アンニカ・コルホネン vs
また、ここに来た。
びゅうびゅうと強い風が吹いている。この世界の全てを吹き飛ばそうとするように。前に来た時はとても寂しかった。たった一人で震えていた。けれども今はとてもあたたかい。皆が一緒にいてくれるから。
私は一振りの日本刀を持っていた。トムの伝手で手に入れたのだ。けっして質の良いものではないけれど、綺麗に研いでもらっている。そしてこの剣を握っているのは私の中の権堂さんだ。剣道県警三位。だから、勝てる。みんなの力で。
目の前に黒い影が現れた。私より少し背が高いけれども細身だ。あまり強そうにはみえない。
そして玉が光り、私と敵を明るく照らし出す。
『er du Annika Korhonen?(アンニカ・コルホネンさんですね)』
「……
敵はいつもの赤のブーナッドではなく、鮮烈な青のブーナッドを身に着けていた。そして変わらぬ瞳で私を見つめた。とても冷たい瞳で。
「Det var du trots allt(やはりあなたでしたね),
『er du Åsa Frawry?(オーサ・フラウリーさんですね)』
「
オーサは右手を真っ直ぐに私の方に伸ばし、つまり既に剣を構えていた。細身の平べったい剣だ。権堂さんがそれをサーベルだと答える。重量はおよそ1キロ、刃渡りおよそ90センチ。
「権堂さん、勝てますか」
『サーベルは官給される。だから一応の使い方はわかる。けれども実戦で使用するやつはいない。だから手練と戦ったことはない』
「オーサは……」
『あれは豪の者だ。強い。そしてサーベルも名剣だろう』
柄に手をかける両手が震えている。これは権堂さんの震えだ。
『だがお前を死なせるわけにゃいかん。勝つさ』
柄がひときわ強く握られた。
けれども。あれはオーサだ。オーサ・フラウリーだ。私たちを守るべき立場の人間だ。それに……1ヶ月ほど付き合って、オーサが私の予想と全く異なり、島民のことを考えていることを知った。
警察の調査はいずれ行われるものだった。だからオーサは島民に有利なように証拠を作り上げたのだ。ボロが出ないよう細部に渡るまで調べ上げて重要な証拠、たとえば私の部屋に証拠となる包丁があったことを隠し、警察に問われて困らないように教会や孤児院、トムの家族の一人一人に尋問の予行演習をした。そして誰かに聞かれたらその通り告げるよう、助言した。
特にりつ子の死に対してそれは必須だった。りつ子は突然、喉を刺されて死んだ。現実のりつ子はベッドの上で突然血を吹き上げたのだ。
子どもはうまく言葉を操ることができない。オーサは恐慌状態の子どもにもわかるよう状況を整然と整理し、矛盾なく人には不可能であると警察が考えるよう誘導した。
そして実際、事件は迷宮入りした。何故ならみんなの答えは真実みんなが見たものだからだ。だから矛盾もないし、後ろ暗い様子も浮かぶはずがない。もしオーサがいなければ、警察の追及はより厳しいものだっただろう。
だから私を激しく追求したのも、最も疑われるべき私の証言が揺らがないことを確認するためだ。最近ではそう思っていた。
「オーサ様、私たちは戦う必要がありません」
「なるほど。では私に勝ちを譲ってください」
「え……」
「私は私の勝利を望みます。私は最も強くなければなりません。あなたが私に勝ちを譲るのであれば、この戦いは終わりです」
オーサはまっすぐにサーベルの先を私に向けている。まるで私との距離を取るように。いや、もともとこうだったんだ。みんなとは多少なりとも繋がりはできた。けれどもオーサとは全く繋がる気配はなかった。
「あなたはずっと私を疑っていたのですね」
「ええ。けれどもあの島の住人全員を等しく、です」
そんなはずはない。それならこれほど拒絶されるはずはない。そして、私がオーサから感じていたのが拒絶だったことに気がついた。約1ヶ月毎日顔を合わせたけれど、オーサの視線は変わらず冷たいままだった。
「どうされますか」
「どう……?」
「降伏されるなら、剣を収めましょう」
降伏すると、どうなる。オーサが勝ち、私が負ける。それは私が神徒となる道が絶たれるということだろう。それは駄目。神徒にならなければ、みんなが天国に行けないかもしれない。こんなに私を助けてくれるみんなが。
「それは……お断りします」
