3.儚さは夢か幻か現か


シンバが獅子尾を睨んで、獅子尾がニヤけた顔で、シンバを見て、その真ん中で、オロオロしている翔。

「いつまでも登校拒否は良くない。今までは転々と転校続きだった。だが、ヴァンパイアがこの地で縄張りをつくろうとしているなら、この地に長くいる事になる。良かったね、シンバくん、キミも学校で友達をつくれるよ」

「つくれる訳ないだろ! 僕は――ッ!」

シンバが獅子尾に一歩二歩と近づきながら、何か叫ぼうとした時、

「あのっ! あのあのあのッ!」

と、翔がシンバの前に割り込むように入ってきて、獅子尾とシンバの間で、

「キミが学校へ行きたくない理由って、おれの弟のせいだったりすんの!?」

そう大声で聞くから、シンバは言葉を呑み込んだまま、翔を見る。

「イジメられてるって言ったよね? 弟が主犯格みたいな事も言ったよね? 弟をとっても嫌な奴だって言ってたよね? つまり弟のせいでキミは学校へ行かないの?」

「関係ないよ。確かにアイツは……朝比奈 尊はイジメの主犯格で嫌な奴だ。でもそれで僕は学校へ行かない訳じゃない。僕自身に問題があるんだ」

「も、問題? それはイジメられる理由があるって事? もしかして、その見た目のせい? キミ、外人だろ? だったら、その見た目は……あれ? あれ? ちょっと待って? おかしくないか? キミ、この人がお父さんだろ? この人、見た感じ、日本人だし、母親の話も聞いたけど、月子さんって言ってなかったっけ? 月子って……名前からして日本人だよな? だったら、キミ、日本人な筈だよね!?」

「……」

「そもそもヴァンパイアってのが引っ掛かるよ、ヴァンパイアって、あれだろ? 西洋の妖怪とか言われてる吸血鬼の事だろ? 確かにおれが見た奴は人間とは違う。ヴァンパイアだって思ったし、殺人鬼だと思う。でもヴァンパイアって確定するのってどうなの? ヴァンパイアって本物の化け物だよ? 化け物と戦える? どうやって? 100歩譲って、絶対に、間違いなく、本物のヴァンパイアだったとしても、どうやってヴァンパイアなんて化け物を倒せる訳!? ニンニク? 木の杭? 十字架!?」

「……」

「なんで黙ってんの! もしかして全部嘘なのか!? お金払ったんだぞ!」

「うちの息子に怒鳴るのはやめてくれないか、翔くん」

そう言った獅子尾を翔は振り向いて見ると、

「翔くん、だったよね?」

と、獅子尾は話出した。

「ヴァンパイアってのはニンニクでも木の杭でも十字架でも死なない。だが、感染者はそれ等で灰になってくれる。ニンニクっていうか、ニンニクを使った薬みたいなもんでね、ある特殊な木を使って、十字架の短剣にしたものを瓶詰にしてニンニクを使った薬の中に付けておくんだ。満月の夜には、瓶を外に出して月光欲させて数百年。短剣の形をした木は、銀の短剣のようになる。それが感染者の胸を貫くと、感染者は灰となる。昔の人はね、感染者もヴァンパイアだと思ってて、更に簡単に、ニオイだけでニンニクだとか、木を手に持ってたのが、それを木の杭だとか、短剣が十字架に見えたのか、それを十字架だとか、そう言って、ヴァンパイア除けに使ったんだよ。ちゃんとした知識は世に広まってない。それどころか、ヴァンパイアと感染者は全く違う者なんだ。感染者も人を襲い、血を吸うから、ヴァンパイアと言っても過言ではないが、本当のヴァンパイアはニンニクも木の杭も十字架も効かないよ」

「じゃぁ……ヴァンパイアはどうやって倒すんですか……」

「ヴァンパイアは人間には倒せない。ヴァンパイアを殺す道具もない」

「じゃぁ……倒せないって事なんですか……」

「いいや、人間には倒せないが、人間じゃない者には倒せる。人間は、頭がいい。自分達ができない事は、できる者をつくって、それをやらせればいい。わかるだろう? 月面探査だってロボットを使う、人間は遠くから見てるだけ」

「え? じゃぁロボットがヴァンパイアを倒すんですか!?」

そう聞いた翔に、ハハハと笑い、だが、獅子尾は直ぐに真顔になって、

「それは例えの話であって、ヴァンパイア相手に戦ってくれるロボットを作るには、昔の技術としてはなかったんじゃないかな。今となっては、成果もない技術として、だが、昔は主流だった技術がある」

そう言った。翔はキョトンとした表情で、

「なんですか、それ?」

と、尋ねると、

「呪いだよ」

と、ドヤ顔の獅子尾。だが、翔は、如何わしい表情で、呪い!?と口の中で呟く。

「昔、呪術師がヴァンパイアに太陽の呪いをかけた。ヴァンパイアは太陽の光を浴びると呪いで焼かれてしまう。だが、この世界には夜がある。ヴァンパイアは太陽の朝と昼に寝て、月の夜に人を襲うようになった。月夜には狼も活動する。狼は山や森などから出て、村や町を襲っていた。ヴァンパイアが人を襲うか、狼が人を襲うか、やがて、ヴァンパイアと狼の争いになるが、人は狼を味方に付けようと、狼に呪いをかけた。人の味方になる為の呪い。それはヴァンパイアの他に新たな魔物を生み出す結果になった。そう、ヴァンパイアの天敵となる人狼、ウルフマンと呼ばれる魔物が、呪術者である人間の儀式や術により、この世に誕生したんだ」

