親友の死と現実と夢

 オーサの言葉に集まっていた20人ほどはざわめいた。

「オーサ様。私どもはまだ祈祷会を行なっておりません」

「ふむ。あなたがたは私が到着する前に祈祷会を終えることができたはずです」

 冷たい言葉に、パーヴォ牧師は眉間に皺を寄せる。

「しかし、それは今まで私どもは同輩の突然の死を本島に連絡し、ご指示をお待ちしておりましたから」

「ならば今も指示の途中です。従ってください。報告を受けた死亡の因果は未だ何ら明らかになっておりません。何ら解決しておりません。ですからあなた方の優先順位も変わっていないはずです。それともあなた方の眼前に訪れた死より、祈祷会のほうが重要となりましたか?」

 死。ヘレカ!

 何てことを聞く人だろう。祈祷会よりヘレカのほうが重大に決まっている。

 オーサの声は単調で、冷たい。けれどもこの人はいつもこうだ。時々この島の調査に来るときも、いつも杓子定規な質問ばかり。

 だから私はオーサが少し苦手。

「い、いえオーサ様。決してそのようなことは」

「私こそが責任者ですので、継続してあなた方に指示します。もしあなた方が私の調査を希望されないのであれば、私は島に戻ります」

「そんな。それでは私どもはどのようにすればよいのですか? まさか本土の警察に通報するなど」

「通報して頂いて結構です。警察の指示に従ってください」

 問われたオーサは堂々としたもので、却って問いかけた牧師たちがしどろもどろになり、顔を見合わせた。オーサは簡単に、領事裁判権は20年前に失われ、その最終判断は日本国の裁判所に委ねられること、本家は神白県の特区として一定の捜査権を有するのみであり警察に通報すれば通常の捜査が行われること、そしてその捜査はこの島に縁もない捜査機関が行うため、この教会の関係者が一次容疑者となる見込みであろうことなどを述べた。

 容疑者となる。

 この教会の周りには集落はない。マウノは起こしに言ったらヘレカが死んでいたと言った。だから確かに、一番最初に疑われるのは私たち教会関係者かもしれない。みんなそのことに酷く動揺した。

 そんなはずがないことは、これまで助け合って家族のように暮らしてきた私たちが一番よく知っている。けれどもオーサが語る淡々とした見通しは不安を呼び起こす。パーヴォ牧師はさらに暗くなった顔を俯かせて左右に振った。

「みんな、従ってくれ」

「パーヴォ先生」

「祈祷会は庭で行えばよい。オーサ様、祈祷会に必要な机や椅子などを持ち出してもよろしいでしょうか」

「監視の下であれば許可します」


 私たちは教会から運び出したいくつかの椅子をいそいそと教会南側の庭に設置した。そして食堂から食器とパンと水、それから予定されていた朝食のうち、野菜を持ち出してちぎり、無言でサラダを盛り付ける。

 全員でテーブルを囲って座り、主に食前の祈りを捧げているとふいに目の前に影がおち、見上げると真っ青な空をカモメが滑空していた。その青の眩しさに思わず目を細めた。耳をすませば眼下の海から小さな白い気泡を運ぶ漣の音が聞こえる。西を眺めれば沖合に神津本土が見え、やや南寄りの工場地帯からはもくもくと灰色の煙が立ち上っている。外国へ向かうと思われる大きな黒い船からボウという汽笛が上がった。いつもの美しい光景。

 なのに、私たちはその景色から目を背け、俯いて祈りを捧げていた。それはおそらくいつも、食堂でそのようにしているからだろう。姿勢を正せば、柔らかな風が背筋にするりと入り込むように涼やかな気持ちが訪れる。世界は美しい。だから、この世界から顔を背けるべきではないのではないだろうか。

 ヘレカが死んだ。悲しい、はずだ。けれどもやはりその事実と感情は、全くピンとこない。私は昨夜、本当に木島を殺したのだろうか。はっきりした感触は未だ手にはのこるものの、それが現実とも思えない。それともこのみんなの全ての悲しみも夢?

