5.正義は誰が決めるのか


こんな所でやられる訳にはいかないと肩に食らいついている黒い狼を突き放そうともがいてみるが、一度食らいついたら離す訳がない。

急所の首からズレて肩を噛みついているのが幸いだが、このまま食いちぎられたら、そのまま意識を失ってしまい、大勢の狼の餌食になるだろう。

しかも、そうなるのは時間の問題か。

こうなったらと、シンバは、噛みついて離さない黒い狼を地面に叩きつけるように、横向きになって、思いっきり倒れる。

シンバの力の入った体重で押し潰される黒い狼は圧迫された体から空気を出す為に、口からガハッと息を吐いた瞬間、大きく口が開き、シンバの肩から牙が抜けた。だが、その瞬間にも、違う狼がシンバの横向きで倒れた体の上に乗ってきて、更に別の狼の牙がシンバの後ろ足を噛み、そして、上に乗ってきた狼が大きな口を開き、シンバの喉を目掛けた瞬間――……

シンバの上に乗っかった狼が吹っ飛んだ。

ギャンっと言う甲高い声を上げて、余所の家の塀にぶつかる狼。

グルルルルと唸る狼達の光る眼は、一匹の狼を見ている。

シンバではない。

シンバの上に乗った狼を吹っ飛ばした、新たな狼だ。

息を切らし、朦朧とする意識の中、シンバは、その狼を見る。

銀色の毛並み、ブルーシルバーの瞳、そして、シンバを守るように狼達の前に立ちはだかる勇ましい姿。

誰だ?と、シンバは、立ち上がろうとするが、噛まれた後ろ足に激痛が走り、うまく立ち上がれない。

シンバの応戦に来てくれても、シンバ自身がこれでは戦えそうもない。

どの道、この銀色の狼も、黒い狼率いる群れにやられるのも時間の問題だろう。

せめてシンバが戦えれば、もう少し早く銀色の狼が現れてくれれば……

「きゃー!!!!」

通りかかった人が、この状況に悲鳴を上げた。

すると、向かい側の家の窓がガラッと開いた。

悲鳴を上げた人が更に大きな声で助けを求めるから、狼達がキョロキョロしながら、辺りを確認する。

黒い狼はシンバと銀色の狼を睨み見るようにして、その場を立ち去ると、狼達も黒い狼を追いかけていなくなった。

銀色の狼は、気付いたら、もういない。

シンバも、この場を早く立ち去らないと、人間達がどこかへ連絡してしまったら厄介な事になる。

例えば、保健所とか、獣医とか、警察とか――。

前足に力を入れると、やられた肩が痛むが、今、痛がってる暇はない。

シンバは何とか前足で地面を強く踏み、立ち上がると、後ろ足を引き摺りながら、急いでその場を立ち去る。

自宅か、事務所へ行くには、明るい道を通る事になり、人の目に触れてしまう。

かと言って、暗闇で隠れて休むとしても、また奴等が現れるかもしれない。

イロイロ考えて幾つか選択肢を出せる程、今は、頭がまわらない。

だから、足が向くまま、何も考えずに、シンバは朝比奈家に帰っていた。

玄関先でわんわん泣いている尊と、尊を慰めている母親。

父親と翔はシンバを探しに行ったようだ。

今、傷だらけのシンバを見た尊が走って来て、シンバを抱き締めた。

やられた傷が痛いから、強く触らないでほしいが、ギュッと強く、シンバの首に手を回して、泣きながら抱き締めて来る尊に応えるように、シンバはされるがまま。

鼻水をズルズル出して、ヒックヒックとしゃっくりまでして、尊は泣いている。

「ごめんね、ごめんね、ワタル」

何故、謝るのか、全くわからないが、そう言って、尊は泣いている。

母親が父親の携帯に電話をして、シンバが戻った事を伝えると、直ぐに父親も翔も家に戻って来た。

もう獣医はやってない時間帯だからと、翔が何とか親を説得し、明日の昼間に預かってくれる人に獣医に連れて行ってもらうからと言いながら、家にある消毒液と包帯で、簡単にシンバを手当てした。

翔は手当てしながら、小声で、何があったのか、ヴァンパイアの仕業なのかと聞いてきたが、シンバは答えようがなく、黙って手当てを受けた。

翔の部屋で寝るのだと思っていたのに、何故か尊の部屋に連れて行かれて、尊の布団で、尊と一緒に寝る事になる。

風呂上がりのホカホカの尊は、布団の中で、思いの他温かくて、いいニオイだ。

「ワタル、怖かっただろう? ごめんね。オレが一緒にいたのに助けてやれなくて」

そう言って、尊は、シンバを撫でる。

「野犬の群れだろうって、お父さんが言ってたよ。山に捨てられた犬が餌を求めて住宅街とかに来たんじゃないかって。そういえばニュースでブリーダーが売れない犬を一杯捨てたとか聞いた事ある。見つかれば、ニュースになって、また飼い主も見つけてもらえるんだろうけど、見つからない犬達は、あぁやって生きていくんだろうね。怖かったよね」

尊は赤く腫れた目で、また泣きそうな表情をしながら、優しくシンバの毛を撫でていたが、自分で話してる内に思い出したのだろう、またシクシク泣き始め、シンバをヌイグルミのようにギュッと抱くから、シンバは、痛いのにと思いながらも、やられるがまま、痛みに耐え、やがて、尊は泣き疲れて寝てしまう迄、シンバは抱き締められたままでいた。

朝方、シンバは布団からソッと出て、尊の部屋を出た。

狼の姿のまま、器用に玄関の鍵を静かに音を立てずに開けて、まだ暗い空の下、足を引き摺りながら出て行く。

少しの気配も敏感に感じるように、神経を研ぎ澄ませながら、ゆっくりと歩いて行く。

酔っ払いがフラフラしながら、大きな犬だと、怪我してんのかと言いながら、シンバに絡んで来たが、シンバが無視して通り過ぎていくので、舌打ちをして、訳のわからない暴言を吐いていたが、それくらいで、特に他には何もなく、無事に事務所に着いた。

シンバは事務所に入ると、直ぐに人の姿になり、電気を点けた。

狼の姿の時と、人の姿の時のカタチは全然違うから、巻いていた包帯が解けたが、血でくっついてしまっているから、傷口の部分には包帯が付いている。

シンバは顔を歪ませながら、包帯をベリッと剥がし、奥にあるシャワー室で体を洗いながら、傷口も綺麗に洗い流す。

足よりも肩の方が酷いなと、シンバは鏡で傷を確認。

タオルで体を拭きながら、巻いてきた包帯を、もう一度、巻き直して、傷に巻いて行き、机の上に置かれた服に着替えていると、ドアが開いた。

足音で既に翔だとわかっていたので、シンバは振り向きもせずに着替え続けていると、

「起こしてよ! 尊の部屋にいないんだもん! 心配したよ!」

そう言うから、

「弟さんは?」

と、振り向いて、問うと、

「まだ寝てるよ」

と、シンバが出て行った事には気付かれてないと、翔は大丈夫と頷く。

「ねぇ、何があったの? 尊は沢山の犬が襲ってきたとか言ってるけど、ヴァンパイアに襲われたんじゃないの?」

「……狼の群れに襲われたんです」

「え!?」

「翔さんを起こさなかったのは、一緒にいると、また襲われた時に、翔さんに怪我をさせてしまうと思って、僕は一人で家を出たんです。狼の姿だったので、書き置きもできませんでした」