「ウルフマン……?」

「あぁ、ウルフマン。彼等も伝説とは異なる。人の肉を喰らい、狼の姿でいる間は自己制御ができず、無差別殺人を楽しみ、その時の記憶を失ってしまうような事はない。そもそも狼は主に忠実で、忠誠心が強い。人を襲ってたのは、狼の中にリーダーがいて、群れを成して、食べ物を求めてたんだ。狼が人の姿に変われるとなれば、話は別。言葉の理解もできるし、なんせ人の味方である為に呪いをかけられたウルフマンは、ヴァンパイアをこの世から全て排除しなければ、呪いは解かれないとわかっている。つまりウルフマンは人間の味方で、唯一、ヴァンパイアを倒せる亜種であるって事だ」

「ちょっ、ちょっと待ってよ、狼はウルフマンなの? 狼って全部呪いかかってんの? 昔から? 日本狼とか全滅してるよね? 日本に狼はいないよね?」

「狼って言っても種類は様々だ。日本狼でわかるように、大抵は、その地で見つかった狼は、その地の名が付いている。シベリア狼とかホッキョク狼とかメキシコ狼とかイタリア狼とか。その地によって大きさも異なるし、毛の色は大体が白から黒って感じだろうな。で、呪いがかけられた狼は種が決まってないんだよ。〝その日、満月に吠えた狼〟と言われ、不運にも、満月に遠吠えでもした狼が世界中のあちこちで呪いにかけられたって訳だ。恐らく、シンバくんは白いから、ホッキョク狼の末裔だと思うんだが、実際はわからない。呪いを解いて、シンバくんが本来の狼の姿に戻らないと、どこの狼くんだかサッパリわからない」

「え? え? なんか、今、サラッと凄い発言かまさなかった?」

翔は背後に立つシンバを何度も振り向いて見て、獅子尾を見て、問うが、

「つまりだ、俺達は何も嘘は吐いちゃいない」

と、にこやかに問いの答えじゃない結論を言う獅子尾。

「あ、あの、彼は――ッ」

と、シンバを指差した翔に、

「息子だよ」

と、即答の獅子尾。翔は言葉を吐き出せずに、口だけをパクパクしながら、でも、結局、聞きたい事は聞けずに、

「わかりました」

そう答えた。何がわかったのか、自分でもわかってなかったが、警察に行っても聞いてもらえなかった話を聞いてくれただけでもマシかと、

「ハロウィンに首吊りの木の幽霊屋敷に行く弟を殺人鬼から守ってください」

と、頭を下げ、探偵事務所を後にした。

翔が出て行った後、気まずい雰囲気の空気が流れ、獅子尾が、

「なんで睨むの!? 怖いよ!? シンバくん!!」

と、ふざけた感じで、シンバに言うと、

「学校! 本気で行かせるの!? 行きたくないのに!?」

と、シンバは怒っている。

「だってお前、尊くんって子を知ってるんだろう? 依頼はその尊くんをハロウィンの日に守るって事だろう? ってなると、ピッタリ付き添うのが一番だろう。そしたら、友達のお前が適任だし、今から、もーっと仲良くなっておけばハロウィンだって、ずーっと傍にいられるだろう? その為には学校へ行かないとな?」

「だから仲良くもなければ友達でもないんだよ!」

「だったら今から頑張って友達になってこい」

「無理だ! 向こうが僕を嫌ってる! それに僕は……」

「息子だろ、俺の」

そう言った獅子尾にシンバは黙り込む。

「この地に戻ってきて、懐かしいだろ、シンバ」

「……」

「お前はまだ小さかったなぁ。あっという間に大きくなって」

「おかしいよ、獅子尾さん」

「なにが?」

「懐かしいも何も2年前だよ。この地に住んでたのは」

「2年も前だろう?」

「たった2年前だ。懐かしいじゃなくて、久しぶりってくらいだよ。だから僕はまだ覚えてる。月子さんの温もり。月子さんを失った時の喪失感と怒りと悲しみ」

「俺だって覚えている。それが例え懐かしくなる程の時間を過ぎてたとしても、その感情は失う事はない。常に思っている。いつか、この手で……ってな」

「だったら! 学校なんて行ってる暇はない! 僕には時間がない! 普通に24時間、寝て食べて、生きるだけの行為でなく、生きる事に必要のない行動だってとる。更に無駄に学校へ行けって言うの!? 時間の無駄が多くなるだけだ!」

「いやいやいや、仕事仕事」

「どうしてこんな仕事引き受けるの!? ヴァンパイアはこの地に根を張り始めた。重要な情報だったと思う! だけど、幽霊屋敷にハロウィンに行った所で、ヴァンパイアは現れないよ! 同じ食事の現場には現れない!」

「それは今までのヴァンパイアの行動からだろ? 今回はそうとは限らない。なんせ、この地に縄張りを張り始めたんだ。もしかしたら同じ現場に何度も現れるかもしれない。現れないかもしれないけど。現れない可能性のが高いけど」

「獅子尾さん!!」

シンバは大きな声を上げて、獅子尾を呼んだ。

「わかったよ、わかった、そんな怖い顔するなよ、真面目な話するから! 重要な情報も得れたし、ちょっとくらい依頼者のお願いを聞いてやってもいいだろう? 折角来たんだし、金も少し置いて行ったし、それにさ? 俺が刑事だった頃に担当した事件の被害者の家族だぞ? サービスしたっていいじゃないか? な? な? シンバくん、学校へ行っておくれよ、俺の為に」