 その不連続が気持ち悪い。

 誰も口を開かない静かな朝食のあと、簡単にテーブルを片付け祈祷会が始まる。

「パウロはローマ神徒への手紙の中で、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むと述べられました」

 パーヴォ牧師が厳かに呟く。その声は極めて沈痛だ。この私たちの上空に広がる晴れやかな天気に不釣り合いだ。世界はその毎日を運行しているというのに。まるでそれが、正常だというように。

「みなさん、現在はまさに苦難のときです。神を信じ、この苦難をみんなで耐え抜けば……」

 苦難のとき? そんな疑問が不意に湧く。

 それに希望とは何だろう。

 ヘレカは既に亡くなり、神の御下に旅立った。それは寿ぐべきことでは。いえ、けれども今もヘレカの存在を感じる。以前と同じく私の隣に。ヘレカだけじゃない。みんな近くにいる。そう思って見渡したのに周りはみんな沈痛な表情ばかりだ。

 私たちは日本人信徒のために日本語の聖書や教本を用いている。以前マウノは日本人に『忍耐』と約されるhypomoneeヒュポモネーというギリシア語は正確にはただ耐えるだけではなく『打ち勝て』を意味すると言っていた。昨日あの暗闇で聞いた、いえ、夢かもしれない声も確かにそう言っていた。そして私は木島に打ち勝ち、今ここにいる。

 あれが夢ではないならば、私は何に打ち勝つというの?

 悪? 敵? ……ヘレカの死?

 そして私は、ヘレカの死に納得できない理由に思い至った。私はヘレカの死を見ていない。だから、想像がつかない。ヘレカの死というその事象が。きっとずっと一緒にいたから余計に。今も一緒にいるとしか思えない。


 いつしか祈祷会は終わり、みんな思い思いに話をしていた。

「マウノ先生。ヘレカはどうして死んだのですか?」

「どうして……? ああ、君は今日、朝が遅かったのか」

「ええ。昨日体調がすぐれなくて……」

 私は昨夜そう言って、ヘレカに当番を交代してもらった。ヘレカの昨夜の心配そうな表情が浮かぶ。ヘレカの頭の両端で結んだ細いブロンドの髪が揺れるのが好きだった。

 死んでしまったら、もう、ヘレカと一緒に花壇に水をやったり買い出ししたりできないのかな。けれどもやっぱり、ピンとこない。

「アンニカ、落ち着いて聞いてほしい、ヘレカは殺されたんだ」

 その言葉に思わず狼狽えた。そして、やっぱり、と思った。この大騒動から、ただの死ではないと思っていた。けれども一体誰に? やっぱりヘレカも私と同じ事態に巻き込まれて、打ち勝てなかった、のかな。マウノは淡々と話し続けている。

「だから本家に連絡した。君がオーサ様を苦手なのは知っている。けれどもこれは僕らに手に追える問題じゃない」

「ヘレカはどうして死んでしまったの」

「ヘレカは……」

 やはりマウノはそこで口ごもる。よほど酷い死に様だったのだろうか。

「言って。ヘレカは私の親友よ。私が知らなければ、誰が知るべきっていうの?」

 ヘレカとは孤児院で一緒に育った。物心ついた時からずっと。まっすぐに見つめると、マウノは僅かにうろたえる。

「わからないことばかりなんだ。その、本家から朝一番に来たお医者さんからは、失血死だろうって聞いた」

「失血死……? ヘレカは怪我をしたの?」

「怪我……というか」

「お願い! 教えて!」

「……肩口に刃物で刺した跡があったそうだ……。それからエーリクは心臓を刺されて」

 唐突に、思いもしなかった名が浮かぶ。

「ちょ、ちょっと待って! エーリクも死んだの!?」

「あ……知らなかった、のか」

 マウノに詰め寄ろうとしたとき、教会の入り口が開き、オーサが相変わらずの無表情で現れた。

「お待たせしました。中に入っていただいて結構です。これから1人ずつ、お話を伺いたい。呼びに行かせますから、教会内かこの庭で待機していてください」

 オーサは私たちに語りかけながらひとりひとりの目を、まるで取り調べをするようにじっと覗き込む。その音程の変わらない声は一足先に世界に訪れた木枯らしのように冷たかった。

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