「そ、それはいいけど、狼の群れって? どういう事?」

「わかりません。でも、僕と同じ人狼だと思います」

「仲間って事!?」

「いいえ、仲間なんて僕にはいません。それに僕以外に人狼がいるなんて聞いた事もない。僕は海外へ行った事がないので日本限定での話ですけど」

「......敵なの?」

「わかりません。でも襲ってきたって事は敵なのかもしれません」

「群れって事は、どのくらいの数だったの?」

「リーダーらしい黒い狼を合わせて……恐らく10はいたと思いますけど……」

「10!? え、それで、よく無事だったね、あ、いや、怪我してるけど」

「それが……よくわからないんですけど、やっぱり人狼だと思うんですけど、銀色の狼が現れて、多分、助けてくれたんだと思います」

「仲間なの!?」

「いや、だから仲間は僕にいないんです。だから、敵なのか味方なのかも、わからないんですよ」

「そうか、でも人狼だったら、ソイツ等も人の姿になれるんだよね? 人の姿で現れたら、わかるもんなの? そのリーダーらしい黒い狼とか、銀色の狼とか、人の姿になって現れて、突然、襲って来ない? どんな人になるのか、想像しといた方がいいよ。大体、こんな奴だってわかってれば、想像した奴に近い感じの奴が近付いて来たら、警戒できるし。やっぱりシンバくんくらいの少年の姿をしてるのかな?」

「いえ、黒い狼は女ですから、少女でしょうね」

「女!? え? 女の子なの!?」

「はい、それと銀色の狼は男でしたから、少年でいいと思います」

「そ、そうなんだ、え? 女の子もいるんだ? そうなんだ、へぇ」

人狼と言うと、どうしても狼男というイメージがあるのか、翔は、女の人狼がいる事に、想像してなかったと、戸惑っている。

「でも相手が女の子なら勝てるんじゃない? リーダーを潰せば、後は楽勝だよ」

「そうですね」

そんな簡単なものではないが、翔に、この話をどうこう言った所で、どうしようもない。シンバ自身もよくわからない事ばかりだ。だからシンバは頷いて、大丈夫ですよと、翔に、少し笑って見せる。

「怪我はどう?」

「2、3日で治りますよ。治癒力が異常に高いんです、人狼は」

「そっか。良かった。学校には行くの?」

「はい」

「行くの!? 余り無理しなくていいと思うんだけど」

「人が多い場所の方が安全ですから」

「あ、そうか、成る程ね! でもホント無理はしないようにね?」

「ありがとうございます、無理はしてないです、大丈夫ですから」

「わかった。あ、そうだ、朝飯、コンビニで買ってくるから、待ってて」

翔は事務所を出て行き、近くのコンビニで、おにぎりやパンを買うと戻って来て、シンバに買い物袋のまま手渡した。

そして翔の朝飯は家で母親が作ってくれてるからと、早々に帰って行った。

放課後、また事務所で待ち合わせしようと言っていたが、シンバは迷っている。

今夜も翔の家に行くべきか、それとも、夜道をうろついて、狼達が現れるのを待ってみるか。危険かもしれないが、このまま放置しておくのは、もっと危険だ。

相手の事がわからなすぎる。

シンバは朝飯を食べた後、中身が昨日のままのランドセルを背負い、早めに学校へ向かったが、足を引き摺りながらだったので、着いたのは、既に登校時間内だった。

やっぱり人間の姿だと、二本の足で体を支えるから、片方の足が使えないと不便さ極まりない。下駄箱で、シューズに履き替えるのさえ、一苦労だ。

尊は既に来ていて、教室にいた。

いつものメンバー達と一緒にいて、シンバが教室に入ると、包帯をしてて、足を引き摺ってるから、少しざわっとしたが、尊の周りの奴等が、

「アイツ、怪我してるよ、なぁ、尊、包帯とってやろうぜ」

「怪我の所を軽く触れば、今度こそ悲鳴あげるかも」

「アイツ、殴っても、泣かないし、声1つ出さないもんな」

と言う話がシンバの耳に入ってきて、めんどくさいなと、シンバは思う。

幾ら治癒力が高いとは言え、今は無意味に傷を悪化させたくない。狼達がいつ現れるかわからないのに、なるべく、完治へと向かわせないと、逃げる事すらできなくなる。

どうやって、切り抜けるかなと、考えていると、

「ほっとけよ、相手にするな」

と言う尊の声が聞こえ、シンバは驚いて、尊を見てしまう。尊もシンバを見てて、バチッと目が合うが、尊の方からサッと目を逸らした。

「え? 尊? アイツを泣かせるチャンスじゃないの?」

と、みんなが言うが、尊は別にもう飽きたとか言いだして、シンバをイジメる気がなさそうだ。そんな尊に、みんなが不思議そうだが、シンバが一番不思議に思っている。

――どうしたんだ? まさか僕が狼......いや、犬だって気付いてる?

――怪我が同じだからとか?

――いや、そんなわけない。

――本当にどうしたんだ?

不思議には思うが、まぁいいかと、シンバは余計な事を考えてもしょうがないと思う。

自分の席に座る。

「獅子尾くん、その怪我どうしたの?」

隣の席の夕里 つむぎが、シンバの包帯を見て問う。

「昨日、ちょっと事故にあって」

「事故!? どんな?」

「あ、いや、えっと、自転車と衝突して……」

「大丈夫!?」

「はい、大丈夫です」

シンバがそう言うと、同時にチャイムが鳴り、担任が入ってきて、

「ほら、早く席に着け」

と、出席簿を机の上にバンッと置く。

担任と一緒に入ってきた女の子。みんながザワザワする中で、

「転校生を紹介する」

と、担任。シンバは、思わず、ガタンと椅子を倒し、立ち上がる。

「どうした? 獅子尾?」

「え、あ、いえ、すいません」

「なんだ? ていうか、本当にどうした? その怪我?」

「あ、昨日、ちょっと事故にあって」

「事故!? 大丈夫なのか?」

「はい」

「気を付けろよ?」

「はい」

シンバは頷きながら、担任の横に立つ女の子を見る。女の子はシンバを見て、ニッコリ微笑み、まだ担任が挨拶をしろとも、自己紹介をしろとも言わない内から、

「レイヴン」

そう言った。みんなが、女の子を見て、クエスチョン。

女の子は、シンバから目を離し、皆を見回すと、

「レイヴン。そう呼ばれているらしいけど、短縮されてレイって呼んでるのを、よく耳にするわ。それが私の呼び名」

そう言った。シーンとする中、女の子は黒い長い髪を手でサッと後ろへ流して、クスッと笑いながら、またシンバを見る。

その黒い瞳が一瞬、金色に光って、シンバは絶対の確信をする。

昨日の黒い狼だと――。

「え? あ、それでいいのかな?」

担任も一瞬、きょとんとしていたが、彼女にそう問うと、

「みんな、レイヴンさんは日本ではない、遠い場所から来たんだ。だから生活や言葉の違いなんかもある。今のはレイヴンさんの独特な言い回しだったが、要はみんなに仲良くしようと言いたいのだろう、みんなもレイヴンさんと仲良くするように」

