6章 予定不調和 八尋尚

八尋尚 vs

 風が吹いている。ここの風はいつも強い。運命に抗おうとするようだ。

浜比嘉はまひがアルネさんですね』

 目の前の道士服の男は問いに答えなかった。

 最初に名前を尋ねることにした。改めて思えば、声での応答など嘘をつけば意味はない。そもそも八天閣の屋上は資格を持たなければ上がれない。だからこの応答は無意味だ。

八尋尚やひろなおさんですね』

「はい」

 私がそう答える間も、浜比嘉は何も答えなかった。実体がないかのように茫洋と立ち尽くしている。浜比嘉が私の前にこのように立っているのは、私がそのように選択したからだ。

 そう、選択した。私の力は運命を手繰り寄せる力だ。未だ完全ではないが、私の望むように未来を引き寄せることができる。


 理真天教の教えは、正しく穢れのない神の子がその神通力をもって人々を教え導くことを主としている。徳川様のご治世の初めごろから続く由緒正しい教えだ。

 神の子は信徒の中でもっとも神と通ずる力がある者がなる。神の声が聞こえた私は六歳頃から神の子として育てられた。それ以降、神の子としてこの世界を教え導くよう、両親を含めた信徒から、常々そう教えられて育った。両親は神ではない。だから両親も私に仕えた。

 生来そのような環境だったことから物心が付く前は特段の疑問ももたなかったが、おかしいと思い始めたのは二十を過ぎたころからだ。御一新の前後より様々なものが目まぐるしく移り変わり、世界が変わるに連れてそれぞれの有り様を変化させた。祭政教一致の流れに追われて多くの宗教の解散が命じられ、理真天教とてその例外ではなかった。多くの信徒が取締りに激しく反発し、時に短期間捕縛された。これは仏教、神道、講を始めとしたあらゆる宗教に及び、その統廃合が目されたのだ。

 私は神の子たる力によって運命の隙間をかいくぐるように生き、その間にこの世界は明治という時代をくぐり抜けて大正に至った。けれども今、再び神の指し示す未来に闇が満ちている。この日本どころではなく、この世界全てが破滅に向かう兆しがある。


「あなたは何故戦うのですか」

「……使命だからです」

 浜比嘉は田山五王との戦いでも問いかけていた、何の意味があるのだろう。

 私の力は未来知と過去知だ。未来知はもともと有していた神の力であり、過去知はこの八天閣において最初に得た使徒の力だ。この八天閣の蠱毒の中で、最も合理的な力だ。そう自負している。何故そう言い切れるかといえば、この仕組み、あるいは呪いを組み上げたのは私だからだ。

 情報は力である。この神力によって、それぞれの神徒の過去や環境を知ることが出来た。けれども唯一、確と知れなかったのが浜比嘉だ。浜比嘉の過去の記録は八天閣で行われた田山五王との戦いのみしか知ることが出来なかった。

 その戦いは人知を超えていた。けれども様々な角度でその過去を尋ねるうち、一つの傾向が見えてきた。浜比嘉の戦いはその全てにおいて反撃だ。敵の攻撃を受けてその力を利用して敵を殺す、のだと思う。そこから浮かび上がったのは体術の名人だが、目の前の浜比嘉は印象は異なる。軌道修正をしなければならない。先程から様子を見ているが、浜比嘉から攻撃する素振りはない。

「浜比嘉に変化はありますか」

 私の神力を顕現した筆を浮かせ、顔前にかざした左手のひらに文字を書きつけさせる。

-動かず

「不可知の力も?」

-動かず

 再び同じ文字が書きつけられる。


「浜比嘉さん。あなたの戦う理由は何ですか?」

「在りません」

 戦う理由はない。だから積極的には攻撃せず、反撃する。これまでの推測と相違ない。

「では、勝ちを譲っていただけませんか?」

「何故?」

「そうすれば、あなたは日常に戻ることができます」

 私の言葉は正しく、そして欺瞞に満ちている。勝敗が決した時点で敗者の神力は勝者に吸収される。現在時点で日常に戻ることはできるが、それは勝者が全ての力を統合するまでのことだ。統合時にその魂は砕かれ、完全に力と分離する。

「私に利がありません」

「利?」

「あなたは私の負けによって得るものがある。私は得ない。不均衡です」

「それではずっとこのままですよ」

「結構です」

 浜比嘉の言が理解しかねた。この八天閣という奇妙な空間は現世とは隔絶している。時間すらも切り取られている。だからここでどれだけ時間が過ぎたとしても、現世では全く時間が経過しない。

「浜比嘉さん、勝敗がつかなければ、永遠にこのままです」

「そうですか」

 興味のなさそうな声が聞こえた。全く動じる様子はない。身じろぎもしない。ただじっと、こちらを見つめている。本気だろうか。できればこちらから攻撃したくはなかった。

-力を相手に帰す。

 浜比嘉はそのようにして田山に勝ったと筆が述べたからだ。

-浜比嘉アルネは田山五王の力を用いて田山五王を絞め落とした。

 この戦いの前、田山戦の結末を筆はそのように示した。様々な観点から神問わせば袖で絡め取ったようだが、その意味は未だ確とはわからない。田山の力を用いて絞め落とす? あの道士服の長い袖に絡まれば、その力を利用できるものだろうか。攻撃を加えなければどうなるかと思ったが、埒が明きそうにない。ただ風だけが吹いている。


