ホワイトオスターの恋
くろいゆに
ホワイトオスターの恋
「人は……終わらなければならない」
そう言った私の言葉に彼の表情が一瞬、酷く歪んだのを私は見逃さなかった。
* * * *
「愛している」
初めて囁かれた愛の言葉。
何よりも嬉しく、大切な言葉だった。
「私も愛しているわ」
初めて口にした愛の言葉。
暖かく、心が満たされる瞬間だった。
私たちの出会いは、運命だったと思う。
出会った瞬間に互いに心から惹かれ合っていた。
「君の望むことならなんだってしよう。
僕のできる限りを尽くしてなんだって手に入れよう」
「アスター、私はあなたさえ居てくれれば欲しいものなんて何もないの」
「ふふ、そうかい? 僕も一緒だよ。
君さえ居てくれれば、あとは何もいらない」
アスター、
私の愛しい人。
あなたが望むなら、私はなんだって出来るのよ。
それほどまでに貴方が愛おしい。
* * * *
程なくして、アスターの御父君である国王が崩御したことにより長男である彼は国王として即位することとなる。
「陛下、即位おめでとうございます」
「おいおい、他人行儀な言い方はやめてくれよ。僕の王妃様」
戯れるようにアスターは私の手を掴むと、優しく包み込むように抱きしめる。
「君のおかげでここまで来れた。本当にありがとう」
「私は別に、お礼を言われるような事なんてしてないわ。
この結果は全て、貴方の努力の
ふと、顔を見上げるといつもより少し疲れた優しい彼の笑顔が見えた。
優しく彼の頬を撫でる。
アスターは私の肩にしばらく顔を埋めると、満足したようにソファへと腰掛ける。
「隣に来てくれるかな?」
「もちろんよ」
「大事な話があるんだ」
いつになく真剣な彼の表情に、私はただ事でない雰囲気を察して顔をこわばらせる。
「僕はね、情けないかもしれないが……とても怖いんだ」
「怖い?」
「そう、怖いんだ」
「貴方ほどの人が何を恐れるというの?」
この国に騎士団はあっても過去200年の間に戦争は起こっていない。
騎士としても、魔術師としても優秀なアスターが一体何を恐れているのだろうか。
「死だよ。僕は死が怖くて堪らないんだ」
そう言って彼は俯く。
「死、ですか……?」
「ああ、父さんが亡くなってから身近に死を感じるようになったんだ。
人の死は突然現れる。僕たちはそれに抗えるほど強くはない。
僕や君にまでそれは突然訪れるんだ。それを考えると怖くて堪らない。
君がいなくなってしまったら僕は生きていける自信がないし、僕が先にいなくなったとして君も同じことを思ってくれているなら、そんな辛い思いをさせたくないんだ」
「アスター、私は———」
「分かってる、情けないことを言っていることくらい。ごめんよ」
ひどく落ち込んだように項垂れるアスターを私は黙って見守ることしかできなかった。お父様の死をきっかけに、日に日に見るからに彼がやつれて行くのは度重なる政務に疲れてのことかと思っていたけど、それだけではないみたい。
なんとかしてあげたいけど、彼の望むそれは私にできることの範疇を大きく超えていた。
それでも、わたしは彼を救いたいと過ちを犯す—————
* * * *
「お帰りなさい、あなた。今日も遅かったのね」
「ただいま、すまないね。近頃は魔獣の動きが活発で討伐に駆り出される日々だよ」
「謝らないで、お仕事ですもの。ご苦労様」
————十年前
突如として現れた魔獣により騎士たちは毎日のように討伐へと駆り出される日々を送っていた。郊外のどこからともなく現れる魔獣は、城下へと降りてきては国民を容赦無く食い殺す。この十年で多くの民が命を落とし、人口は半分以下へと減少した。
事態を重くみたアスターたちは国を囲うほどの大きな城壁を建設。それによって魔獣による被害は減ったものの、国土と自由を大きく失う結果となった。
「近々、魔獣討伐の遠征に出ることになってね。しばらく家を留守にするから、その間よろしく頼む」
「遠征ですか?」
「ああ、魔獣の巣が見つかってね。そこを叩けば、多少は勢いを殺せるのではと大規模な遠征が行われることになったんだ」
「………」
「どうしたんだい?」
「いえ、心配なのです。国王である貴方が国を離れて危険な遠征へ出向くなんて」
「分かっている。だが、騎士たちも長年の戦いで消耗している。魔獣が現れて十年、かれこれ戦い漬けの日々だ。それに、皆歳をとる。一人の力が弱まる以上、人数が必要なんだ」
「歳をとる? なにを仰いますの?