そう言って、レイヴンに、とりあえず今日は欠席している人の所へ座るよう命じた。

「おい、獅子尾? いつまで立ってるんだ? 早く座れ」

そう言われ、レイヴンが席に座るのを見ながら、シンバも席に着く。

「綺麗な子だね」

シンバがレイヴンをずっと見ているので、つむぎが、小さな声で囁いて来た。

そんな事で目が離せないのではない。

日に焼けた程度だが、褐色の肌と、黒い長い髪と、大きな黒い瞳をしたレイヴンは光の加減で瞳を金色に光らせ、どこかとても神秘的で、確かに美しいが、シンバには恐怖でしかない。

何故、この学校へ、しかもこのクラスにやってきたのか、その答えは、シンバがいるからとしか思えない。

そうだとしても、ややこしい手順を踏んで来てるのが謎だ。

態々クラスメイトになる意味はなんだろう。

しかも他の狼達ではなく、リーダー本人が。

休み時間になると、物珍しさもあるのか、レイヴンの周りにみんなが集まり、質問をする。

どこの国から来たのか?

今はどこに住んでるのか?

前の学校はどんなだったか?

友達と離れてしまって寂しいか?

血液型は何型か?

誕生日はいつか? 

くだらない質問まで飛び交ってワイワイしている中、シンバは自分の席に座ったまま。

シンバだけかと思えば、何故か尊まで自分の席に座ったままだ。

転校生に興味がない訳じゃないだろう、尊の事だ、一番最初に、いろんな事を聞き出しに行き、みんなに自慢するように、最初に友達になったとか言い出しそうなものなのに、今日の尊は変だ。

昨夜、本気で泣いていたが、まだ引き摺ってるのだろうかと、だとしたら意外に傷付きやすいんだなと、シンバは思う。

「うるさい、黙れ」

今、そのセリフに、皆がシンとする。レイヴンが言ったのだ。

レイヴンの周りにいる子が、皆揃って、

「え、今、何て?」

と、顔を見合っている。聞こえたが、まさかのセリフに、聞き間違いのような気もして、わからなくなっているのだろう。困惑するみんなに、

「そんなに知りたいか? あたしの事」

と、立ち上がり、一番、体の大きな太った男の子の胸倉を持って、

「教えてやろうか? 知りたいんだろう?」

と、ニヤッと不気味に笑うから、皆、ズザッとその場から数歩下がる。

太った男の子は持たれた胸倉を離そうと、レイヴンの手を持って、引っ張ったり叩いたりするが、ビクともしないから、あわあわと口を動かし、汗だくになる。

レイヴンは、その男の子の胸倉を掴んだまま、片手で、軽く持ち上げると、少し、男の子の足が浮いて、男の子は余計にあわあわして、助けを求める為、周囲を見回すが、皆が、ピクリとも動かず、いや、動けずに、驚いたまま、只、突っ立っている。

「おい!」

尊が席から立ち、ツカツカとレイヴンの所へ行き、

「勝手な事するな! いいか、このクラスは、おれが仕切って――」

そこまで怒鳴った瞬間、グッと尊の喉が空気を詰まらせた。

レイヴンが太った男の子を離したその手で、尊の喉を掴んだんだ。

「なんだ、体がデカイ奴が、この群れのリーダーかと思ったら、アンタがリーダー? 随分と小さいね。で、強いの?」

と、ニヤニヤ。尊はレイヴンの絞めてくる手を両手で掴み、喉から離そうとするが、レイヴンは動じない。

「やめて! 死んじゃう!」

つむぎが叫んだ。すると、

「そうだ、やめろ! 死んじゃうだろ!」

「尊を離せ! 死んだらどうするんだよ!」

「死んだら警察に捕まるぞ!」

尊といつも一緒にいる少年達が、そう叫んだ。

「警察? フーン、警察ね、残念だけど、あたしが警察に捕まる所、アンタ達は見れないよ、だって警察が来る前に、アンタ達、全員、死んでるから。3分で全員殺してあげる」

レイヴンはそう言うと、尊の小さな体を首を絞めた手で持ち上げる。

尊の口角からヨダレが出る程、息も耐え耐えになって来ているから、

「いい加減にしろ」

と、シンバが席から立ち上がり、レイヴンに近付いて、

「手を離せ。相手は子供だ。ヴァンパイアでも子供は狙わない」

そう言った。皆、シーンとして、シンバの言っている事も意味不明だが、シンバのいつもと違う雰囲気にも驚いている。

レイヴンは二ヤッと笑い、尊の首から手を離すと、尊は床にドサッと落ちて、尻餅を着いたまま、喉を押さえ、咳き込んでいる。そんな尊に、

「こんな座り込んで泣くしかない奴を二度も庇うんだ? ていうか、そのジョーク笑える」

レイヴンが、そう言うから、座り込んで泣くしかないって言うのは、昨日の事を言っているのか?と、だが、どこら辺でジョークなんだ?と、シンバは思う。

「3分で全員殺すって言ったでしょ? アンタも入ってんのよ、誰かを庇ってる余裕あるの? スノウ」

レイヴンはそう言って、シンバを見て、ニヤリと笑う。

シンバは、スノウ?と、眉間に皺を寄せる。だが、ここで質問を交わす事はできない。皆が見ている中で、妙な話はできない。余計に怖がらせるだけだ。

授業が始まるチャイムが鳴る。レイヴンは、

「ゲームオーバー」

そう言うから、余計、眉間に皺を寄せると、

「仲間と賭けてたの、最初の休憩時間内で何人殺せるか。全員殺すって賭けたのに一人も殺せなかった。でもみんな、賭けには外れたわ。最低でも2人はいけるって賭けてたのよね、まさか一人も殺せなかったなんて、予想外」

言いながら、自分の席に座って、普通に授業を受けるつもりなのか、ノートと鉛筆を出した。そして、キョロキョロと皆を見回し、自分の隣の席の子が教科書を広げるのを見ると、

「教科書、見せてね」

そう言った。まさかの台詞だが、隣の席の子は無言で教科書を見せ始め、皆、動けずにシーンとなる中、先生が教室に入ってきて、

「なにやってんだ、席に着け。転校生が来たからって浮かれてんじゃないぞ」

と、笑いながら、言うから、皆、ぽかーんとした顔で、先生の方へ顔を向ける。

「どうした? 早く席に着け」

転校生を囲んだ感じで、皆が立ち尽くしていたので、休憩時間に、転校生と仲良くみんなで話でもしてたと思っているのだろうが、余りにも先生の普通さ加減に、皆、呆然としてしまう。

だが、何をどう話せばいいのか、誰もわからなくて、一人が、黙って席に着くと、皆もそれぞれ自分の席へと座り、首を絞められた尊も、黙って席に着いた。

シンバも、黙って、席に戻る。

――賭けは終わったって事か?