「何故ですか?」
「何故……? 私にはどうしても負けられない理由があります」
「そうですか。では話し合っても意味がありません。私にも負けられない理由がありますから」
握る刀の柄に力がこもった。私を通した権堂の目がオーサの剣の切っ先が揺れるのを見た。
その瞬間、鞘から引き抜かれた刀は一直線にオーサの首元に向かう。オーサはふわりと後退し、それに連れてサーベルの切っ先がくるりと引き下がり、刀が丁度伸び切ったところを孤を描くように叩き落とす。そのままサーベルはくるりと反転して不可思議な孤を描きながらいつのまにか目の前に迫り、私の首を刎ねた。
ああ。マウノが死んだ。
今度はそれが、ありありとわかった。より深くなった繋がりが切れた。けれども私はマウノの死を無駄にしない。そのまま突進して僅かに動きを止めたオーサとの距離を詰めようとしたけれど、水面を走る風のように上昇した権堂の刀を下方からサーベルが弧を描いて跳ね上げ、さらに反転して上方から月光のように振り下ろされるサーベルを反射するように刀が跳ね上げる。
その円を描く動きは美しい。そう他人事のように感じた。それはこの刀を振るう冷徹な意志が私ではなく権堂のものだからだろう。私の体に権堂から確かな力が流れている。私は確かに、みんなとここにいる。
権堂は慣れないサーベルに初手は遅れを取ったけれど、もう目は慣れた。オーサの動きが、そのサーベルの軌跡がわかる。そのまま何合か打ち合い、互いに距離を取る。
「何故あなたは生きているのです?」
「マウノ牧師が助けてくれました」
「マウノ?」
オーサの様子が変化した。私の意志は思わず一歩、後退する。いつもの冷たい視線は、燃えるように熱く変化し、射抜くように私を睨みつける。
「……そうですか。ではあの4人を殺したはあなたなのですね」
「違う! みんなは死んでしまったけれど、今も私と一緒にいるの。一緒に天国にいくのを待っている!」
「天国? 世迷い言を」
初めて聞く吐き捨てるような言葉は、私がこれまで感じたこともない激しいものだった。
「つまりお前を切れば、また島民が死ぬということか」
静かな憤怒が言葉に込められる。
思い出した。そうだ。オーサは島民を大事にしている。
「ええ。そうよ。だから私に勝ちを譲って……」
「譲ってどうなる」
「えっ?」
「私が勝ちを譲っても、お前は次の殺し合いで新たに島民を殺す」
「殺してない! みんなで一緒に天国に行くの!」
シャリンとオーサのサーベルが鳴り、再び眼前にサーベルが構えられた。
「ヘレカは15分。トムは30分」
淡々とした、怒りをはらんだ意味の分からない言葉。
「それは、何?」
「死ぬまでに要した時間だ。エーリクとりつ子は即死だったが、2人はその時間苦しんでから、死んだ」
「苦しんだ……?」
みんなが苦しんだ? そんなことは考えてもいなかった。
「奥方からトムは苦しみ悶え、その死は苦悶に満ちた凄惨なものだったと聞いた」
でも。みんなは口々に大丈夫だと答える。もう過ぎたことだからと。
「マノンは苦しまずに死んだだろう。今、首を跳ね飛ばしたから」
「でも……私が勝てなければみんなは天国にいけないんです!」
オーサの目が私を侮蔑するように僅かに細められる。
「あなたは何人、島民を殺すつもりなのか?」
「何人……? それはあなたが負けてくれれば」
「仮に私が負けたとしても、その次は? 次までにまた1ヶ月ある。それまでにお前はお前の身代わりに死ぬ者を増やすのだろう? お前が力を奪った権堂のように。権堂は管轄外だから死んだところでどうだってよいが」
私が、殺す……? でも権堂がいないと私はオーサに勝てない。私は……私は次はもっと万全に勝てるように繋がりを増やすだろう。そうしなければ、みんなのために私は勝たなければならないから。
けれども私が気になったのはその点ではなかった。
「管轄外……ってなんですか? 権堂さんはどうでもいいんですか? 私にとって大切な人です。誰一人、死んでもいい人間なんて」
自分の発声した死という言葉に対して違和感を感じた。
私はその時、矛盾に気がついた。死とは何だろう。私は木島に押さえつけられた。あの時死にたくなかったはずだ。天国に行きたかった、のではない。……身代わり?