貴方も他の騎士たちも皆、若々しく十年前とお変わりないじゃないですか」
「ふふ、嬉しいことを言ってくれる。見た目はそうかもしれんが中身はそうとも行かんものだよ。まあ、騎士としていつまでも若々しさを保てるよう、日々鍛錬してるつもりではあるがね」
「そうではありません。貴方たちは本当に——」
「どうかしたかい?」
「いえ、なんでもありません……」
「なら今夜はもう寝よう。明日もまた忙しい」
「……はい、おやすみなさい。あなた」
「ああ、おやすみ」
* * * *
「それじゃあ、言ってくるね。遠征中は城内のことを君に任せることになるが、困ったことがあればすぐに伝令を飛ばしておくれ」
「……はい。どうか、どうかお気をつけて。くれぐれも、無茶だけはしないで下さいね」
「分かっている。それでは、行ってくる」
アスターの背中を見つめながら彼女はただ願う。
どうか、どうか無事で。出なければ——気付かれてしまう。
* * * *
アスターの見送り後、彼女は急いで自室へと戻ると机の上に投げるように数冊の本を叩きつけると、勢いよく両手で机を叩く。
バンっと静かな部屋に響きわたる。
「っ……。どうなっているの……。あの魔獣は、いったい……!」
机に叩きつけた本に目を走らせる。
「ない、ない……ないっ……。ここにもっ……!」
ブツブツと何かを呟きながら、本のページをめくっていく。
「どうしてっ……どうしてっ……。わたしはただ……。彼を救いたいだけだったのに……」
* * * *
彼女は過ちを犯した。それは愛故に、なんの邪心もなく、ただ愛故に。
だから犯した。故に犯した。当然のように犯した。
彼を死なせないために犯した。
だが、彼だけではダメだ。それでは周りから怪しまれてしまう。
それならいっその事、彼の周り全てが死ななければいい———
方法は簡単だった。手段は選ぶ必要もなかった。
そしてついに完成させた。
”不老不死の呪術”
これさえあれば、彼を死から解放できる。
これさえあれば、彼を幸せにできる。
例え彼のお父様を生き返らせることができなくとも、彼を死の恐怖から解放することはできる。
呪術発動から一年。
術をかけた者たちに異変はない——。
呪術発動から三年。
術をかけた者たちに異変はない。郊外に魔獣が出没するようになる。
魔獣により人口は激減したが、魔獣の討伐は数こそ多いが容易であった。
呪術発動から六年。
術をかけた者たちに異変はなく、少しの老いも感じられない。彼女の術は完璧だった。
魔獣の進行は日に日に増え、ついに国土の三割を失うこととなる。
事態を重く見たアスターたちは国を囲うほどの大きな城壁を造り民を守ったが、人口減少に伴い作物は枯れ、疫病が流行り、さらに人口は減少していった。
そこで彼女はまたしても禁忌を犯した。
国民全員に呪術をかけたのだった。
————呪術発動から八年。
彼女は自分の犯した罪の重さに気づくこととなる。
城壁で守られ、彼女の呪術により完璧に守られたその国では2年間もの間、産声があがることはなかった。
人の魂が天に帰らない以上、輪廻が廻ることはない。生と死は平等に訪れる、死という概念がなくなった世界に新たな生もまた産まれない。彼女の術が完璧であるが故の致命的なミスだった。
呪術発動から十年。
魔獣の進軍は苛烈を極めていた————
* * * *
「ここにも……ない……。ここにも……! ない……!!」
苛立ちで本を床に投げ捨てる。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
別の本をどんなに読み漁っても、彼女の求めるものはなにひとつ載っていない。
「……っ、どうすれば……」
この十年間で彼女は魔獣の正体に辿り着いていた。
魔獣は、アレは輪廻を廻す装置。
彼女が止めてしまった輪廻を再び廻すために人を殺す生物兵器だ。
彼女の不老不死の術は完璧ではあったが、不完全でもあった。老いることも、死ぬこともないが殺されれば呆気なく死ぬ。
故に、魔獣という輪廻を廻す生物兵器は成り立ってしまう。
アスターから魔獣の巣を見つけたと聞いた時、彼女は恐怖に震えた。
ヤツらは本気だ。
本気で自分が狂わせてしまった世界を正常化しようとしている。例え今回の討伐が成功したとしても、次はもっと大規模なもので攻めてくるに違いない。
彼を救うはずだったのに、これでは彼を消耗させる一方ではないか!
