奇妙な食事
河岸を変えたのは八天閣にほど近い桔梗屋という老舗料亭の2階席だ。残念ながらその広縁は八天閣の反対の新地側に向いていたが、たくさんの桔梗柄が染められた菱形提灯が数珠なりに屋根から垂れ下がっている。それを眺めていれば、次々と見目も鮮やかな小鉢が運ばれてきた。
「美味しいね」
「そうでしょう。ここは昔から懇意にしておりますので」
赤い舟形の陶磁の皿に綺麗に飾られた先付けの中から味噌のかかったゆで海老を美麗な箸で摘めば、なんだか豊かな気分になる。すべてのものは美しいにこしたことはない。それはきっと、誰も反論できないはずだ。
「久我山先生にお伺いしたいことがあります」
「何?」
「常磐先生と相対した時、どうされるおつもりですか?」
「青藍と? どちらかが勝つさ」
「その確率は低くないはずです。どうして未だ親しくされていらっしゃるのでしょう」
どうして?
それは青藍の頭の中も、行動もなんとなくわかるからだ。青藍は多分俺の心臓を射るだろう。その前に多少会話をしたりするかな。いや、しないだろうな。青藍と会ったら俺は死ぬ。俺はそれを信用している。青藍は迷ったりはしない。
ひょっとしたら青藍が勝ち残って俺を生き返らせてくれるかもしれない。けどそんなに期待はしていない。俺はそれほどお目出度くはない。そうだなぁ。死んだ時の偽装をそろそろ考えないといけない。俺が死んだら志賀谷が俺を解剖しろというんだろうな。なんとなくそんな気がする。あいつはそれなりに鋭い。病死におさめないと。実家の兄貴を頼れば病死ということにしてもらえるだろうけど、志賀谷が何か言ってきそうで厄介だ。志賀谷を殺す? 馬鹿馬鹿しい。俺は医者で殺人鬼じゃないし。葬儀もなくまず焼いてもらおうかな。そんな遺書でも書いて。けれども黒い円を兄貴に見られるのは嫌だな。いや、最低限だ。そういえば全能の力というのは灰からでも生き返れるのかな。うーん。
「久我山先生?」
「あ、そうだな。青藍とは仲良くしない理由がない」
ぽっと出た言葉はそのままで、俺以外には意味がわからなそうな言葉だった。夕凪は意図を読みかねるというように眉をわずかに顰めた。
この言葉は、真実だ。青藍とはお互いのことをよく知っている。
「ひょっとして勝ち負けを決めないということでしょうか」
勝ち負けを決めない?
八天閣の上で勝敗を決めなければどうなるんだろう。観測した所、あの上では現実においては時間が経過しない。戻ったときにすぐ時計を見たけれど、0時丁度か、せいぜい1,2秒過ぎただけだった。いつまでもあそこにいてもしようがない。だから勝敗は決めなければならない。
「そういえば死なずに、例えばトランプで勝敗を決した時、この円は黒くなるのかな」
「トランプ? そう……ですね。常磐先生が仰ったように敗者の力を吸収するのでしたら、黒くなるのだと思います」
それは……嫌だな。とても嫌だ。それならとっとと死んで燃えたほうがましだ。それに矢傷は刀なんかで切られるのに比べれば随分ましだ。青藍以外と対戦して面倒なことになるよりは、青藍に当たって死んだほうがいい。対戦相手に無様な姿を見せるのも嫌だな。青藍ならいいや。自分のことしか興味ないだろうから、怪我した俺を見ても何も思わないだろう。やっぱ先が見えない戦いを続けるより青藍と当たったら殺してもらおう。何より怪我したくない。
我ながら変だなと思いながら目の前の夕凪を見る。煮豆をつまみ、口中に放り込んでいる。見える表面上は人の口と同じだ。けれどもこいつの食道はほんの入口までしかなく、喉から下は白い肉の塊で埋め尽くされている。どこを開いても染み一つなく白く綺麗だった。切っても切っても綺麗に1つに繋がった。きっと怪我なんかしないだろう。劣化したりも。いいなぁ。俺もこういう生き物の生まれだったらよかったのに。
「気になりますか?」
「え?」
「食べているものがどこに入っているか」
「ああ……そうだね」
そういえば無くなっているのは確かだよな? さっきから口の中に食べ物を運んでいる。食べなければ動けなくなる。活動にはエネルギィが必要。それは普通の生き物と同じらしい。
「では少々無作法ですが」
夕凪はそっと箸を置いてその親指と人差指の指先で煮豆をつまむ。それを指の両端で押しつぶすようにすればそのまま煮豆は潰れて消え去った、ように見えた。
「え?」
夕凪がその親指をもめば、中から再び煮豆が現れる。それを夕凪はぺろりと口に含む。
「手品のようなものですが、一旦体の中にしまってから食べます。人が食物を体内に取り込んで消化するのと同じようなものです。その場所は口中でも指先でも同じ。広道先生が仰るには、消化ではなく微生物などが行う分解のような作用だそうです」
「なんでも分解できるの?」
「基本的にはそうですね。貴金属であっても時間をかければ。……ああ、一度広道先生が持ってこられた大蛇のあやかしの毒は無理でした。私が分解するより私を溶かす方が早かったから」
広道叔父さんは一体どこからそんなものを持ってきたんだ? そういえばもしこの夕凪が対戦相手であったなら、青藍の矢は意味がないだろうし、俺の毒も効果があるかわからない。唯一人でなくてよかった。他の唯一人は全員人間だろうな?
「そういえばあなたの子。たしかあなたと混じってるんだっけ?」
「……ええ」
「言いたくないなら言わなくていいよ」
「そうして頂けると」
「それでこれからなんだけどさ、あなたの家で試すのは少し限界があると思う。だから俺の実家の病院で実験したいと思うんだ。大学病院と違って多少の無理は効くし、設備も整っている」
やはり一般の住宅でやるのは雑菌とかが気になる。けれども夕凪の顔色は優れない。やはり極力、その特殊性を秘密にしたいのだろう。
「続きをやるんだよね?」
「ええ。是非ともお願いしたいのです」
「俺も分析とかしたいからさ。やっぱ施設のある程度整ってるところがいい。それに誰も入れないようにできる。密室で外に音も聞こえにくい」
夕凪から貰い受けた組織を調べるにしても組織片を採取するにしても、環境はなるべくクリーンなほうがいい、気がするし。他原因をなるべく排除するために。一般的には。それに先程夕凪から聞いた狂気じみた実験も、その結果を判断するにはきちんと消毒を施したなるべく他のものが介在しない場所が良い。
「久我山先生は私が恐ろしくないのですか?」
「恐ろしく?」
「ええ。私は何でも取り込み、最終的には分解することができます」
分解……? そう言われれば、少し怯みはする。分解とは何だろう。それがよくわからない。夕凪が言いたいことはおそらく、密室では夕凪が俺を害することができるということか。あるいは狂気的な実験の対象に俺が含まれている? それはないだろう。俺は観察者なわけだから。
ああ。それであの家の奥の窓は半ば開かれていたのかな。いざとなれば俺が叫んだり逃げたりできるように?
「もしあなたが俺を襲うなら、予めこんな話はしないと思う」
「では信頼して頂けるということでしょうか?」
信頼……信頼とは何だろう。何を信頼できるのかな。今現在、共闘関係にあること。俺は夕凪にとって利用価値がある。少なくとも今は。俺は俺でその不老性の研究がしたい。つまり互いに利益がある。今のところは。
「わかんない」
そう。これからのことなんてわかんないや。
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