一発の銃弾と一本の矢

 約束の少し前、午後2時すぎに待ち合わせ場所に到着した。

 浜比嘉アルネの自宅は、古びた建物の連なる細い路地最奥のどん詰まりにある。あの廃屋のような一軒家に至るにはこの道を通らないといけない。そう思って僅かに路地から顔を出して家を眺めれば、その簾の奥にちろちろと動く影が見えた。

 いる。

 思い浮かんだのはやはり阿文だった。阿文はあそこで殺された。心の底が痛む。

 私と阿文は赤の他人。終局的には阿文との関係なんて何もない。敵でも味方でもなく、必要な時に助け合うだけの関係。だからこそ、私は阿文を信用できた。だからお互いのために命を張るはずなんてなかった。それが私と阿文の繋がり。私たちは擦り切れていて、世の中に蔓延る人と人との間の情感といったものとは無縁だったはずだ。

 阿文、あなた、うっかり死んだのよね? 私が殺されないよう、浜比嘉アルネを殺しにいったんじゃぁないよね? でもあの銃声……。

 あなたは何故、あんなことをしたの?

 私たちは情報で繋がって生きている。だから私も封書をしたためていた。


「随分早いな」

 突然聞こえた声に慌てて振りかえれば、青藍が立っていた。手には真っ黒な洋弓銃があった。思わずごくりと唾を飲み込む。私の懐にある銃とは違う、人一人を殺した武器。

「お越しいただけたということは、お引き受け頂けるのでしょうか」

「そのつもりだ」

「けれども……」

 青藍は私の瞳の奥をじっと見た。とても冷たい目で、そして私に続きを促した。

「常磐先生では浜比嘉アルネを殺せないかもしれません」

「何故だ」

「常磐先生の武器はその弓なのでしょう? 私の大切な友達が銃で浜比嘉アルネを殺そうとして、反対に殺されました」

 大切な友達。思わずするりと出た言葉。私は阿文と友達だったの、かな。

 友達というものに縁はない。友達だと思ったら、騙されていた。もっと酷いこともあった。友達というのは信用させるために作る言葉。

「休んでいるときのことだな」

「……そうです。午後3時半ごろですから」

「どうやって殺された?」

「あの家の中でのことですから、知ることはできませんでした。銃声がして、でも死んだのは友達だった。浜比嘉アルネは寝ていたはずなのに」

 二度目の友達という言葉、それは先程より私の中で浸透して、違和感は少なくなっていた。その代わりに、ぎゅうと心臓が傷んだ。友達。友達って何だろう。

「浜比嘉アルネが侵入に気づいた可能性は?」

「凄く静かに入りました。音は聞こえなかった。それに銃声が聞こえたのはしばらく後です。気づいたなら、きっと何か動きがあったでしょう」

「俺ならここから射殺せるかもしれない、今」

 今?

 確かに玉簾の奥で影が動いている。それを狙って撃つということ? けれども。

「浜比嘉アルネを外から銃で殺そうとした人がいたそうです。けれども体に穴が空いたように見えて、銃弾はそのまま撃った人に跳ね返ったと聞きます」

「それを見たのか?」

「いえ……見てはいません」

 私が見ることができるのは八天閣に最初に呼ばれた以降の記録だ。あの家で過去を見た時、誰かが襲ってくるようなことはなかった。けどあの時、酷く頭がふらついた。だから確証はもてない。

「お前、あの模様は何に見える?」

「模様?」

「簾の模様だ」

 簾。乳白色の石が連なりじゃらじゃらと風で揺れて陰影を作りはするけれど、目を眇めても模様なんて見当たらない。

 青藍は返事をまたずに家に向かって静かに弓を構える。

「あの」

 思わず体が硬直したけれど、構えただけでは何も起きないらしい。重要な情報。そういえば阿文も家に入ってから銃声、そして叫び声が聞こえるまでしばらく時間があった。阿文は一体何を思ったのだろう。殺そうとしなければ、ひょっとして何も起きないのか。

 阿文は浜比嘉アルネを殺そうとした。何故。

「俺の見解は違う。その浜比嘉という奴は呪い師で、八天閣では殺せないかもしれない。けれども俺はここからじゃなきゃ撃たない」

「ここから……? つまり、起きている浜比嘉アルネを狙い撃つということですか?」

「そうだ。この程度の距離なら外しはしない」

 青藍が何を考えているのか、さっぱりわからなかった。確かに先程からチラチラと簾の奥に影が見える。そして確かに、正面の応接ではなく奥の寝室に行ってしまえばここからは撃てない。部屋の中に入る必要がある。家自体に入ることを忌避している?