来る日も来る日も、彼女は本を読み漁っては魔獣への対策を探すが見つかることはなかった。
アスター同様、彼女もまた限界だった。呪術を発動させてから十年間、誰にもこの秘密をいう事ができずに一人で抱え、何もかもをひとりで決断していた。とうに限界だった。
* * * *
王の凱旋だ!!
国王様万歳!! 騎士団万歳!!
城の窓から城下を見ながら彼女は胸を躍らせる。魔獣討伐の遠征を無事に終えたアスターたちが帰国したのである。
やっとあの人に会える。やっとあの人に伝えられる。
さあ、早く。早く会いたい!
無事に帰還した夫の胸に飛び込む。
「おかえりなさいませ、あなた!」
「ただいま。私の留守中、国を守ってくれてありがとう」
「貴方に比べれば、私のした事など大したことではないわ。
それよりも、話したいことがあります。時間を作っていただけないかしら」
「もちろんだとも。今夜、宴が終わったらでもいいかな」
「ええ、ありがとう」
* * * *
勝利を祝う宴は、華やかなものだった。
その瞬間だけは彼女も全てのことを忘れて心から楽しめる程、華やかで素敵なものだった。
そんな宴も終わり、主寝室でアスターと彼女は静かに寝台に入る。
「それで、話とはなんだい」
横たわったままアスターは彼女に問う。
「覚えていてくれたのですね」
「当たり前じゃないか。
フフッ、どんなに宴が楽しかろうと君との約束を忘れる程ではないよ」
「あなた……」
思わずアスターを抱きしめる。じんわりと目頭が熱くなり、堪えきれなく嗚咽が漏れる。
「……!! 一体、どうしたんだい? 私が留守の間に何かあったのかい?」
「ごめんなさい、ごめん……なさい。
わたし……わたしのせいでっ……」
彼女は泣きながら己の罪をすべてアスターに打ち明けた。
不老不死の呪術のこと、それによって現れた魔獣のこと、自身が知りうる事のすべてを打ち明けた。
「……っ!」
「ごめんなさい、アスター。わたしの勝手な……っごめんなさい……」
「ああ、そんなにまで私のことを思って……。
もう泣かないでおくれ。君のせいなんかじゃない、すべては弱い私のせいだ」
そう言ってアスターは優しく彼女を抱きしめる。
* * * *
「……落ち着いたかい」
すっかり目元が腫れてしまった彼女にホットミルクを手渡し、優しく微笑むアスター。
「ええ……ありがとう」
「今後のことだけど———」
ぴくりと彼女の表情が強張る。
「僕なりに考えてみたんだ。聞いてくれるかい?」
無言で彼女は頷く。
「皆に伝えようと思う。騎士団のみんなだけではなく、国民全員に。
もちろん、君が術をかけた事と魔獣との関係は伏せてね。
初めは混乱を招くだろうが知らずに年を重ねない恐怖よりも、
知っていた方がずっと安心じゃないかと思うんだ。
僕もね、実際少しふしぎだったんだ。
いくら鍛えているからとは言え、僕って若々しすぎない? ってね」
ふふっと照れくさそうに笑うアスターに、彼女も思わず笑みが溢れる。
「だから、きっと今後僕と同じように国民も気づき始める。
その前にちゃんと伝えておくべきだと思う。
大丈夫、きっと信じてくれるさ。なんたって、実際に僕がこんなにも若々しいんだから」
へへん! とまたキメ顔をするアスター。
「そうね、貴方の国の民だもの。きっと信じてくれるわよね」
「うん、だから安心しておやすみ」
安堵から急な眠気に襲われる彼女に優しく布団を掛けると、自身も向かい眠りへと落ちていった。
* * * *
彼女が予想していたよりも容易く、民は不老不死を受け入れた。
