第1話「最速」


 意識が醒める。


 一瞬のまどろみに思考を揺蕩わせながら、パッと目を開く。



 直立する人の群れ。


 明るいスカイブルーとピンクの作業服に身を包んだ、陳列された人々。


 私も、そんな人たちに紛れ、同じ服を着て立っている。



 いつからここにいたのか。


 まったく分からない。



 ざわ、ざわ……と、騒がしくなる広場。



 誰も彼も、困惑しているようだった。



「みんな背高いなぁ……」



 口の中で呟きながら、私は空を見上げる。



 人混みの向こうは大人に隠れてなんにも見えないけど、空は見えていた。



 空は正午頃。


 広く開けた空の頂点、白い太陽がぎらぎらと浮かんでいる。



「どっひゅ〜〜〜ん!!!」



 広場に響く軽快な声。



 上空を流線形の影が突っ切ると、ざぱーん!と水の盛大に跳ねる音。



 びちゃびちゃと水が飛び散って、私の前にいた大人たちがわぁっと散っていく。


 

 開けた視線の先には……水槽に浮かぶスカイブルーのイルカがいた。



「やっほ〜う!!みんな〜!!ラララン監獄にようこそ〜☆」



 そのイルカーーオルカンは、綺麗な宙返りを決めると、最後にブンブンとヒレを振った。



「イルカが喋ってる……」


「ここはサーカスかなにか……」


「なんでこんなところに……」



 困惑する観客たち。



 ひそひそひそひそ。


 独り言が重なって、喧騒は激しくなっていく。



「なぁ、あれって……本物か?」



 誰かが指差したのは、巨大な水槽の隣。



 そこには、警官服を着た着ぐるみたちが直立不動で並んでいた。


 イヌやネコ、ウサギに、ヒツジ……。


 可愛らしい動物の着ぐるみ。


 けれど、その腰に提げられた拳銃は、本物らしい重厚感を纏っている。



 ゴクリ、と誰かが生唾を飲み込んだ。



「君たちはね、み〜んな死刑囚なんだ〜☆」



 キュイ、キュイッ、と甲高く笑うオルカン。



 ……は?と間抜けな声が響く。



「やばいヒト、怖いヒト、なんでもないヒト、いろ〜んなヒトがいるからね、処刑日は待ち待ちだよ〜! お手元のバンドで確認してね〜☆」



 処刑、と聞いて、ざわめきが一気に高まった。



「嘘だろ……!?」


「な、なんで!?」


「わ、私……あと十日しかない……!?」



 ざわざわざわざわ……。



 みんな顔色を青くさせて、自分の手首に嵌ったバンドの液晶を覗き込んでいる。



 私も、見とこうかな……。


 チラ、と手首に目を向ける。



『処刑日まで、残りーー13日☆』



 小さな液晶に、大きく浮かぶ"13"の数字と、可愛らしいイルカのミニキャラ。



 書かれている文言の割には、随分とポップだ。



「こんな小さい子もいるのに……何かの間違いよ!!」


「えっ 」



 隣にいた女のひとが、私を庇うように抱いて吠える。



 それを皮切りに、人々は口々に吠え始めた。


 怒号があちこちから上がって、段々とその熱量はヒートアップしていく。



「ふざけるなー!!」


「こんなの面白くもなんともねーぞ!!」


「さっさと家に帰せよ!!」



 青年の一人が、着ぐるみ警官の一人に掴み掛かろうと走った。



 その瞬間。



 ドパン!!



 怒号を吹っ飛ばす、一発の銃声。



 天に高々と掲げられた銃口から、薄い煙が立ち上っている。



 静まる広場。



 銃を取ったのは、オルカンの隣、一人だけ着ぐるみを着ていない女のひと。


 彼女は黙って、ス……と私たちに銃口を向けた。



「口をつぐめ、死刑囚ども。余生をベッドで過ごしたいか……?」



 さっきまでの喧騒が嘘のように、誰も喋ろうとしない。



 張り詰める緊張。


 呼吸すら苦しいほどの圧迫感。



 その緊張を嘲笑うかのように、オルカンは愛嬌たっぷりに踊り続ける。



「安心して! みんなで仲良く頑張れば、処刑日は幾らでも伸ばせるんだよ〜☆ 必要なのは、愛と平和なのさ☆ ラブ&ピ〜〜〜ス!!」



 水槽の中でハート型に泳ぐオルカン。



 それに心和むひとは、一人もいなかった。



「じゃあみんな、楽しい監獄ライフを送ろうね〜!!どっひゅ〜〜〜ん!!」



 ヒレでバイバイと手を振るオルカン。


 ざっぱーんと跳ねて、後方の用水路へ飛んでいく。



 そのまま、用水路を猛スピードで泳いで、オルカンは消えていった。



 その姿を見届けて、着ぐるみ警官たちは水槽を撤去し始める。



「こちら側から二列に並べ!!監獄内を案内する!!」



 さっきの女警官が、私たちに命令を放つ。



 銃口を向けられて、反抗するひとは一人もおらずーー。



「なぁ 」



 背後から、声をかけられる。



 振り返ってみると、長身の男のひとがまっすぐ私を見つめている。



 揺れる心臓。


 私は服の裾をぎゅっと掴む。



「な、なに……?」



 恐る恐る、口から返事をこぼした。



 そんな私の様子に、男は優しげに笑う。



「……そんなに怖いか?」



 困ったように笑いながら、男は私の後ろに回り込み、両肩にぽんと手を置いた。



 ……よかった、優しいひとみたいでーー。



「ーー銃は怖くないのに?」



 囁き声に、鼓膜が揺れる。



 硬直する体。



「え……?」


「これだけの非日常に触れて、動揺が少な過ぎるよ、お前。それに、百人近くいるこの場で、幼い子供はお前だけ。お前は明らかに特別な……主要キャラだ。幼女というプロットアーマーも作為的に感じる。それに、メタ読みだが、このゲームの趣味、なーんか子供っぽいんだよなぁ……小さな女の子が好きそうな、さ 」



 つらつらと、言葉を並べていく男のひと。


 背後に立たれて、顔は見えない。



 脳味噌の内側から、ぞわぞわとしたモヤが滲み出してくる。


 思考が上手く回らなくて、分からなくて、怖くて……私は口をつぐんでしまった。



「お返事はなしか……?」



 小馬鹿にしたような、冷たい声。


 その底なしの冷たさに、身震いする。


 自分の脊髄が、氷になってしまったかのような……。



 それはきっと……"死"の冷たさ。



 す……と自然な動作で、私の頭頂部とアゴに手が添えられて。



「ーーじゃあな、ゲーム・マスターGM



 コンマ一秒。



 ポキボキッ……と、耳の奥で骨が鳴る。



 捻り上げられ、九十度に傾いた視界。


 パッと視界が暗転して。



 私の意識は闇に落ちていった……。







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