「獅子尾さんの為に?」

「うん。だって、金、受け取っちゃったから。この仕事しないと、俺、依頼の仕事しないで金だけ受け取った悪い奴になっちゃう」

ごめんね?って顔で、そう言った獅子尾に、シンバは溜め息を吐いて、背を向けて出て行こうとするから、

「ど、どこ行くの!?」

と、獅子尾が問うと、シンバは顔だけ振り向かせて、

「うちに戻ってランドセルとってくる」

と、ムゥッと不機嫌な顔でそう言って、事務所を出て行った。獅子尾は参ったなと言う風に頭を掻きながら、苦笑いで、ポケットから手帳を取り出し、

「息子が怒っちゃったよ、月子さん」

と、手帳にはさんである写真に話しかける。

「本当言うとね、月子さん。シンバには復讐みたいな事にもう付き合わせたくないんだよ。ごめんね、月子さん。でも冷静になって、やっと、考えれるようになったんだよ。月子さんは、残されたシンバの人生、こんな事に使ってほしくないって思うだろうなって。ホントごめん、月子さん。俺、気付くの遅くて、ほら、父親としての自覚が全然ない人だからさ。だから、息子の幸せを考えるのが遅すぎて。2年もかかっちゃった。シンバくんの人生について、あの子が歩むべき道を」

獅子尾は、ホントに駄目な父親だねと、自分に困った笑顔になる。

「もうこの地にいる事はわかった。後は俺がやればいい。俺には失うものがなにもないからね。シンバくんは友達とか作って、楽しく、笑って、生きてほしい」

それでいいよね?って、写真に呟く獅子尾。

シンバは、階段を下りて、外に出ると、そのビルの横で、翔が待っていたかのように立っていて、シンバに駆け寄って来るから、

「何か忘れ物ですか?」

と、尋ねると、翔は、首を横に振り、

「弟の事を聞きたくて、キミが出てくるのを待ってた」

そう言った。シンバは面倒だなと小さな溜め息を吐いた後、

「ランドセルを家に取りに行くので、歩きながらでいいですか?」

と、問うものの、翔の返事を聞かないまま、歩き出す。

「あ、あのさ? おれの弟、キミをイジメてるの?」

「はい」

「それは……どんな風に? 例えば暴力とか振るわれたりする時もあるの?」

「はい」

「クラスのみんなは、見て見ぬふりとか?」

「はい」

「もしかして担任も?」

「はい」

「おれ、どうしたらいいかな!?」

そう言った翔に、シンバは足を止めて、振り向いて見た。シンバの直ぐ後ろで、今にも泣きそうな顔の翔に、なんでアナタがそんな顔になるの?って、シンバは眉間に皺を寄せ、

「僕、尊さんにイジメられてるなんて、誰にも言いませんよ。それでいいですか?」

そう言う事なんだろうなと、そう思ったから、そう言ったら、翔は首を振り、

「そんなの駄目だよ!!」

なんて言うから、シンバは、わからなくなる。

翔はその後、何も言えなくなったのか、下唇を噛みしめたまま、俯いて、拳をぐっと強く握り締めて、動かなくなった。

「なんで……そんなにアナタが苦しむんですか? イジメられてるのは僕ですし、アナタの弟ではない。そして、僕はアナタの弟にイジメられてるって事を誰にも言わないと約束します。なのに、どうして?」

「……おれはキミと同じでイジメられてたんだよ」

「......」

「航が亡くなった時、おれは航の影だったんだなって気付いた。航がいなけりゃ何もできない自分がいて、誰からも相手にされなくて、航じゃなくて、おれが死ねば良かったって、おれが思う以上に、周りは思ってて。気付いたらイジメられてて、でも誰にも言えなくて、小、中って辛かった。高校に入ったら、航の事件を知ってる奴もいなくなるだろうし、おれも心機一転でやってこうって思ったら、小、中で一緒だった奴も、同じ高校受けててさ、しかも、ソイツ、主犯格」

「はぁ……」

「クラスは違ったから、休み時間に屋上に呼び出されて、数名に囲まれてさ、コイツ双子で、片割れが殺されたんだぜって笑いながら言われて、屋上から飛び降りろコール。また同じ日々が始まるのかって思って、もういっそ本当に飛んだ方がラクになるって思った時、うちのクラスの奴が屋上の隅の方で昼寝しててさ、うるさいんだよって言いながら、起きて来て、おれを見て、〝コイツはオレのクラスの奴だ、つまりオレの友達だ、コイツに指一本触れてみろ、オレが許さない〟って、全員を殴り飛ばしたんだ」

「はぁ……なんと言うか、青春ですね」

「おれのヒーローだよ。ソイツがいるから、なんていうか、うちのクラス、全員まとまってて、みんな仲良しで、イジメなんてないクラスでさ! おれにも友達ができたんだ!」

「はぁ……良かったですね」

「見た感じは不良みたいでさ、しかもめちゃくちゃ喧嘩も強いのに、全然、そんな風じゃなくて!」

「はぁ……え? 話飛びました?」

「飛んでない!」

「見た感じが不良みたいで喧嘩強いのに?って?」

「だから! おれを助けたくれた、おれのヒーロー! おれの友達!」

「あぁ……翔さんを助けたというヒーローが、見た感じ不良って事ですか?」

「そう!」

「だから翔さんも、そんな見た目なんですね?」

「え? あ、あぁ……そうなんだ、ヒーローに近付きたくて、ヒーローを真似てるけど、似合わなくて」

「いいんじゃないですか、見た目から入るのは大事です。わからないのは、その話と僕がイジメられてる事に対して、何か関係があるとは思えないんですけど」

「あるよ! あるんだよ! キミがって言うか……キミをイジメから救いたいってのもあるんだけど、弟には、嫌な奴になってほしくない。イジメの主犯格をやるような奴になってほしくないんだ、ヒーローになってほしいんだよ!」

よっぽど、翔をイジメてきた主犯格はヒーローにコテンパンにやられたんだなと、

「成る程です」

と、頷くシンバ。

「しかし、わからない事はまだあります、アナタがヒーローに憧れ、弟にヒーローになってほしいと願うならば、アナタが弟のヒーローになればいい。いちいち金を払って探偵を雇うより、アナタがハロウィンで弟を救えばいい。弟もそれを見て、アナタに憧れるのではないでしょうか? 勿論、殺人鬼が現れて弟を救った場合でしょうけど」

