敵と味方

 大学で持つ講師の枠は木曜午前に1コマだけだ。基礎科目で、過去の講義内容を踏襲するだけだからさほど準備に時間がかからない。終われば荷物をまとめて大学を出て、いつもと違い銀杏並木を南に向かう。いつのまにか11月も後半でもうすぐ年の暮れだ。駅や繁華街のある東側と異なり南側はうら寂しく、木枯らしが数を減らした銀杏の葉を吹きちらしている。

 線路を超えれば数年前に完成したばかりの神津大学第二号館が現れ、その3階東端が青嵐の研究室だ。青嵐は日中はたいていここにいる。

「やあ、青嵐」

「ん? 眉山か。珍しいな」

「ちょっと秘密の話」

 寮でも会えるし今日はたまたま午後が病院じゃなかっただけではあるけれど、このほどほどに日当たりの悪くよくわからない物がごちゃごちゃした青嵐の城は秘密という語感にふさわしい。

「夕凪晴夜という生き物は実に奇妙だね」

「ぷらなりあ、だったか?」

「そう。切ってもくっつくし、切りすぎると勝手に集まる。変なの」

「実在するなら多分これだ」

 書棚から引き出された巻物には百怪図巻ひゃっかいずかんと書かれ、青嵐が広げていけば8つ目にふかし饅頭に手足が生えたような奇妙なものが描かれている。

「大学の図書庫から借りてきた。元文2《1737》年に佐脇嵩之さわきすうしが記した絵巻物で、この化物はぬつへつほう、あるいはぬっぺふほふなどと呼ぶ」

「全然綺麗じゃないね」

「考えればわかるだろう。細胞、というもので構成されているのかはよくわからんが、そんな粗雑な離散集合を行うようなものが確固たる姿を持つはずがない」

 離散集合。そういえば切り取られた夕凪が新たな形を作ったり他の部位とくっつくときにはその形態をくるりと丸くさせていた。もともとがこの饅頭のような姿で、今の夕凪の姿を形作っているとしても矛盾はしない。

「じゃああの姿は何?」

 手指も人間の指と紛うことはない精巧さだった。あれを毎回1から作り上げているとしたら煩雑にすぎる。

「さてな。誰かの姿を写したんじゃないか」

「それにしては内蔵も一式作ってたよ」

 分解の過程で、夕凪は肺や心臓といった人間の臓器を意図的に作ることはできていた。そういえば何度か取り出した心臓はピタリと同じ形だったように思う。

「ああ、そういうこと」

 そうして思い至った。あの夕凪晴夜はあの姿の人間を食べたんだ。昨日も蜥蜴で実験していて、その蜥蜴と食べることで蜥蜴のような形に変化することができていた。妙に大ざっぱな形ではあったけど。

 昨日行った実に奇妙な実験。蜥蜴を板に貼り付け死なないように分解する。その過程で少しずつ臓器を夕凪が作ったものに置き換える。人工臓器とでもいえるのだろうか、夕凪の指先は俺が蜥蜴から臓器を切除するたびにその臓器と入れ替わり、つまり心臓になったり肺になったりした。けれども結局のところその大凡は失敗し、いずれ蜥蜴は死んだ。

 夕凪の目的は、おそらくその子だという宵紅緒が損傷した場合、代替となることかもしれない。けれども八天閣での死はその身体に影響を与えない。いや、ひょっとして外的損傷がないということは、八天閣で死んだとしても即座に蘇生を行えば息を吹き返すのだろうか。

 試せないなあ……。

「江戸初期に目撃例のある妖怪だ。あいつも五百年ほど生きてると言っていたから本人の言にも合致する」

「人を襲わないやつ?」

「文献上は他害する類ではない。寧ろ薬になるという話もある。しかしそもそも信憑性があるかは別だ。本当にこれなのかはわからない」

 妖怪の信憑性、か。そんなものは考えたこともなかったけれど、信憑性がない事象が最近よく身の回りで起きる。今更だ。


「他に何かわかった?」

「理真天教は明治中期に起こされた新興宗教で、教祖の神降ろしによってその経典が書かれている。概要としては世直し論だな。方向性は学生運動の連中と同じだよ」

「神降ろし?」

「そう。神が語りかける。今のところ他に情報はない」

「せん妄、とは言い切れないよねえ」

 こんなわけのわからにことが続くんだから。このところの世の中は俺が少し前に知っていたものより遥かに曖昧だ。

「殺せそう?」

「わからない。教祖に戦いの心得があるような話は聞かなかったが、俺はもう少し武器を改良しようと思う。お前はどうする?」

「そう、だな」

 使い勝手の良い毒には即効性がない。相手は避けるかもしれない。避ける間もなさそうなものは俺もダメージを負うだろう。吸引の必要があり広範囲に即効性があるものは防毒マスクで防げるかもしれないが、それとて息を止めてその間に俺を殺せばいいだけだ。もし自身が負傷したとしても、その傷は八天閣を出れば跡形もなく消えるだろうから。

 かといって今更体を鍛えても意味はない。謎の力は発現できない。

「八方塞がりだから上手く死ぬ方法を考えるよ。それより青嵐は勝てるの?」

「色々準備はするさ。弓に連射機能とか速射機能をつけて防刃性能の高そうなものを着ればなんとかなるかもしれない、二人を除いて」

 二人。魔法使いの浜比嘉アルネ。魔法使いかもしれない八尋尚。

「魔法っていわれても困るよね」

「八尋尚のほうは近々調査依頼をしようと思う」

「調査依頼?」

「ああ。国学者がその宗教実態について話を聞きたいと言えば、万一応じてもらえるかもしれない」

 そんなものなのかなぁ? あんまりオープンな感じのする団体じゃなさそうだけど。近くまでいってみたけれど、護摩焚きをしているらしき音声が聞こえた。入口には警備員がいて、用がなければ中には入れなさそうだった。

「浜比嘉アルネの方は会いに行こうと思う」

「会いに?」

「調べたところ、あの符は厄除けだ」

「厄除け? 厄除けって人を殺すものなの?」

 リューラン・マオから聞いた話も、その体を調べたことからも、そんなに穏当なものとは思えなかったけど。

「襲ってくる者が元気だとまた襲ってくるだろ。迎撃しているだけだ、攻撃は最大の防御という」

 まあ、そういわれるとそうかもしれないけど。

「俺がリューラン・マオに矢を射させた時、実質的には矢を射たのは俺だが、狙いをつけて攻撃意志を持ったのはリューラン・マオだった。俺は無心に構えてただけだから」

「よくやるよね、そんな不確かな実験」

「それほど不確かではないよ。リューラン・マオは友人が死んだ時、銃声を聞いたんだ。だから攻撃するまでは厄除けは反応しない。だから攻撃するつもりなく一度会いに行ってこようと思う」

 けれどもその話は、どこまでいっても机上の空論に過ぎないじゃないか。浜比嘉アルネには人を殺す力がある。仮にその厄除けが発動しないのだとしても、浜比嘉アルネは青嵐を殺すことができる。

「国学者として?」

「そう」

「死ぬなよ」

「勿論だ。俺が死ぬはずないだろ」

 青嵐の声は相変わらず平板だった。

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