唯一人の待ち合わせ

「久我山先生でいらっしゃいますか」

「そうですが、何か御用ですか?」

「私、リューラン・マオと申します。先生と同じく唯一人でございます。その、円は背中にございます。ご確認下さい」

 上着を脱いで後ろを向き、背中を晒す。今日は背中の大きく空いたワンピースを着てきた。肌に吹き付ける風は既に随分冷たく、肩が震える。

 夕暮れ、真っ白な神津大学病院は見事な朱色に染まっていた。その出入り口で待ち伏せをしていた。

「確認しました。服を着なさい。それでどうして俺のことを?」

 振り返れば、眉山は私の告白を全く意に介さないように、その美しい顔貌に人当たりの良さそうな微笑みを浮かる。互いに唯一人であるというのになぜだか平然としている。それに違和感を感じる。

「私の異能でございます。私は私の思う人間を見つけることができます」

 眉山の瞳が僅かに細められ、不自然ではなくその左手が腰のポケットに入れられた。まずい。眉山は毒を使う。あの中に毒があるのなら、距離をとらなければならない。けれどもそうすれば私が眉山の異能を知っていることがばれる。だから私は私の武器でここを切り抜ける。つまり眉山が興味を持つような情報だ。

「唯一人の中で、私、そしておそらくあなたも倒せない人がいます。一緒に」

「へぇ。じゃああなたは俺を殺せるんだ。どうやって?」

 その表情はあくまでも柔らかで、けれども正面から見て初めてわかった。目が全然笑っていない。全身を汗を伝う。蛇に睨まれた蛙、という言葉を思い出す。全てを置いて逃げるべきか。でも、ここで私に毒を使うことは多分、ない。ここは眉山の職場の前で、今も人通りがある。だからここで待ち伏せを選んだ。

「私が先生を殺せるというわけではありません。ただその人物は人を呪い殺すことができます」

「呪い、殺す?」

 その声に初めて少しの困惑と明らかな興味が乗る。ポケットから手が出され、そのまま腕を組む。あの手の内側に毒はあるのか。それがじりじりと気にかかる。けれども注視しては不自然だ。

「人を探せるの? じゃあ今生き残っている唯一人が誰かわかるのかい?」

「わかります」

 けれども開示する情報は慎重に選定する必要がある。。情報とは知られた瞬間無価値になる。知らないからこそ対価性がある。

 話をしているうちに空は次第に藍色に染りはじめ、それに変わるように数年前に瓦斯から電気にかわった街灯のスイッチを順番に誰かが点けていく。

「誰がいるの? 俺はあなたをどうやって信用すれば良い?」

 信用。そもそも私の情報に価値があることは最低限示さなければならない。名前くらいなら知られても、どうということはない。勝手に殺し合ってくれるなら御の字だ。


「久我山先生、神津大学の常磐青藍、理真天教りしんてんきょう八尋尚やひろなお、歌劇団の宵紅緒よいべにお、富札島自警団のオーサ・フラウリー、端照島本島教会のアンニカ・コルホネン、それから呪い師浜比嘉アルネ」

 八天閣で聞いた名前とその内容から、私と阿文が調べたことだ。

「浜比嘉アルネは異常の力を使います」

「異常って?」

「……わかりません。南京町なんきんまちで仕事で呪殺を請け負っています。近づくことなく人を殺せる力です」

 眉山は悩むように目を細める。ぼんやりと薄灯りに照らされるその目の奥の感情は、やはり読めない。

「どうして俺なんだ」

 試されている。そう感じた。

 この人はどこか妙だ。私はその異常を実感することによって、浜比嘉アルネには勝てないと感じた。体が自然とそう認識した。けれどもこの眉山もまた、その穏やかそうな表面に反して名伏しがたい圧力を感じる。これが『唯一人』というものなのだろうか。秋山親分とは全く違う。

「……久我山先生はお医者様です。名医と伺っております。『唯一人』と自認される方々の中では、一番まともそうに見えました」

 それは半分は本当で、半分は眉山が殺しやすいからだ。毒を使う前に距離を取って銃で殺せば良い。銃は痕跡が残るし音も出る。だから今殺すことはできないけれど、あの八天閣の上であれば警察なんかにバレることもないだろう。それから理由はもう1つある。