「それは……」

「殺人鬼が怖くて、現場に行けないって言ってましたけど、本当はどうなんですか? ホントに怖いなら本気で弟を止めるし、本気で警察にも訴える。ちょっと断られた程度で諦めない。胡散臭い探偵に相談するより警察の方がまだ信頼できるでしょうしね?」

「あ、あぁ……うん……実は尊はおれがイジメられてるのを知ってて、おれをカッコ悪いって思ってる。おれの言う事なんて何も聞いてくれない。寧ろ、おれのせいで、危うくイジメられそうになったって怒ってきた時もあった。去年だったかな、お前がイジメられてたって噂がクラスで広がって取り繕うのに大変だったって。ごめんって謝ったけど許してくれなくて、口も未だちゃんと聞いてくれない。だからおれが必死に尊を止めれば止める程、アイツは反抗するんだ。おれとは真逆に進もうとする」

「情けないですね」

「うっ……そ、そりゃ、言われなくてもわかってる! でもおれだって! いや、だったら、おれも言わせてもらうよ! キミこそ、わからない事だらけだよ! キミ、キミの……その……お母さんとかの話とか……わからないよ……それにキミは外人なのかな……それとも病気とか……いや……えっと……」

聞いちゃいけないような気がして、翔は口の中でもごもごと言葉を濁し、シンバと目を逸らすように下を向いたら、

「聞きたいですか、僕の話」

と、シンバに聞かれ、

「え!?」

と、思わず顔を上げて、シンバを見ると、シンバは真っ直ぐな目で貫くように、そこに立っていて、怖いくらい、何も動じない子供の姿に、翔は余計に自分が情けなくなってくる。どう考えても、どう見ても、自分の方が年上なのにと、悔しくもなる。

「僕は昔の記憶がないんです。あるのは、3年前くらいから」

「え?」

「僕は3年前は既にこの世に生まれていた訳ですけど、どう見たって3歳ではない。どうやら見た目的なものから言うと、10歳から12歳くらいですよね? 人間で言うとこの小学4年生から6年生です。でも狼なら、その年齢は寿命に近い。本来なら、人間になると、老人になってる筈ですが、そうではなく、人間と同じように見た目も体力なども成長するみたいです。でも寿命は変わらない」

「な……何の話……?」

「僕の話です。狼の平均寿命は15年らしいです。動物園で20年生きた者もいるようですが、野生では成熟個体は5年から10年らしいです。希に10年以上、生きる者もいるようですけど。僕の場合は、野生とは違うし、動物園で飼われてる訳でもない。だから、20年近く生きるかもしれないし、既に明日、寿命が来て、死んでしまうかもしれない。僕には時間がない」

「キミは……キミは……ウルフマンなの……?」

そう言った翔に、シンバはニッコリ笑い、

「はい」

即答で頷いた。

「じゃあ……あの探偵の獅子尾って人も?」

「僕は3年前、海で倒れていました。なんで倒れていたのか記憶はなく、どうやら海で溺れて、そのまま日本に流れ着いたみたいでした。その時、僕は狼の姿でした――」

話ながら、クルリと背を向けて歩き出すシンバに、翔は急いで駆け寄って、隣を歩く。

シンバは、あの日を思い出し、目に映しながら、思い出を甦らせる――。

『月子さん! 月子さん、そんなに走っては駄目だよ、体に悪い』

『だって獅子尾さん、あそこに白い犬が倒れているんだもの』

『あぁ、わかってるけど、砂浜を走ったら危ない。ゆっくり歩いて。お願いだから』

その時の僕の耳には、わからない言語だった。だけど、声が聴こえてて、

『大きな犬! 怪我をしてるのかしら? 大丈夫? 震えてるわ』

薄っすらと開いた瞳に、長い黒髪の女性が入ったが、唸る事も警戒する事もできないくらい、僕は衰弱していた。

『びしょ濡れだ。溺れたんだろうな。雑種かな。獣医へ連れて行こう』

『そうね、それがいいわ』

僕に触るなと思いながら、僕は意識を失った。

その日は日曜で、獣医は休診日とかで、僕は意識を取り戻したら、とりあえず二人の家に運ばれていて、暖かい毛布で包まれて、それから少し温めのミルクを与えられて、それから、また眠ってしまって、起きたら、僕は元気だった。

『月子さん、犬が元気になって良かったね』

男は女を月子さんと呼んでいた。

『そうね、獅子尾さんがミルクを一杯買ってきたから冷蔵庫はミルクだらけ』

女は男を獅子尾さんと呼んでいた。

男は僕とボールで遊んでくれる。

女は僕を優しく撫でてくれる。

男は僕のご飯を買ってきてくれる。

女は僕にご飯をくれる。

そして男は僕を散歩に連れ出してくれる。

女は僕と一緒に布団の中で眠る――。

前はどんな風に暮らしていたんだろう、そんな事を考える必要がなかった。

二人は僕を愛してくれて、とても居心地がいい場所で、僕は幸せだった。

僕はシンバと名付けられた。

それから僕は、月子さんが病気だと言う事を知った。

月子さんは一日の殆どを布団の中で過ごす。

月子さんの瞳の色は僕と同じで青かった。

月子さんは僕に言った。

『シンバは私にそっくりね。私の大事な息子だものね』

優しい表情で、僕の頭を撫でながら、何度もそう言った。

獅子尾さんは、月子さんが眠る真夜中、僕に言った。

『月子さんは病気なんだ、遺伝子の難しい病気でね、色素にも問題があって、だから月子さんは、シンバと同じ色なんだよ』

悲しい表情で、僕の頭を撫でながら、何度もそう言った。

月子さんの黒い髪は、獅子尾さんが染めてあげていたらしいけど、

『もういいの、シンバと同じ色がいいから』

月子さんはそう言って、白くなった髪のままになった。

『月子さん、今朝、シンバの散歩でよく出会う犬の散歩してる人にね、聞いたんだけど、犬って、食べちゃいけないものってあるみたいだよ。人間と同じものは余り良くないんだってさ。ドッグフード買わなきゃだな』