「どうりで、おかしいと思ったんだ。
王様や騎士様方がいつみてもお変わりねえもんだからよぉ」
「美しいまま、永遠に生きられるなんて最高じゃない!」
「ママ、てことはあたしがみんなの一番末っ子ってことー?」
「こんな人生に終わりがこないなんて……」
「もっと若いうちに術にかかりたかったもんじゃのう」
不老不死の事実は瞬く間に国中に広がった。歓喜するものもいれば、嘆くものもいたが皆がその事実を受け入れるしかなかった。やがて、真実が浸透し始めた頃に事態は悪い方向へと動いた。
自ら命を断つものが出始めたのだ。
早くに親を亡くし、生活に困窮する若者たちを中心に広がっていった。
「そうか、わかった。報告ご苦労様」
アスターや彼女の耳にも事態は届いていた。
魔獣の次は自害。輪廻の歯車は軋みながらも廻ろうとする。その強制力に彼女は恐怖した。
だが、悪い知らせばかりではなかった。十一年ぶりに産声があがったのだ。
数名の命と引き換えに、新たな命が産まれた瞬間だった。その吉報はすぐに城まで届いた。
めでたい事だというのに、心から喜ぶ事ができないのは真実を知っているからだろうか?
改めて自らが犯した罪に足がすくみそうになるのを必死で耐える。大丈夫、私はもうひとりではないのだから。
* * * *
不老不死の事実が公になってから数年。魔獣による被害は年々減少している。騎士達の練度が上がったことが一つの要因であろう。何十年と同じ者が、常に前線を維持していれば当然のことだった。
もはや魔獣は輪廻を廻す生物兵器として機能していなかった。
それでも、人口は減る一方であった。生への絶望で自害するもの、産まれてくる赤子もいくら魔術があるとはいえ、全員が全員無事に産声をあげられるとは限らない。
少しずつ、僅かであるが国は衰退していった。
そんな中、城には春が訪れていた。国王アスターの妻である彼女が赤子を身籠ったのだ。
国中の注目が集まる中、無事にその産声は城内に響き渡ることになる。
衰退する国に生まれたその子は『カレン』と名付けられた。
「ありがとう、よく頑張ってくれたね……」
涙を流しながらアスターはカレンを抱く彼女を抱きしめる。
「わたしの……赤ちゃん……」
小さな命を彼女は優しく抱きしめる。この子の未来を守らなくては。
この子のために、狂わせてしまった世界を元に戻したい。
呪術を発動させてから、百年が経っていた。
* * * *
子育てと並行して、彼女は呪術の解呪方法を模索し始めた。
自分が組み上げた術式なら、どこかで解呪方法がきっとあるはずだと寝るまも惜しんで研究に没頭した。
「最近やけに本の虫じゃないか。何かあったのかい?」
「ええ、アスター聞いて欲しいの。私、この狂わせてしまった世界を元に戻したいの!」
彼女の言葉が良くわからなかったのか、アスターは不思議そうに首をかしげる。
「元に戻すって?」
「不老不死の解呪方法を探すわ! すぐには効果がないかも知れないけど、少しずつでもいい、自害でも魔獣でもなく、寿命によって輪廻を廻せるようにするの。そうすれば、衰退していく国もこれから産まれてくる子供達の未来も守る事ができる!」
「……そうか、君はそれを願うのかい?」
「ええ、願うわ!」
「……そうか、それは残念だ」
「——え」
「聞いたか、この女を捕えろ!!」
騎士達が一斉に彼女を抑えつける。
「無礼者! なにをするの、離れなさい!
アスター、どうして! 私がなにをしたというの⁉︎」
「なにをしたか? いまさっき君の口から告白してくれたじゃないか。
この国を、この世界を自らが狂わせたと!