「まとも、ね。話だけは聞こうか」


 押し開けたのは附属病院から南東に進んだ赤ちょうちんがたくさん連なる学生街沿い、ヴァイロンという純喫茶の扉だ。人気ひとけのある方向に胸をなでおろす。眉山も私を警戒しているのだろう。

 外と違って落ち着きのある電灯の照らす店内はざわざわと賑わっていたけれど、眉山は迷わず進んだ奥まった席は薄暗かった。美しい白磁のカップ入れられた珈琲からは、苦い香りがした。

 浜比嘉アルネについて、主に中華街における噂を中心に話した。阿文が集めた噂だ。そう思えば、胸が締め付けられる。浜比嘉アルネは華僑の暗部と深く繋がり、時には暗殺等の仕事も請け負う。その際、自ら赴くこともあるが、全く家から出ずに行うこともある。そして自分は様子を探りに行って見つかり、すでに警戒されていることも。

 一連の話が終わるまで、眉山は観察するようにじっと私を観察していた。

「私では浜比嘉アルネを殺せません」

「あなたに殺せなくとも俺には殺せるかもしれない」

 それならば、眉山にとって私の情報に価値はない。けれどもその語尾からも、断定的な判断はしていないはずだ。そして敵の情報は普通、喉から手が出るほど欲しい物のはずだ。

 言うべきか、言わざるべきか。

 私では浜比嘉アルネは倒せない。その糸口がない。銃は相手が目視できなければ殺せない。

 眉山と協力関係を築けなけい場合、ほかを頼るしかない。けれども一体誰を。それを考えればやはり、この久我山眉山が一番いい。何故なら眉山は最後に生き残るのはただ1人であると認識しているのに、常磐青藍と共闘しているからだ。だから他の人間とも共闘しうるはずだ。それに過去で奇妙なことを言っていた。


 私が久我山眉山を認識したのは全くの偶然だ。

 浜比嘉アルネを訪ねる前、阿文とミルクホールで待ち合わせをした。その時、ちょう奥の席に八天閣で見た人間が2人いた。思わず目を見張った。2人ともそれぞれ特徴的だ。だからおそらく、見間違えることはない。

 けれどもその時は浜比嘉アルネを訪ねることを優先すべきだった。だからそちらを後回しにした。それに私は過去を見ることが出来る。直接合う前にどんな人間か確認すべき。それは情報屋としても重要なこと。

 だから浜比嘉アルネを訪ねた翌日、あのミルクホールの眉山たちが座った席に座って過去を見た。その会話の中でたくさんの情報を得た。久我山眉山はこの枠組みから抜けることができるかもしれない、らしい。そうであれば終局的に敵対する必要もない。それが最後の理由。

 本当は私も抜け出したい。けれどもすでに力を使える以上、抜けられないのだろう。

 一か八かの賭けだ。

「……私は接している時間に応じて情報を得ることができます。浜比嘉アルネの最初の対戦相手は出羽の山関でした」

 出羽の山が唯一人であることはこの眉山も知っているはずだ。ミルクホールで検死したと話していた。

「俺についても何かわかるの?」

「いえ、まだお会いして30分ほどですから」

「そうか。では今日はこの辺にしよう。どうするかは検討して返答する。明日、同じ時間にこの喫茶でもいいかな?」

 その声は有無を言わせないもので、眉山は止めるまもなく立ち上がる。私の発言から情報を得る利益と情報を抜かれる不利益をあっという間に計算したんだ。

「わかりました。よろしくお願いいたします。一つだけ。私は浜比嘉アルネのいる場所と、弱点を把握しています。先生に検討をお願いしたいのは、浜比嘉アルネの暗殺です」

「暗殺?」

「ええ。八天閣に登る前に殺したい。私では勝てそうにありません。ご同意頂けるなら、私の知る情報をお教えします」

 眉山は返事をすることなく喫茶店を出た。

 ようやくドッと息を吐く。すでに冷めた珈琲からはやっとチョコレートのような香りがして、口をつければやっと味を感じることができた。あれほど表情と目の奥が違う人間は初めてかもしれない。

 出羽の山を殺せるわけのわからない力。彼らも当然警戒していた。けれども眉山の毒であれば、殺せるかもしれない。家の中に入らず毒を投げ込めば、あるいは。そう思って、阿文のことが頭に浮かんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る