『まぁ……そうなの……? 一緒のご飯が良かったのに……』

『それに飼い犬は予防接種だの、ノミダニの薬だの、なんだのって、いろいろしなきゃいけなくて、蚊にも刺されたらヤバイんだってさ! だから獣医に行く必要があったらしい。毎月とか、毎年とか、よくわからんが、通院するらしいよ。あ、それに市にも届け出る必要があるらしい』

『まぁ、そうなの? なら、私が――』

『あぁ、いい、いい! 今の事件が解決したら休暇をとるから、その時に、良さげなドッグフード買いに行って、役所に行って、獣医にも連れて行くよ。獣医も善し悪しあるらしくて、シンバに合ういいとこの獣医を探さなきゃだな。それにしても元気でも病院は通うものなんだなぁ。知らなかったよ』

『知らなかったで済まされないわよね。ちゃんとしなきゃいけなかったんだわ、だって、子供は予防接種を受けるものよね。一緒にいるだけで幸せだなんて……。子供の体の事も考えなきゃいけないのに。健康管理をちゃんとしてあげなきゃいけなかったのに。私達は駄目な親よね』

『……そうだね』

どうやら獅子尾さんと月子さんの僕への気持ちは少し違っていたようだ。

獅子尾さんは、僕を息子とは思ってない様子だ。

でも月子さんが僕を息子だと言う事に、否定はしない。

それから獅子尾さんが追っていた事件は解決へとは向かわず、季節は巡りまわった。

家に帰って来ない日も多かった。

僕は月子さんと二人で過ごす日が多くなった。

小さな庭がある一軒家で、僕は庭でトイレを済ますだけで、散歩には行かない毎日が続いたけど、いつも傍に月子さんがいたから、ちっとも苦痛ではなかった。

でも月子さんは、申し訳なさそうに、

『ごめんね、シンバ。広い場所で走りたいわよね。散歩に行ってあげれなくてごめんね。私が、一緒に走れたら……シンバ、アナタと思いっきり、いつか、一緒に走りたいわ。それが私の夢だわ』

と、僕を撫でながら言う。

日に日に、月子さんの体は弱って行くようだった。

僕の姿が見えないと、月子さんは『シンバ? シンバどこにいるの?』って、僕を呼ぶから、僕は直ぐに月子さんの傍へと走って行く。

月子さんの白い手が、僕の顔を撫でてくれて、僕は、それだけで安心していた。

月子さんは寝たきりになっていたけど、ずっとこのまま月子さんは僕を撫でてくれるんだと疑いもしなかった。

獅子尾さんは、時々、帰ってきて、掃除やら洗濯やら、家事をする。

食事も作って、冷凍保存する。

僕は獅子尾さんがキッチンへ入ると、いいニオイに誘われて、獅子尾さんの所へ行く。

『シンバ、お前、俺のとこに来るのは、味見する時ばっかだな』

と、笑う獅子尾さんの顔は疲れていた。

『でもお前がいてくれて良かった。月子さん独りきりで置いておくのはツライ。お前が月子さんの傍にいてくれると思うと、安心できる。それに、お前、番犬としても役立つだろう? デッカイその見た目だけで、悪党は逃げてくよ』

獅子尾さんは喋りながら、料理を作る。

『俺と月子さんはね、同じ孤児院で育ったんだよ。親がいないんだ。お前と一緒だ、シンバ。産んではくれたが、親は一緒にはいてくれなかった。でも、お前には月子さんと俺がいる。月子さんはすっかりお前を息子だと思ってるけどね。実を言うと、俺は思ってない。散歩に行くと、シンバパパなんて、他の犬の散歩してる人から言われたりするだろう? あれ、違和感あるんだ。パパって柄じゃないしな。でも、月子さんが、お前を息子だって言うなら、俺もそう思わなきゃと思うようにしてる。あ、誤解すんなよ? お前を嫌いだとかじゃなくてだな、なんていうか、親に育てられた事のない俺は、親っつーのがわかんないだけなんだよ。多分、それは、お前が人間だったとしてもな』

言いながら、視線を落とし、座って、獅子尾さんを見上げている僕を見る。

『月子さんはね、孤児院に途中から来たんだよ。月子さんの両親も病弱で、詳しくは知らないけど、亡くなったらしくてね、月子さんは身寄りを失って、孤児院へ来たらしい。真っ白な子で、綺麗だと思ったよ。僕の初恋だ。いや、嘘。人生で18番目に好きになった子だ。惚れっぽいらしい、俺は』

内緒な?って、笑う獅子尾さんに、僕は少し首を傾げた。

『月子さんには初恋って言ってあるんだ。でもあながち嘘でもない。だって、恋が実ったのは、月子さんが初めてだ』

『シンバー? シンバどこにいるのー?』

『おっと、月子さんが呼んでるぞ? すっかり、俺より、お前のが愛されちゃったな、シンバ。でもお前が初恋じゃないぞ? 月子さんの初恋は俺。お前は二番目』

でも今は僕の方を愛してくれてる。そんな風な顔をしたんだろう、

『うわ、自信ありありで、でも今は勝ってるって顔で去ってくなよ、シンバ』

と、月子さんの所へ行く僕の背に、獅子尾さんは言った。

月子さんは獅子尾さんがいても、獅子尾さんよりも僕を呼び、僕を見て、僕に手を伸ばす。それが僕は嬉しかった。そして獅子尾さんは直ぐに仕事でいなくなってしまうけど、月子さんを頼んだよと、そう言われるのが、僕は嬉しかった。