――じゃぁもう誰も殺そうとしないって事か?

――ていうか、本気で授業受けるのか?

シンバはレイヴンを見て、黒板を見ているレイヴンに、訳がわからないと思う。

――勉強する為に学校へ来たのか?

――そんな訳ない。

――スノウってどういう意味で言ったんだろう?

――何かの合図?

その後、レイヴンに近付く者は誰もなく、放課後まで何事もなく、時間は過ぎ、帰りのホームルームが終わり、皆がランドセルを背負って、先生が教室から出て行き、誰もがいつも通りに帰れると思った時だった――。

「誰も帰さないわよ」

と、レイヴンの一声に、皆がレイヴンを見たが、シンバは後ろと前の出入り口に見知らぬ少年が立っているのに気付いた。

昨夜の群れの中にいた狼だろう。

だが、皆、まだクラスメイトではない少年が出入り口に立っているなど知らず、レイヴンを見たまま、立ち止まっている。

誰も何も言えず、動きを止めたままになっているのは、尊が首を絞められているのを目の当たりにし、それがまだ今朝の出来事で、鮮明に覚えているからだ。

当の尊は、既に席に座ったままカタカタと震え出している。

そりゃ首を絞められ、逃げもできなかったのだ、恐怖に違いない。

だが、全員を押さえつけるなんて無理だと気付いた一人が、ドアに向かって走り出した瞬間、知らない少年に気付いた。皆が、後ろも前も、知らない少年が立っている事に気付く。

「逃げないの?」

レイヴンが最初に走り出した子を見ながら問う。

「賢明ね、逃げるだけ無駄ってわかってるのね。だから人間って好き。利口過ぎて、無駄な手間をかけさせない」

そう言って、立ち上がり、尊の傍に行き、震える尊の横に立つと、

「別に全員が残る必要ないわ。一人でいいの、たった一人で。折角、授業も終わったんだもの、みんな、帰りたいでしょう? 誰か一人残ってくれるなら、他はみんな帰っていいわ」

そう言った。すると、尊といつも一緒にいる少年の一人が、

「尊! お前が残れよ!」

そう叫ぶように言う。尊は驚いた顔で、その少年を見ると、他の子達も、

「そうだ、尊がいいよ、だって、尊、暇なんだろう? 塾とか行ってないしな」

「そうそう、尊、転校生に気に入られてるみたいだし」

と、口々に言い出し、尊は首を横に振るが、

「尊、そうしろよ、な? 別に何もされないよ、今朝だって、ちょっと強く首を握られてただけで、何もなかったし、大丈夫だろ?」

そう言われ、尊は泣きそうな顔で、首を振り続ける。

「多数決をとりまーす、朝比奈くんが残ればいいと思ってる人ー!」

誰かがそう言うと、クラスの殆どが手をあげた。そして、

「じゃあ、尊が残るんで」

と、一人が、出て行くと、次から次へと出て行くから、尊は、

「ちょ……待てよ、オレを残して行くのかよ!? オレ以外にも塾行ってない奴いるじゃんかよ! 帰るなよ! オレを一人残して帰るな!!」

と、震える声を張り上げて、皆に訴えるが、皆、尊に見向きもしない。

最後、つむぎが、困った顔で、尊を見ていて、尊が、彼女に手を伸ばそうとした瞬間に、目を伏せられ、走って教室から出て行くから、

「なんでだよ!!!!!」

尊は拳で、机を叩き、そのまま、なんでだよと何度も呟きながら、顔を机に埋める。そんな尊を嘲笑うように見ながら、

「で、アナタは帰らないの?」

と、レイヴンが言うから、尊は顔を上げて、振り向く。

シンバが一人残っている。自分の席に座ったまま、帰ろうとしていない。

それこそ、なんでだよと、尊は思う。

「誰か一人残ればいいなら、僕が残ります」

そう言ったシンバに、

「フーン? それでいいの?」

と、レイヴン。

「はい」

即答のシンバ。

「どうして?」

そう、どうして?と、レイヴンの問いに、尊も思う。だが、シンバが無言なので、

「何か庇う理由があるの? 恩でもあるっていうの?」

と、レイヴンは尊を見ながら、シンバに問う。尊はレイヴンの視線にも、そのセリフにもドキッとする。恩どころか、恨まれて当然の事しかしてないからだ。

「答えて」

厳しい口調で、そう言ったレイヴンを、シンバは睨むように見て、

「人間だから」

そう答えた。なんだ、その答え?と、尊はふざけてるのかと思う。

「人間だから?」

レイヴンはクエスチョンで鸚鵡返しで聞いた。そして、

「わからないわ。どうして人間だからなの? 人間なんて餌じゃない」

そんな事を言うから、尊は餌!?と、ビックリした顔になる。

「ヴァンパイアとは違う」

と、そのシンバの台詞で、なんでこんな状況で、そんな冗談言えるんだろうと、尊は違う意味で驚いた表情のままになってしまう。

「なぁに? ヴァンパイアは人間の血を餌にしてるから悪だって思ってるの?」

「……」

「すっかり人間に飼い慣らされた犬ね。人間が正義だとでも思ってるのね? 少しは自分の頭で考えてみたらどうなの?」

「……」

「正義って人間の味方になる事なの? 人間だって豚や牛、植物、生きてるモノを食べるわ。だけど人間の餌となるモノは反発も反論もしない。自然の摂理だからよ。どうして人間ばかりが自然から反して生きてるのに優先的に生きられるのかしら? それが正義だから? そう思う? 人を救う事、それは本当に正義?」

一体、何の話をしてるんだ?と、尊は眉間に皺を寄せる。

「知りません」

シンバはそう答えると、レイヴンを見て、

「正義だとか悪だとか、僕にはそれこそ関係ないし、知りたくもない。別に朝比奈くんじゃなくてもいいなら、僕でもいいじゃないかって思っただけの事。朝比奈くんには恩も何もない。只のクラスメイト。でも、しいて言うなれば、彼は人間だから、態々僕等に関わる必要はないと思ったんです」