 そういえばあの家の中からは、誰もいないはずなのに2人分の声が聞こえた。そうすると浜比嘉アルネが眠りについていたとしても、誰か別の人間が隠れて見守っているんだろうか。でも、あの過去を探っても浜比嘉アルネ以外の人間なんて見当たらなかった。

「どうする?」

「どうするって」

「俺が撃つか、撃たないか。お前は浜比嘉アルネを殺そうとするのか、めるのか。お前が暗殺を決めたんだ。だからやるかどうかはお前が決めろ」

 私が……?

 青藍の矢が浜比嘉アルネに当たるとするなら。そして殺せるなら。

 阿文の集めた話ではその矢は跳ね返る。私は阿文の情報を信じている。阿文はそれなりに裏付けのある話を持ってくるはずだ。そうじゃなければ意味がない。だから私は阿文の情報を信じる。

 矢が跳ね返ったら、青藍が死ぬ。

 それはそれで、構わない。青藍も敵だ。死んでもいい。寧ろ死んでしまったほうがいい。青藍が死んでしまえば、再び眉山に依頼しなければならない。もともと眉山の毒であれば、部屋の外から投げ込んで浜比嘉アルネを殺すことができるんじゃないかと考えたんだ。青藍が死ねば眉山は協力するだろうか。ミルクホールで見た姿では、2人は親しそうだった。友達。だとすれば、復讐を考えるだろうか。友達の復讐を。

 阿文。

 私は阿文の復讐をしようとしているの?

 その考えが頭に浮かべば、手のひらを酷く強く握りしめていることに気がついた。浜比嘉アルネは殺さなければならない。そうしないと私は死ぬ。阿文のことは関係ない。私は私の意志で浜比嘉アルネを殺すんだ。

「殺して」

「承った」

「え、ちょっと」

 青藍は私を後ろから抱きしめるようにして弓を構えた。青藍は比較的小柄と言えども私よりは背が高い。酷く密着する。声がすぐ耳の上から息遣い聞こえる。

「あの、青藍先生」

「弓を持って、矢を絞れ」

「私が?」

 近くで見ればその弓は様々なケーブルが張られ、随分複雑な作りをしていた。青藍は家の、あの簾の奥を見ている。そして私の右手を握り、矢に触れさせる。青藍の矢を持つ右腕は間に私を挟み、胴体から随分と離れている。これじゃ当たらないんじゃないかな。

「弓を引くのをお前がやれば、撃つのは俺がやる。止めるなら止めるでいい。俺はここからでしか撃たない」

 止める? 射るのを?

「私は引く、だけ?」

「そうだ。覚悟を見せろ。弓を引いた後は離れて見ていればいい。お前は本気で浜比嘉アルネを殺したいのか」

 覚悟。

 廃屋の入り口を見た。確かに人がいる。殺さなければ、私は死ぬ。だから、殺したい。殺さなければならない。殺せなければ阿文は何のために死んだというの? 私は。

「殺す」

 そう言葉にすれば、私の中でもやもやと滞留していたものが息とともに外に出た。浜比嘉アルネを、殺す。これが覚悟?

 青藍の手の中の矢を握り、反対側の手で引っ張るために弓に触れた。弦は驚くほど軽く、引き絞るには力はほとんどいらなかった。青藍はそのまま器用に私から矢を受け取り私がその腕の中から抜け出れば、今度は自らの身体に沿ってさらに矢を引き絞る。その姿は冬の朝を思わせるほど凛としていた。私の覚悟を引き継いだ?

「射る、でいいんだな」

「ええ。殺して」

 その直後、矢は音もなく家の方に消え去り、次の瞬間胸に強い衝撃を受けて、倒れた。

「な、に」

 目を落とせば、自分の胸から矢が生えていた。

 なん、で、私に?

 口が上手く動かない。なぜだか痛くは感じない。急激に世界が暗くなっていく。

「本物だったか」

 声を見上げれば、青藍が変わらず冷たい目で私を見下ろしていた。何故、青藍ではなく、私に。その視線に感染するように、急激に世界が冷たくなっていく。

 後悔、はさほど浮かばなかった。それより混乱の方が大きい。一体何故。でも。

 私、死ぬのね。そう思えば、なぜだか阿文が思い浮かんだ。真っ暗な中に小さく光が灯るように。走馬灯にしちゃ、随分貧相。でもそうか、私には阿文しかなかった。とても小さな光の中で、これまで阿文と行った場所が思い浮かぶ。色々なところに行った。

 ごめん、阿文。私、あなたの情報を活かすことができなかったよ。このままじゃ、阿文、あなた無駄死にだものね。私なんかに巻き込まれて。でもこのままにはさせない。私たちは情報屋だもの。

 震える手で懐を探り、封書を半ば引きずりだす。ああ、寒い。

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