僕は月子さんを守ろうと、僕なりに頑張ろうと、そう思っていた。

獅子尾さんは、ある事件を追っていた。

その事件は非公開だった為、一般からの情報はなく、自らの足で追うしかない事件だった。マスコミにも知られずに追えるのは、その事件が都市伝説みたいなものだったからだろう。公開しても、余りにも非現実的な事件で、誰もが興味本位で食いつくだけで、本気になんてしないような事に、メディアで流れても、只のゴシップで終わる。

「その事件って……もしかして、ヴァンパイア?」

シンバの話を中断させるように、翔の台詞が横切り、シンバはハッと我に返る。

話ながら、あの頃に、自分自身が戻っていたのだ。

シンバは、横を歩く翔を見て、立ち止まり、

「スイマセン」

そう言うと、翔は、

「あ、事件の事は非公開だから言えないのかな?」

と、察したように言うが、シンバはくるりと方向転換すると、

「そうじゃなくて、道、間違えました。僕の家、あっちです、遠くなっちゃいました」

と、シンバは、指を差して、思い出に耽って、ぼんやりと適当に歩いてしまってたなと、鼻の頭を人差し指で掻く。

「それから?」

「え?」

「それから、どうなったのかなって」

「あ、あぁ、ハイ」

翔に聞かれ、シンバは頷いて、どこまで話したっけかなと、少し考えながら、

「あの日の、その夜は、赤いランプが音もなく走り去るのが窓に映っていました――」

再び、話出した。

住んでいた場所は、静かな場所で、周囲には、住んでる人も余りいなくて、空き地が多く、今時にしては在り得ない木の平屋の一軒家で、それでも小さな庭付は贅沢で、更に言えば、フローリングなんてなくて、畳の部屋と古い柱がある部屋が幾つかと、ナイロンの床のキッチンと風呂場とトイレ。

獅子尾さんはそこを、

『戦後の家みたいだ』

って言っていた。

月子さんは、

『妖怪がこっそりいるおうち』

って言っていた。

僕は……僕達の家だと、思っていた――。

そんな場所に、パトカーがサイレンを鳴らさずに、赤い光だけを放ち、何台も走り去っていくのが、窓から見えた。

月子さんは眠っていた。

僕は眠る月子さんの横で寝そべったまま、顔だけを上げて、カーテンの隙間から漏れる光を見ていた。

月子さんは、外の異変を感じた訳じゃなく、僕の不安そうな心を感じ取ったように、もぞもぞと布団から手を出して、僕の顔を撫でたから、僕は少し鼻を鳴らして、月子さんの手に顔を埋めるようにして、そのまま、顔を俯かせた。

月子さん、獅子尾さんは大丈夫だろうか?

なんだろう、胸の辺りがざわざわするよ。

こういうのを胸騒ぎって言うのかな?

余りいい感じはしない。

ねぇ、月子さん……獅子尾さんは今日も帰って来ないのかな……。

ザ―っと言う雨の音が鳴り始める。

雨のニオイはしていた。一気に降ってくるだろうとも予測していた。そして直ぐに止むだろう。雨雲は通り過ぎて、月が出る予感がする。そして月明かり、僕は、気配じゃなく、視界で気付いたんだ、そこに、誰かが立っている事に――。

誰かじゃない、そこに立っているのは、月子さんだ。

いつの間に、月子さんは布団から出て、そこに立っていたのだろう。

どうして僕は気付かなかったんだろう。

今、月子さんの背後に立つ何者かが、月子さんの首筋にキスをした。

僕の鼓動がドクンと強く鳴り響く。

月明かりじゃない、赤いランプの光がクルクルと部屋の中を照らし、獅子尾さんの声が聞こえたけど、僕の耳には、月子さんの微かな声がハッキリと届いた。

『これで私はシンバと一緒に走れるわね。獅子尾さんと一緒に生きていけるわ』

月子さんの首筋から溢れて流れる赤い血がポタポタと畳の上に落ちる。

月子さんがとても幸せそうに笑う。

そして月子さんの背後に立つ誰かが、月子さんの首筋に埋めた顔を上げて、僕を見た。

その目は金色で、僕は本能的に悟った、コイツは僕にはまだ倒せない。そう悟れるのは、コイツが僕の天敵だからだ!!

失くしている記憶が呼び覚ます、僕のチカラ。

息を切らして、部屋に駆け込んできた獅子尾さんの目の前で、僕は変身するように人の姿になり、月子さんの背後にいる奴に飛び掛かる。

だけど、マントを翻すように闇を翻し、目の前から消えた――。

月子さんも一緒に。

残ったのは、人の姿をした僕と、呆然とする獅子尾さんと、畳の上の血の滴――。

イロイロあった後は、獅子尾さんは仕事に行かず、部屋の隅で、アルコールを浴びるように飲んだ。

そういうのは飲まない人だと思っていた。だが、月子さんがいたから、飲まなかっただけだったんだ。

月子さんがいなくなった今、獅子尾さんは、タバコも吸う――。

僕はまた犬の姿、いや、狼の姿に戻って、人だった姿にどうやったらなるのかさえ、わからないままで、自分の体の事に恐怖を感じているだけでなく、月子さんを失った喪失感と悲しみは計り知れなくて、だから尚更、獅子尾さんが怖かった。

無表情で、一言も喋らず、暗くなった部屋で電気も点けず、只管、アルコールを飲む。

一瓶、また一瓶と、中身を空にして、それでも酔えないのか、ずっと――。

そうなってから、何時間、何日の経過だったか、獅子尾さんの視線が僕に向けられ、僕は獅子尾さんがいる部屋の隅にずっと、座ったままの姿勢で、獅子尾さんと同様、動かずにいたのだけれど、突然、獅子尾さんに空の瓶を投げつけられ、額にぶち当たり、僕は、ギャンって大きな悲鳴を上げ、伏せった。