そう、説明するように言うと、

「ヴァンパイアじゃないんだ、人間を餌にする必要もないだろう?」

と、レイヴンを睨み付けて言う。

まるで見た事もないシンバに、尊は驚いている。

いつもやられるがままのシンバしか知らない尊は、言っている事の意味はわからないが、シンバの口調やら表情やらセリフやらに、驚きを隠せない。

「そのジョークもう笑えない」

レイヴンはそう言うと、シンバを鋭い目で睨み、

「人間だから関係ない? この呪われた体は人間のせいなのよ!」

そう吠えるレイヴンに、尊はビクッとする。そんな尊の首を持ち、

「だから手始めに、コイツを殺すわ!!」

そう言うから、シンバは席から立ち上がった瞬間、ドアの所に立っていた少年二人がシンバを押さえつけ、殴り出す。

再び首を絞められ、足掻く尊に、

「噛み付いたら、きっと、血が溢れ出るわね、そのニオイで、ヴァンパイアもやって来るかもしれないわ。一石二鳥よ。血のニオイ町中に広がるように、風が通る場所で殺さなくちゃね」

レイヴンはそう言って、挑発的な顔で、殴られているシンバを見る。

そして首を絞めながら、尊を引き摺るようにして、教室を出て行くから、シンバは、待てと言うものの、押さえつけられ、殴られてるので、追いかけられない。

しかも昨日の怪我もあり、このままでは完全にやられてしまう。

シンバを床に叩き付け、押さえつけてくる少年達。

脳裏に浮かぶ依頼主の翔の顔。

ここで尊を守れなければ、獅子尾に合わせる顔もない。

それどころか、こんな事ではヴァンパイアに勝てないと思われ、一緒に戦えないと言われてしまう。

シンバは学校だろうが、どこだろうが、構ってられるかと、ぐああああっと雄叫びを上げ、狼の姿になり、少年二人に襲い掛かる。

人間の姿より狼の姿の方がスピードも出るし、拳の力より顎の力の方が勝る。

それに相手はヴァンパイアじゃないから短剣も必要ない。だったら狼の姿の方が断然有利。シンバは少年の肩や腕を爪で殴るように抉り、横腹を噛み千切り、二人の少年が床にガクンと沈むのと同時に、物凄いスピードで教室を走り去る。

尊の匂いを追いながら、階段を駆け上る。

屋上へと勢いよく出ると、レイヴンが尊の首を持って、引き摺りながら、柵を越えようとしている。

今、レイヴンも尊もシンバに気付いた。

「ワ……ワタル……?」

首を絞められ苦しいのだろう、涙を流しながら、ぐしゃぐしゃの顔で、尊が呟き、

「スノウ」

と、レイヴンが言った瞬間、シンバは物凄いスピードでレイヴンに走り寄り、鼻の頭の上に皺を寄せて、唸り声を上げながら、飛び掛かる。

倒れるレイヴンの上に乗り、シンバがレイヴンの肩を大きな口で噛み、牙を入れる。

尊はレイヴンから解放され、その場に座り込んで、喉を押さえて咳き込んでいる。

レイヴンが噛まれていない方の右肩の腕を振り上げて、シンバの顔に拳を入れるが、シンバは噛んだ肩を離さない。

唸り声を上げながら、レイヴンに噛みついている。やっと尊の喉に空気がうまく入り、呼吸が安定し始め、

「ワタル! やめろ! ワタル!!」

と、声を上げた。グルルルルっと喉を鳴らし、シンバは口を開けて、レイヴンの肩から牙を抜くと、その肩からドバっと血が噴き出した。

警戒と威嚇でグルグル喉を鳴らしながら、鼻の頭に皺を寄せ、牙を見せながら、シンバはゆっくりとレイヴンの上から下りて、離れる。

破れた服を肩の方まで持っていき、血を止めるように押さえ、レイヴンが立ち上がり、長い乱れた髪を、首を回しながら、後ろへやり、シンバを睨み付けながら、屋上から去っていく。

レイヴンの階段を降りる足音が完全に消える迄、シンバは唸り続ける。

尊はレイヴンがいなくなり、ホッとして、シンバの傍で腰を下ろし、シンバの背にギュッと抱き付くと、

「オレがピンチだから助けに来てくれたのか? ワタル」

そう言った。シンバは、そうか、ワタルかと、お座りすると、突然、

「獅子尾!!」

そう言うから、ピクンと大きな耳を動かし、バレたのか!?そう思って、立ち上がると、

「獅子尾って奴がまだ教室にいるんだ!」

と、走って屋上を出る尊。シンバは、教室にはまだアイツ等がいるかもしれないと、尊を急いで追いかける。

「獅子尾!!」

大きな声で、そう言って、尊は教室に飛び込むが、勿論、シンバはいない。

「獅子尾?」

隠れているかもと思ったのか、尊は教室を見回しながら、歩いて、そして、床の血に気付いて、それから、シンバの服に気付く。

「……嘘だろ、獅子尾の奴、脱がされたのか? 裸にされたのか?」

言いながら、シンバの服を手に持ち、

「裸で帰る訳ないよな、どこかに隠れてるのかもしれない」

と、シンバに言うから、シンバは、どうしたものかと思う。

尊はシンバの服をギュッと強く握り締め、

「ワタル……オレね……オレはね、獅子尾って奴をイジメてたんだ」

と、何故か、このタイミングでカミングアウト。シンバは、尊を見上げると、尊もシンバを見下ろし、泣きそうな顔で、

「昨日、ワタルが、沢山の犬に襲われたろ? オレ凄く怖くて、本当に怖くて、今だって思い出しただけで涙が出るんだよ。でも……オレが獅子尾にやって来た事と同じだって思ったんだ。大勢で寄って集って獅子尾を殴ったりした事もある。オレ、その時、笑ってたと思う。怖いなんて考えた事もなかったし、なんでかな……今、どう考えても、全然面白い事じゃないのに、面白かったんだよ、獅子尾をみんなで甚振ってる時は。だって、みんなと同じ気持ちって言うか、一体感っていうか、そういう気持ちになれたから。それも俺が主導権握ってたし」

と、懺悔のつもりか、狼のシンバに話をする。

今朝から尊の様子が妙だった理由がわかった。罪悪感で一杯だったって事かと、シンバは納得。

「翔にぃちゃんがさ、イジメられてるのを見た事があるんだ。イジメの現場を見た時、オレ、絶対に翔にぃちゃんみたいにはならないって決めたんだ。でも、今日、あの転校生が来て、オレのならないって決めた事と、なりたいって思った事は違うなって気付かされた。確かにオレは翔にぃちゃんみたいにはなってない。イジメられてないし、寧ろ、イジメの主犯格と言っていいと思う」