『アンニカ。私たちはアンニカが生きていれば、それでいいのよ。私たちには今世はもう過ぎ去ってしまったんだから』
ヘレカ。もう過ぎ去った。でも。もし過ぎ去っていなかったら? もっと一緒に御飯を食べたり、いろんな話をして。けれども私は多分木島に殺されて。
「本土などどうでもいい。私は私の家族を守るために存在する。私は家族のために死ぬ剣だ。端照島の島民は全て家族だ。だから……どうか勝ちを譲ってくれ」
その静かだけれども叫びと同義のその言葉は、確かにオーサの強い本心だった。そう感じた。
勝ちを譲る……そうすれば確かに私が繋がっている人は死ぬことはないかもしれない。けれどももう死んでしまったみんなは? みんなはこの聖痕の力によって私と一緒にいるはずだ。だから……。
『嬢ちゃん。迷うことはない。大丈夫だ、もう見切った。俺はあの女を殺せる。もう剣を受けることはない。誰も死なない』
刀を持つ腕に力がみなぎる。そう。私が勝てば、皆は死なない。
「オーサ様、どうか降伏してください。あなたでは権堂に勝てません」
その言葉に、オーサのこめかみがピクリと揺れた。
「勝てる勝てないは関係はない。私が負ければより多くの島民が死ぬ。だから……私は勝つ。さようなら、アンニカ」
それはもう話すことがないという決別の言葉。
瞬間、オーサの瞳が全ての色を失った。その口から溢れる吐息は凍てついた。先程までの怒りの熱が何だったかのように、全てが冷たく収束していく。
構えられたサーベルの先が揺らぐ。それが月光の瞬きのようにゆらぎ上段から打ち込まれるのを下段から鋭く弾き飛ばす。私の足はそのままオーサを追いかけ、その喉元に、心臓に目掛けて刀を繰り出し、けれどもそれは届かない。それでも何合か、先程よりずっと長く息継ぎもできないまま打ち合って、おかしなことに気がついた。
刀がサーベルに弾き飛ばされる回数が増えてきた。それにオーサはまるで呼吸をしていないように動き続け、私の腕や足を切り裂く。その度に私のつながりの命の火が弱まる。けれども致命傷じゃない。私は痛みを感じない。だからまだ手足を動かすことができる。
けれども余計に……。
前の夜よりはっきりと感じる繋がりから、皆が苦しんでいる気持ちが伝わってくる。そしてとうとう再び、私の首が再び切り飛ばされた。
私の体はいつの間にか動かなくなっていた。そしてそれは、権堂のせいでもみんなのせいでもないことに、気がついていた。この攻防に私の肉体がついて行かなくなってきたのだ。権堂が動かしたいように私の体が動かない。疲労で体がついていかない。
オーサはそれを十分に見て取って反転し、煌めく孤が私を斬りつける。ああ、皆が死んでしまう。けれどもその分、私と一緒にいる人が増える。奇妙な喪失感と力強さ。私は……私は……。
気がつけば地面に仰向けに転がっていた。木島のときの包丁と同様、日本刀は少し遠くに転がっている。
私の両二の腕をオーサの両足が踏みつけていた。そのまま何度もサーベルが胸に突き刺さり、私はとうとう叫び声を上げた。それは切られた痛みではなく、両腕を踏みつけられた痛みによって。
「アンニカ嬢、おそらく17人ほど殺しました」
その数は、私の認識ともほぼ一致していた。教会と、孤児院の殆どの人間をあわせた数だ。そして権堂も。だからみんな、一緒にいる。権堂の力もより自由に使えるようになったはず。けれども私の体はもう動かない。
オーサは私の喉元に剣を押し付ける。
「何故、あなたは他人を殺す選択をしたのですか?」
「選択なんて……してない」
「何故、あなた自身が強くなることを選択しなかったのですか?」
私自身が……?
そんなこと、考えたこともなかった。私が戦う? そんなのは無理だ。
「オーサ様は神の力で、自分を強くしたんですか?」
「はい。守りたいと強く願えば願うほど、私は強くなります。その中にはアンニカ、あなたも含まれていました」
オーサの瞳は一瞬悲しそうに細められた。
そういえば、私が力を失う一方でオーサの剣戟の速さは増し、その斬撃は強くなっていった気がする。
「それはオーサ様が強いから、そう思えるんです」
「……それではさようなら」
そうしてオーサは私の首にサーベルを突きたて、首元から溶岩のように熱い血が流れるのを感じて意識を手放した。私自身の死。皆と違って苦しくはなかった。
『
玉は常のようにオーサに語りかけた。
「Hvis jeg vinner til slutten, vil jeg kunne bringe dem tilbake til livet?(最後まで勝てば、彼らを生き返らせることはできるのですね?)」
『
オーサは軽くうなずき、サーベルをその腰の鞘にしまう。
『Vi sees til neste nymåne(では次の新月にお会いしましょう)』
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