獅子尾さんは何も言わず、立ち上がると、部屋を出て行き、家を出て行った。

玄関のドアが閉まる音で、僕は呼吸を乱し、ガタガタと体を震わせた。

額から血が滲み落ちて、痛いのに、全然、痛さを感じれなくて、何もなってないのに胸の辺りが痛くて、どうして獅子尾さんは、僕に怒鳴らないのかって、瓶を投げるだけでなく、瓶で殴り殺してくれればいいのにと、獅子尾さんを責めた。

僕は、月子さんを守れなかった…。

月子さんを殺した奴が、僕の天敵だったなら、どうして、僕は戦わなかったのか。

「でも月子さんって、死体は? 消えたんだろう?」

そう言った翔に、またもハッとして、シンバは苦笑いしながら、

「道、また間違ってる。こっちです、また遠回りしちゃいました、スイマセン」

と、行き過ぎた道を戻り始め、再び、話し始める。

僕は愛されるばかりで、それが当たり前のように思いすぎてて、記憶がない事を理由に、本来の自分さえ見失ってるから、気配さえ気づけず、動く事さえ、できなかった。

情けなかった。

今、生きてる価値さえ、わからなかった。

獅子尾さんは戻って来なかった。

もう戻って来ないかもしれない。

只、仕事に行ったのかもしれない。

いや、どこか遠くに行ってしまったのかもしれない。

何もわからない。

だけど、僕は、そこで獅子尾さんを待つしかなかったから。

僕は自分を制御できなくて、人の姿になったり、狼の姿になったりを繰り返す。

それでもたった数週間で、獅子尾さんは戻って来た。

仕事に行ってただけだったんだろうか、獅子尾さんに近付いても平気だろうか、どんな顔をして獅子尾さんを見ればいいだろうか、部屋の隅でオドオドしている僕に、

『シンバ、お前はウルフマンって奴らしい』

って、笑顔で、僕の視線に合わせるように、膝を曲げて、座って、言ったんだ。

『海外にまで行って、イロイロ調べてきた。刑事はやめた。刑事やってたら、この事件、最後まで追えない。シンバ、お前のチカラが必要なんだ。月子さんを殺した奴を殺せるのは、お前しかいないんだ』

――獅子尾さん?

『お前だって、月子さんを殺した奴の事を許せないだろう? 生かしておけないだろう? アイツは、人を喰らう化け物だ、このまま野放しにしておけない』

――獅子尾さん、月子さんはやっぱり死んだの?

『いいか、シンバ、よく聞け。相手は吸血鬼だ。ヴァンパイアって呼ばれる、架空の生き物。架空だと思わされてるだけで、実在するんだ。そして、お前は、ヴァンパイアを倒せるウルフマンなんだ』

――ウルフマン……

『ヴァンパイアは人間の生き血を吸う。吸われた人間の心臓は止まり、死に至るが、ヴァンパイアウィルスが感染して、ヴァンパイアと同じように人間の血を吸って動き出す。今迄通り、普通に生きてる時と変わらずに動くんだ。だが、本当は生きてない。アンデッドと呼ばれる生きる屍。記憶は生きてた頃のものが受け継がれるみたいだが、感染者は血を吸ったヴァンパイアの奴隷みたいなもんだ。記憶なんて意味がない。どんなに愛する人を覚えていても、感染者はヴァンパイアのものとなっているんだ』

――月子さんは、生きてても、その心臓は止まってて、もう月子さんじゃないって事?

『感染者は、木でつくられた十字架のナイフで胸を刺すと、灰になる。それが感染者を救う唯一の方法みたいだ。やっと安らかに眠れるんだ。死んでるんだから、そうしてやらないとな……』

――獅子尾さん……それは月子さんの胸をナイフで刺すって事……?

『だがヴァンパイアには、そんなの効かない。お前の牙と爪が必要なんだ、シンバ。頼む、シンバ、お前だけが頼りなんだよ。俺の息子だろう……? 俺と一緒に戦ってくれるよな……』

僕を息子だなんて思えないって、いつも優しそうに笑う獅子尾さんの顔が、僕には、もう思いだせなくて、今、ここに、無表情ながらにも怒りや悲しみの渦に飲まれながら、僕を息子だと言う獅子尾さんに、僕は、いや、僕も、同意だった。

「酷い話だ」

そう言って、下唇を噛み締め、

「キミを利用してるんだ、あの人。父親なんかじゃない! あの人はキミを――」

と、薄っすらと涙目の翔に、シンバは立ち止まり、そして、古びたアパートを見上げ、

「信じたんですか?」

そう言った後、翔を見て、

「僕が見た夢か幻」

そう言うと、眉間に皺を寄せた翔に、

「ここの6階。今、住んでる家です。ランドセル取ってきます」

と、コンクリートの階段を駆け上がった。翔は、

「お、おい!? 夢か幻って、嘘って事かよ!?」

と、シンバの背を見送りながら叫ぶ。

シンバは狭い階段を駆け上りながら、いつからだっけかと思う。

いつからだっけ。

獅子尾さんが『今日からコメディでいく!』『今日からヒューマンドラマ系の感動もので進めていく』『俺は謎多きミステリアスな男だろ?』そんな事を最初に言い出したのは――。