自分で自分の立場というか立ち位置というか、わかってるんだなと、シンバは思う。

「でも……オレがなりたかったのは、そんなんじゃないと思うんだ……」

言いながら、シンバの服をまた強く握り締め、大きな涙の粒をポロッと落とし、

「でも……なりたいものが、今はもうわかんないよ……」

そう呟く尊に、生きるってメンドクサイねって、シンバは思う。

「朝比奈?」

教室に入って来たのは担任。

「どうしたんだ、もう下校時間とっくに過ぎてるぞ」

「先生! 獅子尾の服が!」

「ん?」

尊は担任にシンバの服を差し出して、

「今日来た転校生が、知らない子を教室に入れて、獅子尾が殴られたかもしれない!」

と、よくわからない説明を言うから、担任は、

「レイヴンと何かあったのか? 仲良くしてやれよ? 彼女は複雑な家庭環境を抱えてて、今は児童養護施設から学校に通ってるから、両親と離れて暮らしてるんだ」

そう言った。児童養護施設、そこを拠点とする気か?と、シンバは思う。

「そんな事より、獅子尾の服!」

「ん? なんで服だけがあるんだ?」

「だから獅子尾が!」

「朝比奈、獅子尾の家に届けてやれ」

「は?」

「先生は、お前達のくだらないお遊びに付き合ってる暇はないんだ」

「くだらないって! 見てよ、先生! 床が血だらけなんだよ!?」

「その犬の血だろう? 怪我してるじゃないか? どうしたんだ? ていうか、お前、その大きな犬を勝手に教室に入れて、先生が怒らないとでも思うのか? お前んとこの犬か? 散歩するなら公園にでも行けよ。学校に連れて来るな」

「ワタルの血じゃないよ! ワタルが教室に入って来る前から血が床にあったの!」

「はいはい、もういいだろう? くだらない話に付き合ってる暇はないよ。獅子尾に服を届けてやって来い」

「獅子尾の家なんて知らないよ!」

「お前、友達多いじゃないか、誰かに聞けばいいだろ、獅子尾の家を知ってる奴はいるだろう」

「先生が届けてよ!」

「忙しいって言ってんだろ? これから職員会議なんだよ。おっと、ホッチキスを取りに来たんだ。確か、机の中に――……あったあった! 書類を束ねるのに必要でな? で? なんだっけ? あ、そうそう、獅子尾の忘れ物は届けてやれよ? いいな?」

そう言って、ホッチキスだけを持って出ていく担任に、

「あんなだから、このクラスにイジメがある事だって知らないんだよ、知ろうともしないから。うちの担任」

と、ムカつくと尊は吐き捨てる。

尊はシンバの服を手に持って、

「ランドセルは置いといてもいいかな」

と、シンバのランドセルには触れずに、そのままにして、教室を出ていく。

トボトボと下を向いて歩く尊の横を、尊を見上げながら歩くシンバ。

「どうしよう……服なんて届けられないよ……家なんて知らないし……それに裸で帰ったとか有り得ないよな……どっかに隠れてる気がするけど……」

と、口の中でブツブツ言っている尊。今、シンバは、知っているニオイに校門の方へと顔を向けると、

「尊?」

と、翔がいる。

「翔にぃちゃん!? どうしたの?」

「え、あ、いや、ちょっと友達と待ち合わせしてた場所に行ったら来なくて」

と、チラッと狼の姿のシンバを見るから、シンバは、事務所で待ち合わせだったと思い出す。

「そ、それで、この近くだし、尊いるかなぁ?って思って」

苦笑いしながら、そう言った翔に、尊はボロボロと涙を落とした。

「獅子尾が……獅子尾が……裸なんだ……」

「え? え? え?」

涙を流す尊にも、尊の発言にも、わからなくて、オロオロする翔。そしてチラチラと、何があったの?とばかりにシンバに目線を送るから、今の僕に説明を求めないで下さいと、シンバは目を背ける。

「尊? 獅子尾が裸って? よくわからないけど、尊が泣くような事なのか?」

「獅子尾って奴がクラスにいるんだけど、ソイツが……オレがやられそうになったら、助けてくれるような行動とってきて、でも、オレ……オレ、ソイツの事をイジメてて……イジメてたんだよ、オレ、イジメてたんだ」

と、わあぁぁと声を上げて泣き出す尊に、翔はもっとオロオロ。

まるで何もかもを吐き出してしまうかのように大きな声で泣く尊。

シンバは小さな溜息を鼻ですると、トンっと後ろ足だけで立ち上がり、尊の肩に前足を置いて、そして、尊の涙をペロッと舐めた。

「ワタル……ワタルぅ!!」

と、シンバの首をギュッと抱き絞める尊に、傷が痛いよと、シンバは思う。

「尊、帰ろう?」

翔はそう言うと、

「うちで、ゆっくり聞くよ」

と、優しい笑顔を尊に向ける。尊はコクンと小さく頷くが、

「でも獅子尾の服を獅子尾に届けなくちゃ。獅子尾の家を知らないから、どうしよう。獅子尾の親に、獅子尾が裸でいる事も伝えなくちゃだし」

と、持っているシンバの服を翔に差し出す。

「あぁ……えっと……でも家がわからないんだろう?」

「うん。先生に言ったんだけど、誰か友達に獅子尾の家を聞けばいいって言われて」

「は? 先生が家知ってるだろう? わざわざ友達に聞けって?」

「忙しいみたいに言われて」

「なんだその先生! 最低な先生だな! で、先生が言った通り、友達に聞いてみるのか? 獅子尾って子の家」

翔がそう聞くと、尊は、ううんと首を振り、

「今は……誰にも会いたくないんだ……クラスの奴ら全員……今は会いたくない」

そう言って、俯いた。

「ワタルだけいればいい。俺にはワタルがいればいいもん」

尊のその呟きに、翔はシンバを、シンバも翔を見る。

「とりあえず、帰ろう、ワタルもいなくなったと思ったら、尊の所にいたんだね。まず、どこか行く時はおれに言ってからいなくなってほしいんだけどな」

と、翔は尊の背を押しながら、シンバを見て、歩き出す。

はいはい、事務所で待ち合わせだったもんねと、でもその約束は一方的で、頷いてはないんだけどなと、シンバは思いながら、二人に付いて行き、朝比奈家へと向かう。

家に着くと、尊は、『ワタル』と言って、シンバを呼び、自分の部屋へ行って、シンバと一緒にベッドに潜り込んで眠ってしまった。

疲れたのだろう。

尊が眠りにつくと、シンバはベッドから出て、翔の所へ行くと、シンバの服を洗濯してくれてて、ドライヤーで乾かしながら、

「ごめん、手洗いだから雑だけど、適当に乾いたら、おれの部屋の窓の所に干しとくから、明日の朝には乾くと思う。洗濯機使うと母さんにバレそうで。イロイロ聞かれると面倒だし。聞かれても言う気ないから、聞かれない方がいいしさ。尊は?」

