すぐに引っ込めて、指先を見ているから、静電気だったのかな?と、月子さんを見上げると、
「あ、ごめんなさい、カーディガンのボタンが取れそうだったから」
そう言われ、見ると、胸の所のボタンが取れかかっている。
「うちに寄る? カーディガン脱いでくれたら、ボタン直ぐに付けてあげるわ」
「え、いいんですか! 私、月子さんの家、入ってみたかったの!」
「あら、どうして?」
「だって、あんな素敵なお城みたいなおうち! 憧れちゃう!」
「つむぎちゃんのおうちの方が凄いじゃない? 大きなお屋敷で大きな門で、聞いた話だと、庭が庭園って呼ばれるくらいなんでしょ? それに名家なんですってね? 弓の……」
「よくわかんない。先祖が犬使いだの、猟人だの、それで弓をやってるし、ハスキー犬が一杯いるんだけど、ホント、意味わかんないの。だって、猟師とかで名家って、はぁ!?って感じだし、私、動物を弓で射ってた先祖を敬えないもん!」
「あら、そうなの?」
「それに、なんていうか、うち洋風なとこ全然なくて、只でかくて広いだけの畳の部屋がいーっぱいあるだけ。あんなの全然素敵じゃないもん! 月子さんのおうちの方が数百倍素敵! 私、結婚したら、月子さんのおうちみたいな家に住むの! だから素敵なお城の王子様探すんだぁ!」
「あら、でも、つむぎちゃんは婚約者とか決められちゃうんじゃない? 名家だと、血族とか大事にしてるだろうし」
「知らない。だって、うち、お兄ちゃんもお姉ちゃんもいるもん。私、末っ子なの。だから近くの小学校へ通ってるの。お兄ちゃんとお姉ちゃんは幼稚園から、名門校なんだよ。でも、お兄ちゃんは違う大学へ行ったの。そしたら、お父さんが怒っちゃって、出てけーってなったの。お兄ちゃん出てったんだけど、でも、近くに住んでんだよ? お母さんがマンションを用意しちゃって、そこでお兄ちゃん一人暮らし中なの。お父さんには内緒なの。でね、お兄ちゃんは弓の稽古に来なくなったから、お姉ちゃんが弓の修行中で、お父さんの期待を背負ってるんだけど、お姉ちゃんは高校生で、最近、彼氏ができて、なんか、悪い子になっちゃったの」
「あら、悪い子に? なら、つむぎちゃんの出番になるんじゃない?」
「ならないならない。弓なんてやってないもん。小さい頃、弓を持たされたけど、お父さんが、つむぎには無理だって言ってた。向き不向きってのがあるんだって。それで、私が無理だって言われた時から、お父さん、私へ期待何もしてないから」
「あら、そうなの?」
「でもいいの、私、お父さんよりお爺ちゃんのが大好きだもん」
「あら、お爺様がご健在なのね?」
「ご……健在……?」
「お元気なのねって意味よ」
と、クスクス笑う月子さん。私は、てへへと笑いながら、そして歩きながら、話をする。月子さんの声は優しい風が流れるような感じに、一定の音で、心地よくて、時折クスクスと笑う声も、風で揺れる花のようで、私は好きだ。
「じゃあ、やっぱり後継ぎはお兄様になるのかしら?」
「知らない。でも、別におにいちゃんとおねえちゃんじゃなくても、御弟子さんが一杯いるからいいんじゃない?」
「御弟子さんが……? あぁ、だから、いつも袴を履いた青年が、お屋敷の前の掃除をしてるのね? いつも違う青年がホウキで落ち葉を掃いてるのを見かけるの。水を撒いたりもしてるのも見た事があるわ」
「そうそう、御弟子さん達はうちに住み込んでて、掃除洗濯料理とかやってるの。まるで家政婦さん。で、決められた時間に弓の稽古をして、それから犬達の世話や訓練やら? あれって、お金を出してまで学ぶ事なのか、ホント謎!」
「あら、夕里のお弟子さんになるのは、狭き門だって聞いてるわよ。うちの息子も入れたら、入れたいくらいだわ、そして、少しはお行儀や作法なんかも学んでほしいものよ。あ、つむぎちゃん、庭で待ってて?」
そう言って、月子さんは、門を開けて、洋館へと入っていく。
素敵な洋館は教会にも似てるなぁと、高い所にあるステンドグラスの窓を見上げ、私はアーチを潜り、裏へと回って、庭へ出る。
「わぁ……」
白いテーブルとイスと、それから、蕾の花が地面に一杯。
まるで異国の世界へ来たみたい。
「つむぎちゃん、お裁縫セット持って来たわ、カーディガン脱いで? それから紅茶を淹れて来たから、クリームパンと一緒にどうぞ」
と、テーブルにティーセットを置く月子さん。
もうティーセットだけで、眩暈がするくらい姫アイテム!