未だ獅子尾さんは自分の感情がうまく表に出せない程で、生き方を決めて、自分を設定しないと生きていけなくなっている。

いや、どんな顔で一日の始まりを僕と向き合っていいのか、わからないんだろう。

獅子尾さんは一生懸命、僕を憎まないようにしようとしているんだ……。

獅子尾さんは一緒に戦ってくれるよなと告げた後、僕の額にできてる傷を優しく撫でて『ごめんな』と呟き、またいなくなった。

あの『ごめんな』の意味を、僕は今も探している。

一緒に戦う事に同意の僕に謝る必要はないし、瓶を投げて僕の額に当たった事なら、それは獅子尾さんが謝る事じゃない。

寧ろ、月子さんを奪われ、何もできずにいた僕をもっともっと怒っても良かった筈だ。なのに獅子尾さんは怒らない。只、姿を消しただけ。

帰ってきても直ぐに、また直ぐに――。

まだ調べる事が沢山あると――。

僕は僕なりにできる事をと、人の姿になる練習のような事を繰り返し、そして、人の姿になる事も慣れて、獅子尾さんの帰りを待ち続けた。

帰ってきた獅子尾さんから、これからは情報を得るというより、犯人を追う事に専念する事、犯人は日本にいる為、日本で活動をする事、刑事を辞めてしまった事、だがスキルは調査に役立った事、日本で起きてる不可解な未解決事件を追う為に探偵という肩書を得る事、似たような死体の犠牲者があちこちで発見された為に犯人は移動している事、そして僕も付いて行く事、これまでの経過や情報や計画などを聞き、そして僕は人の知識を得る為に行く先々で学校へ入る事が義務付けられた。

ヴァンパイアは時に1人の人間の血を大量に吸う。そうなると、感染どころか、完全に餌として死んでしまう。そういう死体はヴァンパイアの足跡となる。

獅子尾さんは、刑事のコネなども使い、ヴァンパイアの餌となった犠牲者の死体を見つけ、ヴァンパイアの足跡を辿り、被害者である感染者らしき者を見つけては、張り込みや尾行などの調査を続け、完全に感染者だと見抜いた時こそ、僕に殺すよう命じた。

奴等は偽のヴァンパイアだが、ホンモノのヴァンパイアと戦う為の練習だとでも思えばいいと、言われた事があった。

あの頃の獅子尾さんは、今の獅子尾さんとは違う気がする。

とにかく、一刻も早く、月子さんを探して、月子さんに安らかな死を捧げようとしていたあの頃と、今は違う。

いや、今も、きっと、そう思っているだろう、だけど、少し、月子さんに対して、余り拘ってないように思える。

何故って、やっとヴァンパイアが、この地で縄張りを張り始め、足を止めたってのに、悠長に僕に学校へ行けって言うからだ。

既に僕は人として完璧だと思う。

思い上がりかもしれないが、こんなにカラーが違っても、誰も僕を犬だとも狼だとも思わない。

転校続きだった――。

3日で転校した時は長い方だと思った、なんせハジメマシテの挨拶をして、2時間目の授業中に獅子尾さんが迎えに来て、次へ移動だと言った時もあったからだ。

僕は養子として獅子尾さんの戸籍に入ったが、児童養護施設の人が、獅子尾さんを説得に来た時もあった。

獅子尾さんの仕事は探偵と言う事だったが、依頼がある故にあちこちに移動をするには、子育てには向いてないと言われていた。

だが、僕の成績は問題なく伸びて、獅子尾さんとの関係も悪くないと僕からの主張もあり、特に獅子尾さんから引き離される理由はなかった。

でも、もし僕が本当の子供だったなら、僕は獅子尾さんと離れたかもしれない。

獅子尾さんは僕を息子と言いながら、ヴァンパイアを倒す秘密兵器くらいに思っているに違いないからだ。

僕はそれでいいと思っている。実際に息子ではないし、他の余計な感情はいらない。全て月子さんを救える為のものである事の方が重要だから。

なのに、どうして、今、この時、僕を学校へ行かせる理由はなんだろう?

獅子尾さんがわからない。

「不法侵入ですよ」

そう言って、僕は机の上のランドセルを背負い、振り向くと、

「だ、だってさ」

と、翔さんが、困った顔で僕から目を逸らすから、

「この町は久し振りです、この町は夢と幻を見せる現実の町みたいだ」

そう言うと、え?と、翔はシンバを見た。

「月子さんと住んでた町です。住んでた家は違いますけどね。その家はまだ残ってて、貸家になってたんですけど、でも一軒家だから僕と獅子尾さんと二人きりは広すぎるって理由で借りなかったんです。とりあえず、表向きな理由はそう言ってますけど、人間は裏もあって、裏が本当の事みたいですから、獅子尾さんの本当の理由はわかりません。僕は……獅子尾さんがわからない。今が夢かなって思ってしまうくらい、わからない。現実なら僕をもっと使わないと……獅子尾さんらしくない。こんなの――」

また、え?と、翔は声を漏らす。

「この町を縄張りにしてる? だったらアイツはこの町を最初から拠点にしてたと思うべきだ。もう一度、最初の被害者から洗うべきかもしれない。そう、3年前、月子さんが被害者になる前の、獅子尾さんが刑事として追っていた事件そのものを見直すべきだ。獅子尾さん一人じゃ手が足りない。僕が何の為にいると? 学校へ行くのが仕事? 僕はそんな事する為に人の姿になれるようになったのか!? 違うよ、僕はアイツを倒す為に、この姿になってるんだ!! そうして来たのは獅子尾さんが、そうしてくれって言ったからなのに!!」

翔に八つ当たりしてもしょうがないのに、シンバは、今の状況に苛立って、怒鳴ってしまい、なにやってるんだろうと、自分に後悔する。

「スイマセン、怒鳴ってしまって。学校へ行くの憂鬱で。獅子尾さんの手伝いをしたいのに、しなきゃいけないのに、どうして学校へ行くのかなって考えたら、イライラしちゃって。本当にスイマセン」

翔は下を向き、小さな溜め息を吐いて、顔を上げて、

「何か裏があるんだよ、キミにも表しか見せてない裏があるのかも」

と、ニッコリ笑った。

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