眠ったと、目を閉じて、教えてみるが、伝わるかどうかと思ったが、

「寝たの? まぁ、夕飯まで寝かせといてやった方がいいかもな」

と、うまく伝わった。

その後、母親が帰ってきて、尊も夕食前には起きてきて、父親も帰って来た後は、何事もなかったように、いつもの尊らしく笑顔で過ごしていたのだが、

「翔、ワタルは明日にはもう飼い主の所へ?」

何気ない母親の質問に、尊の笑顔が消えた。

「2、3日だから、明日か、明後日には……とりあえず学校が終わったら、ワタルを連れて、ワタルの家に戻ってみるよ」

そう言った翔に、

「嫌だ!! ワタルはずっと一緒にいるんだ!!」

と、尊はシンバに抱き着き、

「おれの兄弟だもん!!!! ワタルは俺の弟だもん!!!!」

そう言うと、まるで小さな子供みたいにワンワン泣き出すから、両親は何事!?と目を丸くする。

たった2日で、尊がこんな風に駄々をこねるなんて、そんな小さな子供の年齢でもない尊に、両親はビックリしていて、

「尊? 昨夜は犬に襲われたし、怖い思いもしただろう?」

と、父親は言うが、尊は泣きながら、怖くない、ワタルが守ってくれたと泣き続ける。

「そんなに犬が欲しいなら飼ってあげるわよ、その代わり、ちゃんと世話をするならね?」

と、母親が言うが、ワタルじゃなきゃダメだと泣き喚く。こんな尊は初めて見ると、両親が困り果ててるのを見て、

「よし、尊、一緒にワタルの散歩に行こう」

と、翔が言い出した。昨日、襲われたのに、この時間帯は外も暗いし危ないと両親が言うのを、翔は、明るい場所を通るし、大丈夫だから、心配ないと、押し切り、

「尊、来ないのか? ワタルと最後の散歩かもしれないぞ」

と、シンバを連れて、外へ行くから、尊も急いで、翔を追い駆ける。

空には月と星。10月も半ば、上着を着ないと、そろそろ寒くなる。

尊は鼻をすすり、俯きながら、トボトボと、翔とシンバの後を付いて来る。

「尊、学校で何があったんだ?」

そう問う翔の背を、顔を上げて、尊は見つめる。

「何かあったんだろう? 友達の服? あれ母さんに内緒で手洗いしといたけど、誰の服? 尊の友達?」

振り向きもせず、そう問う翔。シンバは何を聞き出すつもりだ?と、翔を見上げる。

「……獅子尾の服」

小さい声で、そう言った尊。

「獅子尾? その子の服を尊がどうして持ってたの?」

翔は振り向いて、尊を見て、また問う。尊は、翔の視線から目を逸らし、だが、話し出した。

「今日、転校生が来たんだ。女の子なんだけど、なんかよくわからないけど、怖い子で、オレの首を絞めてきて、放課後、誰か一人残れって言い出して、みんながオレに残れって言って、帰っちゃって、オレ、凄く怖くて。だってなんか女の子なのに、凄い力なんだよ。逃げれないんだ。みんなも怖いって思ってる筈。なのに、置いて行くなって、みんなに言ったのに、みんな、オレを置いて、帰っちゃったんだ……」

「フーン……それで?」

「でも……獅子尾だけが帰らなかったんだ。教室に残ってて、アイツ、自分が残るみたいな事を言い出して。でも、オレは転校生に屋上に連れて行かれて、教室には知らない奴が二人いたんだ、多分、転校生の友達かな。ソイツ等が獅子尾を殴ったりしてたから、オレ、急いでワタルと教室に戻ったんだよ。あ、ワタルは、オレを助けに屋上に現れてくれて」

「そうだったんだ」

「うん、それで教室へ戻ったら、獅子尾の服だけがあって……後、血も床に落ちてた」

「そうか。じゃあ、その獅子尾って奴は、尊の一番の友達なんだな?」

「え!?」

「だってそうだろう? 一番の友達だから、怖いのわかってて教室に残ってくれて、尊の代わりに自分が残るとまで言ってくれたんだろう? なのに、どうして、尊は、その獅子尾って子の家がわからないの? 家がわからないから服を届けられないって言ってたよね? 友達の家がわからないって、どうして? 同じ学校へ行ってるんだ、地区は決められてる。そう遠くはない筈だろう?」

「……」

「尊?」

「獅子尾は友達じゃない」

「友達じゃない?」

「アイツは……オレがイジメてた奴だ……」

「尊がイジメてた?」

「どうして……イジメてたのか……わからない……見た目が変わった奴で、外国人みたいな見た目なのに、日本人だって言うんだよ。でも後から戸籍上、外国人でも日本人になるとか、よくわかんないけど、聞いた事あって、嘘じゃなかったんだとは思ったけど、でも、もう何が理由でイジメてたのか、わかんなくて、ただ、面白かったから」

「イジメが面白い?」

「翔にぃちゃんがイジメられてたのを見た時、オレは翔にぃちゃんみたいにはならないって決めたんだ!! イジメられるなら、イジメる側がいい! そう思った!!」

「そうか、それで、イジメる側になれたんだな、よかったじゃないか」

そう言った翔に、尊は歩いている足を止め、首を振る。

「なんだよ、イジメる側がいいんだろ? よかったじゃないか、そうなれて」

「昨日、犬に襲われた時に、凄く怖かった。その時、獅子尾も怖かったのかなって思った。今日、転校生がオレの首を絞めた時、誰も止めてくれなくて、凄く怖かった。獅子尾もこんな気持ちだったのかなって思った。それに、オレは、獅子尾をイジメてた時、みんながオレに従ってくれてて、オレはみんなの友達で、オレの言う事なら、みんな、なんでも聞くって思ってた。でも違う、みんな、俺を置いて帰ったんだ……」

言いながら、また泣き出す尊に、シンバは、よく涙がそんなに出るなぁと思う。

翔は、尊の背に合わせて、腰を曲げ、

「なぁ、尊? 力で人を支配できても、心は動かせないよ?」

そう言った。尊は翔を見つめ、シンバも翔を見る。

「おれがイジメられてた時、おれは怖くて、言いなりだった。なんでもやったよ。でも、心の中で、おれは、アイツ等を数万回、数千回と殺したと思う。想像では、アイツ等は僕に平伏して、命乞いしてた。もし、アイツ等に何かあって、おれに助けを求めるような事があったら、おれは絶対に助けない、それは今も変わらない思いだよ」

「……」

「でも、おれだけじゃない、アイツ等全員が、お互いを救えないよ。おれはそう思う」

「……じゃぁ獅子尾はどうして教室に残ったのかな」

「それは、獅子尾って子が、本当に強いからだろうね」

「獅子尾が強い?」

「おれは弱いから、おれをイジメた奴の事を許せないし、何かあって、アイツ等がおれに助けを求めてきても、絶対に助けない。でも、獅子尾って子は、尊を許して、尊を助けてくれようとしたんだよ。だから、尊も、帰っちゃった友達の事は許してあげなきゃだな。助けてくれなかったからって、恨んだりしたら、獅子尾って子の完全勝利になっちゃうだろ?」