 懐に忍ばせていた細い鉄杭、いわゆる棒手裏剣を三本取り出し右手に収める。

「浜比嘉は?」

-動かず

「浜比嘉に反攻の兆しがあれば教えてください」

 小刀を構え、浜比嘉の胸に向かってまっすぐに投げる。

ー在り

 浜比嘉は鉄杭を袖で絡め取り、私に投げ返す。それを残った鉄杭で弾き落とす。

 神力が反応したのは小刀が浜比嘉に到達した瞬間のように思える。あの袖が力の源なのだろうか。強弱をつけて追加で二本投げたが、それぞれ投げた時と同じ強さで私が狙った部位と同じ部位に飛来した。腕に投げれば腕に、胸に投げれば胸に。

 これは受けた攻撃をそのまま帰す神力だろうか。それ以外に浜比嘉に動きはない。本当に何もしないつもりか。長期戦は意味がない。ここでは眠くなることも腹が減ることもない。ただ現状が維持されるだけだ。

 足元に落ちた鉄杭を拾い、再び構えて先程より強く投げれば同じように投げ返され、同じように弾き落とす。狙った位置に返ってくるなら防ぐのは容易だ。致死の勢いで投げれば同じ勢いで鉄杭は帰ってくるが、狙いがわかる以上私に命中することはない。

「接近戦の場合、浜比嘉はどのようにして攻撃を防ぐのですか」

ー力を返す

 この力は些か不便だ。私に理解できる内容しか返答をしない。浜比嘉の力の機序について私の理解が覚束ないか、理解が及ばないものなのだろう。

「私は浜比嘉に勝つことはできますか」

ー是

「どうすれば勝てますか」

ー戦う

 戦えば、勝つ可能性がある。未来とは揺れ動くものだ。様々な可能性の中から一つの未来に分岐しうる無数の可能性は、最大公約数が示される。その内容は事前に見た内容と変わらない。勝つかどうかという問いについてはいつも不明と記された。


 だから勝つ方法は今、私が考えなければならない。他の神徒については様々な過去の情報からその戦い方を推察することができるが、浜比嘉には田山戦の情報しかない。浜比嘉について何度問うても、何を問うても、田山戦以外については不明との答えしか現れなかった。

 幸いにも時間はある。浜比嘉はこちらが攻撃しなければ攻撃しない。数少ない是と認定された可能性。他の神徒の場合は到底使えない手段だが、つまり浜比嘉は観察することができる。その間にも何度か鉄杭を投げる。闇に目が慣れてくれば、その袖が妙な動きをしていることに気がついた。鉄杭を投げた時、ザラザラとさざめいて見えた。

「あの袖は何でできているんでしょう」

ー符

 符……? 浜比嘉は呪術師だ。中華街に暮らし、護符やお守りを売って生活していると聞く。神力を用いても浜比嘉の情報をほとんど入手できなかった私は、田山戦で入手した道士服という浜比嘉の姿から中華街の関連だろうかと当たりをつけてた。そして信者に命じて調べさせたが、わかったのはそれだけだった。

「符にはどのような効果がありますか」

ー力を返す

 そうすると、田山を殺し鉄杭を投げ返しているのは符の力か。理真天教では符は使用しないが、呪物を用いることはある。呪物は一般的に、目的とする効果を得るために予め力を貯めて用いる。

「浜比嘉の符はここに現れて以降、継続的に力を失っていますか」

ー否

「浜比嘉の有する符は減っていますか」

ー是

「浜比嘉は積極的に攻撃に転じる可能性はありますか」

ー否

 この八天閣の蠱毒は外界から遮断されている。力を補充することはできないはずだ。とすれば、攻撃を続ければ呪符の力は枯渇する。そう思ってから、既にどのくらいの時間が過ぎたのかわからない。私は延々と鉄杭を投げ続けていた。次第に浜比嘉の袖がほつれてくる。というよりは袖が断片化し、細長い札の集合体と化している。あの道士服は符で組み上げられているのだろうか。

 そこから更に鉄杭を投げ続け、高所に吹きすさぶ身を切るような風に手足の間隔が失われてきたころ、漸く最後の符が失われた。

『八尋尚さん、おめでとうございます』

 一体何が起こった。鉄杭を投げ続けるうち、浜比嘉はその袖から解け始め、次第にその姿を曖昧にし、最後には全てが消え失せた。

「浜比嘉の力は何なんだ」

『神徒についての問いはお答えできません』

 ……そうだったな。そのように設定したのだ。それにしても、一体何なんだ。浜比嘉は一体どこに消えた。

『では次の新月にお会いしましょう』

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