4章 紡がれる情報 リューラン・マオ

vs 秋山尚史

「駄目だ。やっぱりどう考えても勝てない」

 思わず深い溜息が漏れた。

「お客様? どうかなさいましたか?」

「ああ、いえいえ何でもないわ」

 愛想笑いを浮かべれば、ミルクホールの女中は少しだけ不思議そうな面持ちで珈琲と豆菓子を置いて去っていく。ああ。私はあの2人には勝てない。オーサ・フラウリーと浜比嘉アルネには。

 これは相性の問題もある。私の能力はこの2人には全く効果を及ぼしそうにない。何故なら私には圧倒的な力も、圧倒的な謎の力もないからだ。そして2人とも会話は通じそうにない。

 窓の外にそびえ立つ八天閣を眺め上げる。木造りの高層展望塔。やっぱりあれは、ここよね。

 昨夜の出来事を思い浮かべた。


 私が昨夜出会ったのは、いわゆるヤクザの親分だった。しかも知り合いの。

「あら。絆赫会はんせきかい秋山あきやま親分じゃない」

 50絡みでそれなりに金のかかった上下を着た秋山親分は身丈が160ある私よりも少し小柄で小太りで、まあ私は背が高い方ではあるんだけど、ともかく私とわかって安心したようにフヘヘと笑った。

「なんだ。リューラン・マオか。お前なんでまたこんなとにいる」

「さぁねぇ。知りたい? おいくら?」

「なんでえ。こんな時まで金とるのかよ」

 親分はくしゃっと顔を歪めて笑った。

 絆赫会はこの神津一体に、それこそ江戸時代から影響がある由緒正しきヤクザ組織だ。今は8つの組が集まり1つの会をなしている。もともとは義賊のような、いわゆる清水次郎長のような強きをくじき弱きを助ける組織だったそうだけど、今はみかじめ料を払った者を守る程度の義理しか果たしていない。特に秋山尚史なおしが組長を務める秋山組は掏摸すりが専門みたいなところがあって、儲かったらお得意様の祭りに寄付するくらい。義賊な様子はあまりない。

 だからこそ、私のお客様になる。

 私は情報屋だ。様々な伝手で根を張った私の情報網の1つ、警察から今後の警ら予定なんかを聞き出して、近々取締が有りそうなヤマが浮かべば秋山組に告げ口して小金を稼ぐ。他にも細々と色々あるけれど、私と秋山親分の間はそんな関係。

「お前はいつもしゃぁねえなぁ。いくら欲しいんだ」

 いくら欲しいか。もちろんお金はほしいけど、この情報の値段はつけられない。第一私にも何がなんだかわからないんだから情報なんてハッタリだ。

「いくらっていうかぁ。親分と取引したいの」

「取引ぃ?」

「ええ。負けてくれない?」

「はぁ?」

 親分は頓狂な声をあげ、胡乱な目で私を見た。けれども是が非でも勝ち残りたいという気迫は見られない。というより、何がなんだかわかっていないみたい。私も似たようなものだけれど。

「ねぇ親分。親分は神徒なんてものになりたいの?」

「いや、そらなれるっつうならなるべきじゃねえのか?」

「でもその為に殺し合いをしないといけないのよ?」

 親分の喉がゴクリと鳴った。そして落ち着き無く左右を見回した。

「おい、リュー。それやっぱマジなのか?」

「あたしはそんなつもり、全然ないけどねぇ? でもどうせ親分もチャカ持ってきてるんでしょう?」

「わかるか。なんつか、やっぱ護身用によう」

 ちらりと胸元を開くそこに黒光りする鉄の塊が覗いて見えた。思わず声が上ずりそうになる。けど私もナイフを懐に忍ばせている。

 秋山親分はもともと切った張ったをするタイプじゃない。何故秋山親分が『唯一人』に選ばれたかはよくわからないけど、そういえば酔っ払った時にはいつも俺が王様だなんてうそぶいていた。そんなもので選ばれるのかと思いはしたけれど、それを言うなら私だって同じだ。私はこの街の全ての情報を握っている、そんな自負はあったもの。

 そして秋山親分じゃなくて他の任侠を地で行くような、あるいは極悪人と一目でわかる強面の親分たちがここに現れなかったは、ひょっとしたら『唯一人』という言葉の重さと意味を十分に認識して謙虚になっているからかもしれない。つまり秋山親分がここにいるのは危機感もなく世間を舐め腐って本気でナンバーワンだと思っているからだ。私は……ね?

「親分はもう親分じゃない。そんなわけのわかんないものに命賭けるのって割にあわないでしょう? たまたま私だったからよかったものの、相手が殺人鬼とかだったら困っちゃうでしょう?」

 そう耳元で呟けば、親分は縮み上がった。この人の体型からも、荒事は全く向いていない。

「それはそうだけどよう。もしこれが儲け話だったらよ?」

 そう言って親分は親指と人差指をくっつけた。

 良し。やっぱり親分は金勘定で動いている。積極的に命のやり取りをするつもりはない。だったら私の勝ちだ。

「もし儲け話だったら私が親分に一口持ってくもの。その方がいいでしょ?」

「む? そうだな」

「それじゃあそういうことでー」

 ここぞとばかりに畳み掛ければ、親分は困ったように眉尻を下げた。

「お前な、調子良すぎじゃねえか?」

「えっとじゃぁ、この先1年は情報料無料でいいわよ。その代わりそのチャカ、頂戴?」

 親分は頭を抱え込むように悩み始める。この人はこういうところが熊のぬいぐるみみたいで、ちょっと可愛いんだけど。

「よっしゃわかった。それでお願いする!」

「ありがとう。だから親分って大好き」

「んじゃあこれはお前がもっとけ」

 親分は懐から少しだけあったまったチャカを取り出し私に手渡す。秀吉の草履じゃないんだからさ。

「それでその、負けるったってどうしたらいいんだ?」

 どうしたらいいか。そんなのは私もわからない。ともあれ、秋山親分が負ければいい。負けたらどうなるかなんてことも私にはわかんないけど、万一秋山親分が死んじゃえばそれはそれでいい。……商売的にはちょっともったいないけど無料にしちゃったし。

 でも勝ち負けか。あの光ってるのが戦えっていったんだから、あれに聞けばいいのかも。

「ねえ、私が勝って、この人が負けたわよ」

『秋山尚史さん。あなたは負けを認めますか?」

 親分が私の顔をオドオドと見上げるものだから、自信たっぷりに頷いてみた。

「おう。俺の負けだ」

『リューラン・マオさん。あなたは勝ちを認めますか?」

「はい」

『リューラン・マオさん、おめでとうございます』

 あっさりと勝敗が決まってしまった。拍子抜けする。この玉は一体何がしたいの?

「ありがとう」

『では次の新月にお会いしましょう』

 その声で、気がつけば自宅にいた。何だったのかしら。そう思った。他の戦いもこんなに楽なのかな。それを知りたい。そう思った。そうしたら私の背中が熱くなった。最初にあの場所に行った時にできた輪っかの痣があったところ。

 そうしてなんとなく、あの場所にいけばそれがわかるかもしれない、そう思った。

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