なんだその完全勝利って?と、シンバは、翔を睨む。

「尊、獅子尾って子をイジメても、その子の心までは奪えないんだよ。その子の心は縛られてもないし、潰されてもないし、折られてもない。傷は付いてるかもしれないけど、強い子だから、そんな傷は気にもならないのかも。力では誰の心も動かせないんだよ。いざとなった時に、力で支配した人には、誰も手を貸してくれないよ。でもね、尊、尊は自分の痛みで、獅子尾って子の痛みを知ったんだろう? そんな風に考えれる尊は凄く偉いと思う。誰かをイジメてきた事は褒められないけど、でも、誰だって、道を踏み外す事もある。尊は、まだやり直せるよ、獅子尾って子に謝ってみたらどうかな? その獅子尾って子が、教室に残ってくれたのだって、尊の恐怖を知ってるからだと思うんだ、自分が怖かったから、尊も怖いだろうって思って、教室に残ってくれたんだとしたら、尊と獅子尾って子は似てるよ、お互いなかなか気が合うんじゃないかな」

教室に残ったのは、尊を守らなければと言う任務だからと、シンバは思うが、そう思ったのが、翔に通じたのか、

「まだハロウィンじゃないよ」

と、言われ、確かにハロウィンの日に守れと言われて、他の日に守れとは言われてないけどもとシンバは溜息。尊はハロウィン?と、翔を見ると、

「ハロウィンの夜に、友達と遊ぶって話してたじゃん? まだハロウィンじゃないよ、時間ある。獅子尾って子も誘ってみたら?」

と、笑顔で言われ、尊は、黙り込む。

「それにね、ワタルだって、尊の友達なんだよ? だから尊の所に行ったんだよ。尊と一緒に遊びたくて。でも友達は、みんな、家に帰る。ワタルもワタルの家族の所へ帰さなきゃいけない。尊だって、父さんや母さんがいて、家族がいて、友達もいるんだろ? ワタルだってそうなんだよ。笑顔でバイバイしてあげなきゃ、ワタルは悲しむよ」

いいお兄さんやってるじゃないかとシンバは思う。

尊もそう感じているのだろう、俯いてはいるが、素直に頷いた。だが、

「ワタルはオレを助けてくれたし、オレもワタルの事、大好きだし、ワタルに何かあったら、オレもワタルを助けると思う。ワタルは離れても友達だって言える。昨日、会ったばかりだけど、絶対に友達。だから笑顔でバイバイじゃなく、またなって言うよ。でもクラスの奴らの事はわからないよ……許せるのかな……オレを置いて先に帰っちゃった事……許せるかな……」

不安そうに言う。

「許せるよ、尊だもん」

「え?」

「尊はおれとは違う。おれとは似ても似つかない。言ったろ? おれはおれをイジメた奴を許せないけどって。でも尊はおれとは違うから、許せるよ」

「……」

「それにな? 尊には、クラスをまとめる素質があると思うんだ」

「クラスをまとめる? 俺、学級委員とか向いてないよ」

「そういうんじゃなくて、クラスのみんなを笑顔にできる素質だよ。みんなが尊の言う事なら、絶対に間違いない!って思うような、そんなリーダー的な存在だよ。尊はその素質を悪い方へ使っちゃってイジメが起こったんだろうけど、それを良い方へ使えば、尊はすっごく楽しいクラスを作れると思うんだ」

「楽しいクラス?」

「おれの今のクラスね、イジメとか全くなくて、すっげぇ楽しいクラスなんだ。楽しいって事だけは、どこのクラスにも負けないし、どの学年にも勝てる自信がある! みんな仲良しで、みんな友達なんだ。ホントいいクラスでさ、それをまとめてる奴がいて、ソイツ、ちょっと見た目、悪っぽいんだけど、でも凄い奴でさ、クラス全員が、ソイツの言う事なら間違いないって言い切るくらい、みんな、ソイツを信じてる。尊も、そういう力があると思う」

「翔にぃちゃんも、その人の事、信じてるの?」

「うん。だって、俺の憧れの人だし」

「憧れ? じゃぁ、その人がもしイジメを始めたら?」

「そんな奴じゃないけど、そしたら、おれも一緒にイジメを始めるのかな」

「え!?」

「それくらい、ソイツは人を動かす力がある。でもね、きっと、悪い方へ使えば、力は半減する。尊だって、悪い方へ使ったから、クラス全員じゃなく、尊の作った仲間だけで、イジメをしてたんだろう? でもその力を良い事に使うだけで、クラス全員が動くんだよ。みんなが笑顔でいられるんだよ。それって凄い事なんだよ? 尊にはその素質があるんだから、尊がやらなきゃ誰がやるの? そういう力を持ってる奴って、そんないないんだよ。尊は選ばれし人間なんだよ」

「オレが選ばれし人間? オレの力?」

「うん。尊は正義を決める力があるんだよ」

「正義を決める力?」

「悪でも、正義だと言えば、正義になる場合がある。それを決める力がある人間がいる。尊は、尊の目の前で起こる出来事に、悪を正義だと言うか、正義を正義だと言うか、選択できるんだ。そして、みんなを決断した方へ引っ張っていける力がある」

「俺が正義を決める……」

「だから尊は頑張らなきゃ。頑張って、みんなを許さなきゃ。そして、今度こそ、ちゃんとした正義を選ばなきゃ! 尊を信じてくれてるみんなを正義へと導かなきゃ!」

尊は、自分にそんな力があるのかと言う風に、手の平を広げてみるから、別に手の平から何か出る訳じゃないだろと、シンバは思う。

「翔にぃちゃん」

「ん?」

「翔にぃちゃんの憧れの人って、見た目悪いって不細工って意味じゃないよね? もしかして翔にぃちゃんがピアスとかしてんのって、その人の真似してるの!?」

「え!? あ! いや! うん……真似ても似せても、なれないんだけどね、まずは見た目からって思って……」

と、苦笑いしながら、恥ずかしそうに頭を掻く翔に、

「ごめんね、翔にぃちゃん。今までごめん。オレ、翔にぃちゃんがそんな風に悪ぶってるのは、イジメられないようにって強がってやってるんだと思って、そんな恰好するだけ、やられた時かっこ悪いのにって、バカみたいだって思ってた。そうじゃなかったんだね。翔にぃちゃんは、憧れてる人に近づこうとしてたんだね。オレは……憧れとかわかんないけど、翔にぃちゃんが頑張ってるように、頑張ってみるよ」

と、どうやら、翔は、尊を正義へと導けたようだ。

フーンとシンバは二人を見つめ、レイヴンに言われたセリフを思い出していた。

『どうして人間を庇うの? それが正義だとでも思ってる?』 

『ねぇ、正義って人間の味方になる事なの?』

『人を救う事、それは本当に正義?』

月明かりで翔と尊の影が闇にも浮かぶ。

どこかで狼の遠吠えが微かに聞こえ、シンバは耳をピクッと動かし、夜空を見上げ、月を見つめる――。


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