たくさんの切れ端と奇妙な実験

 八天閣にほど近い小町通りの路地を入った一画にある家の前で夕凪が立っていた。1畳半の土間の奥に8畳一間、棟割長屋の一室より少し広い程の大きさの小さな家で、奥の障子を開ければ裏手の家の土塀との堺に2坪ほどの小さな庭があり、細々と木花が植えられている。

「思ったより質素なんだね」

「長く生きておりますと一時期までは物が増える一方でしたが、今では必要を残して食べてしまうことにしております」

 夕凪の家は掃き清められているが、家具と言えば箪笥とちゃぶ台、数冊の本くらいしかない。そのちゃぶ台に香ばしいほうじ茶が置かれる。

「それで俺は何をすればいいわけ?」

「私の可能性を検証したいのです。たとえばどれほどの大きさや数までバラバラにできるか、など」

 夕凪は何でも無いかのように述べるけど、なんだかピンとこない。俺はそんな方針で人を切ったことはない。

「広道叔父さんにも同じように願われたんですか?」

「いえ。あのときは広道先生が是非とも解剖してみたいと仰るので、お任せしていました」

 プラナリア類似の生物。それが本当なら切っても平気そうだ。この夕凪晴夜という生物には何か核のようなものがあるのだろうか。そう思えば、それは気にかかる。

「ではどこから切れば良いでしょう」

「そうですねぇ。広道先生は今日はどこそこを切るぞと仰って気が向いたところを切られていましたけど」

 夕凪は懐かしそうに目を細める。たおやかなその様子とは裏腹に口から溢れる言葉は物騒だ。

「広道叔父さんは自由人だからなあ。俺が気になるといえば心臓と脳だけど、生き物をバラす趣味はない」

 そう告げれば夕凪はクスクスと可笑しそうに笑った。かつて俺から見た広道と人から見る広道は妙にチグハグだったけれど、最近そうでもなくて真実思うままに生きた人なんだろうなと納得してきていた。

「では頭からお切りくださいな。何も入ってはおりませんから」

「何も? ……麻酔は?」

「不要です。通常痛覚は構成しておりません。みなさん痛いのは好きでは在りませんでしょう? ところで布団を敷いたほうがよろしいでしょうか」

「布団? どう……なのかな。血が出ないならどちらでもいいような気はする。手足に骨がないことはわかったけど、内臓もないの?」

 夕凪をレントゲンで撮るのは憚られた。造影室にはいつも誰かいて、もし見られたら面倒だから。

 人を解剖する場合、その表皮を割れば様々な液体があふれ出る。布団など敷いては浸潤して非衛生的だから木製の台にのせて行う。先程からの会話の奇妙さに困惑する。

「作ろうと思えば似せることはできますが、不要でしょう?」

「不要……? まあ、そうだね。じゃあ布団はあってもなくてもどちらでもいい」

「そうですか。では落ち着きませんので布団だけ」

 そう告げると夕凪はちゃぶ台を部屋の隅に寄せて押し入れから敷布団を出して敷き、横たわった。手術の道具は持ってきた。けれどもこういう往診スタイルというのはあまり経験がない。そういえばいつも患者は腰高の台に乗っていたものだから、どうも床に寝るスタイルは心地が悪いな。

「どうかされましたか?」

「いえ。通常はもっと目的が明確ですから」

 どこから切ればいいんだろう。趣旨は理解している。夕凪を切り刻んだらどうなるかを調べる。趣旨はわかるけど、例えば手足の末端から切断すればよいのかとか、より細かく切ったほうがいいのかとか。いまいち方向性が見えない。

 なんだか妙だなと思いつつそれでも最初から開頭は気が引けたから、前回行った手首から先の切除を試みることにした。右手首の下に板を引きメスを押し当てたものの、触れたところから熱したナイフでバターに触れるように切り別れる。切断面はツルリと平たく、骨も血管もなにもない。続いて板をずらし、右肘にメスを当てれば同じように切り裂かれ、やはり血も出ず骨もない。まな板でかまぼこを切っているような心持ちだ。

 ……化け物。広道叔父さんの言っていることは本当だった。けれども沸き起こったのは恐れではなく困惑だった。一体どうやって生きてるんだ?

「今更ですが、夕凪さんは食事は必要ですか?」

「そうでうねぇ。食べなくても平気ですが、食べなければ眠っていることが多いですね。活動には多少の食べ物が必要かもしれません」

 そのような益体の無いことを話しながら、その日は夕凪を100ほどに分けたりくっつけたりした。胸部を正中に切りわけてもその内には何もなく、腕や足と同じく白く柔らかな肉が詰まっていた。そして小指の爪ほどの大きさに切り分けたものは、意図せずにもとの端部に戻ろうとする。そして大きい部分も切り分けられた場所に接すれば何事もなかったようにするりと接合し、つなぎ目もない。異なる部位にくっつければ、大きい方にあわせて形を変える。その中の1つに夕凪が意識を移せばそこに口が出来、喋ることができ、人の形を取ることもできていた。

「やはり私の意識は1つで、あまり小さくなりすぎると頭が働かなくなるようです」

「切片が離れていても同様ですか?」

「先日、青藍様と浜比嘉アルネの宅を訪れた際もそうでしたが、おそらく私の意識が宿る切片が私の本体となるのでしょう。ですから距離の問題ではなく、私の認識の問題と思います」

 見えない場所に切片を置いても夕凪は意識を移すことが出来た。けれども切片を隠せば移すことが出来ない。おおよその場所の特定が必要のようだ。

 そんなことを繰り返していれば、いつのまにか陽が落ちて、豆腐売りの声が聞こえ始める。

「先生。今日はこんなところに致しましょう。色々試してみたいことができました。夕飯でもご馳走致しましょうか。私の食事が気になるのでしたら」

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