国家反逆罪でその女を牢に入れろ!」
屈強な騎士達に捉えられ、なす術なくカレンと引き剥がされる。
「カレン! カレン!!
離して! 離しなさい!!
ああ、そんな。いやよ、カレン! わたしの——」
鈍い痛みとともに意識が遠のいていく。カレンは父アスターの腕の中であやされ、楽しそうに笑っている。
ああ、どうか。どうか無事でいて……。
薄れゆく意識の中、彼女はそう願うのであった。
* * * *
再び彼女が目を覚ましたのは、薄暗い牢屋のベッドの上だった。
「……っ!」
後頭部にちくりと痛みが走る。
「……カレン!」
ベッドから起き上がると、鉄格子をつかみ何とか壊そうと試みるが非力な彼女の腕ではびくともしない。
「ここから出ないと……!」
あたりを見回すが、人の気配はない。広い牢にはベッドと簡易トイレ、鉄格子すらはめられていない窓がひとつあるだけだった。
窓の外を見渡すと、鉄格子がはめられていない理由がすぐにわかった。この牢は城の外れにある塔獄で窓から飛び降りよう物なら転落死してしまう程の高さだった。
こんなところで死ぬわけにはいかない。だが、助けを呼ぼうにも防音魔術が施された牢内ではいくら叫ぼうとも、その声が誰かに届くことはない。
杖も、魔術道具も取り上げられた彼女に城の防音魔術を破るすべはなかった。
まずは情報を集めなければ。カレンの安否だけでも知っておきたい。夜になれば食事を持って誰かしら訪れるはず、その者にそれだけでも聞き出さなければ。
だが、彼女の思惑も虚しく、夜になっても食事を持って来るものは現れなかった。
それどころか、朝になってもまた夜になっても誰もこの牢を訪れるものは現れない。
投獄されてから2週間が経った。なにも口にしていない彼女は栄養失調と水分不足でもはや身動き一つ取れないでいた。だが、死ねない。飢餓程度では彼女の呪術を覆すことはできない。
何度も何度も意識を失っては目を覚まし、飢えに苦しむ。いっそのこと、あの窓から飛び降りてしまおうか。運が良ければ助かるかも。
そんなことを考えていた時だった。遠くの方から僅かな足音が聞こえた。
霞む視界を何とか凝らして、足音の主が現れるのを待つ。彼女は知っている。
ああ、この足音は……彼だ……。
「……アス……ター……」
「……まだ生きていたんだね。さすが、と褒めるところかな」
聞き覚えのある柔らかいアスターの声だが、その声色に優しさはカケラもなかった。
「……どうし……て……?」
「どうして? 君が僕を裏切ったからだろう」
「私が、あなたを裏切る……?」
「そうだ、君が僕を裏切って、僕を終わらせるなんて言うから!」
そこには優しかったアスターはいなかった。
そこには生に執着し、怒りと恐怖に醜く顔を歪ませる獣がいた。
そこには愛した夫の姿はもうなかった。
そこには自分を陥れ、我が子を奪った敵がいた。
そこには自分のすべてを
「……っ。うぅ……。」
この2週間、どんなに辛くても涙は出てこなかった。それなのに、いまこうして自然と涙が溢れ出してくる。悔しくて、悲しくて、惨めで、どうしようもなく彼を哀れに思った。
百年も老いて衰えることなく生きた人間が、受け入れるのではなく死を未だに恐れるとは。
終わらせなくては、この狂ってしまった世界を
狂わせてしまったこの手で、終わらせなくては
「最後に聞かせて……カレンは……カレンはどうしてるの?」
「カレンなら心配いらない。あの子は僕の子だ、大切に育てる」
「そう……よかった……」
「最後に言い残したことはあるかい?」
そう彼女に問い掛けるアスターの声はいつも通り優しく穏やかな口調だった。
今にも手放しそうになる意識を必死で掴みながら、彼女はゆっくりと口を開く。
「人は……終わらなければならない」
そう言った彼女の言葉に彼の表情が一瞬、酷く歪んだのを彼女は見逃さなかった。
「残念だよ、モルディ」
薄れゆく意識の中、最愛の人の足音が……遠のいてゆく……。
ホワイトオスターの恋 くろいゆに @yuniruna
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