「月子さん! これってイングリッシュガーデンとか言う奴ですか! 素敵! 素敵すぎます!」
大興奮の私に、月子さんはクスクス笑って、椅子にどうぞと言うので、私は興奮しすぎた自分に赤くなりながら、椅子に座って、カーディガンを脱いで、月子さんに渡し、もらったクリームパンを食べながら、紅茶を頂く。
「つむぎちゃん、首の所に紐みたいなものが見えるけど……」
「あ、これ?」
私は紐を引っ張って、月子さんに見せる。
「これ、一応、ペンダント。狼の牙なんだって。お爺ちゃんが私にくれたの」
「あら、そうなの?」
「魔除けだって!」
「あら、そうなの?」
「あ! もしかしてさっき、月子さん、この牙が手に当たった!?」
「え?」
「ほら、カーディガンのボタンを触ろうとして手を引っ込めたでしょう? 静電気?って思ったんだけど、もしかして牙が当たったのかなって」
「まさか。だって、服の中に入ってたのに、牙に当たる筈ないわ」
「あ……そうだよね……やっぱり静電気?」
「それより、紅茶、どう? レモンよりミルクの方が良かったかしら? クリームパンにはミルクの方が合うわよね」
「ううん、大丈夫、とっても美味しいです」
「それなら良かったわ」
「ねぇ月子さん」
「なぁに?」
「同じ花ばかりだね」
「え? あぁ、その花が好きなの」
私はフーンと庭を見回す。
「まだ1つも咲いてないけど、蕾だから、もうすぐ咲くのかなぁ」
「この花は夜に咲くのよ」
「え? 夜に?」
「えぇ、夜になると一斉にブルーの5枚の花びらが開くのよ、まるで星みたいに」
「へぇ……見てみたいなぁ……」
「なら、苗を持ってく?」
「え!? いいの!?」
「えぇ、いいわよ。この花の名前は和名で〝星月夜〟」
「ほしつきよ?」
「英名〝デッドナイト〟」
「デッドナイト……?」
「花言葉は甦り」
「甦り?」
朝比奈くんが、ゾンビのゲームをやってるって話をしてて、ゲームの雑誌に載っていた特集記事に、そのゲーム映像があって、それがとても怖くて、それを思い出して、私はとっても怖いって顔をしてしまったんだろう。
月子さんは私をチラッと見て、クスクス笑った。
「ほら、死んだ人は星になるとか、月から見守ってるとか言うじゃない? この花が空に輝く星みたいだから、そこから花言葉ができたんじゃないかしら?」
「そ、そっか」
こんな話を聞いたせいで、綺麗で清楚で可憐な月子さんが、死人に見える。
白い肌も、黒くて艶やかな髪の毛も、微笑むピンクの唇も、神秘的な黒い瞳も、つくられたような、どこかマネキンみたいで、本当は既に死んでいて、幽霊かもしれないなんて、私は思って、月子さんを見つめていた――。
月子さんは人差し指を針で刺してしまい、ぷっくりとした血が白い指先から出て来て、その指先をキスするように口元に持っていき、優しく微笑んで、私を見ている……。
そういえば……この夜に咲く花……どこかで見た気がする。
どこで見かけたか、確か、こんな風に一面に……
あぁ、そうだ、首吊りの木の幽霊屋敷に、一杯あった花だ……
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